第三話「小さな嫌がらせ」
すぐにでもオズワルドの矯正に励もうと思っていた私は翌日、いきなり出鼻を挫かれることになった。
「お……お父様、これは」
みっっっっっっちりと詰め込まれたスケジュールに、唇の端を痙攣させながら問いかける。
午前中は座学――算術、歴史、魔法、語学を叩き込まれ、午後からは日替わりで礼儀作法、音楽、ダンス、戦闘訓練の下地となる各種運動――。
オズワルドの婚約者になったのだから、お姉様が受けていた花嫁修業をそのまま私がするものだとばかり思っていた。
しかしこれは、お姉様が受けてきたものよりも多い。
「オズワルド殿下の婚約者になるのだからこのくらいの学は当然積まなければならん。十二になればさらに追加で――」
「……」
いやいや、明らかに多いですよね……?
何十回と繰り返し、お姉様のスケジュールは暗記している。
最低でも週に一度、二度くらいはオズワルドと親交を深める日があったはずだ。
「で、殿下との愛を育む時間とかは……?」
「そんなものはまだ先の話だ。今は自分を磨くことに集中しなさい」
――ンなことしてたら手遅れになるだろうがッ!
――何のために嫌いな野郎の婚約者になったと思ってるんだこのボケ!
「……っ」
人生を繰り返す度に言葉遣いが悪くなっていく『素』の自分を必死で抑える。
スカートの裾を握り締め、下唇を、ぎゅ……と噛みしめつつ、私は渋々引き下がった。
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廊下を歩きながら、私は爪を噛んだ。
自分でも分かるくらい表情が歪んでいる。
お姉様はもちろん、誰にも見せられない顔だ。
(あのクソ親父。昨日のこと根に持ってるな)
父は体面をとても気にする男だ。
結果的に丸く収まったが、オズワルドとお姉様の初顔合わせで勝手を働いた私に対して悪感情を抱いているのだろう。
その結果が、この過密スケジュールだ。
……まったく、我が父ながら器の小さい男だ。
とはいえ、彼には利用価値がある。
数年後に発生する浮気イベントの際、父を脅すことで屋敷の離れを貰うことができる。
ルートを洗い出す作業や魔法の研究、そして一人で思考にふけるには最高の場所だ。
多少の理不尽な仕打ちは我慢して、せいぜい今は大きな顔をしていてもらおう。
「――ふぅ」
大きく息を吐き、ささくれ立った心を静める。
前回までの人生で、私はある程度決まったルートを進んでいた。
何度も繰り返したおかげで何をどうすればいいかも暗記できていたし、ほぼ思い通りに人を動かせていた。
今回の人生はこれまでとは違うルートを歩んでいる。
想定外の事なんて起きて当然だ。
初心に戻り、また一つ一つルートを探っていけばいいだけ。
そうすることで見えてくる選択肢もあるかもしれない。
何度もそう言い聞かせるうち、私の心は落ち着いた。
――とはいえ、チンタラしていたらオズワルドの矯正が間に合わないことは事実だ。
「対策を考えるか」
神が造ったこの世界において、フラグやルートは絶対だ。
一度決定するとそれを覆すことは難しい。
逆に言えば、決まっていないルートに関してはある程度の自由が効く。
父が過密なスケジュールを組もうと、それはルートではない。
――なら、私が介入する余地はいくらでもある。
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「満点です。素晴らしいです、ソフィーナお嬢様」
「えへへ……先生のご指導のおかげです」
家庭教師の言葉に、私は五歳児用の定型句で返す。
問題はまだ簡単な物なので、こんなところで躓くことなどあるはずがない。
「少し休憩しましょうか」
「はいっ」
お姉様は別の部屋で勉強中だ。
王子の婚約者という肩の荷が降りたことが良い方向に作用してくれれば良いのだが、今のところどういう影響があるかは未知数。
体調だけでなく、胸中の変化もしっかりと見ておきたい。
――それはそれとして。
私は『作戦』を実行に移す。
「オズワルド様もがんばってるかなぁ」
夢見る少女のような目で窓の外を眺める。
物憂げにため息を吐くその姿は、どこからどう見ても恋する乙女だ。
……内心では凄まじい吐き気と格闘しているけど。
「えーと……それが、その」
「どうしたんですか?」
「私、実は両殿下の家庭教師もお手伝いさせて頂くことがあるのですが……」
家庭教師が話す内容は、私が思った通りの内容だった。
オズワルドはこの頃から勉強をサボり、遊び呆けているらしい。
彼は現在七歳。
貴族が基礎的な学問を修了させる年齢はおよそ十二歳。
彼にはさっさと基本を終わらせ、お姉様を救うための勉強に専念してもらわなければならない。
「アレックス殿下はとても優秀なお方なのですが……その、オズワルド殿下は個性的というか何というか……あはは」
視線を泳がせつつ困ったように笑う家庭教師。
王族に対し失礼なことは言えないが、良い言い方が見つからない――そんな感じだった。
「でしたら、私に提案があります」
今しがた名案を思いついたように、私は、ぽん、と掌を叩いた。
「私といっしょに勉強すればいいんですよ」
――暗い笑みを隠しながら、私はあくまで無邪気に見えるよう微笑んだ。




