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第40話「ヘルヴァニアの民」【Iパート キーザの幸福】

 【8】


「そこに居られるのでありましょう、エリィ姫。ここには私一人です、お入りください」


 廊下の隅に隠れていたエリィは、自分を呼ぶキーザの声にビクリとした。

 息を呑み、覚悟を決めて会議室へと足を踏み入れる。

 彼女を迎えたキーザの顔は、両親から見せられた写真に写っていた威厳と誇りに満ちた顔とは違い、妙に穏やかだった。


「思えば、こうやって面と向かって話すのは初めてでしたな、姫」

「初めまして、キーザ・ナヤッチャー将軍。姫と呼ぶのはよしてちょうだい。それから、敬語も……」

「わかった。他の者への示しもあるからこの場だけだが、私のことはキーザと呼ぶといい。銀川エリィ、今の話を聞いていたのだろう?」


 彼の前では誤魔化しが無駄であると、エリィは直感でわかっていた。

 だからこそ、黙って頷くという行動で彼の問いに答えた。


「フ……印象と違った、というような顔だな?」

「だって、お母様から聞いた話や、内宮さんから聞いたキーザさんのイメージとはちょっと違ったから……」

「父さん、と呼ばれた」

「え?」

「生まれて間もないナンバーズの一人に、そう呼ばれたのだ」


 風に揺れていた電球が、ピタリと動きを止めた。

 それは外の風がやんだことに起因するものであるが、なぜかキーザの心を映しているようだと、エリィは感じた。


「ドクター・レイは生まれて初めてみたものを親だと思う刷り込みに近い現象だと言っていたが、ドクターを母と呼び私を父と呼ぶその少女を見て、思うことがあってな」

「思う所?」

「もしも私が幸せを求めていたならば、自分の遺伝子を受け継いだ子供にそう呼ばれる未来もあったのではないか、と。そう思うと、自分の人生が酷く惨めなものに思えてきてな」

「けれど、結婚して子供を作るだけが幸せな人生じゃないと……あたしは思うけれど」


 自身が求める幸せな未来を否定するような言葉を、フォローのつもりでひねり出す。

 キーザがゆっくりと頷き、そして首を横に振った。


「私は幸せというものを知らない。何をすれば自分が満足するのかも知らなかったのだ。だからこそ、想い人であったシルヴィア殿下がスグルと結ばれた時、男と女が結ばれることが幸せなことなのだと私は感じたのだった。幸せの可能性を失った時に、自分にとっての幸せが何かわかったのだ」

「お母様が、想い人……」

「知らないのも無理はない。いわゆる片思いというものだったからな。私の家系、ナヤッチャー家は代々近衛の家系だった。私の父は、シルヴィア殿下の母を支える近衛騎士だったのだ」


 穏やかな顔をしたキーザが、思い出話を語る。

 彼の言葉の一つ一つを、エリィは聞き逃さないよう静かに、集中して聞いていた。


「そういう関係上、私は幼い頃からシルヴィア殿下と交流があってな。私が恋愛感情を抱くまで、そう時間はかからなかった。思えば、私は無意識に幸せを掴むためにと、彼女のためにと身をにして兵士となり、将軍となったのかもしれない」

「けれど、お母様は……」

「そう、今は半年戦争と呼ばれるあの戦いの中でスグルと結ばれた。二人の間に何があったかを、私は知る由もない。私は、スグルに三つの意味で負けたのだ」

「三つ?」

「ヘルヴァニア人として、機動兵器のパイロットとして、そして……恋敵としてだ」


 自分の過去の汚点を話しているはずなのに、なぜか穏やかな表情を崩さないキーザ。

 まるで、幸せだった頃を話すように、彼は自身の思い出を語り続けた。


「あの時からずっと、私は幸せを奪ったスグルを死ぬほど憎み続けた。憎みすぎて一般のアベックにも怨嗟を振りまくほどにな。笑えるだろう? 45もしたいい大人がだ」

「…………」

「彼女の娘である君の姿を見た時、君の存在そのものがシルヴィア殿下の幸せが形を成したものだと感じた」

「あたしが……」

「ナンバーズに父さんと呼ばれた時、私は私が一番欲しかったものがわかってしまった。けれども、もうこの歳では望めない」

「そんなことない! 愛に年齢なんて関係ないって、お父様言ってたもの! お父様の戦友の一人なんて、50手前なのに10代の女の子と交際しているって言ってたもの!」

「……その年齢差はさすがに犯罪だと思うが、うむ。気休めとして受け取っておこう」


 自分でも流石にどうかと思うエピソードをぶつけた結果、キーザが気圧されたように表情を歪ませた。

 その話はどうやら事実であり、やましいところは何もないようだが、半信半疑であるのも事実ではある。


「……すこし長話してしまったな。部屋に戻って休むといい」

「キーザさん、あたし……あなたはまだ幸せになれると思ってるわ」

「私がまだ、幸せに?」

「だって、キーザさんはいい人だもの! その幸せのカタチが家族を作ることじゃないかもしれないけれど、こんないい人が幸せになれないだなんて、おかしいもの!!」

「フ……いい人なんかじゃないさ。君の愛する地球を攻撃しようとしている悪い宇宙人だよ、私たちは」


 キーザはそう言って、部屋を出ていった。

 エリィは取り残された広い部屋で一人、誰かのためにひとしずく、涙を流してた。



    ───Jパートへ続く

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