第八話「体温」
「ん……」
ギコギコと規則的に鳴る音で、私はいつの間にか閉じていた目を開いた。
天窓から零れる月明かりが、水に濡れた木組みの歯車を照らしている。
ここは……水車小屋だ。
広場を出ようとした私たちは、誘拐犯に捕らえられた。
彼らの潜伏先は必ずこの水車小屋になる。
別ルートであってもそれは変わらないようだ。
「いてて……」
ずきずきと痛む頭――思いっきり殴られた――を抑えつつ、周囲を見渡す。
すぐ隣では私と同じく頭にコブを作ったオズワルドが気絶していた。
先程言った通り、もう何度か誘拐されているので建物の構造は頭に入っている。
当然、どこから脱出すればいいのかも。
なので、一人であれば脱出はそれほど難しくない。
問題は……オズワルドだ。
彼という爆弾を抱えて無事に逃げられるだろうか。
いや、見事に成し遂げて彼からの信頼を勝ち得るんだ。
まずはオズワルドを起こそう。
「よ……、と」
後ろ手で縛られた麻縄を手際よく解く。
縄の結び目は驚くほど甘く、これでは逃げてくれと言っているようなもの。
潜伏場所にすぐバレる水車小屋を選ぶところといい、何もかもが行き当たりばったりすぎる。
「オズワルド様、おきてください」
「ん……むぅ」
オズワルドを揺り起こし、縄を解いてやる。
彼はほへぇ、と口を半開きにしながら、ぼんやりと目を擦っている。
「ここは……?」
「どうやら私たちは誘拐されたみたいです」
「ゆう……かい……?」
オズワルドの目が焦点を結ぶ。
覚醒した彼は先程とは打って変わってせわしなく周囲を見渡し、
「痛っ……」
頭を抑える。
手を退けると、小さな掌に微量の血が付着していた。
「……っ!」
「脱出しましょう。出口はもう見つけて――」
手を引いて立ち上がらせようとすると、オズワルドは目を見開き、私の足にしがみついた。
「ち……血が出てる! 痛い、すごく痛い! 誘拐されたってことは、僕はここで死ぬのか!? そうなのか!?」
「オズワルド様、声が大きい……!」
慌てて黙らせようとするが、時既に遅し。
完全にパニックになったオズワルドは、そのまま顔をくしゃりと歪め――
「うわあああああ! 嫌だあああああああ! 死にたくないよおおおおおおおお!」
――大声で泣き叫んだ。
「バカ! 犯人に気付かれるだろうが!」
拳骨を落としても、一度溢れた涙は止まらない。
「あああああああ! あああああああん!」
隙間風が入り込む水車小屋の防音効果はゼロだ。
当然のようにオズワルドの声は誘拐犯に気付かれる。
「何だ!? まさかガキ共が目を覚ましたのか!?」
「こいつら縄を解いてやがる!」
乱暴に扉を開き、背の高い男と低い男が乗り込んできた。
彼らが誘拐犯だ。
間抜けで考えが浅いと言えど、二人は大人だ。
五歳の身体で真正面から倒せる相手ではない。
まして、オズワルドを抱えた今の状態ではその可能性は絶望的だ。
だから見つかる前に脱出しようとしたのに……!
オズワルドの泣き声が外にまで聞こえているのだろう。
異常を察知した憲兵達が笛を鳴らしている。
「あ、アニキ……どうしましょう!?」
「も、もう駄目だ……こうなったら!」
追い詰められた彼らは証拠を消すべく、両手を震わせながら私たちに迫ってくる。
「悪く思うな……!」
「あああああああん! 助けてソフィーナぁああああ!」
足元で泣きじゃくるオズワルド。
犯人の姿を見たことで恐怖は最高潮に達し、もはや耳が痛くなるほどの絶叫で泣いている。
私はそれを、どこか遠い風景のように眺めていた。
一言、ぽつりと呟く。
「――戻れ」
▼ ▼ ▼
「……」
誘拐イベントの開始までやり直した私は縄を解き、オズワルドを起こす前に額の治療をしてやることにした。
あらかじめ用意しておいた鎮痛効果のある軟膏を塗り、包帯を巻いてやる。
怪我に対しては大袈裟すぎるが……また泣かれても困る。
「オズワルド様、起きて下さい」
「ん……むぅ。ここは……?」
「どうやら私たちは誘拐されたみたいです」
「ゆう……かい……?」
「けれど安心して下さい。出口は既に見つけ――」
私が言い終える前に、オズワルドはまたしても足にしがみつき、グズグズとしゃくりを上げ始めた。
「ちょ、オズワルド様! 待――」
「うわああああああああああああああああん!」
――やり直し。
▼ ▼ ▼
どうやら誘拐、という単語を引き金に泣いてしまうようだ。
あれほど尊大な態度をしている割には泣き虫だ。
あえて誘拐されたと言わずに脱出するか……?
いやいや、それでは本末転倒だ。
信頼を一気に取ろうとしているのだから、危機に陥っている状況を演出しなければ何の意味も無い。
「オズワルド様。落ち着いて、聞いて下さい」
「ふむぅ。なんだぁ?」
「既に出口を見つけているので安心なんですけど」
「うむ」
しっかりと意識が覚醒するまで待ち、何の心配もないことを前置きしてから、私は例の単語を口にする。
「私たち、誘拐されました」
「うわああああああああああああああああん!」
――やり直し。
▼ ▼ ▼
「……想定外だ」
戻った私は、ベッドから起き上がることもできず天井を眺めていた。
ルート選びは失敗が前提だ。
なのでやり直すことはもう苦とも思わない。
ただ……まさかあんなところで三度もやり直すハメになるとは思ってもいなかった。
オズワルドがあんなにも泣き虫だとは。
いや、七歳だったらああいう反応が普通なのか……?
「ソフィーナ、起き……あら。もう目が覚めてるのね」
「はい。けど起き上がれません」
私はお姉様に両手を伸ばし、抱擁を要求した。
「ふふふ。甘えんぼさんなんだから」
「ありがとうございます。ぎゅー」
お姉様の体温に触れることで、私は消費した心のエネルギーを充填する。
安堵感、充足感――そして、絶対に幸せな人生を送ってもらうという決意が満たされ、再び神に抗う力が湧き上がってくる。
今以上の困難と挫折を幾度となく味わってきたのだ。
あの程度のことで泣き言なんて言ってられない。
「何かあったの?」
「一人で寝るのが少し怖かったんです。けどもうだいじょーぶです!」
にぱ、と微笑みを返すと、お姉様は私をさらに強く抱きしめてくれた。
「そうなの。不安なときに人の体温に触れると落ち着くから、もうしばらくこうしていましょう」
「はい。ありがとうございます」
お姉様の胸に顔を埋めながら、ある作戦を閃く。
気力を充電し、さらに攻略のヒントも貰えた。
次こそは……!
▼
『オズワルドの居場所を聞きますか?』
はい
いいえ
早くイベントを再開したいとき、意味の無い選択肢は苦痛だ。
僅かな会話の時間を惜しんだ私は、今回初めて「いいえ」を選択することにした。
「申し訳ありません殿下。私、少し急ぎの用がありますのでこれで失礼しますね」
「ああ。また」
一礼してから、私は足早に裏庭へ移動した。
その後はいつもの流れだ。
裏庭で遊ぶことを提案し、城下町でデート(笑)をして、誘拐される。
回数を繰り返した分、ここまではとてもスムーズだ。
問題はここからだが……作戦通りにやれれば今回はうまくいく、はず。
「よし」
オズワルドの額を治療してから、私は懐からハンカチを出した。
それをオズワルドの口に巻き付け、猿ぐつわの状態にする。
そして縄を解かないまま、彼を揺り起こす。
「オズワルド様、オズワルド様」
「むふぅ……」
眠たげなオズワルドは目を擦ろうとして、それができないことを知る。
「む……むむむぅ!?」
手足を縛られ、さらに声も出せない状態に軽いパニック状態になるが、そこで私は指を立てて静かにするように告げる。
「しー。気付かれちゃいます」
「……! ふぐ、ふぐぅ……!」
何に、とはまだ言わない。
不安が増大したオズワルドは目尻に涙を浮かべ始める。
「大丈夫ですよ。ぎゅー」
「……おふ」
オズワルドの身体を抱きしめ、背中をさすってやる。
現状を把握させるよりも、まず先に心を静める。
人を落ち着かせるには体温を感じさせることが一番。
――私自身がお姉様にいつもしてもらっていたのに、すっかり忘れていた。
しばらく背中をさすり続けてから、私は身体を離した。
「落ち着きましたか?」
「……」
こくこくと頷くオズワルド。
今度は大丈夫そうだ。
私は縄と猿ぐつわを解いた。
「ここはどこなんだ? 僕らは一体……?」
「実は私たち、誘拐されました」
……。
……。
……。
じわり。
「うわああああああああああああああああん!」
――やり直し。




