第十三話「宣戦布告」
過去に戻った私は、すらすらと日常を進めていく。
西大陸との戦争を回避すべく始めた新規シナリオだが、これだけ繰り返せばどこで何をすればいいかは頭の中に入っている。
オズワルドの婚約者となり、誘拐イベントをこなし、奇病イベントへ。
『オズワルドに協力を要請しますか?』
はい
→いいえ
途中、浮かんできた選択肢に否を突きつける。
お姉様を四六時中見張る必要はもうない。
従って、この選択肢で「はい」を選ぶ理由はない。
オズワルドとの勉強を休むのは、たった一日だけでいい。
——などと言いつつ、実は重要なイベントのフラグだったりするので、選択肢があったということだけはしっかりと頭に刻んでおく。
とりあえず今は時間を進めることが最優先だ。
「明日の勉強会には出られない?」
「はい。どうしても外せない用事がありまして」
私がそういうと、オズワルドはあからさまに不機嫌な顔をした。
「だめだ! 僕より優先すべき用事などあるはずがないだろう!」
またいつもの駄々が始まった。
こういう時だけ、アンインストールしたオズワルドを恋しく思う。
あのオズワルドは絶対に逆らわず、何でも二つ返事で「了解しました」と言っていたのに。
「タダでとは言いません。明日、お休みにしてもらえたら、なんでも一つ言うことを聞きます」
「何? 本当か?」
「ええ。女に二言はありません」
思い通りにならない怒りから、目尻に涙を浮かべていたオズルドが途端に笑顔になる。
何をさせられるのかは、もう分かっていた。
「私にさせたい事って、膝枕ですよね?」
「!? な、なんで分かったんだ!?」
そりゃ、何度かやってるからな。
もちろん明け透けに説明することはなく、私は意味深な笑みを浮かべた。
「女のコは、好きな男のコのことはなんでもお見通しなんですよ」
『オズワルドに釘を刺しますか?』
はい
いいえ
その瞬間、いきなり出てきた選択肢に私は眉をひそめた。
釘を刺す?
何に対して?
「女っていうのは心を読む魔法が使えるのか!?」
「はい。そんな感じです」
今はとにかく奇病を制するのが先だ。
私は迷わず『いいえ』を選んだ。
▼
そして翌日。
とうとう、運命の日がやってきた。
準備を済ませた私は裏口から茂みに隠れ、その時を静かに待つ。
(……来た)
お姉様がやってきた。
いくつもの付箋が付けられた魔法の教本を両手で大事そうに抱え、例の池の前で膝を立てる。
魔法の訓練。
お姉様がずっと胸の内に秘めていた『本当にやりたかったこと』だ。
「むむむぅ」
お姉様は類い稀な才能により、たった一ヶ月で魔法の素養に目覚める。
しかも、独学で。
今日はその努力が実を結ぶ日。
「やった、やったわ、やったー!」
浮かんできた水の塊に喜ぶお姉様。
しかし、それもすぐに終わる。
初回で制御が甘かったのか、感情の揺れ幅が大きすぎて操作を誤ったのか。
なんにせよ、ふらついていた水はお姉様の顔目がけて勢いよく飛んできた。
「おねーさまっ」
私はタイミングを見計ってお姉様の身体を引き、顔があった場所に空の瓶を差し出す。
ぽちゃん、と音をたて、水は瓶の中に収まった。
コルクで蓋をして、万が一にも中身がこぼれないようにする。
「ソフィーナ。どうしてここに?」
「裏口に向かうおねーさまが見えたので、なにをしているのかなー、って見てました」
「も、もう。だったら声をかけてくれればよかったのに」
お姉様は恥ずかしいところを見られたと思っているのか、顔を赤くしていた(かわいい)
私は瓶を後ろ手に隠しながら、意識をそちらに向けさせないように指を立てる。
「そうそう。さっき厨房を覗いたんですけど、コックさんの焼き菓子がもうすぐ焼けるところでした」
「そう? なら、今からお茶の用意を頼めば行けば出来立てが食べられるわね」
照れを隠すように、お姉様はきびすを返した。
「ソフィーナがいるならお茶は私が入れようかしら」
「本当ですか? わーい」
「ふふ。じゃあ、先に行って準備しておくわね」
「はーい」
私はお姉様の視線が向いていないことを確認してから、表情を消して瓶を空に掲げた。
濁った水の中に、明らかに異質な物体が混じっている。
体長一センチにも満たない殺人生物、スライム。
ようやく。
ようやく、見つけた。
「——用事を済ませたら、すぐに行きますね」
去っていくお姉様の背中にそう告げてから、私は誰もいない裏庭の、さらに奥に進んだ。
▼
『スライムをサンプルとして提出しま
「うるさい」
出現した選択肢を払い除け、私は瓶の中のスライムを睨んだ。
「ずいぶん手間をかけさせてくれたな」
我知らず、といった様子でふよふよと瓶の中を漂うスライム。
今はこの大きさだが、お姉様の体内に入り込んだ瞬間から増殖し、やがて巨大なスライムへと成長する。
「お前は本能のままにやっただけだろうが、そんなものは関係ない」
私はコルクを外し、瓶を地面に置いた。
「お姉様を邪魔するものは誰であろうと排除する」
スライムは熱に弱い。
そして私が持つ魔法の適性は熱や炎だ。
つまり、私はこいつにとって天敵と言える。
水を沸騰させる程度であれば、調整すれば五歳児の身体でも負担はそこまでかからない。
私は静かに目を閉じ——そして、呪文を唱えた。
「『精霊の友よ。冷々たる者へ煮え滾る恩寵を』」
針を刺す程度の頭痛を無視して、私は瓶の中のスライムを見やった。
魔法が効力を発揮し、徐々に水温が上がっていく中で、スライムが暴れている。
その動きはとても小さく、水の中に僅かな波紋すら広がらない。
これほど無力な生物が人を死に至らしめるとは……。
ぼこぼこと湯気が立ち始める頃、スライムはあっさりと絶命した。
それは、長きに渡ってお姉様を苦しめていた奇病イベントの幕引きを意味していた。
「——終わった」
▼
「遅かったわね。何かしていたの?」
「ゴミ掃除です」
私がそう言うと、お姉様は目をぱちくりとさせた。
「あなたは掃除なんてしなくていいのよ。今度からは使用人に言えばいいから。ね?」
「はーい」
にぱ、と微笑みながら、以前のルートを思い返す。
お姉様が低確率で奇病に罹っていた時、例外なく魔法の素養に目覚めていた。
原因が分かった今ならよく分かる。
お姉様は、これまでも合間を見つけては魔法の訓練をしていたのだ。
今のルートのように時間を割けなかったから、目覚めるかは完全にランダムだった。
だからこそ、低い確率でしか奇病を発症しなかったのだ。
スライムがあの水場に紛れ込んでいたこと。
お姉様の魔法適性が水だったこと。
そして……あの場所で訓練していたこと。
それら偶然が重なり合い、奇病は発生していた。
それも今回で終わりだ。
奇病が起こることは、もう二度とない。
「おねーさまのお茶、おいしいです!」
「良かった。練習した甲斐があったわ」
大きな山場を乗り越えたこともあってか、いつもの何倍も美味に感じられる。
これから学園に入るまで、しばらく死亡イベントは発生しない。
ゆっくりと今後の対策を考えつつ、オズワルドの教育に力を注ごう。
「ソフィーナ様。お手紙です」
お姉様と楽しくお話していると、メイドから封筒を手渡される。
差出人は——。
「……」
「読めないわね。これってソフィーナが練習している異国の言葉よね?」
「……」
「ソフィーナ?」
お姉様に肩を揺すられ、我に返る。
「か、家庭教師の先生からです。練習を兼ねて、異国語で文通しているんです」
「へえ。オズワルド殿下の婚約者はそんな勉強もしないといけないのね」
「そ、そうなんですー」
私はヘラヘラと笑いながら、席を立った。
「すみませんおねーさま。お返事を書かないといけないので、これで失礼します」
「ええ。またお茶しましょうね」
「はい」
▼
口から心臓が飛び出るかと思った。
差出人の名前が読めないのは当然だ。
書かれている文字はこの国どころか、この世界のどこにも存在しないはずのものだ。
神々の言語。
手紙の中には、私しか知らないはずの文字でこう綴られていた。
〜〜〜〜〜
やっと見つけた。
これ以上、私の物語を邪魔しないで。
『ヒロイン』より
〜〜〜〜〜
『ヒロイン』
神々が設計したこの世界の最重要人物。
『物語』は、彼女を中心に回るようになっている。
お姉様の……『悪役令嬢』レイラの、対となる存在。
彼女からの宣戦布告だった。
手紙に記された文は簡潔だったが、内容以上の意味を含んでいる。
こいつは神々の言語を使い、しかも自分がヒロインであると認識している。
つまり……あの白い空間のことを知っている、ということになる。
私は神々の国で反逆の意を示した。
こいつは逆に……物語通りに進むことを望んでいる。
「神々の使徒ってワケね……ふん」
私は手紙を握り潰し、魔法で発火させた。
物語を作るのは私だ。
お姉様の幸せは、誰にも邪魔させない。
「叩き潰してやるわ。『ヒロイン』」
私は手紙が燃え尽きるまで、ゆらめく炎をじっと眺め続けた。
第二章 奇病編・完
次回
予想外の人物からの宣戦布告により警戒を強めるソフィーナ。
学園に入るまで死亡イベントは発生しない。
そんな彼女を嘲笑うかのように、運命は新たな絶望を叩きつけてくる。
第三章 ヒロイン編へ続く
※作者都合により、次回更新は七月頃の予定です。




