第二十二話「才能をちぎり取る暴力」
「その後、ワシはレムシャット王国に身を寄せることにしました」
「どうしてその国にしたんですか?」
レムシャット王国はここから南西に位置する国だ。
両国の関係は今の時点では良好とは言えず、行き来するにもそこそこの労力が必要になる。
ただ単に生活拠点を移すのなら、もっと簡単に行ける国があるというのに。
「簡単に行き来できないからこそ、クレフェルト王国の人間がそうそう来ないと思ってのことです」
ウェルギリウスによほどのことをされたんだろう。
かつてのオー爺の不遇を思い、私は眉を下げた。
「それなのに、どうしてクレフェルト王国に戻ろうと思ったんですか?」
「それは、ワシの魔法に関係しています」
「魔法……?」
ふぅ、とため息を吐き、オー爺は自分の掌を見つめた。
「ソフィーナお嬢様。率直に、レイラお嬢様はワシのことをなんと仰っておいででしたでしょうか」
「……はっきりとは言いませんでしたけど、物足りなかったと思います」
オー爺の授業中、お姉様はつまらなさそうだった。
もっと先を知りたいのに、その答えを持っていない。
もっと次に進みたいのに、そのやり方を知らない。
正直、かなりモヤモヤしていたと思う。
だからこそスイレンの家庭教師の申し出に喜んで飛びつき、今も彼女に尊敬の念を送っている。
「でしょうなぁ」
手厳しい意見になってしまったが、オー爺は気にした風もなく笑った。
……ここまでの話で、ひとつ繋がらないことがある。
オー爺の、魔法の実力についてだ。
彼は西大陸の魔法使いに教えを請うことで弟から嫉妬されるほどの実力を得たと言っていた。
しかしお姉様を教えていたときは低レベルもいいところだった。
あえて手を抜いていたのか、それとも。
「今のワシにはこれが精一杯なのです」
オー爺は側の花壇に手を向け、水を出した。
花弁を濡らされた花が嬉しそうに草を揺らす。
「ソフィーナお嬢様は魔物の呪いをご存知でしょうか」
「……聞いたことは」
一部の魔物は死を悟った瞬間、特殊な魔法を使う。
それが呪いと呼ばれるものだ。
魔法は一定期間を過ぎると効果を終了するが、呪いにはそれがない。
呪いを掛けられた者が生きている限り永続する。
「レムシャット王国で世話になっていた村に厄介な魔物が降りてきましてね。なんとか倒せましたが、その際に呪いを受け――ワシは魔力の大半を失ってしまいました」
「……じゃあ」
「ええ。ワシはもう、昔のような魔法は使えません」
オー爺は魔法を使わないのではなく、使えない。
「魔法に頼りきっていたワシはそれまでの生活ができなくなり、新天地を求めて旅に出ました。その道中でエルヴィス陛下と再会し、ご厚意によりここで働かせていただいている――というワケです」
話には出てこなかったが、エルヴィスとは知己の仲らしい。
「正体を隠しているのは、フィンランディ家にバレないためですか?」
「ええ。今さらワシがのこのこ戻ったとしても余計な騒動が増えるだけです」
「弟さんが憎くないんですか?」
ウェルギリウスの邪魔がなければ、オー爺は今ごろフィンランディ家の当主になっていただろう。
レムシャット王国で暮らすことも、魔物の呪いも受けることもなかった。
輝かしい未来を、嫉妬によって奪われたんだ。
「恨みがない、と言えば嘘になりますが……当時の弟はまだ学生でした。あれだけおだてられれば増長もしますし、見放されそうになれば手段を選ばず短慮になることも理解できます」
弟本人のせいではなく、周囲の環境に責任があった。
オー爺の言い方はウェルギリウスを庇うような含みがあった。
相当な嫌がらせをされたというのに、まだ兄弟の情が残っているのだろう。
美しい兄弟愛だが――それでお姉様が被害を被ることは見過ごせない。
「もうあれから何十年と経っています。弟も今は落ち着いているでしょう」
「……実は輪を掛けて増長していると言ったら、どうしますか」
「なんですと?」
私は立ち上がり、オー爺に頭を下げた。
「協力して欲しいことがあります。このままだと……お姉様が壊されてしまうんです」
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私はスイレンがウェルギリウスによって婚約破棄されたこと、その出来事がトラウマになり自分より才能のある子供を潰そうとしていること、その対象がお姉様であることを話した。
「ソフィーナお嬢様。レイラお嬢様を心配する気持ちは分かりますが……あまり人のことを悪く言うものではありませんぞ」
オー爺は私の話を信じようとはしなかった。
子供の状態で大人を説得させることは難しいので、当たり前と言えば当たり前だが。
何か決定的な証明が必要になる。
――今回に限って、それは簡単に用意できる。
「嘘だと思うのなら、一度スイレン先生の授業風景を見に来て下さい」
今の状態を見れば、スイレンがお姉様を伸ばそうとしているのか、壊そうとしているのかが分かる。
「しかしですなぁ」
「……見に来てくれないなら、私も『うっかり』してしまうかもしれないですよ?」
私がそう言うと、オー爺は身を強張らせた。
彼の話を聞いたのはもちろん協力するためだが、こちらの作戦に協力してもらうためでもある。
不意打ちのようなやり方でオー爺からの心証は下がるだろうが……別に構わない。
「一度だけでいいんです。お願いします」
「はぁ……分かりました。一度だけですぞ」
▼ ▼ ▼
後日。
オー爺を家に招き、授業風景を見せた。
「ではレイラお嬢様。水を生成し、あちらの的をすべて射貫いてください」
「はいっ」
「どうですか?」
「……どう、と言われましても。普通に教えているようにしか見えませんが」
オー爺の反応は微妙だった。
今の時間軸において、スイレンの訓練は至って普通だ。
あの未来を見ていない限りは優しい教師にしか見えないだろう。
(くそ! イベントを起こすのが早すぎたんだ)
オー爺のイベントは時期に関係なく、引き金となる会話から始まるタイプのものだ。
あのタイミングでしか起こらないイベントなら、もっと前に起きていた。
自分で時期を調整できるとすると……もっと後にイベントを起こせば彼からの反応も変わるはずだ。
「これ以上は見ても同じでしょう。ワシは王宮に戻らせてもらいます」
「――ありがとうございます。次はもっと後に呼ぶことにしますね」
「次って……ソフィーナお嬢様、一度だけとお約束したはずですぞ」
抗議の声を上げるオー爺に、私は脈絡のない声を発した。
「――戻れ」
▼ ▼ ▼
「ではレイラお嬢様。水を七つに分割、それらで的をすべて射貫いてください。途中に置いてある案山子に当たった場合はやり直しです。的を射た後、使用した水を維持したままバケツの中に零さないよう入れてみてください」
「はいっ」
お姉様はスイレンの言葉をなぞるように魔法を使い、途中の案山子に当てることなくすべての的を射貫き、七つの水を維持したままバケツの中に水を入れた。
「できました、先生!」
「……すごい。これでもまだ余力があるんですね。レイラお嬢様は本当に教え甲斐があります」
「えへへ。もっともっと難しいものでも大丈夫です!」
「な、なんじゃありゃあ……」
二人のやり取りを遠巻きに見ていたオー爺は、口を開けて呆然としていた。
いつまで経ってもその状態から動かないので、私は脇腹を突いて感想を促した。
「どうでしょうか。お姉様の魔法は」
結局、あれから四回やり直しをした。
最初にイベントを起こした時を起点に、半年後、一年後、一年半後。
そして今は二年後。
お姉様が壊れてしまう日の、二週間前だ。
もう少し早くならないかと追加でやり直して日を早めてみたが、二週間より前だとこのイベントでの反応が望んだものになることはなかった。
この日を境に、オー爺の反応が切り替わる。
これまでは「普通の訓練でしょう」や「お嬢様の才能に見合った訓練方法でしょう」「あの若さでここまで習熟しているとは、将来が楽しみですな」など、肯定的な内容ばかりだった。
私もスイレンの本性を知るまでは「大丈夫かな」と思いつつ止めようとしなかったので、オー爺の目を以てしてもはっきり「訓練は異常だ」とここまで時間を進めないと分からないらしい。
「あんなもの、魔法の訓練でも何でもありません。レイラお嬢様の才能をちぎり取ろうとする、単なる暴力です」
信じられないものを見るように、オー爺はお姉様を白い眉毛に隠れた瞳で見つめていた。
「私の話、信じてもらえましたか?」
「……こんなものを見せられては、信じないわけにはいきませぬな」
「じゃあ」
「あれほど未来ある若者が潰される様を黙って見ている訳には参りません。協力しましょう」
「ありがとうございます!」
行き詰まっていたイベントが、ようやく、ようやく一歩前に進んだ。
ただ、これでクリアにはならない。
あくまで一歩前に進んだだけだ。
おそらくオー爺はこれからフィンランディ家の門を叩き、ウェルギリウスに謝罪をするよう手を回してくれるはずだ。
これまでひた隠しにしてきた身分を明かし、危険を顧みずお姉様を助けてくれるんだ。
今後、彼が肩身の狭い人生を送るようなことにはなってほしくない。
道中で新たな選択肢が出ることもあるかもしれないし、まだ気は緩められない。
などと様々な考えを巡らせていると。
「あの、オー爺さま。どちらへ?」
オー爺はおもむろに椅子から立ち上がった。
彼は横顔だけを向け、わずかに頬の皺を深くした。
「決まっているでしょう。彼女――スイレンの蛮行をすぐに止めさせます」
……へ?




