第三話「侮り」
改めてスイレンへの対策を考える。
味方だと思っていた人物がお姉様の敵になるというパターンがこれまでなかった訳ではない。
むしろ大勢いた。
メイド、執事、御者、門番、料理人、庭師、商人、同級生、先輩、後輩、教師、友好国の特使――
彼らはほんの些細な選択肢ひとつで味方にも敵にもなる。
はじめこそ城ですれ違う使用人すらも疑うほどの人間不信になったが、慣れてきてからは――それがいいこととは決して言えないが――裏切る前兆のようなものを感じ取れるようになっていた。
金で裏切るような奴は特に顕著だ。何も無いのにそわそわとしている。
貴族は平気で嘘をつく奴らが多いので違和感が少ないが、そういう場合も僅かな表情の機微や挙動でなんとなく分かる。
ただ一人。スイレンを除いて。
奴は前兆を全く感じられなかった。
彼女との接点が多かった訳ではないが……それでも、相当な回数接触していたはずなのに。
二年間、全く気付けなかった。
あんな狂気を孕んだ奴がお姉様の傍にいたのに、私はのうのうとオズワルドの子守に励んでいたのだ。
……過去の自分を思い出すだけで腹が立ってくる。
「ソフィーナ」
「ふぐ」
ノーラがクッキーを口に押し込んでくる。
サクサクとした食感と甘みが、怒りで硬直する思考を溶かしてくれる。
「眉間に皺が寄ってるよ? 一人で考え込まないで」
……そうだ。
これまで死亡イベントが起きたとき、私はずっと一人で考えていた。
誰にも相談できなかったから、一人で考えざるを得なかったのだ。
けど今は違う。
相談相手――ノーラがいる。
二人で考えて、二人で結論を出せばいいんだ。
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「スイレンの排除は難しくない」
「家庭教師に選んだのはこっちだもんね」
スイレンがお姉様の家庭教師になったのは、一番早く選考を通過してきたから。
書類上は何の問題も無いので、少しテコ入れが必要になるが……まあ、それほど難しいことではない。
「そこで問題になるのは」
「他の家庭教師が来てくれるのか、だね」
水に適性を持つ魔法使いは少ない。
公爵家の家庭教師を務められるほどの人物となると、さらに対象は絞られる。
現役の宮廷魔法師から教師役を引き抜く……なんてことはできなさそうだし。
「お姉様の才能を見せればあるいは……だが」
お姉様はたった一ヶ月、しかも独学で魔法の知覚をすっ飛ばして使用にまで至った。
まぎれもない天才だ。
しかし、その現場を見たのは私だけ。
年齢を考えれば、証言の数に入れられない可能性大だ。
父や母を同行させたとしても、娘を贔屓しているようにしか思われないだろう。
普段から魔法に精通しているフィンランディ公爵家ならば話は変わっていたかもしれないが。
「フィンランディ公爵家と渡りをつける……? いや、それも難しいな」
「あんまり仲良くないんだっけ」
「ああ」
四大公爵家のいずれとも、仲は決して良好とは言えない。
クレフェルト王国の発展を願うという目的は合致しているけれど、みんな向いている方向が違うというか……。
特に父は他の公爵家の力を借りることを嫌う。
フィンランディ公爵家と交渉して宮廷魔法師にパイプを作ってもらうなんてことは絶対にしないだろう。
かと言ってイグマリート家単体で宮廷魔法師と話を付けることもできない。
「やっぱり待つしかないのか」
「ぽいね」
「……」
「どうしたのソフィーナ? 私のことじっと見て」
神の世界の力は絶大だ。
遊びで世界をひとつ創造してしまうのだから、その凄さは私程度の語彙では表現しようもないほど。
そんな力ある世界から下位世界に降りてきた人物には、特殊な力が宿ると言う。
それらは総称して『チート能力』と呼ばれていた。
「ノーラ。もしかして全属性の魔法が制限無しで使えたり……?」
「しないよ!?」
「だよなぁ」
そんなうまい話が転がっているはずもない。
私はため息を吐いた。
「あーあ。私もそういうチート能力欲しかったなぁ」
ノーラはため息を吐きながら壁に背中を預けた。
頭上には石を組んだ短い橋があり、活気溢れる人々の喧噪がちょうどいい具合に軽減されて届いてくる。
「十分に持ってるだろ。チート能力」
「なに? 私なにか持ってたっけ」
「お菓子を美味しく作れる能力」
「ぷ。なにそれ」
私は大真面目に言ったのだが、ノーラは冗談と思ったようだ。
……いや、本当にお菓子に関してはチート級の腕前だと思うんだけどな。
「けど、私にはそれくらいが丁度いいのかもね。魔法がいっぱい使えたら戦わされそうだし」
「そうだな」
本当にチート級の魔法を使えたとしたら、間違いなく宮廷魔法師に召し上げられる。
宮廷魔法師は魔法の研究を主としているが、その目的はほとんどが軍事利用だ。
戦争になれば強制的に駆り出されることにもなる。
他にも、女ならではの嫌なこともたくさんある。
平和主義者のノーラには辛すぎる場所だろうし、本人も言うように魔法の才能なんてない方がいいのかもしれない。
「方針は決まった。スイレンは見送って、あと魔物襲撃イベントに気を付けつつ次の教師を待つことにしよう」
候補が分からない以上、あとは出たとこ勝負だ。
お姉様に降りかかる危険を完全に排除できないことが心苦しいが、今はそれしかない。
「ソフィーナ。また暗い顔になってるよ」
「……悪い」
「悪くなんかないよ。けど一人で抱え込まないで。みんなでハッピーエンドを目指そうね」
「ああ」
――しかし、私は侮っていた。
敵の強大さではなく。
お姉様の才能と。
ノーラの平和主義を。




