エピローグ お姫様と騎士
デューイ・オスター様
放課後、教室で待っていてください。
トイレでその文字を見てから、はぁとため息をつく。
センパイはライラント領で働いているはずなのに、大量のスクロールを抱えてよく倉庫で俺のことを待っているし、こんな手紙で呼び出すし、センパイは本当に学院を卒業したのだろうか?
放課後、一度教室を出てから時間を見計らって教室に戻る。今回は何の用件だと思いながら、雑に扉を開くと、銀の髪をたなびかせた女子が、立って窓の外を見ていた。
こちらから少し見える横顔に、心奪われる。
「アリス……?」
アリスがこちらを向いた。そして、いつもよりも俺は、険しい視線で盛大に睨まれていた。
「ねぇ、一体、どこの、女子からの呼び出しだと思ったのかしら……」
腹の奥深くから出された低いその声に震え上がりながら、俺は正直に自分自身の弁護に入る。
「センパイだと思っていた」
「なぜ、ロデリックだと思うの!?」
これまでの事情をかいつまんで話すと、アリスははぁと煩わしそうに上を向いた。
「もう嫌になるわ、あの男。私の命令を偽装できるってことじゃない」
『私のサインくらい余裕でしょうね』と投げやりにつぶやくアリスに、同情した。
「でも、センパイは悪いことには使わないと思う」
「そういう問題じゃないわよ」
睨まれたので、はいと頷く。
「でも、そうね。逆に色々使えるじゃない」
黒く笑い出したアリスの言葉を聞こえないふりをして、俺はじっと待った。
「そう言えば、アリス。この呼び出しって何?」
俺の言葉にアリスの動きが止まった。
急にぎこちなく、俺をじっと見上げてから、ごそごそと鞄から何かを取り出した。そしてはいと俺に何かを手渡す。
「はい、これあなたに贈るわ。あなたは喜ばないと思うけど」
喜ばない? 何だろう。アリスから受け取ったのは、しっかりとした作りの箱だ。「開けていいか」と聞いてから、金色のつまみをひねって箱を開いた。
目に入ったのは、金のプレート。そこに何かの――でっぷりとした鳥のマークが彫ってある。『また、お前か』とため息をつきながら顔を上げると、アリスは窓の外を見ていた。
「ライラント領の貴族の整理がやっと終わったの。ツヴェルク伯爵に脅されていた家も多かったし、あまり多くの家を潰しても問題になるから、ほとんどの家は許したのだけれど、裏で横領とか市民に対する暴行とか、許されないことをしていた家はこの機会に潰したわ。あなたに渡したそれは、いくつか潰した家の代わりに、ライラント領に新しく作った男爵家の家紋よ。結構よくできているでしょう?」
「あぁ」と同意してから、ふたを閉じてアリスに返そうとすると、アリスはその箱に視線をやってから俺を見上げた。
「だから、あげるって言ったでしょ?」
あげる?
もう一度開いて中を見る。新しい男爵家の家紋が入った金のプレート――
「えっ!?」
俺にくれるという言葉の意味に思い当たって、どういうことだと頭が動かない。
「悪いけれど、昨日アーチモンド伯爵とリッツェ男爵とご一緒にあなたのご両親とお兄様に挨拶に行ったわ。ご両親は泣いて喜んでおられて、特に反対はしていなかったわ」
たとえ反対していても、泣いて喜ぶしかない布陣だ。俺の両親は、実際に喜んでいそうだが――
「兄貴は……」
「私ね、あなたの意見なんて聞く気がなかったの。『もう決まったの』って言おうと思っていた」
アリスが視線を窓の外に向けたまま淡々とそう言った。
「えっ……?」
アリスがゆっくりとこちらを向く。
「でも、あなたのお兄様は『デューイがそれを望むなら』って。だから、最後は自分で決めて?」
アリスはそう言ってから、再び窓の外に目を向けた。
俺がこれを受け取るってことは、もうオスター家の一員ではなくなるってことだ。
だけど、それを俺が望むなら――
俺の望みは――
目線を少し下げると、青い瞳はまっすぐ俺を見上げていた。今は、珍しく睨まれていない上に、なぜかその瞳が不安げに揺れている。
「受け取るよ」
もう少しよく考えろと言われそうだが、あとで後悔するのは嫌なんだ。あとでアリスの身に、何かあったなんて遠くで聞かされるのは嫌なんだ。
「本当ね?」
「あぁ」
「本当なのね?」
「うん」
もっとよく考えなさいと言われるかと思ったけれど、アリスは俺の目を見つめたまま何も言わずに下を向いた。
「アリス。でも、俺を男爵とか、そんなことをやっていいのか?」
別に俺も詳しくはないが、色々とすっ飛ばしすぎだろうと思う。何で騎士家じゃないんだろう。
「いいのよ。今のライラント領は私とマルセルの物なんだから、もう好きにするわよ。マルセルもあなたのことが好きだから、何の問題もないわ」
「マルセル、も?」
アリスがはっと顔を上げる。そして、一度下を向いてから、俺を見上げた。
「そうよ。マルセルも、よ」
アリスはいつものように、挑むように俺の目をのぞき込んでいる。
アリスの顔をよく見ようと、アリスに一歩近づく。一歩近づいてもアリスは目を逸らさない。だけど、俺の手が肩に触れると、アリスの目が俺から逃げた。顔が少し赤い。
夢うつつな気持ちでどうしようかと考えていると、アリスの視線が再び俺を捕らえた。
「デューイ。この学院でのあなたの立場はよくわかっているつもりよ。でも、私に触れるなら、私以外の女に手を出したら、あなたのことを殺すわ」
「殺すって……」
アリスらしい過激な言葉に俺が笑っていると、言った本人が自分の言葉に慌てながら「違うの、間違えたわ。そうじゃなくて」と必死に別の言葉を探していた。
だけど、その言葉は見つからないらしい。
アリスが殺すと言うのなら、絶対に俺は殺されるだろう。
アリス以外の女性に手を出せば殺される。そう、『アリス以外』だ。
「いいよそれで」
肩から、銀の髪に潜り込むように、首元にそっと手を伸ばすと、アリスは赤い顔で斜め下を向いた。アリスの髪からふわりと鼻に届くこの匂いは、オレンジだろうか。
一度嗅いだことのあるこの香りに、アリスはオレンジが好きなのかとそう考えたとき――その香りの理由にやっと気がついた。どうしてもアリスを抱きしめたくなって、俺がその衝動と戦っているとアリスが顔を上げる。
「マルセルがライラント侯爵家を継いだら、私がツヴェルク伯爵家を継ぐ予定なの――ツヴェルク伯爵って家名は嫌だから変えるつもりだけど……そうしたら、そうしたらね」
銀のお姫様とただの騎士。物語でしか叶わないその願い。
だけど伯爵と男爵なら、それは、ありふれた話。ありふれた物語だ。
「俺は、君の騎士だ」
笑っているアリスはもちろんだが、怒っている生き生きとしたアリスも綺麗だと思う。
もし俺がこう呼んだら、アリスはどんな顔をするだろうか――
「ティア」
Fin.
誰もが認める勇者様ではなく、色々とダメなところはあるけれど、ただ一人にとっては紛れもなく勇者――そんな人を書きたくて書き始めました。彼女にとってのたった一人のその彼が、ちゃんと格好良く書けていると嬉しいです。
最後までお付き合い頂きましてありがとうございます。なろうという無数の作品がある中で、あなた様と偶然出会えたことに感謝を。
笹座
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