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第40話「ヘルヴァニアの民」【Hパート ロザリーの幸せ】

 【7】


 軟禁された部屋の中で、エリィはキーボードをカタカタと叩く。

 備え付けてあったコンピューターは、プログラムによって外部との通信を遮断されていた。

 しかし、エリィが丸暗記しているキャリーフレームの旧式OSと置き換えることができれば、コンピューターに付属している通信機能は使えるはず。

 裕太が無事であるという情報をネオノアが知っていたことから、この火星基地そのものが情報を遮断しているとは考えにくい。

 であれば、通信機能さえ使えるようにしてしまえば助けに向かってくるであろう裕太たちへと情報を送ることができるはずだ。

 エリィはその可能性を信じ、数日かけてソースコードを必死に思い出しながら、暇々にコンピューターへとプログラムを入力していたのだった。


「……ふぅ、あと少しで完成ね。キャリーフレームのOSをパソコン用に変換する部分は、自分で考えないといけないから手間取っちゃったけど」


 書きかけのソースコードを保存し、電源を落とす。

 通信が可能になったとしても、送る情報がなければ安否を伝えるだけで苦労が霧散してしまうだろう。

 せめて何か情報を得られないかと、エリィは部屋を出る。


 幸いだったのが、エリィは監禁ではなく軟禁状態であることだった。

 流石に外に出る時は見張り兼・護衛のナインがつけられるが、要塞内を歩き回ることに関しては咎められることはない。

 あてがわれている部屋もプライベートのために、監視カメラをつけられているということもない。

 これだけの自由が保証されているのも、エリィがネオ・ヘルヴァニアにおいて要人として迎えられているからでもあるのだが。


 悩みながら廊下を歩いていると、扉越しに部屋の中から会話が聞こえてきていた。

 周囲を見て、巡回の兵士が居ないことを確認してから扉に耳を当てる。

 エリィは神経を聴覚に集中し、中の会話を盗み聞く体勢に入った。



 ※ ※ ※



「……ってことは、これから俺たちは地上と宇宙で別れろっていうのか」


 ぶっきらぼうに机に腰掛けたヤンロンが言う。

 ロザリーは、この乱暴な風体の男が苦手であった。


「コホン、わたくしとこの……ヤンロンが地上に残り、他の方々は宇宙ステーションの警備に当たれ、というのがネオノア閣下のご命令ですわ」

「フム……」


 顎に手を当て、キーザが考え込む。

 秘密兵器であるコロニー・ブラスターの警護に割く人員が多いことに疑問があるのだろうかと、ロザリーは首をかしげる。


「いやなに、ステーションはこの要塞からエネルギーを伝送するビーム・バリア・フィールドで守護するのだろう? それなのに地上を疎かにする意図があるのかと思ってね」

「むしろ兵力は地上に集中させ、宇宙の守りはナンバーズに託すと言っておられました」

「そうか……」


 納得がいかないという表情を崩さず、口を閉ざすキーザ。

 ロザリーとしても、兵士として生み出された存在とはいえ年端も行かぬ少女を信用できるかは半信半疑。

 確かにナンバーズは規律が取れ、キャリーフレーム操縦の腕前も下手な一般兵を上回っている。

 けれど、彼女たちが時折見せる歳相応の無邪気さを見ると、兵士として扱うことにためらいを覚えてしまう。


「上が決めたことなら、グダグダ言ったってしょうがねぇだろ! 俺ぁ自分の機体の面倒見てくらぁ」


 ぶっきらぼうに、ヤンロンがドアを蹴り開けて部屋を出ていった。

 仲間とはいえ、あの男と共同作戦をしなければならないことに、ロザリーはため息をつく。

 その行為が目に止まったのか、ギーザが憐れむような目でこちらに視線を向けていた。


「……キーザ将軍、何か?」

「いや、なに。ロザリー・オブリージュ、君は、自分の幸せを考えたことがあるのかなと思ってな」

「わたくしが、わたくしの幸せを……?」


「君のことは、君の祖父が生きていた頃から知っている。ネオ・ヘルヴァニアに招集された時も、私の部下として働いてくれた。しかし……」

「な、なんですの?」

「君が地球人のもとから帰ってきてからというもの、その顔からかつての凛々しさや快活さは影を潜め、どこか暗くなったのではと感じてしまってな」


 どこか寂しそうな表情で、ギーザが天井を見上げる。

 窓の隙間から入る風に揺れる、裸の電球がユラユラと影を動かしていた。


「私はもう45歳だ。肉体に老いを感じ、人並みの幸せをと思ってもこの年齢では相手も望めん」

「ですが将軍のような素敵な方なら、地球を手に入れた後にきっと……」


 ロザリーがフォローを入れるも、キーザは何もわかっていないというふうにゆっくりと首を横に振る。


「私は三軍将をやっていた頃から、真面目に任務をこなしていれば幸せになれると信じていた。だからこそあの戦争で敗北をしてもヘルヴァニア再興を思わぬ日はなかった。しかし、私とともに将軍をやっていた二人は結婚し、もう20にもなる娘とともに喫茶店をやっているという」

「それがわたくしと何の関係が……」

「再び将軍の座に戻り、老いを痛感したからこそ思うのだ。私は私自身の幸せを考えていなかったのではないかと、な」

「自分自身の幸せ……」


 ロザリーは、そんなことなど考えたこともなかった。

 祖父の仇たる地球人を憎み続け、怨敵に屈するものかという思いひとつでスペースコロニーなる場所で苦しい生活を送る。

 そしてネオノアに招集されてからは、滅私奉公だけを信条にネオ・ヘルヴァニアで働いてきた。

 しかし……その考えの中心であったのは亡き祖父であり、亡きヘルヴァニア帝国の誇り。

 どちらも今はすでに存在しないもの。

 そしてそのどちらも、ロザリー自身のことではなかった。


「私は君の姿が、若い頃の私と重なるように思えるのだ。作戦が成功し地球の地を手に入れたとしよう。その先に、未来に君は幸せを描けるのだろうか……?」

「わ、わたくしは……!」


 気分が暗いのは、あの下劣な地球人に陵辱されたからだ、とロザリーは言おうとした。

 しかし、憎いはずのあの男を思い出すたび、心の奥が暖かくなるような、気分が落ち着くような安らぎを僅かに感じてまっていた。

 そして、自身の心に強く突き刺さっている衝撃は、純潔を奪われた時でもなく、あの男と暮らしていたときでもない。

 自身がその手であの男を撃ってしまったという記憶が戻った直後の出来事が、まるでトラウマのように心の傷として残っていた。


 ──よかったな。


 血を流しながら倒れる際に、男が発した言葉。

 それがロザリー自身の幸せを願い、記憶を取り戻したことを祝う言葉だったのなら、すべての辻褄が合う。

 合ってしまう。

 ロザリーはそのことに納得ができず、気がつけば「失礼します」と叫んで部屋を飛び出してしまっていた。


(記憶を失っていたわたくしは、幸せだった──?)


 無意識に流れた涙を拭いながら、ロザリーは砂混じりの風を受けて、正気を取り戻そうとしていた。

 それが本当に正気なのだと、確信を抱けぬまま。



    ───Iパートへ続く

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