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第41話「火星の嵐」【Gパート 拳銃か指輪か】

 【9】


 兵士が出払い、非戦闘員が避難しきったことで無人となった要塞内。

 しんとした空間に響くのは、走るロザリーの靴が床を踏み鳴らす音と、その息遣いだけ。


「ゲホゴホッ……ううっ……!」


 石柱に手を当て、足を止める。

 整えられていた金色の長髪は乱れに乱れ、全速力で走った疲れが彼女の内蔵を逆流させようとしていた。


 カツリと、自分のものではない足音が鳴る。

 その音の方へと視線を移すと、肩で息をする憎き男がこちらをじっと見据えていた。


「ぜぇ……ぜぇ……。ようやく、追いついたぜ……」

「わたくしは、もう戦えませんわ。それなのに、どうして追う必要があるのですか……?」

「何いってんだよ。俺は、お前を倒しに来たんじゃねえんだよ」


 ゆっくりとカーティスが、一歩ずつこちらへと歩み寄る。

 もはや一歩も歩けないほど疲弊したロゼは、柱に寄りかかったまま彼を睨みつけていた。


「お前と暮らし始めた時、お前は……ずっと怯えていた」

「わたくしが、怯え……?」

「ああ。ロザリー・オブリージュという女が、どれほど不幸な人生を歩んできたか。それが目に浮かぶような怯え方だった」

「不幸だなんて、そんな……」


 強い否定はできなかった。

 思い当たる節があるわけではない。

 しかし、なぜだか自分が不幸だったということに納得しかできないでいた。

 もしかすると、遠く昔に記憶を封印してしまったのかもしれない。

 

「けどよ……一緒に暮らすうちに、お前はよく笑うようになった。喜ぶようになり、“幸せだ”と口にするようになった。今のお前は、幸せなのか?」


 ロザリーの中で、キーザから言われた「幸せ」という単語が再び回り始める。

 今の自分が果たして幸せなのか。

 そもそも、自分に幸せだったことなどあったのだろうか。


「俺は、記憶を取り戻したお前が、どういう気持ちを抱いてるかを知りてえだけだ。ほらよっ」


 カーティスが手に握った拳銃を、こちらへと差し出す。

 反射的に、ロザリーはその銃を手にとって握った。


「お前が本当に、俺を殺してえほど憎いってんならこいつで撃ち殺せばいい。だがよ……」


 懐から小箱を取り出し、蓋を開き中の指輪を見せるカーティス。

 そのリングが示す意味が、わからないはずはない。


「もしも、俺と居たいと思ってるんだったら……こいつを受け取ってくれ。これが、俺のお前への気持ちだ」


 世の中に、これほど酷いプロポーズがあるだろうか。

 受け入れるか、あるいは射殺か。

 地球を離れてから長い間迷っていた答えに、回答をするときが来たのだった。


「わたくしは……わたくしはッ!!」


 ロザリーは震える手で握った拳銃の銃口を、カーティスの額へと向ける。

 そして引き金を引こうと指に力を込めようとして……手からポロリと拳銃がこぼれ落ちた。

 その場に膝を付き、目から大粒のナミダが溢れ出す。


「撃てるわけ……ありませんわ。わたくし、あなたと一緒に居た時に……幸せだと感じていたこと……思い出してしまったんですもの」

「ロゼ……ありがとよ」


 カーティスから呼ばれるロゼという名。

 先程まで嫌悪感しか無かった呼び名は、記憶喪失時の仮の名前である以上に自分に新しい生き方を示してくれた名前となっていた。

 太くごつい手がロゼの手を持ち上げ、その細い指に指輪を通す。


「似合ってるぜ、ロゼ」

「カーティス……カーティス!!」


 いままで抑えていた感情が爆発したかのように、ロゼは涙を流しながらカーティスへと抱きついた。

 そのまま彼と唇を重ねながら、彼と過ごした日々を記憶の奥底から思い出していく。

 地球で笑い合い、幸せを噛み締めていた日々。

 無意識下で求めていた暮らしを、獲得していたあの時を。


「わたくし……あなたになんてことをしてしまったの!」

「もう良いんだよ。怪我も治ったし、今じゃいい思い出だ」

「わたくしと、もう一度一緒に暮らしてくれる……?」

「もちろんだ。拒否る理由なんてねえ」

「ああ……カーティス!」


 二人がもう一度抱きしめ合おうとしたその時だった。

 背後から響く爆発音、崩れる要塞の壁。

 無数の〈ザンドール〉が、こちらにビームライフルを向けていた。


 カーティスが、ロゼを守るように前に立つ。


「ちいっ! まだ生き残りが居やがったか!」

「あなたたち、何をしているのですか! わたくし、ロザリー・オブリージュごと撃つというのですか!?」

「ロゼ、多分あいつら……やる気だぜ」

「そんな……!」


 せっかく幸せを手に入れたと思ったのに。

 これが味方を裏切った報いなのかと、力なくその場に崩れ落ちる。

 倒れそうになった身体を、カーティスの腕が支えた。


「諦めんじゃねえ……最後までな」

「けれど、この状態からどうやって……」

「わからねえけど……何かあるはずだ、何か……!!」


 正面に立ちはだかる〈ザンドール〉の1機が、1歩前に出た。

 頭部のメインセンサーであるモノアイが妖しく光り、正確にこちらへと狙いをつけようとする。


 その時だった。


「デュアルブリザード!!」


 突如響いた叫び声とともに、火星に似つかわしくない冷気が要塞を走った。

 その凄まじい冷気はロゼ達を避けるようにして広がり、敵意を向けていた〈ザンドール〉を次々と氷の檻へと幽閉していく。

 凍りつき動きの止まった機体を押しのけ、地に足をつける青い竜人のような姿をした1つの巨体。


「ヘッ……こりゃあ意外な奴が助けに来てくれたもんだ」


 そう言いながら意味深に、カーティスが顔をにやけさせていた。



    ───Hパートへ続く

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