第七話「これまでと違う行動」
「それではお姉様、行ってきます」
「ええ。頑張ってね」
お姉様のぬくもりを堪能してから、私は家を出る。
門の先には立派な馬車と、その前でふんぞり返るオズワルドがいた。
「おはようございます、オズワルドさま」
「うむ!」
にぱ、と笑いかけると、オズワルドは尊大に頷いた。
「今日は良い天気ですね」
「うむ!」
家の馬車を使うと行っていないことがバレてしまうので、朝はこうしてわざわざオズワルドが出迎え(のフリ)をしてくれている。
彼の返事がすべて「うむ!」なのは、口を開くとボロが出てしまうためだ。
初日にいきなり大声で「サボる作戦の手伝いに来てやったぞ!」と言われた時は張り倒してやろうかと思ったが……それ以外は割と滞りなく進んでいる。
馬車の中で二人きりになってから、私は再び口を開いた。
「何か問題は起きていますか?」
「ない! この僕に任せておけば大丈夫だ!」
えへんと胸を張るオズワルドだが、彼に頼んだことは作戦の協力と『余計なことを口にしない』だけだ。
この作戦には、もう一人の協力者がいる。
家庭教師だ。
オズワルドを説得したのち、彼の威を借りてお願いした。
家庭教師は何故か感激した様子で、
「あのオズワルドさまが他人のために動くなんて……愛は人を変えるんですね!」
と、喜んで協力してくれている。
彼女のおかげで、城内にいる父の監視の目も完璧に誤魔化せている。
――「しっかり勉強しているようだな。偉いぞソフィーナ」
――「へ? は、はい」
父からこんな言葉をかけられ、戸惑ったほどだ。
どうやっているのかは全く分からないが、とにかく頼もしい限りだ。
「婚約者でなければここまで僕が一肌脱ぐことなんてなかったぞ! ソフィーナ、感謝するんだな!」
「……」
嘘をつけ。
私はこれまで、嫌と言うほど彼のクズっぷりを見てきた。
お姉様が風邪を引いたとき、心配もしなかった。
お姉様が苦しんでいるとき、ギャンブルに興じていた。
お姉様が泣いているとき、他の女とよろしくやっていた。
婚約者のために動けるなら――どうして今までそうしてこなかったんだ。
その態度が、言葉が、行動がどれだけお姉様を傷付けたか。
「んん? どうした、僕のカッコイイ顔をそんなに見つめて」
私が睨んでいることに気付かず、にへら、と笑うオズワルド。
呼吸を整え、いつもの笑顔の仮面を貼り付ける。
「……なんでもありません。それでは今日もよろしくお願いします」
「うむ! 安心して用事に励むと良い!」
ある程度のところまで行ってから、私は馬車を降りた。
▼
裏道を通り、これまで来た道を逆戻りする。
目的地は実家――の、外にあるくたびれた倉庫だ。
そこから裏庭の方に出られる秘密の抜け道がある。これも当主しか知らない秘密の出入り口だ。
誰もいない裏庭に出て、そこから隠し通路を使ってお姉様を探す。
(いたいた)
お姉様は自室を移動し、図書室で家庭教師に勉強を学んでいた。
「全問正解。素晴らしいですレイラお嬢様」
「ありがとうございます。先生のおかげでとても分かりやすいです」
「イグマリート家の将来は安泰ですな」
「まだまだです。もっと研鑽を積まないと」
お姉様は自分の有能さを驕ることもなく、次々に稽古をこなしていく。
様々な勉強、ダンス、礼儀作法、基礎体力を付けるための運動。
「――今日はここで切り上げましょう。お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
うっとりとお姉様を眺めている間に、今日の稽古はすべて終了した。
「さてと」
自由時間になるとお姉様は自室に戻り、机に置いた本を手に取った。
魔法の教本だ。
もう何度も読んだはずなのに、飽きることなくページに見入っている。
やはりお姉様は、魔法に相当な興味があるらしい。
――何の変化もないまま、二週間ほど経過した。
お姉様は相変わらず魔法の本に夢中だ。
何度も読み直しては、物憂げに窓の外を見やる。
「……よし」
変化があったのは三週間目。
意を決したように、お姉様は本を閉じて部屋を出た。
▼
「魔法の適性を知りたい、ですって?」
「はい」
テラスで優雅に茶を楽しんでいた母は、お姉様の申し出に眉を上げた。
新しい習い事は基本的に父に頼むことになっている。
しかし今、父は公務のため外出中で数日は帰ってこない。
それまで待てないのか、日を開けると決意が揺らぐと思ったのか。
お姉様は、母に頭を下げていた。
「…………そうね。そろそろ調べてもいい年ね」
母はしばらく黙考したのち、お姉様の願いに応えた。
イグマリート家の家訓は学ぶ機会を奪わないこと。
それが無かったら断られていただろう。
そう思えるほど、母の顔は『面倒』と雄弁に語っていた。
「手続きをしてあげるわ。向こうの準備が整い次第、教会に行きなさい」
「ありがとうございます、お母様」
本を抱きしめ、声を弾ませるお姉様。
オズワルドの婚約者。
その立場と責任が、お姉様から魔法を学ぶ未来を奪っていた。
そう考えると、やはりこのルートはこれまでより正解に近いように思える。
▼
数日後。お姉様は教会で判定を受けた。
他のルートと同じく、お姉様の適性は水だ。
大地の神を崇めるこの国は土の適性を持つ魔法使いが多く、水に適性を持つ人はあまり現れない。
水源が乏しい内陸部ということもあり、水を生成できる魔法使いはかなり重宝される。
よほど重要な立場――例えば、王子の婚約者とか――でない限り、適性が判明次第、魔法を学ばせてもらえる。
「ほう、水に適性が……」
「はい」
「ならば魔法の家庭教師を探そう。しばらく時間がかかるが、いいな?」
前述した通り、水の魔法使いは数が少ない。
公爵令嬢のお姉様を教えられる立場となると、さらに限られる。
「はい! ありがとうございます」
珍しく喜びを顕にするお姉様。
そんなお姉様に、母は冷や水を浴びせるように目を細めた。
「魔法もいいけれど、女磨きを怠っては駄目よ? もう婚約者を横取りなんて無様な真似はされないように……ね」
「……っ。もちろんです。他のことを疎かにするつもりはありません」
「そうして頂戴」
(……ぶっ殺してやる)
母のネチネチとした嫌味に殺意を覚えるが、ぐっ……と堪えた。
父も、母も、お姉様の未来には邪魔になる存在だが……子供の時は逆にいてもらわなければ困る。
天罰が下るその時まで、せいぜいデカい顔をしていろ。
胸中でそう吐き捨て、私は退室するお姉様を追いかけた。
▼
(……? お姉様、どこに?)
自室に戻るかと思ったが……お姉様の足は部屋とは逆方向に向いていた。
少しだけ周囲を気にしながら、屋敷の裏手に回る。
――これまでのお姉様にはない行動だ。
もしかして、これが奇病に罹るルートに繋がっている……?
私は跳ねる鼓動を押さえながら、慎重に後を追った。




