21話 人が憧れしもの(1)
門のスクロールを手に入れてから、移動にかかる時間が短縮された分、放課後に使える時間が増えた。たいてい俺とアリスは、その後の戦いに向けて休んでいるのだが――
「アリスティア。すまないが今日はこれを試してくれ」
センパイが示す先にあるのは、20本以上のスクロールの山。その横には、ゴミのように積み上げられた失敗作と見られるスクロールと、疲れたように机に倒れ込んだミラがいた。
「ミラでは発動はできなかったのだが、以前よりは改良できていると思う」
センパイは満面の笑みだ。
「アリス。今日は月が出ているから大丈夫だ」
いざとなれば俺が一人でやると伝えると、アリスは俺を見上げて頷いた。
「ちなみにこれは何かしら?」
「水だ」
アリスはしばらく斜め上を見上げて考え込んでから、「外でやりましょう」とスクロールの束を抱えて扉に向かう。急いで先回りして、扉を開けた。
「ありがとう」
アリスがいつもの空き地で足を止めて、地面にスクロールの束を置いた。
「ロデリック。上から試せばいいの?」
「あぁ」
センパイの返事にアリスが一番上のスクロールを左手に掴んで立ち上がった。魔素に反応してアリスの髪がふわっと巻き上がった一瞬後、アリスの左手には輝く魔方陣が完成していた。
「何この重さ……」
アリスは疲れた顔でそう言ってから、右手で魔方陣を掴んだ。アリスが手を伸ばしてから手のひらを上に向けると、そこから水球が現れて数秒後にパシャンと内側から崩壊した。アリスは濡れた右手をぱたぱたと振り払っている。
「おめでとう」
俺がぱちぱちと拍手をすると、センパイとアリスが振り返った。
「誰に言っているの?」
「センパイ」
「何だか慣れていたけれど、そう言えばそうね。おめでとうロデリック。あなたは歴史に名が残るわ」
「そういうものには興味がない。アリスティア、次はこれだ」
本当に興味なさそうに俺たちの言葉を流してから、センパイはしゃがんで一番下にあったスクロールを取り出した。アリスはため息をつきながらスクロールを受け取って、それに力を込める。
「これは軽すぎるわ」
以前の俺と同じように、魔方陣が途中で弾けてしまった。「ではこちらだ」と何枚か試してから一番良さそうなスクロールを探す。
「おおよそ分かった。まだ時間はあるな?」
「30分ぐらいだったら」
「待っていろ」
センパイはそう言って倉庫に戻ってしまった。アリスと一緒に言われたように外で待つ。
「アリス、疲れていないか?」
「平気よ」
アリスが見上げている方に目を向けると、長細い月が見えた。あれが消えてしまう日に、この国に一番大きな魔物が現れる。
あと一ヶ月だ。
「ねぇ。ロデリックって何者なの?」
ロデリック・アーチモンド。アーチモンド伯爵家嫡男。オーティス学術学院4回生。俺たちが知りたいのはそんなことじゃない。
「前に聞いたけど、本人は分からないって言ってた」
アリスは「絶対にそんなことないわ」と空を見上げながら文句を言った。
「色々とおかしいわ。あの人」
「でも助けられている」
アリスがこちらを振り向いた。
「そうね。だから心配なのよ。レザリント家が知っているなら、国中に広まるのも時間の問題よ。ロデリックは学院を卒業したあと、どうするつもりなのかしら」
センパイは今年で学術学院を卒業だ。
「ミラと結婚して、家を継ぐんじゃないのか?」
「アーチモンド伯爵もまだ動ける歳でしょう? ロデリックが大人しく、伯爵家をすぐに継ぐとは思えないわ。どう考えても興味ないでしょう。あの人」
確かにそうだ。大人しく王都のために働くセンパイなんて考えられない。
「それに、あなたもよ」
「俺?」
「ロデリックが卒業したらあなたはどうするの?」
俺か。何も考えてなかった。
「とりあえず、魔術学院を普通に卒業できるんだったら卒業したいかな」
我ながら目標が低いが、それすらセンパイが助けてくれなければ危うかった。
「もう少し真面目に考えなさいよ」
「俺の家は兄貴がいるから。俺は何をしたっていい」
そう言ってからこちらを睨むように見るアリスの視線を感じて言い直した。
「悪い意味じゃない。騎士家の次男坊は自由気ままに生きるさ」
誰も縛ってはくれない。それを少し寂しく感じることもあるけど、だからこその自由だ。 アリスに向かって笑うと、アリスは寂しそうに目を逸らした。
ちょうど倉庫の扉が開く音がしたのでそちらに目をやると、センパイが紙束を抱えて出てきた。その光景に懐かしさを感じていると、斜め下に見えるアリスの顔は引きつっていた。
「頼む」
「頼む、じゃないわよ!」
アリスは文句を言いながらも、「貸しなさい!」とセンパイの抱えるスクロールから一枚引っぺがした。
ふんと鼻息荒くアリスが出した魔方陣。それにアリスの手が触れた瞬間、アリスの姿がかき消えた。
「センパイ!」
「うまくいったようだな」
朗らかな様子のセンパイに、さっきのは門のスクロールかと気づかなかった自分を責める。自分の腰から、俺のための門のスクロールを取り出して――
「デューイ。探しにいくより、待っていた方が早いと思うぞ」
その正論を聞いて思い留まった。俺よりはアリスの方が比べものにならないくらい魔法は上手い。だけど、
「アリスの身に何かあったら――」
そのとき倉庫の扉が勢いよく開かれた。
「ロデリック!」
アリスが怒髪天を衝く様子でこちらに歩いてくる。よかったと息を吐いた。
「早かったな」
「早かったな、じゃないわよ! 先に説明しなさいよ!」
「すまない」
アリスはキィーっと怒っているが、センパイにそれ以上怒っても無駄だと分かったのかすぐに諦めた。すたすたとこちらに歩いてきて、センパイをキッと睨む。
「門の出口のスクロールを渡しなさい。あるのでしょう」
センパイが軽く渡したスクロールを広げて、アリスは小さく震えていた。
「これで、毎日お風呂に入れるわ!」
アリスはセンパイの腹を拳で殴りながら、すごく喜んでいた。俺でさえ毎日ちゃんと水浴びできないことに少しダメージを受けていたから、『臭い、気にならないかしら?』と毎日気にしていたアリスはよほど心配だったのだろう。
「なぜ俺が殴られる」
「感謝しているからじゃないか?」
センパイは「俺はお前とは違ってそんな趣味はない」と意味のわからないことを俺に告げたあと、一枚の紙をアリスに渡した。
「何かしら」
やっと我に返ったらしいアリスは、受け取った紙を開いて中身を確認している。
「王都に隠れ家を用意した。ここにマルセル・ライラントを連れてきてくれ。門の出口の設定はデューイに頼む」
アリスはセンパイの顔を驚いて見上げたあと、唇を震わせて下を向いた。
「ロデリック。マルセルがいなくなったら――」
「アリスティア。お前もマルセルと一緒に住んではどうだ。一人一部屋はないが、二人くらい暮らすのには支障はない」
えっ? と二人してセンパイを見る。
「ツヴェルク伯爵に何かをされるのを気にしているのだろう? ツヴェルク伯爵に会いさえしなければ、何もされることもない」
「だけど――」
アリスはセンパイに何かを言いかけて、口をつぐんだ。
「俺は何も強制はしない。好きに決めてくれ」
必死に悩んでいるアリスに、俺は黙って待っているべきだと頭では分かっていた。だけど『ツヴェルク伯爵』――その名前を聞いて落ち着いてはいられなかった。
「アリス。帰らなくちゃいけない理由があるのか?」
「だってあの家は私の家なの。私まで居なくなったらきっと伯爵が。それに――」
「それに?」
俯いたアリスをしばらく待っていると、アリスが顔を上げた。
「もう私には、マルセルしかいないのね」
何かに気がついたように、アリスは悲しく笑っていた。
「ロデリック。二人分、頼むわね」
「承知した」
センパイはアリスに向かって優しく頷いていた。




