第八話「目覚め」
「……」
お姉様はキョロキョロと辺りを見回しながら、裏口から外へ出た。
その先は使用人でもあまり立ち寄ることのない裏庭だ。
庭師が丹精込めて育てた花畑もなく、御者が出し入れをする馬車もいまは必要ないはず。
何を探しているのだろうか……?
「確かここに……あ、あったわ」
目的のものを見つけたらしく、お姉様は小走りに駆けた。
私も見つからないよう、慎重に移動しながら様子を伺う。
「ここなら誰にも見つからないわね」
やや弾んだ声で、お姉様は膝をついてしゃがみ込んだ。
目の前にあるのは――小さな溜め池だ。
池なんかに何の用が……?
訝しみながら注視していると、お姉様は大事に抱えていた魔法の本を膝の上で器用に開いた。
溜め池に向かって両手をかざし、息を大きく吸う。
「……んっ」
(――あ、そういうことか)
目を閉じ、腹に力を入れるような仕草を見て、ピンときた。
お姉様がやっているのは、魔力を知覚するための訓練だ。
要するに、魔法使いの家庭教師が見つかるまで待ちきれないからこっそり訓練するつもりなのだろう。
人間が魔法を使うには、まず魔力を知覚できるようにならなければならない。
魔法の原理などを学ぶのはその後だ。
多くの者はこの訓練で心が折れる。
厳しいとかそういうものではなく……とにかく達成感が無いのだ。
前に進めているのかも分からない。
分かるようになるには、魔力を知覚できるまでやり続けるしか無い。
この訓練を続けられるか否かが、魔法使いになるための最初の登竜門だ。
ちなみに使える属性の種類および適性の高さと、知覚できるまでの時間は全く相関性がない。
高い適性を有していても、何年もかかる場合だってある。
私が良い例だ。
お姉様よりも数値的には高い適性を有していたが、実際に魔力を知覚するまで十五年もかかった。
『やり直し』の能力が無ければ、魔法を覚えようとも思わなかっただろう。
今、お姉様がやっているように自分の適性と近いものを前にすると、最初に魔力を感じ取るとっかかりになりやすいらしい。
私も訓練中は熱を感じ取れるもの――暖かいココアなどに触れながらうんうん唸っていたことを思い出す。
「んっ。むっ。ふっ」
溜め池の前で妙に気合いの入った声を漏らすお姉様。
(――なんて愛らしいお姿なの)
普段の凛とした佇まいとの落差に、私は思わずうっとりと頬を染めた。
▼
あっという間に一ヶ月が経過した。
家庭教師は見つからないまま、お姉様は暇を見つけては一人で訓練を続けている。
オズワルドの婚約者だった頃、お姉様が魔法を覚えたのは十四になってからだ。
花嫁修業を優先するあまり、魔法の学習は遅れに遅れていた。
「むむっ。ぬ……。ふんっ」
いろいろとポーズを取りながら唸るお姉様 (かわいい)
あと数ヶ月続ければ、魔力の知覚はできるだろう。
達成感のない訓練に折れる様子もない。
むしろ以前よりものめり込んでいるような節すらある。
魔法の本は、今や付箋でいっぱいになっていた。
これまでよりも七年も早く魔法の訓練を始められる。
お姉様の才覚を以てすれば、相当な使い手になれることは容易に想像できた。
(やっぱり将来は王妃兼、宮廷魔法使いね)
宮廷魔法使いの制服を着こなすお姉様を再び妄想しながら、私はうへへ……と頬を緩める。
同時に、このルートがよりお姉様の理想の人生であるという確かな手応えを感じていた。
(宮廷魔法使いになってくれたら、アレックスとくっ付けるのも簡単になるな)
これまではオズワルドが婚約破棄をするまでアレックスとの仲は取り持てなかった。
しかし今のルートでは、はじめからオズワルドという最大の障害が取り除かれた状態だ。
アレックスを狙う他の公爵家の存在はあるが、オズワルドに比べれば大した障害ではない。
恋愛関係のフラグは完璧に整っている。
あとは戦争さえ回避すれば、お姉様の幸せは目と鼻の先だ。
――なんてことを考えていると、信じられないものが私の視界に飛び込んできた。
「むむ、むむむむむぅ」
唸るお姉様。
その前にある溜め池から――小さな、小さな水が浮かんでいる。
魔力を使って水を生成するのではなく、自然界にある水の操作。
これも立派な魔法の一つだが、驚くべきはそこじゃない。
(もう魔法が使えてる……!?)
幻覚でも見えているのかと何度も目を擦るが、間違いなく水が浮かんでいる。
(馬鹿な、お姉様は訓練を始めてまだ一ヶ月だぞ!?)
これまでのお姉様は、平均して三ヶ月ほどで魔力の知覚に至っていた。
その時ですら早いと持て囃されていたのに。
たった一ヶ月で知覚を跳び越えて、魔法の行使までできている。
「……天才、だ」
オズワルドの婚約者という役割を背負ってしまったが故に芽吹かなかったはずの才能が。
――いま、目を覚ました。




