第十四話「お花畑」
「あ……ぁ……」
「ノーラ。どいてて」
スイレンに怯えるノーラを後ろにやり、二人の間に立つ。
今からスイレンを殺すことはもうできない。
けれど、考えようによってはここでこいつがお姉様を諦めればそれで死のイベントは回避できる。
たぶん、こいつはお姉様を諦めないだろう。
だから回避というよりは『先送り』だけど……前に進まないよりはいい。
私は戦闘を放棄し、口先での勝負に出る。
スイレンのような手合いに説得は通用しないが、ひとつだけ応じてくれるかもしれない落とし所がある。
「先生。諦めませんか?」
「……」
改心や投降ではなく、逃げさせる方向の説得。
それなら我が身可愛さで応じてくれるかもしれない。
(第二ラウンド開始だ)
「屋敷を出るとき、誰に会うかは言ってあります。私の口を封じても先生が真っ先に疑われますよ」
ノーラと出かけて帰る時間が遅れたときのように、スイレンが追いかけられることになる。
暗に残り時間がないと含みを入れるが、スイレンは特に気にした様子はない。
「どこでバレたのか、後学のために聞いておいてもいいかしら?」
「嫉妬してるって言葉を聞いた時です。言い方に感情が入りすぎててすごく気持ち悪かったので」
「それでこんな罠を仕掛けて殺そうとするなんて。ソフィーナお嬢様はなかなかに思い切りがいいのですね?」
ちらり、と背後の落とし穴に視線を向ける。
「あんなものを用意していたと言うことは、私にここを選ばせたのも作戦のうち……ということですか。以前の会話で私が殺気を放ったことにも気付いていたんですね?」
「さあ、どうでしょう」
「会話の運び、視線の誘導、殺気の隠し方、私にナイフを突き立てようとしたときの死角への入り方。何から何まで素晴らしいです。そちらのお嬢さんが割って入らなければ危なかったかも」
じろり、とノーラに目を向けるスイレン。
その視線を遮るようにして、間に私が立つ。
「ソフィーナお嬢様。王子の婚約者などではなく暗殺者を目指すことをオススメしますよ」
「お断りです」
「ふ、ふふふ……」
「何がそんなにおかしいんですか」
「いえいえ。私とソフィーナお嬢様、とっても気が合いそうだなと思っただけです」
「私は全くそうは思いませんね」
親近感を抱かれたことに肌が粟立つ。
「そんなことより、そろそろ警備の者が来ますよ。逃げた方がいいんじゃないですか?」
「本当にそうでしょうか?」
「……どういう意味です」
「ここまで入念に私を殺す計画をしたソフィーナお嬢様が、そんな無粋な真似をするでしょうか。私はそうは思いませんが」
「……」
スイレンの予測は当たっていた。
もともとこいつを殺す計画だったのだ。「スイレンと出かけてきます」と言った翌日から彼女が来なくなれば……私に事情を聞いてくる者も出てくるだろう。
特に、お姉様なんかは。
さすがに殺したなどとは思われないだろうが、こういう疑惑の種は何年も後に芽吹くこともある。
だから、外に出たことは誰にも言っていない。
それを見抜かれている。
(やっぱり無理なのか)
大人しくやり直した方がいいのかもしれない。
そう考えていると。
「あ、あの!」
ノーラが突然、前に出た。
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ノーラの足はぶるぶると震え、まるで真冬の日に部屋着で外に出たかのようだ。
そんな怯えた様子で何をしようと言うのか。
呆気半分、興味半分で彼女の行動を見守っていると――勢いよく地面に額を付けた。
「ご、ごめんなさい!」
「……………………は?」
この場にそぐわない行動に、スイレンが奇怪なものを見るような目になる。
「こここ、この子はレイラのことになると……すす、少し短絡的になっちゃうというか……。す、スイレンさんを傷付けようとしたことは謝ります! だから……」
震えながら、しかししっかりとした言葉で、言い切る。
「お互い、なかったことにできませんか!?」
……。
……。
……。
彼女は……何を言っているんだ。
「レイラを傷付けようとしたスイレンさんと、スイレンさんを傷付けようとしたソフィーナ。おあいこにできませんか!?」
そんなところを落とし所にできる段階はとっくに過ぎている。
なのにノーラはまだ、誰も――スイレンすらも――傷付けない方法を探している。
そんなものはもう、どこを探してもないというのに。
私はノーラが異世界の人間であることを、改めて強く認識した。
これまで生きてきた常識がまるで違う。
「ふ、ふふ――。面白いわね、あなた」
すげなく突っぱねられると思っていたノーラの土下座に、スイレンは興味を示した。
ノーラの前まで歩みを進め、顔を上げさせた彼女と目線の高さが合う位置にまでしゃがみ込む。
予想外の反応に、私も静観せざるを得なくなる。
「それじゃ、私がここから逃げても黙っていてくれるということかしら?」
「はい……。ソフィーナを許して、レイラから手を引いてくれるのなら」
「そう。悪い話じゃないわね」
ここで騒ぎを起こすよりはいい――とでも考えているのだろうか。
スイレンは悩ましげに首を傾げた。
「お……お金が必要なら私が用意します」
「私はお金に困っている訳じゃないの。けどそうね。安全に逃げられると確約されるのなら――」
「考えてくれますか!?」
ノーラの声が跳ねる。
スイレンがいつものように、にこり、と微笑む。
「だ・め♪」
スイレンはいつの間にか取り出していた教鞭を、ノーラの胸元に置いた。
「『精霊の友よ。魔を穿つ激流の槍を我が手に』」
教鞭の周辺に水を纏わせ、鋭い刃を作り出す魔法。
その切っ先は鋭利で、まるでソーセージに串を刺すようにノーラの身体をいとも簡単に貫いた。
「か、は……」
「ノーラ!」
スイレンは勢いを付けて刃を抜くと共に、ノーラをこちらに蹴り転がす。
「さっき私がソフィーナお嬢様に『レイラお嬢様を壊そうとしていることに気付いてますね』と聞いたことは覚えているかしら」
「……」
心臓を貫かれ、ほぼ絶命状態のノーラに対してスイレンは教師のように言い聞かせる。
「それを言った時点でもう和解なんて成立しない。そんなことも理解できないなんて……本当に哀れな子ね。怒りを通り越して呆れてしまったわ」
スイレンは哀れみを込めた目でノーラを見下ろす。
「私は才能のない者には手をかけない主義だけど、なさすぎる者は別よ。あなたはそれ以下。論外。そんな頭の中がお花畑の状態じゃ生きていても辛いでしょう? ここで死ぬ方が幸せよ」
「……ゃ……」
「なに? 何か言いたいことでもあるのかしら」
ノーラは掠れた声で、
「約束……したから……」
震える手で、
「ソフィ――と、みん、ぁ、で――しあわせ、に……」
スイレンに手を伸ばした。
あれだけのことをされたというのに、その目には憐憫が含まれていた。
「あな、た――も、しあわせに、な――」
瞳の中から光が消え。
その手が、地面に落ちる。
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作戦は失敗した。
スイレンがここで逃げたとしても、ノーラが死んでしまっては何の意味もない。
(戻るしかない)
今後の方針についても、ノーラと話し合う必要がある。
私はノーラを地面に横たえいつもの言葉を口にする。
「戻――」
そのとき。
スイレンの表情が目に留まった。
「私も幸せに、ですって……?」
掠れてほとんど聞こえなかったノーラの最後の言葉をどう解釈したのだろうか。
「だからこうしているんじゃないッ! あの女が二度と出てこないようにッッッ!」
あれだけ哀れんでいた表情から一転、親の仇のようにノーラを睨む。
これまで一度たりとも余裕のある笑みを崩さなかったスイレンが、はっきりと憎悪の感情を露わにしていた。
(あの女? 出てこないように?)
「先生。それは、どういう意味――」
「うるさァい!」
スイレンが振るった水の刃が、私の喉を裂いた。
暗幕が降りるように、世界が暗くなっていく。
消失する寸前に聞いたのは、これまでにないほど感情が込められたスイレンの叫びだった。
「才能のある者はみな壊れてしまえばいい。それこそが私の幸せよ!」
BAD END
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