第7話「奈落の大気圏」【Cパート エレベーター・ガード】
【4】
「ゼェ、ゼェ、ゼェ……」
サロンにたどり着いた裕太は、息を切らせながら椅子に腰掛けて呼吸を整える。
裕太とは対象的に全く疲れた様子を見せないエリィは、ふたり分のジュースをドリンクバーから持ってきてくれて、そのうちひとつを裕太の前の長テーブルにポンと置いた。
「だらしないわねぇ。はいジュース」
「ゼェ、ゼェ……しょうがねえだろ、まさか10階分も階段登らされると思ってなかったんだから……。何でこんなに不便なんだ?」
「もしかして笠本くん、靴底のマグネット切ってないの?」
「……マグネット?」
何のことかわからず首を傾げる裕太の前で、片足を上げてかかと部分にある突起を指差すエリィ。
裕太は手に持ったジュースをテーブルに一旦置き、しゃがみこんで自分の宇宙服の同様の部分に指を滑らせると、確かにその部分にスイッチのような感触を見つけた。
試しにそのスイッチを押してみると、足の裏が床にへばりつくような感触が消えて身体がぐっと軽くなった。
「な……!? 銀川、これはどういうことなんだ?」
「あのねぇ。ここはもう宇宙、つまり無重力空間なのよぉ。と言っても宇宙ステーションとか軌道エレベーターとか、人が居住する空間は人工重力を発生させてるんだけどねぇ」
「それはわかってるよ。だからこうやってジュースをテーブルに置いても勝手に浮いていったりしないんだろ?」
「でも地球上と同じ1Gの重力だと物を運ぶときとかに不便だから、少し弱めの重力にしてるのよ。地球と同じ重力で過ごしたい場合は、宇宙服のスイッチを入れると磁石の力で擬似的な1Gにできるって仕組みなの」
「じゃあ周りが楽をしている中、俺はひとりだけウェイトをかけて階段を登っていたということか……」
ここに来て、裕太は己の宇宙生活への無知ぶりが露呈して恥ずかしくなった。
調べればそういった類の知識は地球でも知ることができるのであったのだが、なんとなくで来るもんじゃないなと裕太は肩を落とす。
「よぉ、早速洗礼を受けたみたいだな笠本!」
笑いながら、軽部先生が落ち込む裕太に軽い足取りで近寄り肩に手をぽんと置いた。
「先生、俺がスイッチ入れっぱだって気づいてたんなら言ってくれれば良かったのに」
「ハハハ! 宇宙という空間は生易しいものじゃないと知ってくれればと思ってな。いい勉強になっただろ?」
そう言うと、軽部先生は手に持ったジュースの容器を机に置き、コホンとひとつ咳払いをして授業中にするときと同じ表情になった。
これは話が長くなりそうだと裕太は逃げ出そうとしたが、軽部先生に強く握られた肩がそれを許さず、諦めて先生の臨時授業に付き合う事になった。
「いいか、お前ら。宇宙というのは本来生き物が生活するような場所じゃあない。空気が無いのはもちろんだが、熱を伝える物質が存在しない故に極寒の空間、更には有害な宇宙線がそこらじゅうを埋め尽くしているからな」
「……そっすね」
「マジメに聞け、笠本! そんな宇宙ではひとつのミスや知識不足が命取りとなる過酷な世界なんだ。ま、これに懲りたら自分の身に付けるものくらい事前に調べるくらいはだな……」
腕を組んで頷きながら講義をする軽部先生の背後が、急にドヤドヤと賑やかになった。
何事かと裕太たちが騒がしい方向に目を向けると、統一されたデザインの宇宙服を着た男たちが次々と階段を降りてきて、サロンへと足を踏み入れていた。
彼らの腰に下がっている拳銃のホルスターを見て、裕太は顔をこわばらせる。
「……先生、何ですかあいつら?」
横目で裕太が軽部先生に尋ねると、軽部先生は答える代わりに明るい表情で立ち上がり、その集団に片手を上げながら挨拶をした。
「よーお、てめえら元気にやってるみたいだな?」
「あっ、もしかして軽部教官どのでありますか!」
「「お久しぶりでございます!」」
一斉に軽部先生の方を向いて頭を下げる一団。
自分のクラスの担任の先生が、軌道エレベーターにいた集団に尊敬の眼差しを送られているのは違和感がある。
ポカンと口を開けてその様子を眺める裕太に、エリィが何かに気づいたような顔をした後、顔を近づけて耳打ちをした。
「そういえば、軽部先生って教師になる前はエレベーターガードをやってたって聞いたことがあるわぁ」
『エレベーターガードとは、あの上へ参りま~すと可愛げな声で言うあの?』
「ブッ! それはエレベーターガールだろ! 先生がそう言う姿を想像しちまったじゃねーか!」
思わずジュースの口を吹き出してしまった裕太の口を、そっとエリィがハンカチを取り出して拭う。
「あ、ありがとう……」
「うふふ、いいのよぉ。それで、エレベーターガードっていうのはね……」
「エレベーターガードとは、軌道エレベーターの治安を守り、あらゆる危険からガードする誇り高い組織である!」
突然、エリィの背後に現れそう叫んだのは、裕太達と同年代のように見えるエレベーターガードの青年。
その青年はこれ見よがしに長い前髪を手でかきあげ、エリィの手を馴れ馴れしく両手で優しく包み込み持ち上げる。
初対面の男の突然の行動に、エリィは「え? え?」と動揺した様子で固まっていた。
───Dパートへ続く




