蝕む闇の竜
ドアからノック音が鳴り、住人の視線が一方向に集まる。
「ん、お客さんかな? 僕が出るよ」
僕はスタッと立ち上がり、躊躇なくドアを開けた。特に警戒もしていないのは、この部屋で僕に勝てる存在が居るとは思えないからだ。
「……えっと、どちら様?」
そこに居たのは、黒紫色の長髪と深紫の眼を持った女だった。その容姿に関しては、絶世の美女と言っても良い程に整い、優れている。
「……どこの馬の骨が弟子を誑かしたと思えば、随分貧弱な奴が出てきたものだな」
そう言いながら女はつかつかと部屋に踏み入ってくる。ていうか、弟子? もしかして……。
「し、師匠!? どうしてここにッ!?」
「どうしてもこうしても無い。我が弟子の飼い主ヅラをしている戯け者を見に来ただけのこと」
やっぱりか。てことは、この人って……!
「ドラゴンですか?」
「……は?」
「いや、だから……ドラゴンだよね?」
「……そう、だが」
ドラゴンは見た目麗しい人の姿で困惑気味に頷いた。
「じゃあ、何竜? 雰囲気からいくと闇竜っぽいけど、影竜も有り得そうだよね」
「……答える気はない。ただ、そのどれでも無いことは確かだ。というか、あまり私の種族に関する話はやめろ。弟子から聞いたのだろうが、これでも竜人で通している」
あ、そうなんだ。確かに、人里で活動するなら竜って公言すると面倒が多そうだ。
「んー、君の種族は気になるけど……無理に聞くことはしないでおくよ。ただ、話したくなったらいつでも言って良いからね。勿論、今でも良いよ」
「……一旦、黙れ。話が進まないっ!」
ドラゴンがこめかみを抑えて言った。
「……私がここに来た要件。それは、先も言った通り、お前を一目見に来たのだ」
「あー、うん。どうも」
僕がおざなりな返事を返すと、ドラゴンは眉を顰めた。
「そして、その上で分かったことがある。……お前は、我が弟子に相応しくない」
ドラゴンは言いながら、どかっと僕の対面に座った。
「よって、お前には……エトナ・アーベントとの契約を解除してもらう」
「んー、無理かな。嫌とかじゃなくて、無理なんだよね」
僕が言うと、ドラゴンはまた眉を顰めた。
「……何故だ」
「僕とエトナが結んだ契約は、親愛の契約。これは僕たちの親愛が壊れない限りは如何なる手段でも解除できないよ。逆に、僕らの間に親愛が無くなれば勝手に解除されちゃうけどね」
これは契約解除系の魔術やスキル、契約を上書きする新生の契約でも壊せない、契約破壊に対しては最強の契約だ。
「……厄介な」
僕を睨んで言うドラゴンに思わず笑みが溢れる。
「あはは、この貧弱な僕が竜種から厄介なんて言われるとはね。最早光栄だよ」
「……軽薄な。やはり、貴様なんぞに弟子を渡すわけにはいかん」
そう言うと、ドラゴンは僕の方に腕を突き出した。
「お前、自分は死なんとでも思っているだろう? 次元の旅人は無敵だとでも思っているのだろう? ……甘い。甘いな。甘すぎる」
「し、師匠! もうやめてください! ネクロさんは大丈夫ですっ! 大丈夫ですからっ!」
エトナが立ち上がり、師匠を睨む。メトも無言で僕の傍に立ち、拳を構える。
「黙れ。今、私はこの男と話しておるのだ……おい、人の子」
「何かな? ドラゴンさん」
僕が尋ね返すと、ドラゴンは伸ばした腕の先のある手のひらをパッと開いた。
「一分以内に我が弟子に関わらないと誓えば許してやる。でなければ……永遠の闇に蝕まれるが良い」
ドラゴンの手のひらに、明らかにヤバそうな闇のオーラが集まっていく。
「やめてくださいっ! ネクロさんを侵蝕したら許しません……師匠でも、本気で殺します」
エトナが机の上に乗り、僕とドラゴンの間に立つ。
「ほう? お前が私を殺せると思っているのか? ハハハッ、思い上がりだな」
「思い上がりでも何でも構いません……ネクロさんは、私が魔物だって分かってても普通に接してくれる人なんです。やっと、やっと見つけたんですっ! それなのに、それなのに……やっと掴んだ幸せを、それを奪うのなら……師匠でも、容赦しません」
険悪すぎる雰囲気だが、僕はしっかりと秒数を数えていた。残り、二十五秒だ。
「そうか、そうか……どうやってここまで誑かした? 人の子よ」
「ん? 紳士的な態度を心がけてるだけだよ」
僕は適当なことを言いながらも、深い思案を巡らせていた。
というのも、僕が思うにこのドラゴンの態度は本気じゃない。多分だけど、彼女は僕のことを……若しくは、僕たちのことを試しているんだと思う。
古来から、竜が好きなものは宝物と試練だと相場が決まっているし、それはこの世界でも例外ではない。ならば、これは一種の試練じゃないだろうか。僕がエトナに相応しいかを確かめるための。
「まぁ良い。愚かなる人の子よ。お前に明日は無、い……エトナ?」
ドラゴンは言葉の途中で明らかに雰囲気の異常なエトナに気付いた。体から少しずつ黒が滲み出し、体は闇に溶け始めている。
「師匠でも、殺す……許さ、ない。許したら、奪われるから、許さない。幸福、希望……やっと、残ったのに。あぁ、なん────」
「────従魔空間」
全身から鳥肌が立つ程の危険を感じた僕は、直ぐにエトナを回収した。いや、エトナだけでは無い。メトも、僕の影に潜むネルクスもだ。
「師匠か何か知らないけど……僕の従魔に余計なことしないでくれるかな」
僕は苛立ちを目の前のドラゴンにぶつけてから……視線を窓の外にズラした。
「────ジャスト0秒、短距離転移」
瞬間、僕の視界が丸ごと入れ替わった。





