第二十四話「溺れる」
<ノーラ視点>
「ちょっと出かけてくるね」
「おう」
お父さんの手伝いが一段落した私は、一声かけてからソフィーナの家に向かった。
新しい選択肢が見つかった――と連絡があったのが数回前のループの時。
奇しくも今はシナリオの分岐点だ。
ソフィーナからは「動きがあれば連絡する」と言われていたから、行く必要は全然ないけれど……何もしないというのももやもやするので、せめて家の近くにはいようと毎回家の側で待機するようにしていた。
ソフィーナに人を殺して欲しくない……と私がワガママを言ったせいで、あの子は別の道を探すことになった。
もしかしたらじゃなく、確実にレイラを助ける難易度は上がった。
その分を私がカバーできるよう全力でソフィーナを支えたい……という思いからこうしている。
この行動は『ソフィーナを支えたいから』じゃなくて『自分の罪悪感を軽減するため』の偽善なのかもしれない。
それでもいい。
やらない善よりやる偽善!
そう意気込んではいるけれど、役に立てているかは微妙だ。
もはや通い慣れたソフィーナの家へと歩を進める。
門番の人がいるので、正門の前でぶらぶらすることはできない。
なので私は秘密の通路の側に隠れるようにしていた。
今でこそ平和なクレフェルト王国だけど、数代前の貴族間の争いは酷いもので、敵対する家に暗殺者を仕向ける……なんてこともあったらしい。
隠し通路は、そういった有事の際に対する備えみたいなものだ。
教科書で学んだときはどこか他人事だったけれど、こうして実際に通路があると知ると歴史の重みみたいなものを実感できた。
前世の修学旅行で、歴史ある建物を訪問した時みたいな気分。
(……ととっ!?)
ソフィーナの家から出てきた人物と鉢合わせしそうになって、私は思わず側の茂みに飛び込んだ。
スイレンさん。
……と、オー爺さんだ。
ソフィーナから『オー爺にフィンランディ家と渡りを付けてもらい、スイレンに謝罪させる』という作戦は予め聞いていた。
ここ数回のループは、選択肢を出すタイミングの正解を探すものだった。
タイミングが間違っていたのなら、ソフィーナはとっくにループを発動させているはず。
(成功……したのかな?)
これから二人でフィンランディ家に言って、当主の人に謝らせて、それでハッピーエンド……?
(うぅ……それにしても怖いなぁ)
シナリオが良い方向に進む兆候を感じつつも、やっぱり私はスイレンさんが怖かった。
一度殺された恐怖が、今も頭にこびりついている。
その点、ソフィーナはすごい。
何度もスイレンさんに殺されているのに、平然と会話できてるんだから。
もう度胸がどうとかいうレベルを超えてるよ。
(ん?)
不意に目の前を横切る小さな影を見つけ、それを目線で追いかける。
ソフィーナだった。
ソフィーナは周辺をきょろきょろしながら、二人が通った道をなぞっていく。
「ソ――」
声を掛けようとした頃には、その背中が遠くなっていた。
スイレンさんとオー爺さんが通った後を、ソフィーナが追いかけている。
そして、ループするはずの時間になってもループしていない。
シナリオが次に進んでいるのは明白だった。
……なら、じっとしている訳にはいかない。
「私も行かなくちゃ」
茂みから飛び出した私は、そのままソフィーナの後を追いかけた。
▼
<ソフィーナ視点>
精霊というのは存外大雑把で、魔力を支払った人間の近くにいる人間を術者と間違うことがある。
それを意図的に引き起こすのが吸魔法だが、それにしてもオー爺の練度は凄まじい。
一度打ち消されてから、スイレンは棒立ちで魔法を使わなくなった。
妨害を受けないよう、体術やフェイント、周辺の地形を利用した罠を織り交ぜ、幾重にも予防線を張った上で使おうとしている。
「『精霊の友よ! 泡沫の舞にて――』」
「無駄じゃて」
「っ」
しかし、そのことごとくがオー爺には効いていない。
魔法はもちろん、体術は軽くあしらわれ、フェイントは通用せず、罠は読まれている。
まるでスイレンの動きが最初から分かっているかのようだ。
(……強い)
長いループの中で、私は幾人もの強者を見てきた。
アリート王国の宮廷魔法師、オルデンブルグ王国の傭兵団長、ウルム王国の弓使い。
そして、王位継承前のアレックス。
ぱっと思いつく人物と比べても、オー爺は全く遜色のない強さだ。
魔法を抜きにしても、体捌きが老齢とは思えない。
にわかにざわつく胸を、掌で押さえつける。
もしかしたら、オー爺は。
今回だけじゃなく、今後もお姉様を助ける上で重要な戦力になってくれるかもしれない。
そんな期待に、胸が膨らんだ。
「――これも防ぐのね」
オー爺の戦闘力は、スイレンを大きく凌駕していた。
しかしスイレンは焦ることもない。
「打つ手なし。ふふ。本当に面白いわ」
その余裕が、ただただ不気味だった。
「もう諦めんか?」
「あら。ようやく身体が温まってきたのに」
「お前さんの攻撃はワシには通用せんことは分かったはずじゃ」
「通用しないから、何? それが戦いを止める理由にはならないわね」
戦闘前に一瞬だけ見せた怒りは既になく、スイレンの顔はにまにました笑みが張り付いている。
「ここまで苦戦を味わうなんて久しぶりなの。もう少し楽しませてちょうだい」
「老体にこれ以上はちときついわい。終いにさせてもらう」
これまでオー爺の方から攻撃を仕掛けることはなかった。
すべてを防ぎ、諦めるよう呼びかけていた。
しかしスイレンが止まる様子を見せないことで、ようやく動いた。
「さあ来なさい。次は何を見せてくれるの? ふふ、ふふ!」
「とっておきの魔法を見せてやろう。最も、お前さんは見慣れたモンかもしれんがの」
「なんですって?」
オー爺は手を真っ直ぐスイレンに向け、指を向けた。
「……!? !!??」
それだけ。
ただそれだけの仕草で、スイレンの顔が水で覆われる。
突然の出来事に、スイレンが顔を押さえて藻掻く。
(無詠唱!? いや、オー爺は魔法を使えないはず)
無詠唱は呪文という精霊への呼びかけを放棄する技術だ。
魔法最大の弱点である詠唱を省けるので不意打ちには最適な技だが……具体的な指示も出さず『やれ』と命令するようなものなので、当然ながら対価となる魔力は詠唱ありの非ではない。
オー爺なら無詠唱のやり方を知っていても不思議はないが、魔力量的に無理なはずだ。
「実は吸魔法にはもう一つ、効能があってな」
まるで私の疑問を汲み取ったかのように、オー爺がスイレンに向けていた指を上に向ける。
呼吸困難になったスイレンは地面を転がり、空気を求めるようにごぼごぼと喘いでいる。
何かを言おうとしているが、それらはすべて単なる泡に変換され水中に消えていく。
「一つだけ魔法を『置いて』おけるんじゃ。長く置くことはできんが、再度放つ場合には魔力も詠唱も必要ない。不意打ちには最適っちゅー訳じゃな」
「……! ……!!」
青い顔で手を伸ばすスイレンに、オー爺は背中を向けた。
「自分の魔法で溺れるがいい」
「………………」
もがいていたスイレンの手が土の上に落ち、周辺に静寂が訪れた。




