037 東欧の魔女
巨大なオフィスビルの側に造られた公園。
ビルの一階にコーヒーショップチェーンがあり、公園側には喫煙所が設けられている。
おそらく従業員の休憩場所を兼ねた公園なのだろう。その割にはかなり広い。
ケヤキの一種であることを記すプレートが付けられた樹木。それを四角く囲った石材のベンチ。
樹木の日陰に座る亜美。傍らに立つ埜乃。2人に向かい合う桃花。JKZの3人だ。
「あ、涼さん。そうだ! 2人に付き合ってあげて。お願いします」
「えー、いらないってぇー」
「こんちは。お兄ちゃんは、なんでここに?」
「なんで? 帰っちゃだめ! 目を逸らさないで! 涼さん!」
不用意に近づいてしまった俺は、すぐに面倒ごとの気配を察知して去ろうとする。が、遅かったらしい。
「今、逃げようとしたよね? ツガミン!」
「いやいや。逃げてないって。あっちでアイスコーヒーを買うけど、みんな飲む?」
批難の声も聞こえたが、瞬時に機嫌を直してシッポを振るようについてくるJKZ。
なんたらラテ?とかいう意味不明な飲み物を、俺は3人分おごらされた。
「じゃあ、そういうことで。涼さん、よろしくね」
「いてらー」
「頑張って、受験生」
「えと、そういうこと? どういうこと?」
桃花はカップを持ち、ストローを咥えて去っていった。可憐な笑顔である。ちなみにヘソは出ていない。
桃花は予備校で行われる夏期講習に参加するらしい。彼女は高校三年生。受験生だ。
教材が入っているだろうトートバッグは重そうだった。
期末試験が終わり3人は夏休みに入っている。
「あのお婆さんを護衛してるの。ここで誰かと会うみたい」
亜美は、公園内の木陰のベンチに座る1人の女性を指差した。
年齢は60代後半だろうか。和服だが、この暑さでも乱れは感じない。
ペットボトルの緑茶を飲む姿にまで、所作の美しさが滲み出ている。
生涼、何か怪しいところはないのか?
『わからん』
生涼は、護衛対象の女性のそばまで近寄っている。ひざまづいて顔を覗き込んでいた。
「なまりょう? どこどこ?」
「なんで嬉しそうなんだよ?」
埜乃が俺の様子を見て、生涼の存在を察知したらしい。
生涼の姿は、他の人々と同じようにJKZには見えていない。彼女たちは羽田事件後に生涼の存在を知って驚いていた。
直接、彼女たちと会話もできない生涼だが、なぜか妙に懐かれている。本体である俺への信頼の賜物に間違いない。たぶん。
『くそぉ。ギルドの制限がなければ! 埜乃の生足間近で見てぇ!』
埜乃は、以前より俺が戦えるようになった理由を生涼の影響だと考えている。下品な目で見られているなど微塵も考えないのは、本体である俺がいかに信頼されているかを。。。以下略。
「あの女性、どういう人なんだ? 亜美は知ってるのか?」
「飲食店の経営とか、いろいろやってるお金持ちのお婆さんみたいだね。クエストを受ける前にネットで調べてある」
「ギルドは、どんな危険を想定してるんだ?」
「実は、指名依頼なんだよね。お兄ちゃんがここに来たのも無関係じゃない気がするなぁ」
「俺がここを通りすぎるのを知ってたって? なんだかなぁ」
「冒険者ギルドには未来が見えているって言ってる人もいるね」
ギルドは未来を知っている。それは冒険者なら、誰でも一度は考えることなのかもしれない。
それでも、すべての人に起こる不幸を回避できるわけじゃない。
以前の電車での痴漢騒ぎもそうだ。実際に痴漢にあっている女性や、痴漢冤罪の被害にあう男性は他にもたくさんいる。
なぜ、あの青年だけをギルドは守らなければならなかったのか?
「亜美は、どう思ってるんだ? そこらへんのことをさ」
「前は、いろいろある疑問を探ろうとしたこともあるよ。美杉さんを問い詰めたこともある。桃花、埜乃と仲間になってからは、考えないようにしてる。どうせ、教えてくれないしね。でも、いつか真相にたどりつきたいと思ってるよ」
亜美はJKZの中では、もっとも冒険者経験が長い。1人で小さなクエストを幼いころからやっていたらしい。
賢い亜美のことだ。冒険者ギルドについて思うことはたくさんあるだろうな。
俺にも興味はある。だが、こうも思っていた。
クエストにないことは、俺たちが手の届く範囲で動けばいい。御室のように。
冒険者ギルドが俺たちを利用しているかもしれないとも思う。それも、警察の北条や自衛隊の早田を考えれば、利用してくるのはギルドだけじゃないだろう。
冒険者をやめることは、いつでもできる。手に入れた力を失うことになるだけだ。
今は、ギルドで得た力が必要だった。
それに、いつか必要な時がくればギルドのこともわかるんじゃないか、とも思っている。祖父の過去を知った時のように。
「亜美ってさ。桃花がいないと、急にお姉さんぶるんだよねぇ」
埜乃は両腕を頭の後ろで組み、ベンチから出した両足をふって遊ぶ、いつものアホの子を演じていた。
『本当にバカなら、戦闘であんな立ち回りはできないだろうしな』
勉強はマジで苦手らしいけどね。
桃花、亜美、埜乃の3人がパーティーを組むことになったのにも、いろいろあったと聞いている。詳細は知らないし聞くつもりもない。
それぞれ家庭環境も違う。まだ若いが何も抱えずに生きてこれたわけじゃないだろう。
俺は、わかったような顔で近づいてくる大人が嫌いだった。
他人の本性を見切ったつもりで語り、てきとうな説教を垂れる人間にもなりたくない。
「桃花は、亜美と埜乃の2人だけで受けるのは危険だと思ってるのか?」
「あの子は心配性だからってのもあるけどね。お兄ちゃん、回復魔法使えるでしょ?」
「なるほどね」
『来たかもしれん。あの銀髪の少女だ。やばい気配しかしねぇ』
「亜美、埜乃。生涼が警戒しろってさ」
「わかってる」
「また、派手な外人さんだねぇ」
年齢はJKZたちと変わらない。いや、埜乃より少し若いかもしれない。
ロシアか東欧の若い女性。銀髪のロングヘア。膝丈の黒いドレス。まるで、人形のような美しさだった。
その少女が、オフィスビルの玄関口から出て、堂々とした態度で歩いてくる。
すれ違う人々が目を奪われた後、道を譲るように一歩後ずさる。
少女を確認した老女が立ち上がる。そして、深々と一礼をした。
少女と老女の間には、まだ距離があった。2人が接触する前に、俺か埜乃なら間に立つこともできそうだ。
「お兄ちゃん、気をつけて」
「わかった。俺が行く」
俺は老女の方向に少し早足で歩き始める。
間に合うかわからないがトンファー、ククリナイフ、ライダーズジャケットの召喚操作を行った。
後ろから、JKZの声が聞こえる。
「埜乃、フル装備をすぐに召喚して」
「えー! この暑いのに? あれってそんなにヤバいの? ツガミン大丈夫なの?」
「防具無しのあんたよりはタフだよ。お兄ちゃんが死んじゃう前に、埜乃がなんとかするの」
怖い話をしてるなぁ。
亜美は常に最低限戦える装備をバッグの中に忍ばせている。多少、物騒な物も入っていた。
利発そうな美少女を職質する警官などいないのだろう。いたとしても、亜美ならどうとでもしてしまう気がした。
近づいて行くと、銀髪の少女が俺を見て、小さく「ククク」と声をあげて笑い出した。
周囲の人々は、見た目も醸し出す雰囲気も異質な彼女から距離をとって離れて行く。本能的に恐怖を感じるのは俺だけじゃないらしい。
彼女は笑みを浮かべたまま左手を顔の前に掲げる。左掌が黒い鋭く尖った何かに変貌しようとしていた。
「この真っ昼間に! ここで暴れる気かよ!」
俺は全力で走る。そして老女をかばうように立ちふさがった。防具も武器もまだない。
『くるぞ!』
少女が消える。そして事前動作一切なしで直前に現れる。そのまま俺の胸元に指先だったはずの尖った先端を突き立てた。
俺の皮膚と筋肉を破り胸骨をえぐる、少女の変質した硬質な指先。
俺は、全身が痺れるような寒気に襲われながら、左後方へとジャンプして躱す。
同時に右手で胸に埋まりかけた敵の掌を、外に弾き飛ばした。
俺の身体から抜けていく指の先端は明らかに長く伸びていた。俺の目の前で黒く揺らめき、さらに伸びようとする先端。
『こいつのスピードはオーガと同レベルだ!』
まじかよ! くそ!
俺は、一本のトンファーが空中に浮かんだのを確認すると左手で掴んで召喚を安定させる。
『そんなの後回しだバカ!』
「ぐっ。ぎゃあ」
後方から、老婆の悲鳴が聞こえた。
振り返ると、俺の目の前で揺らめいていた少女の左腕の先端が、老婆の右肩に突き刺さっていた。
真っ黒な一本の触手。彼女の左腕は、そう例えるしかない物体に変化している。
伸びた触手が2mはある距離を無視して老婆を攻撃したのだった。
「オマエジャマ」
声を追うように少女の顔を見る。怒りを孕んだ表情。恐怖が全身を絡め取る直前に、俺は左方へと飛んで逃げる。
彼女の右掌が俺のいなくなった空間を引き裂いた。
そこには、爬虫類のような鱗に覆われ、大型肉食獣の牙を思わせる爪を生やした右腕があった。
周囲の人々は、声を出すのも忘れて立ち尽くしている。
「なんだ。こいつ?」
『木野が合体魔法で作ったキメラだな』
「な、はぁ? 人間じゃねーのか?」
触手が老女の身体から抜け、もう一度狙いを定めるような動きを始める。
「おりゃあ!」
少女の側頭部を狙って、埜乃の飛び蹴りが放たれた。それを爬虫類のような右腕で上へと刎ねあげる少女。
体重の乗った蹴りの威力をすべては無力化できなかったのだろう。たたらを踏むように数歩横によろめいて少女は移動させられていた。
脚を跳ね上げられ回転する埜乃は、空中の一点に作った足場を蹴って体制を整えて着地する。
埜乃の固有スキル「天歩」。それは、左右一歩ずつだけ、空中に足場を作ることができる。それを蹴ることで、より高く飛ぶことも、空中を走るように移動することも可能だ。
空中を移動できる埜乃にとってジャンプ中の対空時間が隙になることはない。
着地して身構えた埜乃は、新たに購入した全身を覆う防具を身につけていた。両腕にはバトン型のトンファー。
防具のデザインは、まんま自転車競技に使うプロテクター一式とフルフェイスヘルメット。全身真っ黒である。
亜美が選び、JKZ全員がコストを出し合って購入したギルドの最新防具だった。
背の低い埜乃が着ると、変身ヒーローグッズで遊ぶ子供のようだ。そういうと不機嫌になるので言葉には出さないけれど。
埜乃と銀髪少女の戦いが始まる。
爪の攻撃を、腕のプロテクターとトンファーを使って凌いだ埜乃は、ガラ空きになった相手の脇に蹴りを叩き込む。
少女は、動きの速さこそ上位魔物なみだが、格闘の技術は高くないように思える。
数合の打ち合いで埜乃のプロテクターは傷だらけになっているが、まともにダメージを食らった様子はない。
少女の触手が老婆から離れ、埜乃を狙おうと動き出した。
俺は、準備のできていたライダーズジャケットの襟を掴んで安定させる。そしてククリナイフのハンドルを握って、同じように召喚を安定させた。
俺に目を向ける少女。
「なめんな!」
埜乃が上段蹴りを少女の顔面に放つ。少女は直前で放たれた蹴りを目視だけで避ける。
普通の人間であれば動体視力も反射神経も間に合わないだろう。
人間同士の格闘ならば、蹴りがくることを事前に察知できていないと難しい。
準備ができていたとは思えない。少女は俺を見ていたのだ。
空振りの蹴りは大きな隙を作る。その隙を狙って少女の爪が動きだす。
その時、埜乃の垂直に上がった足先が空中の何かを踏むように蹴った。その反動を利用した埜乃は、少女の頭頂部へと踵を叩き落とした。
腰を落とし、よろめくように後ずさる少女。
自我を持つように埜乃を狙って動き出した触手を、俺はククリナイフで斬り落とす。
ほぼ同時に「プシュ」という圧縮ガスの発射音。テイザーガンの端子が少女の肩に突き立っていた。
「離れて! 最高出力で行くよ!」
埜乃は後方へと飛び。俺は倒れる老婆をかばうように抱きしめ、身を低くする。
その直後、少女の全身から激しい稲光が迸った。
5秒、10秒、まだ亜美の電撃魔法は止まらない。少女は倒れ、全身を痙攣させて身悶える。肉を焼く臭いと煙が周囲に漂う。
「亜美、長すぎるよ! MP使い切っちゃう!」
30秒ほど経ったころ、ようやく電撃魔法が止んだ。亜美は膝をついて肩で息をしている。
「きゃははははは!」
少女が笑っていた。
電撃によって全身を内部から焼かれた少女は、四肢を折り開き仰向けで倒れている。
眼球は両方ともが煮え溶け暗い穴となっていた。美しかった皮膚はひび割れ、血液だけではない体液を流している。
「まだ、生きてるって、そんな」
「埜乃、近寄っちゃダメ! グハッ」
「はっ! 亜美! なんで! いやだ!」
亜美が突然、倒れる。その胸には槍のような銀色の物体が刺さっていた。
見ると、少女の右足の膝から下が消えている。
『バケモノが!』
「俺が回復を!」
「ファック! ヤリナオシだ!」
少女は右腕の爪で自分の喉を引き裂いた。
翌日、正午。
俺は橋の上に立ち、隅田川に浮かぶ屋形船を眺めていた。桟橋に並べて建てらた屋形船用のヤグラが目に楽しい。
橋の上を行く人々は、日差しから逃げるように早足だった。
肌を焼く日照、ビルからの排気熱、自動車の排気ガス。
それらが合わさりオーブンレンジの中に閉じ込められたかのような息苦しい熱気を感じさせる。
『お前さ。覚えてないの?』
「いやぁ。懐かしいね。この雰囲気、覚えてるさ」
『じゃなくてさ。屋形船を眺めてる場合じゃねーだろ』
生涼から、俺の知らない未来の情報が流れ込んでくる。
「なに、これマジなの?」
生涼は俺の脳の一部を利用して存在している。
生涼の利用領域から、俺の脳へと情報が流し込まれたのだ。
それは数十分後には起こるであろう惨劇の未来だった。
『急ごう』
「わかった」
俺はJKZの居る公園へと走り出す。
「しかし、なんでお前は覚えてるんだよ。ありえんぞ。たぶん」
俺は、数多のフィクションで描かれてきたタイムリープで起こる状況を思い浮かべる。
タイムリープを使ったのは敵の少女だ。
周囲にいた他人が、状況を把握できるなんて聞いたことがない。
これこそ、事実は小説より奇なりってヤツ?
『なんでって、知るかよ。俺が居るのが、亜空間だからじゃね?』
「そ、そんな理由でいいのかよ!」
亜空間、不思議世界すぎるだろ。なんでもアリじゃん!
お待たせしました。
超展開にしてやったぜw




