前
その後の話を少し、しようと思う。
一週間後の話だ。
結果的にラフィーさんは教授に推薦されることもなく、無事と言ってしまってはなんだが、鷹閃大学を退学することとなった。
ラフィーさんとは、あれ以来会ってはいないが、どうやら堂島さんとは何か相談をしていたようで、嫉妬で悶え狂いそうになった。
「やぁ」
「どうも、白銀さん」
そんな傍から見ても不審者丸出しの私に声を掛けて、食堂の席まで誘導したのは、白銀さんだった。
「取り敢えずは、お疲れ様、だね」
「はい、お疲れ様でした。白銀さんにはお世話になりっぱなしでしたね」
「そんなこと言わないでよ」
なんとなしに二人で笑いあう。好物のチキンカツが目の前に鎮座しているが、今は白銀さんとの会話を優先しようと考えた。
「僕は名前や名づけっていった行為が好きじゃないって話はしたよね?」
「えぇ、前にお伺いしましたが・・・?」
「それでも、名前っていうのは大切なものだっていう認識はあったんだ」
だからね、と彼は続ける。
「本当によかったのかい、って思ってしまうんだ」
「・・・」
それに私は応えない。続きをただ無言で促した。
「君は、シェルトさんからサークルの代表を引き継いだ。君の嘘つきゲームでの在りようを見て、君を本当の代表だっていう認識を持つ人まで出てきてるらしいじゃないか」
「反発のほうが多いですが、私自身、そんな意見が出てきてることに驚いています」
少し苦笑しながら応えた。あのゲームの後、私はラフィーさんからサークルの代表を引き継いだ。
それが、あの嘘つきゲームで、私の退学と引き合いに出した条件だった。万城目さんにサークルを返すという約束は、その条件で果たすつもりだったのだ。
本来、万城目さんにサークルを返すつもりだったので、万城目さんが代表になるはずだったのだが、それを万城目さんは固辞した。
そこから紆余曲折はあったのだが、何故か私がサークルの代表となる。サークルに入ってもなかった私が、サークルの代表になるというのには、今までの事も相まって強い反発があったのだが、そんな中挙げられた意見が先ほど白銀さんが言ったような意見だった。
「でも、それはあの特殊なサークルである種の象徴になるという行為だ。象徴っていえば聞こえはいいかもしれないけど、その実、個人が希薄になるんだよ。大半の人が、ローマ法王の名前を知らないようにね」
「そこまで偉大な人物と列挙しないでくださいよ」
「茶化さないで聞いてくれ。いいのかい、名前が、君個人が無くなってしまうんだよ」
私は少しだけ考える素振りをした。真面目に話してくれた白銀さんには、真摯な対応を見せたかったのだ。でも、答えは既に決まっていたから、やはり私が言う言葉も変わらない。
「いいんですよ。私をちゃんと認識してくれる人が、目の前の人物を含めて何人かいますから」
白銀さんは少しだけ驚いて見せて、微笑んだ。
◆
「やっほー」
「どうも、万城目さん」
白銀さんと別れた後。
いつもどおりといえば、いつもどおりにどこまでも緩い挨拶をしてきたのは万城目さんだった。
ふわふわっとした足取りで、大学の構内を歩くその姿に、やはり私は姫という感情は持てない。
「この間は、本当にありがとうございました」
「いいよー」
手をヒラヒラとふる仕草は、本当にいつもどおりだった。あのゲームで一番複雑な想いを抱えていたにも関わらず、彼女の彼女らしさには変化がなかった。
「私もようやく吹っ切れたからねー」
ただ、それはやはり私から見た万城目さんの話なのだろう。どこか清々しい表情でそう語る万城目さんが、どれ程葛藤して、渇望して、慟哭したのかは、私からは伺い知ることなんて出来はしない
「それより、サークルの代表任せちゃってこっちが申し訳ない気分だよー」
「それなんですが」
「ん?」
「どうしてサークルの代表にならなかったんですか?」
純粋な疑問だった。サークルを居場所とまで言い、サークルを守るために尽力した万城目さんほど、あのサークルの代表に相応しい人物もいなかったろうに。
「うーん、それに答えるのはちょっと難しいかなー。サークルが特殊なものになって、君に迷惑をかけることは分かってはいたんだけど」
それでも、と彼女は一拍言葉を置いて続ける。
「君しかいない、そう思っちゃったからなんだよねー」
きっとその真意を、私は理解出来る日は来ないだろう。大切だと言ったものを他人に委ねるその行為を、彼女は是とした。結論に至るまで、彼女が行ってきた事を考えれば、やはりどうしても理解は出来そうにない。
コミュニケーションとは本当に難しい。
「だから、サークルをお願いね」
珍しく間延びしない声を発した彼女に私は強く返す。
「はい、貴方とラフィーさんが守ろうとしたものですから」
◆
「よぉ」
「こんにちは! お兄さん!」
「どうも、御剣さん。それに凛さんも」
流麗な仕草で挨拶をしてきたのは、御剣さん。
溢れんばかりの元気をぶつけるような挨拶をしてきたのが、凛さんだった。
「すっかり小綺麗な犬小屋に戻ったな、ここも」
「ぶっ飛ばしますよ?」
「け、喧嘩はよくないよ!」
場所は、御剣一族が我が物顔で使う、私のアパートだった。
物はそれほど多くはなく、高価なものなんて一つもない。値段をつけたら一番価値がありそうなのが、文化祭の時、堂島さんから頂いたサインだと言うのが私の懐事情を察するには十分なものだろう。
「修繕費全額出してやったんだ、それくらいの冗談付き合えよ」
「・・・そこは感謝してます」
だからと言って、家に着くなり椅子を占領するのはどうかと思うが。凛さんも躊躇いがちなのに、既にベットの上に腰かけている。私のアパートを一体どう考えているんだ。
「さて、話しておかなきゃなんねぇことがある」
御剣さんはそのように切り出した。
「今回の件でお前が得たのは、権力をもった親の子、芸能人、格式と伝統を持つ家、それのハイブリッド型の天才たちとの人間関係を何千人分だ」
サークルの代表になったことを言っているのだろう、御剣さんは。
「だからね、お兄さん。御剣財閥もお兄さんには簡単に手が出せなくなったんだよ。もう、部屋を荒らせる心配もないと思う」
凛さんはそう続ける。少しだけ嬉しそうに、そう語る。
とどのつまり、あれだけ悩まされたコミュニケーション能力、人間関係というものに私はここに来て救われることになった。
「これについては、正直予想はしていねぇ。サークルの代表がお前になるなんて予定はなかったしな」
「えぇ、私もこうなるとは思っていませんでした」
あれだけ、反発していたのにも関わらず、トップが憎き相手に変わってもサークルを離れる人は思ったよりも少なかった。
だが、そんな事、歴史を見ればそんなものかと理解出来るものでもあった。おおくの宗教が、何回にも渡って教主を変えてきたように。
結局、人が依存するの集団でしかない。
教授が何時か言っていたように、社会という集団から外れれば、人は人とはみなされない。その集団への帰属意識を図らずも強めていたのは、皮肉なことに教授だった。
「これからしばらくは膠着状態が続くと思うぜ」
「それは・・・ありがたいですね。正直、私に被害が行くなら納得は出来るんですが、周りに波及してしまうと、私は実家にすら帰れなくなりますから」
「だけどね、お兄さん。きっとこれからなんだと思う」
これから。そう言った凛さんの言葉は正しい。
自分よりも遥かに強大な相手に、私はこの兄妹と立ち向かっていくことになるのだろう。
「だからな、まぁ、これからもよろしく頼む」
「お願いします」
そう言って目の前の二人は頭を下げる。
思えば、奇妙な縁で始まったこの関係だ。正直、嘘だらけで始まった関係と言ってもいい。御剣さんは私を利用するために、大学構内で私と共にいた。そこには、私といて面白いからという感情は、プラスの感情は一切なかったのだろう。
凛さんは私を守るために、このアパートの一室で過ごした。家に防犯を重ね、過剰ともいえる女性関係の淘汰は、その実、ハニートラップ等を警戒してのものだろう。
なら、私は、何を考えて、この二人と一緒にいたのだろうか。今となっては、思い出せない。忘れてしまった。それを私は、どうしようもなく、綺麗で、儚く、美しいことのように思えるのだ。
だって、そうだろう?
「こちらこそ、よろしくお願いします」
その分だけ、きっと私は前に進めているのだから。
◆
ピンポーン
間の抜けたような音が広くない部屋に響き渡る。今日は御剣さん、凛さんに加えて来客が多いなと少しばかり驚いた。
誰だろうか、そう思いながら、時代に追いつけ追い込せとばかりに設置されているモニター付きのインターフォンに近づき、表示されている画面を見る。
インターフォンの前にいる彼女は、少し薄着だった。
まだそんな恰好じゃ寒いだろうにと思う私の気持ちとは裏腹に、頬にはほんのり朱色がさす。瞳を雫で潤し、彼女は唇を濡らしながら言葉を紡ぐ。夜の暗さに負けないほど、長い漆黒の髪が、玄関前のライトに照らされて光沢を放っていた。
『あけてあけてあけてあけてあけてあけろよ』
「あの、堂島さん。本気で怖いんで勘弁して頂いていいですか」
というか、堂島さんだった。
私が鍵を開けると同時に、目の前の彼女は言う。
「なによ、人が折角サプライズしてあげたのに」
「いや、これ以上ないほど驚きましたので、サプライズは成功していますよ」
私の言葉を聞いているのかいないのか、玄関で靴を脱ぎ始める彼女は、少し寒そうにしながら私の部屋へと上がってきた。
私はそれに追従するような形で、再度部屋に戻る。
「で?」
「はい?」
「珈琲とか出ないの、ここ」
「喫茶店じゃないんですよ、うちは」
と言いながらも渋々珈琲を作り始めるあたり、私も大分コミュニケーション能力が培われたのではないかと愚考した。
彼女は、私から手渡された珈琲を飲みながら一息つくと話始める。
「その、いろいろありがとね」
非常に重い言葉だった。それを聞いて私は、思った。貴方が其れを言うのかと。
「私の方こそ、本当にありがとうございました」
それで少し、会話は止まった。
以前までの私ならこの空気が非常に耐えがたいものだった。しかし、今となっては、会話がない空間でも苦にはならないと感じてる自分がいて、少し驚く。
ぽつりと、彼女は呟く。
「それだけじゃない。最後のゲーム」
最後のゲーム。彼女は本気でラフィーさんを勝たせようとしていた。だからこそ、最後の指摘で彼女はラフィーさんを指摘しなかった。
「勝ってくれて、ありがとね」
だから、私はこう言ってくる彼女に少しだけ疑問を持つ。
堂島さんが考えていたハッピーエンドは、これでよかったのだろうか。本当は、ラフィーさんが勝つことがハッピーエンドだったんじゃないのか。
差し伸べることが出来なかった手を差し伸べて、彼女を救う。それが文脈的にもハッピーエンドのような気がしてならない。
なのに、彼女はお礼を言った。
「どうして、ですか?」
思わず、口を開いていた。本当に分からなかったのだ。彼女がお礼を言う理由が。
それに彼女は答えない。
無言のまま堂島さんは、部屋をぐるりと見渡すと、あるものを見つける。
「飾ってんだ、それ」
指し示したのは、文化祭で彼女から頂いたサインだ。
「飾らないと失礼かと思って」
「何よ、それ」
彼女は笑いながら、サインを手に取る。
すると、持ってきたバッグの中から、サインペンを取り出し、その色紙に何かを記入した。
それを満足そうに眺めながら、私に裏側の状態で手渡して言う。
「シェルトが待ってるって」
それを言うために、ここに来たのだろう。堂島さんは既にバックを手に持って、玄関の方へ向かっていく。
私は、慌てて彼女に言う。
「堂島さん、また大学で」
聞こえたのかどうか、分からない。バタンと、玄関が閉まった音だけが部屋に木霊した。
勝手な人だな、と思いつつ、私は手渡されたサインを確認した。
そこには、下側にデカデカと、PS.大嫌いと書かれていて、
新しく小さな×印が追加されていた。




