表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/38

28話 王、降臨す


 大渓谷の幅と同じくらいの横幅。そして頭の先はここからでは見えないくらい遙か上。

 冗談だと思いたかった。そう笑いたかった。


 しばらく俺たちは無言でそいつを見上げていた。

「行くわ」

アリスは魔物を睨みながらそう言った。

「行くわ」

もう一度言ってから、俺を振り返る。俺はこの姫の騎士だ。

「行こう」

度胸のある、この国で一番格好良いこのお姫様の騎士だ。だから怖くなどない。


 二人で走って魔物に近づく。すでに魔物の攻撃範囲だとは思うが、魔物は俺たちに攻撃はしてこなかった。ただ不気味に、国境を見下ろすかのようにその場に立っている。

 もう馴染みになった爆裂のスクロールの準備して、二人同時に魔法を発動させた。


 当たった。それはわかった。

 当たったところが大きくえぐれているのがわかる。けれどもその数秒後、その穴は闇に覆われて、滑らかに元に戻った。攻撃が効いていないわけではない。だからただ無心にアリスと一点を狙って攻撃をする。だけどまるでそれは小さなコップで川の水をすべてすくい出すようで――攻撃をしている最中に穴は埋まっていき、端まで到達することはなかった。

 そして、奴はこちらをあざ笑うかのように、俺たちを無視してゆっくりと歩き出す。


 アリスが召還のスクロールを使って召喚獣を引っ張り出す。今日のは大きな二つの牙のある四つ足の大きな獣。いつもより強そうなそいつがアリスに追い立てられるように巨大な魔物に向かった。魔物の足に噛みついて、引きずられる。だけど魔物は止まらない。

「待って! 待ちなさい!」

アリスと走って攻撃を続けるけれど、魔物はまるで俺たちなど存在しないかのように、国境に向かっている。それに向かって、二人で必死に攻撃を続けた。


 だけど――

「アリス一度止めよう。このまま続けても無理だ」

「無理って! だったらどうやって!」

アリスは俺に向かって叫んでから、俯いて頭を振った。


 爆裂のスクロールはまるで効かない。だから続けても無駄だ。

 これから何をするか――それを考えるのは俺の役割じゃない。俺の役割は、そう、ただ必要なときに必要な魔力を使えるようにすること。後ろを振り返ると、センパイがこちらにやってきていた。

「デューイ。これを使え」

センパイが重々しく手渡してきたスクロールを手に取る。これまでで一番大きな20段の魔方陣が描かれたこれは――


「召還のスクロール」

異なる世界の生き物を呼び出す魔法だ。


 召還して呼び出されるものの強さは、魔方陣ができあがる直前の魔力量で決まる。魔力調整が得意なアリスでも、慎重に魔力を減らしてこれまで使ってきたこれを、魔力調整などまるでできない――ただ全力で蛇口をひねることしかできない俺が使う。


 俺の横からスクロールを覗いていたアリスが、そのスクロールが何かに気がついたらしく小さく震えていた。

「ロデリック! 仮にデューイが召還に成功したとして、そこから出てきた召喚獣があの魔物に向かってくれるとは限らないのよ!」

「それは分かっている。だが、残念ながら他に手はない。搦め手を使うには、俺たちには人材と時間がない」

魔物はゆっくりと国境に向かって進んでいる。歩みは遅いがあの図体だ。一時間もしないうちに国境に到達するだろう。


 そして、夜はまだ明けない。


 しばらく、深い色の空を見上げてから、隣を向く。俺の隣に居るのは、アリスだ。俺のお姫様。

「やろう」

「やろうって、あんな魔物を倒せるような召喚獣が出てきたとして、それが国に向かったらどうするの!? そんな危険なことさせられないわ!」

そうかその可能性もあるのかと頭を抱えていると、センパイの視線を感じた。何だと俺が聞こうとしたとき――


「アリスティア。召喚獣は術者が死ねばじきに消えるのだろう?」


 アリスは何も答えない。でもその顔色で、答えはわかった。

「だったら問題ないな。やろう」

「問題なくないわよ!!」

俺の身を案じてくれるアリス。センパイは俺を見て、少し寂しそうな顔をしていた。

「センパイ。いざとなったら頼むぜ」

これは男と男の約束だ。

「あぁ、やったことはないが、どうやればあまり痛くないかはよく知っている」

センパイは頼りになるのかならないのか、そんな答えを俺に返してくれた。

「デューイ。すべてを押しつけて本当にすまない」

「いいよ。そんなこと」

魔法の使えないセンパイを責める気などこれっぽっちもない。だってこれは俺の役目だ。


 俺はこの国の騎士。騎士家を継ぐ者ではないけれど、俺はそう思っている。

 何かを守るのに、それ以上の理由なんていらない。


「じゃあ、剣を渡しておくよ」

センパイは刃物を持っていないだろう。この剣は、兄貴が昔俺に贈ってくれた――もう俺の分身のようなものだ。

「少し重いぜ」

そう言いながらセンパイに剣を手渡そうとしたとき、アリスが俺の腕を止めるように、俺の手に触れた。


「だめよ! 絶対にだめよ!」

「アリス」

アリスはこれまで俺たちを少しは頼りながらも、できるだけ自分で処理しようとしていた。だから、いつも一番先頭にはアリスが立っていた。

 そんなアリスだから、俺にこんな責任を押しつけて辛いのだろう。


 笑って、気にするなと言おうとしたら、アリスが俺の真正面に回った。そして俺を見上げて涙をこぼし始めた。

「嫌よ! そんなの嫌よ!」

いやいやと首を振って涙が飛び散った。

「アリス。死ぬとは限らないし――」

アリスの青い目。やけに近いなと思った瞬間、腕がこちらに伸びてきて、首に重量を感じた。

「アリス……?」

広がるのは、お菓子とは異なる甘い香り。

 アリスは立った俺の首にぶら下がるように、抱きついていた。足の着いていないアリスのために、少し屈んでから、今がどういう状況なのか考える。今は何だ?


 足が地面に届いたアリスは、さらに俺の首を自分の方に引っ張った。

 アリスが俺のすぐ近くにいるどころか、ゼロ距離だ。俺の顔の横にあるアリスの顔。アリスの銀の髪が俺の真下に広がっていた。

「信じていいのね?」

その言葉に状況を思い出した。

「……うん」

「信じるわよ?」 

「あぁ」

俺のことを心配するように髪を撫でられて、俺はアリスに好きだと伝えた方がいいのかを考えた。

 だが、こんな状況で俺に気を使って口ごもるアリスなんか見たくはない。心が折れて死力を尽くせないかもしれない。


 死なずに帰って、それからにしよう。伝えていないのだから、俺は死ねない。

「アリス。髪に触れていいか?」

「好きにしなさい」

好きにしていいと言われたから、べたべた触って汚さないように慎重にその髪に触れる。ふわふわと柔らかい感触と、なめらかな指通り。自分の髪とまったく違うその感覚に驚いた。

「昨日は、髪を洗っていないから……」

アリスはそう言って、俺の首から手を離して、身を離した。

「あ、ごめん臭かった?」

「違うわよ!」

アリスに睨まれた。すみません。


「じゃあ、行ってくる!」

渡しかけていた俺の剣をセンパイに押しつけて、数歩歩いて皆から距離を取ってからもう一度振り返って笑顔で手を挙げる。


 新月の魔物を見つめながら、俺は召還のスクロールを両手で広げた。

 どのスクロールよりも緻密に文字が埋まった20段のスクロール。まだセンパイも解明中で動作原理がさっぱりわからないそのスクロールに、両手から魔素を送る。


 俺ができるのは全力のみ。だから、無駄なことは考えなくていい。

 できあがった黄金色の魔方陣を右手で掴んで目の前の空間に貼ると、魔方陣が大きく広がった。そして、勝手に穴が開く。異世界へと続く道が開く。

 暗い闇の穴の奥深く。注意して目を凝らした先に、緑の平原と青空が見えた。その景色を遮るように現れた白い巨体に、呼びかけるように必死に手を伸ばす。


 何かを掴んだ。穴からその何かを引っ張り出すにつれ、それは大きくなるのがわかった。掴めなくなるほど大きくなって、穴の中を覗くと、その何かが大きな翼をはためかせてこちらに近づきつつあるのが見えた。

「伏せろ!」

反射的にそう叫んで、地に身を伏せた。そのあと、頭上を豪風が通り過ぎた。


 立ち上がった俺の目に、闇と相反するような純白の体を持った巨大な生き物が空に舞い上がるのが見えた。上空で一回転して、何かを探すように長い首を伸ばして空を見上げている。

 そして、口がパカッと開き、突然の歓喜の咆哮に地面がびりびりと揺れた。

 何なんだあの召喚獣は――

「ドラゴン……」

「ドラゴン?」

いつの間にか俺の隣に立っていたセンパイが、目を見開いて空を見上げている。

「あれは俺の知る空想上の生き物。実在している世界があったのか……」


 ドラゴンは吠えるのに満足したのか、ぐるりとこの世界を見渡してから、己の斜め下にいるあの魔物に気がついた。

 魔物も、いつからか歩みを止めて、巨大なドラゴンのことを見上げているように見える。しばらく魔物と見つめ合っていた純白のドラゴンの視線が、ふと俺の方に移った。遠すぎてよくわからないが、たぶんこちらを見ている。

「こいつを倒してくれ! お願いだ!」

聞こえているのかわからないが必死に叫ぶと、じーと見られてから、その生き物が口からふっと軽く火を吐いた。そして、長い首がこるのか首をうーんと伸ばしている。


 首を伸ばし終えたドラゴンが翼を大きく広げた。そして、まるで落下するかのように、最後は爪で地面を削りながら、地に降り立つ。


 城壁を背にして、純白のドラゴンは魔物に向かい合った。そして、俺を見て、その赤い目が笑ったように見えた。

「やってくれるのか?」

「わからないが、ここでは巻き込まれる。上まで戻ろう」

アリスとミラも連れて、大急ぎで渓谷の上まで上る。そこから谷底を見下ろせば、あのドラゴンは魔物を見上げていた。

 あのドラゴンも驚くべきほど大きいが、横幅はあの魔物の半分ほど、高さは4分の1もない。だが、あのドラゴンは目の前の敵を挑発するかのように、ときおり口から火を出していた。


 ドラゴンの視線がもう一度こちらに移る。その目に、大きく手を振った。

「いいぞ!」

「クウー!」

俺に続いて、リルメージュが大きく叫んだあと、それが合図だったようにドラゴンが、右足で地を砕くかのように地面に足を叩きつけた。衝撃で揺れる地面に、慌ててアリスとミラの手を掴んだとき、左足も同じように地を叩く。

 膝を突けて片膝立ちになった俺の目に、ドラゴンが首を折りたたむように体の横に大きくひねったのが見えた。こちらから見えるその口先が、徐々に激しい白の輝きで満たされていく。


 ドラゴンが口を閉じたのか、突如白い輝きは見えなくなった。

 一気に再び暗くなった世界で、ドラゴンが前を向く。

 固く閉ざされた口。それが、斜め上方に向けて、パカッと開いた。


 鮮烈な光を伴う白い帯が、視界を斜めに焼き切った。


 続く音の圧力に、一時的に耳が聞こえなくなる。

 白のモヤで覆われ、音もない――そんな朧気な夢を見ているような景色の中、魔物の方に視線を移すと、魔物の腹から胸辺りにかけて、円形のどでかい穴があいていた。



 その数秒後、魔物の両腕がぼとりぼとりと地に落ちた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「クウー、クッ、クウ! 」

いつの間にか聴力は戻っていたらしい。リルメージュが踊るように叫んでから、ドラゴンめがけてまっすぐ降りていく。

「待て、リルメージュ!」

センパイに預けていた剣を返してもらってから、リルメージュを慌てて追いかけていると、ドラゴンの赤い目がこちらを向いた。

 急ブレーキをかけて止まる俺。リルメージュは気にせずにあのドラゴンの足元まで走っていってしまったが、ドラゴンの視線は明らかに俺を指している。

「あ、ありがとうございます」

とりあえず、まずは礼をする。そして急いで召還のスクロールを準備するために腰に手を伸ばした。色々あったからぐちゃぐちゃになっている俺のスクロール入れ。あっ、これかなと思ったものを掴んだときに、静かな気配を間近に感じた。

 顔をあげると目の前に大きな赤い瞳があった。


 なにもかもが止まった俺の前で、あのドラゴンはくんくんと俺の臭いを嗅いでいた。そしてなぜか考えるように首をひねっている。臭くてすみませんでした!

「クウ、クウ!」

その声に、ドラゴンが自分の足元まで来ていたリルメージュに気がついて、首がぬっと大きく動く。リルメージュ、あの馬鹿! とはらはらしていた俺の前で、リルメージュは「クウクウ」とドラゴンに向かって何かを話しかけていた。

 ドラゴンは何も話さない。だけど、何かさっきから地面が小刻みに揺れている感じがする。

 急に二人の視線がこちらに向いた。動揺していると、ドラゴンが目をつぶって、体全体をぐーっと上に伸ばした。そこから少し旋回して、体全体をこちらに向ける。


 ドラゴンに見下ろされる俺。だけどその圧倒的強者の目は、穏やかだった。


「ありがとうございました!」

胸に手を当てて、もう一度精一杯礼をしてから、召還のスクロールに力を込めて、異世界への扉を開く。

 

 開いた暗い道の先に見えるのは、銀色に輝く丸。あの完璧な丸は何だろうと思っているときに、ドラゴンが頭から落ちるようにその扉に潜り込んだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「デューイー!」

「アリス!」

こちらに必死に走ってくるアリスに手を挙げると、アリスはあっと前に転びそうになった。

 アリスに向かって思わず手を伸ばす。アリスは足を乱しながらも持ちこたえて、最後は倒れ込むように伸ばした俺の手を掴んだ。

「大丈夫か?」

「あなたこそ大丈夫なの? 何もない? 疲れてはいない?」

アリスは俺の腕をペタペタと触りながらそう聞く。

 疲れているかいないかだと、そりゃあもう吐き気がしそうなくらいへとへとだけど、俺は軽く笑った。そして、顔を横に向ける。


 風穴を開けられて突っ立ったままだったあの魔物の体から、ハラハラと体の一部が空に溶け込むように散っていくのが見えた。

「死んだのか?」

「夜明けまで様子を見ましょう」

手を離すのが勿体なくて、アリスと手を繋いだまま魔物が消えゆくのを見守る。俺が掴んでいるアリスの手が、俺の手を少しだけ握り返してくれているような気がした。



 最後まで残っていた魔物の足先が、今、消えた。隣を見ると、遠くを見つめるアリスの顔を朝日が優しく照らしている。

 この3年間、一人で戦ってきた大渓谷を見つめて、アリスは今、何を考えているのだろう。しばらくそっとしておくと、アリスがこちらを向いた。

「終わったわ」

「そうだな」

そしてアリスが、繋いだ手をじっと見た。

「あっ、ごめん」

慌てて離そうとすると、逆にぎゅっと握られる。

「いいの」

「いいのか?」

「いいの」

アリスは俺の目から逃れるように斜め後ろを向いた。だから、アリスがどんな表情をしているかがわからない。

 センパイとミラの方に目を向けると、二人も同じように手を握っていた。



 俺はアリスと手は握ったままでいいのかと、どこかふわふわとした気持ちに浸っていたとき、今まで気にもしていなかった方角から、ギィーと何か大きなものを引きずるような物音がした。

「アリス、下がれ」

アリスの手を引いて、俺の背に隠す。

「センパイ! 何か来る」

邪魔して悪いが声をかけて、こっちに来いと手招きをする。


 守りのスクロールは用意して、少しずつ開きつつある扉――今まで俺たちが必死に守ってきたライラント領の城壁の扉を警戒する。


 完全に開ききった扉から現れたのは、一人の男。この場にふさわしくない、のほほんとした懐かしい風貌が、俺とセンパイを見つけて手を挙げた。

「やぁ、オスター殿。久しぶりだね」

その姿を見て、剣を抜く。


「アリスは自分の守りに集中してくれ」

「知り合いなの?」

その男の後ろから続々と出てくるのは、数も数えたくないほどの男たち。


 そしてその全員が、『対人』戦の専門家だ。


 朝日は完全に出てしまったから、門のスクロールは使えない。

 アリスを守りたい。大切な人を守りたいから――だから、背を見せて逃げ出したい。だけど、状況はそれすら許してはくれない。


「ここの事情も知っているし、おれも心が痛むんだけど、でもこれが、おれたちがやると決めた道なんだ」


 先頭に立ったリッターさんは、細身の剣を抜いた。


「ごめんね」

相変わらずのんびりとした口調だけど、リッターさんはどこか寂しげに笑っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ