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26話 新月の魔物



 人の気配に目が覚めて、脇に抱えていた剣を持って、飛び退いた。

 柄に手をかけたとき――

「あれ、アリス?」

「お、おはよう」

やっと、銀色の髪に気がついて誰か分かった。

 アリスはさっきまで俺が寝ていた場所の横でしゃがんで、驚いた顔でこちらを見上げている。あの体勢と、さっき感じたあの気配は、もしかして俺のことを起こそうとしていたのか?


 あのまま目をつぶっていれば、もしかして

『ねぇ、起きて、起きてったら! もうしょうがないわね――』

なんていう展開もあったのか……?

 心の中では地面に跪いて、うおぉ! と何度も地を叩きながら、涙をこらえてアリスに声をかける。

「もう時間?」

「え、ええ」

「あれ、リルメージュは?」

「なんだか体の色がうっすらとしていたから、一度戻したわ」

俺は今まで一体何をやっていたのだろう。ただ、すやすやと眠っていた自分を『馬鹿が!』と猛烈に叱咤してから、顔を洗ってくると引きずるような足取りで一度外に出た。


 昼間に見える大渓谷。土煙もないと、いつもより広く感じる。

「魔物はいなさそうだな」


 今日、俺がやるべきことはアリスを守ること。そして、魔物を国の中に入れないようにすること。

 静かに心を整えてから、顔を洗って民家に戻った。


「じゃあ、俺は渓谷を監視しとくよ」

「しばらくしたら交代しましょう」

あぁと答えてから、民家の監視窓の前に座る。そこからじっと渓谷の闇を探した。


 今日だけは絶対に寝るかという意思で真面目に監視しているが、本当に何も出てこない。

「何かいるかしら」

その声に顔を上げると、俺の横に立ったアリスが監視窓の向こうを覗いていた。

「いないよ」

「昨年は多かったから、今年は少ないのかしら?」

「そうかもしれないな」

アリスに答えてから、また窓に集中する。日の光がすべてを焼き尽くすかのように、渓谷には何の影もなかった。



 そのまま平和に時がすぎ、日が沈む時刻が近づいてきた。

「こんばんは。デューイ様」

「ミラ?」

センパイもいる。

「連れてきたわ」

「アリス。ありがとう」

俺がやろうと思ったのに、アリスが呼びに行ってくれたようだ。

 早々から俺は――いや、これから頑張ろう。きっと俺の出番もある。なければ平和に終わってよかったってことだ。

「じゃあ。そろそろ行きましょう」

アリスの声に皆がそれぞれ準備して、民家の中央に集合する。

「ミラ。ごめんなさい。何かあったらフォローを頼むわね」

「はい。お任せください!」

「でも、怪我をする前に逃げるのよ」


 ミラは結局今日まで、センパイ手作りのスクロールは発動させることができなかった。魔素の量を器用に調整して魔方陣を作っているアリスから言わせると、まだセンパイのスクロールはだいぶ重いため、一度に出せる魔素の量が俺とアリスよりも少ないミラはその量に達していないらしい。

 だから、アリスとセンパイの家所有の本物のスクロールはすべてミラに渡した。俺とアリスはセンパイ手作りの――いや、俺たちのために調整がされたスクロールを持つ。

「行くか」

「えぇ」

薄暗闇の中、俺たち4人は外に出た。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 沈みつつある日が、渓谷を赤く染めている。

「絶景だ」

「そうだな」

まぶしいその光を、4人並んで目を細めて見つめる。

 センパイは今年で学院を卒業だ。だから、4人で並んでこんな景色を眺める機会はもうないだろう。そんなことを考えると、まだ会って1年なのに寂しくなった。

「センパイは来年どうするんだ?」

センパイは、俺の顔を見ずに遠くを見つめている。

「まだ、考えていない」

「考えていないって、あと3ヶ月であなた卒業じゃない」

アリスの声に、センパイはむっと口をゆがめてから、ふと笑った。

「ここ1年、色々あったからな。俺も、考え直してみたくもなる」

「確かにそうね」

「そうですよ」

アリスとミラも色々考えているのだろう。そんな声が続いた。そこからは無言で、日が完全に沈むのをみんなで見つめる。

 


 最後の光のひとかけらが消えつつあるのが見える。

「新月の夜が始まるわ」

アリスの声に、自分の装備をもう一度確認する。剣はある。スクロールも持てるだけ持った。最近はずっと身に付けている革手袋は、左手にもうしっかりと馴染んでいる。

 顔を上げた俺の目に、最後の光が地の陰に吸い込まれるのが見えた。



 暗闇が世界にあふれ出したその瞬間。

 地を覆うような大きさの魔物が、大渓谷に突如現れた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 目の前に広がるのは無数の足。俺たちの背丈の軽く10倍以上もあるそれが、上に載った本体と見られる楕円形のものを、一本一本を引きずるように前へと運んでいる。

 普段見る獣型の魔物よりも簡素化されたそのデザイン。だけどその大きさと不気味さが段違いだった。

「二人は下がって!」

アリスがそう言って、空に舞い上がる。

 自分が凍り付いていたことに気がついた俺は、気合いを入れるために一声叫んでから、アリスをサポートするべく前に出た。


 魔物に近づくにつれ、その巨体の陰になってアリスの姿は見えない。アリスは俺より魔法がうまい。それに、足が届かないところから攻撃するだろうから攻撃は食らわない。だから、俺は俺の心配だけをすればいい。

 爆裂のスクロールを取り出した瞬間、鞭のうねる音が遠くから聞こえてきて、あわてて俺は地面に伏せた。自分の頭上を音を立てて重い物が通り過ぎる。

「危ねぇ……」

自分の心音を誤魔化すように深呼吸して、顔を上げて周囲の様子を伺ってから立ち上がる。


 近づくとあの無数の足がこちらに飛んでくる。アリスが持っていた守りのスクロールを複製、改造した新・守りのスクロールはいつでも取り出せるように準備をしながら、爆裂のスクロールで魔方陣を生成して、それを前に飛ばす。

 距離が遠いから少し狙いより下にそれたが、爆破音がして、何かがぼとっと下に落ちた。

「効いた――うおっ」

俺めがけて上から振り下ろされた足。それが見えた瞬間、左手で作った守りの魔方陣をそのまま自分の頭上に掲げる。

 直撃はしていないが、魔方陣が完璧ではなかったのか衝撃波で吹き飛ばされて、受け身をとって急いで立ち上がる。さっき俺が落とした足は――そのままだ。効いてはいる。だけど、あれで一本だ。向こう側など見えない足の数に、俺の頭は冷静に考えてしまう。

 このまま続けると、何回俺は足の攻撃を避けながら、同じ作業を続けなければいけないのかと考えてしまう。


 心に張った暗い気持ちを、俺が今、誰のためにこんなことをしているかを思い出すことで吹き飛ばす。雨を眺めていたあの子の横顔を思い出すことで吹き飛ばす。

 やってやろう。そうだ、俺は、朝まで付き合ってやろう。


 俺が5本の足を落として、少し危なげなくなってきたころ――

「デューイ!」

頭上からアリスの声が聞こえた。

「アリス!」

アリスが慌てた様子で、こちらに降りてくるのが見える。

「何かあったのか」

攻撃してくる足を警戒しながら、アリスの体を自分の背中側に押して後ろに下がらせる。

 足の射程外まで来てからアリスを振り返ると、アリスは泣きそうな顔で俺を見上げていた。

「効かないの! 攻撃が効かないの!」

「どういうこと?」

「硬くて、下まで攻撃が届いているような感じがしないの!」

攻撃する手段のない上は、防御でばっちり固めているのか。


 どうしよう。どうしようと動揺しているアリスを落ち着けるために優しく両肩を掴む。

「アリス。下からの攻撃は効くから下からやろう。俺が攻撃するから、アリスは足の攻撃から守ってくれ」

いいなとアリスを見つめて、アリスが頷くのを確認してから、落ちつかせるためにアリスに向かって笑いかけた。

「大丈夫だって」

俺より魔法のうまいアリスが防御に専念する。そのうちアリスはこつを掴んで、攻撃にも参加してくれるだろう。


 まだ足は、数え切れないほどある。早くしないとあの魔物は国境に到達してしまう。


 だけど――


「じゃあ行こうぜ!」

笑顔でアリスの手を引いて、俺は前に進んだ。




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