20話 やぁ!
「今日は空が晴れていて月が出ているわ。だからあまり大きな魔物は出てこない。だけど放っておくと、魔物が集まって大きくなってしまうから、すぐに倒す必要があるの」
アリスはライラント領の国境沿いに広がる大渓谷の向こうを見つめて、そう俺に教えてから振り返った。
「巻き込むから、下がっていて」
邪魔だから下がっていろと言われてしまって、しぶしぶと俺は後退をする。
アリスの持っていた5本のスクロールは、センパイの手によって複製されたけど、魔素調整なんてできはしない俺がまともに使えるのは、ただありったけ魔力を込めればいい防御魔法くらいだ。
飛翔のスクロールで一人空に飛び上がったアリスに大声で伝える。
「アリス! 気をつけろよ!」
「大丈夫よ!」
その声の後、空から振ってきた大量の火の大玉に、俺は大慌てで下がった。
火の雨がやんだあと、アリスが空から降りてきた。前屈みになって大きく息を吐いている。
「アリス、大丈夫か!?」
「えぇ……」
アリスは煙が晴れてきた渓谷を見つめている。
「まだ少し残っているわね……」
「あとは俺がやるよ」
アリスが何かためらうように少し俺から目を逸らしたあと、顔を上げた。
「お願い」
その言葉によし、行くぞ! とすごく元気がわいてきて、まだもぞもぞと動いている魔物の下に向かう。
走りながら腰から剣を抜いて、スクロールに力を込めるように剣に魔素を送り続けて、上から魔物をたたき切る。そしてばらばらになった魔物を吹き飛ばすように、横から力を込めて剣を振り抜いた。
体から出した魔素をうまくまとわりつかせるようなことができる剣は存在しない。それとよく似たことができる魔法――付与の魔法というものが存在しているそうだが、アリスはそのスクロールを持っていない。だから剣で魔物を斬るには、その間ずっと剣に魔素を送り続けるしかない。アリスから言わせれば、盛大な魔素の無駄遣い。だけど、何というか、己の力の限りをぶつける爽快感があった。
魔素を込めれば、ただの剣でも魔物を斬ることができる。だけど、剣で斬るには、剣の間合いまで近づかなくてはならない。走り疲れたわけではないが、あまりに時間がかかっていると体力が戻ったアリスがまた頑張ってしまう。
今度は馬にでも乗ってくるかと考えながら、剣を腰にしまって今度はスクロールを取り出した。何度も一人森の中で死にそうな目に合いながらも練習して、俺が唯一使いこなせるようになった魔法。革手袋なしでは威力が大きすぎて扱うことができない爆裂のスクロール。
革手袋を装着した左手の上に現れた魔方陣を、杖に貼り付けて上から振り抜くように魔物に向かってまっすぐ投げる。
振り抜いてから5秒後――前方に爆煙が上がって、遅れて生暖かい風がこちらに流れ来た。はらはらと落ちてくる砂を払いながら、煙の向こうを見つめる。
煙が晴れてクレータができた地面には何も残ってはいなかった。
「よし。次」
魔物は直撃しなくても吹っ飛ぶらしく、爆裂のスクロールで端から順に距離をとって狙う。自分でも慣れてきたかなと思ってきたあたりで、魔物の影はすべて消えていた。
呼吸を整えていると後ろから足音がした。
「あの、地面ぼこぼこなのだけど……」
アリスの指摘に、周囲を見渡して初めて気がついた。
「ごめん。今度からもう少し上の方を狙う」
今日開けてしまった穴をどうやって埋めるかを考えていると、アリスの視線に気がついた。考えるのは後だとアリスの方を向く。
「まだ魔物は出てくるのか?」
「いつもは一掃したら帰るのだけど、今日は、いつもよりずっと早く終わってしまったから、まだ出てくるかもしれない」
「アリスは休んでいろよ。俺が見ておく」
「さっきまで休んでいたから私が見るわ」
「いいって」
何度も俺がやると言っているのに、アリスは諦めてくれなかった。
「わかった。じゃあ一時間ごとだ」
「ええ」
ほっとしたのか、微笑んだアリスにドキッとしてからアリスの肩を地面に向かって軽く押す。
「じゃあ、俺からだ」
「……ありがとう」
アリスもきっと言い慣れていないアリスの感謝の言葉に頭を掻いてから、顔を上げて闇の奥を見つめた。
夜明けが近づくにつれ、渓谷の奥から現れる魔物の数も減った。たぶんもういいのだろうと、膝を抱えて眠っているアリスを起こす。
「アリス」
何度か名前を呼ぶとアリスがのっそり顔を上げた。
「なに……?」
「帰ろう」
周囲を見渡していたアリスの目が丸くなった。
「ごめんなさい!」
俺も眠いけど、笑って誤魔化してから、朝日を見つめて両手を伸ばす。
手を下ろして振り返ると、アリスがしょげていた。
「帰ろう」
もう一度笑ってそう言ってから、門のスクロールを発動させた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔法研究部の部室である倉庫に戻ってきたのを確認してほっと息を吐く。とにかく眠くて眠くて、俺はそのまま後ろに倒れ込んだ。
「ここで寝る」
寮に帰るのが面倒だ。眠い。そのまま夢に落ちるまでのわずか数秒間――
「あの……」
アリスの声に引っ張り上げられて薄目を開けると、アリスが寝転んだ俺の顔を覗いていた。柔らかい銀色の髪が俺の顔の上で揺れている。
「ん?」
眠くて眠くて仕方がなかった――そのときまでは。
「お風呂に入りたいのだけど」
その言葉に瞬時に眠気が吹き飛んだ。
あっ、そ、そうか。そういえば、俺も風呂に入っていない。アリスは女の子だから気になるんだろう。俺はその辺で水でもぶっかければそれで済むが、アリスは――
「体でも拭く?」
「それしかないのね」
アリスははぁとため息をついてから俺から離れた。そのままアリスは倉庫の隅の方まで移動して、ちょこんと座る。それを見て、俺は慌てて腰を上げた。
「出て行くよ」
「後でいいわ。先に休んでちょうだい」
アリスはそう言ってから、地面に体を横向けた。
もう一度地面に寝転んだ俺は、眠いはずなのにこれっぽっちも眠れなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
こんな日が学院の休みの日まで続いた。
ここんところずっと晴れていたから、危ないことはなかったけど、足を引きずるように寮に帰る。
「眠い」
「デューイ。なんか久しぶりに見るな」
通りがかった寮仲間に昼頃起こしてくれと頼んでから、自分の部屋に戻る。そのままベッドに頭から突っ込んだ。
昼頃、眠いのにたたき起こされた。ベッドから起き上がり、カーテンを開いて窓の外を見る。
「曇りだ」
ため息をついてから、ベッドに立てかけていた剣を拾って、剣の手入れをする。何度か軽く振って、重心を確認してから鞘に戻して腰に差した。
「行こう」
軽くストレッチをしてから、買い出しのために街に出た。
食料はセンパイが用意してくれるから、俺は緊急時に備えていくつか冒険用の備品を買い足す。防水性のある袋に買ったものを入れてから、なじみの薬屋に行って、なくなっていた薬を調合してもらった。その薬屋で何枚か白い布を分けてもらってから、帰路に就く。
アリスとの待ち合わせ時間まで、自分の部屋でせっせとてるてる坊主を作ってから、一つだけ窓に吊った。笑顔で窓の外を眺めているてるてる坊主。不格好だけど、より不格好な方が効果があるような気がするのはどうしてだろう。
今から寮を出て、下手をすればまた帰ってくるのは一週間後だ。
念入りに準備をしてから、荷物を肩に背負ってアリスとの待ち合わせ場所である学院の倉庫まで向かった。
倉庫の扉を開けると、アリスが頬だけ机に付けて、突っ伏していた。アリスは休日は貴族の会合で毎週出掛けなければならないらしい。俺より遙かにハードだ。
「アリス、大丈夫か? 何かあったのか?」
アリスはのっそりと顔をこちらに向けた。
「別に、いつも通りよ。いつも通り」
アリスはそう言いながら、部屋が寒いかのように右腕を何度も強くさすっていた。アリスが腕をさする仕草で思い出す。
「アリス、あのさ。これ」
背負っていた袋から取り出した小瓶を、机に突っ伏しているアリスに差し出す。アリスは、「何……?」と気怠げに顔を上げた。
「獣傷、皮膚が引っ張られてかゆくないか? これを塗るとだいぶマシになる」
自分の服の左袖を肩あたりまでまくって、いくつか残っている獣傷や剣の傷を見せながら説明する。あとそうだ――袋を机の上に置いて、中からもう一つの瓶を取り出した。
「あと、今日薬屋のおばちゃんに事情を説明したらくれたんだけど、なんかこれを塗ると傷跡が薄くなるんだってさ。秘伝の薬だ! って」
アリスの前に瓶を二つ置く。アリスはさっきから俺のことをじっと見上げているだけで、何も言わない。
「えっと……こっちは俺も使ったことあるから、よく効くのは知ってるんだけど、特にこっちの秘伝の薬は目立たないとこに塗って、何もないのを確認してから使った方がいい。アリスの肌は、俺らの肌とはきっと違うと思うから」
そう言ってから、そんなものをアリスに勧めるなよと自分でも気がついて、いたたまれなくなってアリスから視線を逸らした。あの薬屋は怪しいが、騎士団御用達だけあって、材料を気にしなければどれもよく効くのは知っている。材料を気にしなければ。
突き返されたら自分で使ってみようと心で決めてからアリスの方を向くと、アリスは俺の顔をまだ見上げていた。アリスが俺を見つめるその青の目に囚われて動けないでいると、ツッとアリスが視線を逸らした。アリスは小瓶に手を伸ばして、小瓶を傾けて中身を確認している。
「……帰ったら、使ってみるわ」
「あ、うん」
お、なんとか返品されなかったみたいだ……
「使うわ」
アリスが指で動かす度に揺れるどろどろの緑の液体の中身が気になって、俺は落ち着かなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二人でどんよりと曇った空を見上げてから、顔を下ろすと、前方に細長い大きな影があった。
「でけぇ」
しかもさっきから前にばたんと倒れては起き上がるを繰り返している。何をやっているのだろうか。
「アリス。俺がやるよ」
腰からスクロールを取り出して格好付けながらアリスの前に出ると、「待って」と止められた。
「あの大きさ、一掃できる?」
「無理……かな?」
「ちょうどいいから、召還魔法を見せておくわ。下がって」
俺が絶対に使ってはいけないと言われている召還のスクロール。アリスはそれを取り出して、一息で魔方陣を生み出した。俺のことなどもう忘れているように、魔方陣を貼り付けた杖で空気を軽くノックした。
何もなかった空間に、影ができる。あの魔物たちと同じような黒い影だ。
その中にアリスは背伸びをして、一気に腕の付け根まで腕を突っ込んだ。何かを探すように少し前後に揺れるアリスの腕。その腕が勢いよく引き抜かれる。
穴が大きく開いて――
その中から場違いなほど真っ白の生き物が、両手を広げて現れた。
「リルメージュ!」
そのまま地面に引っ張られるままドシンとアリスにのしかかる。
「アリス!」
慌てて駆けよる。だけど、俺が見たこともないほど笑いながら白い生き物を叩いているアリスを見て、この生き物が大丈夫なやつなのだとわかった。
なんだろうこれは。鳥のような羽が生えているけど、馬くらいの大きさがある。何の生き物かもわからないそいつは、アリスに覆い被さってアリスのお腹にぐりぐりと頭をぶつけていた。
「リルメージュ! そろそろ離して!」
「クウ」
リルメージュと呼ばれたそいつはアリスの上から退いて、アリスが立ち上がるのを見守っていた。
「アリス。そいつ――その人が……?」
「えぇ。リルメージュ! 私はずっと彼女に乗ってここまで来ていたの」
アリスがあのとき泣きながら心配していた人か。そのアリスのともだちに、こんにちはデューイですと自己紹介をすると、俺の存在にやっと気がついたのか、俺の方を振り返った。俺と目があって、口をぽかんと開いて、俺の顔を穴があくほど凝視している。
その視線の強さに、戸惑いながら直立していると、リルメージュは俺とアリスの顔を高速に交互に見始めた。そして突然バサッと左の翼を開いて、俺の体をパシーンっと翼で叩く。それが何発か続く。
「痛いです」
一応そう主張して耐えていると、「クォッ!」と怒られた。えっ何……?
リルメージュは今度は右の翼を開いてアリスの方に向けて、アリスの体を綿毛に触れるくらい優しく押した。アリスが「リルメージュ?」と戸惑いながらも、翼に押されるがままこちらに近づいてくる。
アリスが俺の隣に立った。
「クウ」
リルメージュは満足そうな顔でうんうんと頷きながら、両方の翼を広げて俺たちを両側から叩く。翼の運んでくる風で、隣に立つアリスの髪が俺の左腕に当たっていた。
そのとき大きな音がして振り返ると、あの大きな魔物がまた前に倒れていた。
「アリス。そろそろ魔物を」
「う、うん……そうね。やりましょう。だから二人とも下がって」
えっ? と驚きながらリルメージュを見ると、リルメージュはすでに下がっていた。準備完了とでも言うように、少し遠くでこちらに手を上げている。
「リルメージュは戦わないのか?」
召喚獣だよな?
「リルメージュはいいのよ」
どうしていいのか理由はわからないけど、アリスは振り返って笑顔でそう言ってから、再び開いた闇の中に手を入れていた。
大きな一本の角のある、鹿よりも一回りほど大きな獣。アリスの召還したそいつらが魔物に向かう。
「すごい。魔物の体が削れている」
あの召喚獣自体が魔素で覆われているのか、召喚獣が突進するたびに俺が魔素をまとった剣で斬るくらいのダメージを魔物に与えていた。
大きな魔物の周りに集まってきた小さな魔物を、召喚獣を巻き込まないようにセンパイに火力を上げてもらった火の魔法や剣で倒していく。すべて倒し終わってアリスのもとに戻ると、アリスはリルメージュにもたれ掛かって、召喚獣が戦う姿を眺めていた。
「アリス。周りは一通り終わったよ」
「ありがとう」
アリスはスクロールを取り出しながら、立ち上がった。アリスがこちらにやってくるのを待ってから、並んで歩く。
「召喚獣を元の世界に戻してから、とどめを刺すわ」
「わかった」
爆裂のスクロールを取り出して、魔法の準備をする。
「タイミングがわからないから指示をしてくれ」
「ええ」
アリスが杖に貼り付けた魔方陣を地面に付けると、召喚獣が順にこちらに駆け寄ってきて、現れた穴に吸い込まれるように消えていった。そしてアリスの青の目が俺を見る。
「デューイ。お願い」
俺ができるのは全力だけ。アリスを庇うように前に出てから、力を込めて作った魔方陣を杖で軽く振り抜いた。
先に見えるは激しい光。目を細めてその先にあった闇が小さくなるのを見つめながら、遅れてやってくる熱風と音を肌に感じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日の任務がすべて片付いてアリスと共にリルメージュのもとに戻ると、リルメージュは「クウ!」と声を出しながら嬉しそうに立ち上がった。そして、翼を広げてアリスの前で翼を傾ける。アリスはその前でしばらく固まっていた。
「あの、リルメージュ。もう空を飛ばなくても帰れるようになったの」
アリスはそう言ってから、「リルメージュありがとう」と召還のスクロールを取り出した。
それを見て、リルメージュは『がーん』と音が聞こえそうなほど驚愕の表情で、口を開きっぱなしにしていた。その様子が気の毒に思えて声を掛ける。
「あの、リルメージュ。今までアリスを守ってくれてありがとう」
リルメージュはとことことこちらにやってきて、俺を見下ろして俺に聞こえるくらい大きくため息を吐いて、それからパシンと俺を翼で殴った。
な、何で怒られているんだ? 痛くはないけれど動揺していると、アリスがリルメージュの体に抱きついて、顔をその体に埋めた。
「リルメージュ。またね」
リルメージュは優しく翼でアリスの頭を撫でながら、ゆっくりとこちらを振り返った。
こちらをおちょくるような、その勝ち誇ったその顔に、イラッとした。
リルメージュを送り返して、二人で帰りながらアリスに話しかける。
「あのさ。リルメージュって何……?」
「わからないの。話は通じてそうだけど、彼女は話せないから」
話はどう見ても通じているだろう。そして――
「彼女……? 雌なのか?」
「さぁ? でも、そんな感じがしない?」
アリスは笑顔でそう言っているけど、俺が今日感じた印象は逆だ。あの女子に人気そうな外見を利用しているようにしか見えない。だけどまぁ確かに、あの天真爛漫な感じは男性と言うよりは女性か。
「うーん」
「リルメージュはリルメージュよ」
こちらを振り返ったアリスは、悩みが晴れたのか、俺が見とれるような顔で笑っていた。




