039 殺人
「はぁん」
「きも」
埜乃の一言が俺の心をえぐった。汚物でも見るような目。おかげで正気を取り戻す。いや、より深い傷ができた気がする。
舐めるように放たれた三雲の吐息攻撃に、性的な反応をしてしまった自分を恥じる。女子高生の前で見せてはいけない反応であった。
俺は立ち直るのに少しの時間を必要としてしまう。
『時間ねーっての!』
三雲は日傘をさし、空いた手で扇子を仰ぎ平然としている。薄く浮かべた笑みに迫力があった。
「木野が魔王候補? 魔王って? どういうことですか?」
「木野様はわずかな手勢で、テロ組織・真イスラム帝国の立てた魔王候補を倒し、本拠地を壊滅させたのよ。その功績を認めた欧州の闇系ギルドが新たに魔王候補に推薦したの」
「へ?」「テロ組織を?」「あれ?」「で、なんで魔王?」「はい?」
『落ち着け。ちゃんと聞くんだ』
「奴隷の少女を救うためだったと聞いている。噂だけどね」
「奴隷の少女を救う」、その一言が俺の頭を冷静にしていく。何度も繰り返して呟いてみた。
「真イスラム帝国は欧州の闇系ギルドが作った組織だけど、力を持ちすぎたのね。独自に魔王候補を立てて欧州の闇系ギルドに叛乱を企てた」
俺は黙って聞くしかできない。
「羽田空港の事件。あれを解決させたのはあなたよね。冒険者ギルドや日本政府があなたを持ち上げる理由が理解できた?」
「。。。」
「あなたと木野様とは? どういう関係?」
「友人です。中学からの」
「そう。勇者と呼ばれた男の孫と、魔王候補。これも運命なのかもね」
「でしたら、なんで貴女が狙われるんです?」
「日本の闇系ギルドは欧州の意見に賛同しようとしたわ。日本人から魔王候補なんて、信長様以来だもの。でも、盗賊ギルドは違ったのよ。私が代表として議場で反対したの」
「それで、木野に狙われていると?」
「魔王なんて馬鹿げてるでしょ。中世でもあるまいし。あなたのお爺さんのおかげもあって、日本の闇系ギルドは衰退したの。再興の夢を抱く者も多い。バカよねぇ」
「はぁ」
「今どき。魔王も勇者も必要ない。そう思わない?」
「そうですね」
「なら、あなたも必要ないわ」
「え?」
俺の首を薙ぐように、三雲の扇子が閃いた。何かが薄く肉の中を通り過ぎた感触。俺は、一切の反応ができなかった。
「早く木野を殺しなさい。木野の対抗馬として、あなたが勇者候補として祭り上げられでもしたら、私たちはあなたも殺すことになるかもしれない」
三雲は扇子を舞うようにはためかせてから胸元に戻した。扇子に目を取られる俺を見て笑みを浮かべると、突然扇子の羽から刃がせり出した。
「なにすんのっ!?」
「今ので、あなたの首を落とすこともできたのよ」
俺を後ろに突き飛ばすようにして、埜乃が三雲との間に立ちはだかり叫んだ。
俺は指で首の傷を確認する。わずかに出血はあるが傷は深くはなかった。
『完全に油断させられたな。これだから盗賊は怖いんだ』
すでに三雲から、老婆や老女といった印象はカケラも感じられなかった。それも、おそらく敵を欺くための技術だったのだろう。
「あんたは、自分を囮にして木野をおびき寄せているのか?」
『この女だけじゃねーぞ』
生涼の指摘で初めて気付く俺。埜乃はすでに周囲への警戒を強めていた。
遠巻きに見つめる観衆の何割かが、剣呑な気配を漂わせていた。
スーツ姿の男が多い。トレーニングウエアを着た女もいる。
離れた位置にいる桃花と亜美を囲うように配置された者までいるようだ。
『前回は、むしろ俺たちが邪魔をしちまったのかもな』
これ、俺ら必要か? 撤退した方がいい気がしてきたんだけど。
『こいつらは、あのガキに時間を巻き戻す力があることを知らねーんだ』
そうだな。
『お前本人にじゃなく、JKZに依頼を出したのは、お前を逃げられなくするためかもしれん。マジなら冒険者ギルドも性格最悪だぜ』
次は、JKZを連れて速攻で逃げたい。
『次があればいいんだが』
次がない場合を考える。盗賊ギルドの連中だけじゃなく、ここの人たちが大勢死んで、そのままになってしまうだろう。
あらためて周囲を見回した。公園やコーヒーショップ、ビルの玄関口など、合わせて100人近い人々がいる。
俺は苛立ちが怒りに変わろうとしていた。
「ひとつだけ教えてくれ。爺ちゃんの死も、あんたらと関係があるのか?」
「どうかしらね」
「ツガミン?」
祖父の死に、この女が関わっているかもしれない。俺の疑問を否定しない女に、溢れ出る怒気を抑えられない。
俺の変化に気づいた埜乃が、後ろを振り返ってこちらを見ていた。
三雲と目が合う。笑みが消えていた。
突然、スマホが警告音を発した。
俺はスマホのMAPでマルファスが捉えた少女の位置を確認する。
公園の外から、入り口方向へと移動するマーカーが表示されていた。
そちらには、亜美と桃花がいる。
前回、敵にとって最大の障害は、亜美の電撃魔法だったはずだ。
「くそっ! なんでそれを考えなかった! 埜乃、亜美たちが危ない! 急げ!」
「え?! わかった!」
走り出した埜乃の前に立ちふさがるスーツの男。腕には漆黒の木刀が握られている。
「な、なに?」
立ち止まった埜乃に向けて、振りかぶられる木刀。埜乃は両手をクロスさせて防ごうとする。
俺の身体は自然に動き出していた。前方に跳ねるように踏み込む。腰だめの縦拳が伸び、スーツの男の脇に突き立っていた。
拳を通して、相手の防具が砕けるのが伝わる。続いて肋骨が折れる感触。俺は、突き進もうとする拳を引き戻して止める。
スーツの男は、浮き上がるように吹き飛び、転がるように倒れて動かなくなった。
「ツ、ツガミン!?」
「いいから、行け! 邪魔する奴は、全部ぶっ飛ばせ!」
「OK!」
埜乃は、ピクリとも動かない倒れるスーツの男を一瞬だけ見てから、亜美と桃花がいる方向に走り出した。
俺が倒したスーツの男は、そのまま放置しておけば死ぬかもしれない。そんな不安が脳裏をよぎる。
『かまうな』
わかってる。わかってるよ! そんな男の死なんて、知ったことか。
それより、生涼。
『すでに、俺はJKZのそばにいる。状況は知らせる。ちくしょう。何もできないのが腹ただしいぜ』
ギルドアプリでメッセージを亜美たちに送れないのか?
『やったことはないが、やってみる』
生涼はスキルという理由でギルドアプリを操作できた。試したことはないがメッセージくらいは送れるように思えた。
埜乃を見る。無事に亜美たちと合流出来たようだ。
俺を取り囲むように、盗賊ギルドの人間が集まり出していた。
三雲が後ろから声をかけてくる。
「驚いたわ。聞いていたよりはやるようね」
「あんたらにかまってる暇はない。通らせてもらうぞ」
「あなたの役割は木野を殺すことよ。木野は私を狙う。ここにいなさい」
「勝手なことを言うな! ババァ!」
「あん?! なんだって!」
三雲の顔に青筋が浮き出る。化けの皮が剥がれた顔は40代くらいの女性に見えた。違うな、年齢不詳の女だ。
弱々しい老婆を装っていたくせに、ババア呼ばわりでキレるのかよ。意味わからん。
三雲の勢いで冷静になれた俺は、左にトンファー、右にひつじさんハンマーを取り出し手にとった。
『涼、後ろだ』
三雲と対峙する俺に、1人の男がにじり寄っていた。気配がないのが盗賊らしい。
俺はしゃがむように身を落として、振り返りざまにひつじさんハンマーを打ち付ける。
近づいていた男は手に針金を持っていたが、どうするつもりだったのかはわからない。
男は、両腕を前に出してフラフラと立ったまま居眠りを始めた。
JKZのいる方へと動き出した俺に両手を広げて別の男が立ちふさがる。
さらにひつじさんハンマーを打ち付けてやった。
「き、奇怪な技を!」
トレーニングウェアの女が俺に向かって言った。
ハンマーで打たれた2人の男は、気だるそうに動いて三角座りになり、そのまま眠り始めた。
俺はハンマーを見せるように振り回す。盗賊たちは怯えるように下がっていった。
『涼、JKZにメッセージを送れた! 今からそっちへ。ちっ! 遅かった! バケモノが来たぞ!』
くそっ!
俺は盗賊ギルドの連中を無視してJKZの元に走り出す。俺の足ならすぐに向かえるはずだ。
見ると、埜乃とバケモノ少女の戦闘が始まっていた。離れた位置で、桃花が杖を構えて亜美を守っている。
埜乃の戦闘開始と同時に、桃花の自動回復魔法はスタートしていた。
埜乃の右上段蹴りが少女を襲う。少女はわずかに身体を傾けて避ける。
埜乃の蹴り上げた足が上空を蹴ろうとした時、地についた軸足に触手が巻きつく。
少女が体をひねると、その場から引っこ抜かれるように埜乃は投げ飛ばされて行った。
同じ攻撃は通用しないとでも言うように笑う少女。
埜乃を放り投げた触手は桃花と亜美をなぎ払おうと襲いかかる。
桃花は杖をバトンのように回転させてから、触手へと向けて降りつける。
桃花の低レベル風魔法で生み出した真空の刃が、触手の表面をわずかに傷つける。
高速で迫る触手に桃花は反応できているが、撃退するまでには至らない。
傷ついた部分を支点に反対側に折れ曲がった触手の先端が、桃花の腹部を貫通していた。
俺はようやく到着する。
少女の腕と同じ太さを持つ触手は、勢いのままに桃花を引き倒して転倒させていた。
桃花を引き寄せ、頭部に右の爪を突きつけて、俺の行動を抑止しようとする少女。
桃花は倒れた際に頭を打ったようだ。頭部からも出血が始まっている。
亜美はティザーガンで攻撃するが、すぐにワイヤーを爪で断ち切られる。
「桃花ぁ!」
「いや。ぐああ」
桃花に駆け寄ろうとする亜美を俺が止める。
桃花から、触手がズブズブと音を立てて引き抜かれていく。桃花は気を失った。
俺は左のトンファーを投げ捨て、ひつじさんハンマーに持ち変える。そして右手にククリナイフを握った。
自動回復リジェネによって、桃花の命はギリギリで失われずにいる。
魔法の効果時間内に少女を殺す。それで、桃花を失う前に全部やり直してやる。
睨み合う少女と俺。突然、少女のコメカミに小さな黒い穴が空いた。穴の逆方向に貫通孔、飛び散る脳漿。
パンッと背後から乾いた銃声が鳴る。振り返ると、小太りの公安が拳銃をかまえていた。
「津神! このバケモンはなんだ!?」
公安の言葉は無視する。少女は、まだ倒れない。後ろによろめいて桃花から離れて行った。
確実に殺す。俺には、それしか思い浮かばない。
駆け寄った俺は、少女の胸にククリナイフを殴りつけるように突き刺した。
根元まで埋まったナイフを引き抜く。まだ死なない。時間が巻き戻ろうとしていない。
さらに胸に突き刺し、引き抜く。それを数度繰り返した。
音が消える。乖離した思考が身体から離れていく感覚。時間の流れが遅く感じられた。
少女は、俺を見ていた。無抵抗で、ただ俺を見ている。そして、少女は自分の首を爪で指差した。
「ツガミン」
埜乃の声が聞こえた気がする。生きているのか、良かった。
俺は少女の首にククリナイフを振りかぶる。
皮膚を破り、筋肉や筋を断ち切り、背骨に食い込んで止まった。
「マダだ」
少女の声。
俺は左手で少女の髪を掴む。それを力の支点にして、右のナイフをゴリゴリと押し込んでいく。
胃から喉を通って吹き上がる下呂を口中を膨らませてせき止める。口の中でアイスコーヒーの味がした。
俺の頬を、涙が流れ落ちていく。
翌日、正午。
俺は橋の上に立ち、隅田川に浮かぶ屋形船を眺めていた。桟橋に並べて建てらた屋形船用のヤグラが目に楽しい。
橋の上を行く人々は、日差しから逃げるように早足だった。
肌を焼く日照、ビルからの排気熱、自動車の排気ガス。
それらが合わさりオーブンレンジの中に閉じ込められたかのような息苦しい熱気を感じさせる。
『懐かしいな』
「あぁ、もうこの川、そんなに臭くないんだぜ」
『。。。』
「なんだよ?」
俺が吐き出した物体が、隅田川へと落ちていく。せっかく綺麗になった川を汚してしまっていた。
生涼から受け取った前回の情報が、俺を追い詰める。
橋の上で四つん這いになって泣く俺を見ても、急ぎの足を止めようとする者はいない。
「おぇ。も、もう行きたくない」
『だろうな。でも行くんだろ?』
「行く」
『ほっとけないよな』
「こ、これ終わったら、冒険者辞めるから」
『終わったらな。さぁ、行くぞ』
俺は膝に手をついてなんとか立ち上がる。
進むのを拒否する身体。俺は頭を振ってゆっくりと歩き出した。
『今回は、落ち着いて行こうな。慌てたって、どうにもならんのはわかったろ?』
「うん」
『でも、いろいろ情報は手に入った。よく考えようぜ』
「うん。で、どうすんの?」
『うーん』
「なんで、俺と同じレベルの知能しかないわけ? お前には?!」
『ご、ごめん』
「異世界の経験からさ。なんかいいこと思いつかないのかよ?!」
『うーん。そう言えば。異世界はあんまり関係ないかもしれないけど』
「あるの? 良い策、あるの? あるのかよ!」
『た、たぶん』




