第35話「勇者VS英雄」【Aパート 木星の故郷】
【1】
眼下に広がるのは、モヤのかかった茶色の惑星。
地球人類がガス惑星たる木星付近にスペースコロニーを浮かべて、第二の故郷とした理由には諸説がある。
しかし一つ言えるのは、大地のない星に人類が加護を求めるのは、その血に刻まれた母なる星のぬくもりを、この巨大な球体に求めたからだろう。
「艦内の皆さん。これより木星圏コロニー・エンパイアの宇宙港へと入港します。万一のため、最寄りの手すりに捕まるか、着席しておいてください」
深雪のアナウンスから数秒後、宇宙を映し出していた窓が無機質な人工物の壁をガラス越しに見せ始め、それから少しして艦が停止した。
宇宙暮らしにとっては当たり前なのであろうが、遠心力による擬似重力のために回転している円筒形コロニーの動きに合わせで艦を入港することができるのは凄いなと裕太は感じていた。
おそらくはコンピューターが自動で合わせてくれたりするのだろうが、それもどういう仕組みなのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、裕太は降りる支度を進めていた。
「おい、裕太。早く降りないと銀川さんがご立腹だぞ」
ノックもせずに扉を開けたのは進次郎だった。
傍らには普段の元気さはどこへやら、暗い表情のサツキの姿。
「進次郎、もう終わるところだったんだが……金海さんの具合、まだ悪いのか?」
「どうもこの艦との相性が悪いらしくてな。船酔いのようなものだって言うからコロニーの空気でも吸わせようかと」
静かに頷くサツキ。
水金族という擬態生物にはたして酔いの概念があるのかは定かではない。
しかし、彼女がこの船に乗っている時だけ元気がないのは事実であった。
気分が悪いにせよ気が滅入ってるにせよ、いる環境を変えるのはいい刺激になるであろう。
最後に洗面台に置いていた歯ブラシをカバンに入れて、裕太は立ち上がった。
「よっこいせっと……。んじゃあ、行くか」
艦の中に詳しい進次郎の背中を追って部屋を出る。
静かに自動扉がスライドする音に、サツキが怯えるように顔を向けていたのが、やけに裕太の印象に残った。
【2】
カツリ、コツリと石畳を靴が鳴らす。
久々に浴びる故郷の風で長い髪をなびかせながら、黒い喪服に身を包んだ深雪は花束を手に墓石の並ぶ道を歩いていた。
「しっかしよぉ。何で俺様がおまえさんのお守りをせにゃあならんのだか」
黒いスーツを調達できず、墓場に似合わない私服姿のカーティスが顎を掻きながらぼやく。
それは央牙島からここまでついて来ておきながら、何一つ仕事をしていない男の言うセリフではない。
「消去法ですよ。ガエテルネン副艦長は私が不在時の艦の守り。学生達はボディーガードにするには不向きですし、他のクルーは物資補給にてんてこ舞い。魔法騎士エルフィスさんはそもそも地球に居残り……とくれば、まともに護衛の任を任せられるのはあなただけです」
「ちぇっ……。せっかく木星美人が揃ってるっていう風俗街に繰り出そうと意気込んでたってのに。ちんちくりん相手は趣味じゃねえっての」
「不潔ですしナチュラルに私を変に見ないでください。射殺しますよ」
「おー怖っ。そもそもだ、お前さんにとってはここは故郷だろ? 何で護衛なんか必要なんだ?」
「保護者という体面が必要というのもありますが……港の他のドック、見ませんでした?」
「何がだ?」
「黒竜王軍の艦が一隻ありました」
やはり、気づいていたのは自分だけか。
深雪は不甲斐ない大人にため息をつくでもなく、やっぱりなという気持ちで額を指で抑えた。
実際、直接見たわけではなく、停泊中である艦の位置をクルーへと案内するディスプレイから勘付いた情報である。
「マジかよ。連中、木星に何の用だ?」
「あるいは私達が目的かもしれません。だから護衛を頼んだんですよ」
「家族の墓参りひとつに、ご苦労なコッタな」
そう。ここは深雪の家族の眠る墓所。
心労で亡くなった母の亡骸と、遺体こそ回収できなかったが遺品と言う形で弔った兄の墓。
遠坂家と刻まれた灰色の石柱を前にした時、深雪は眉をキリリと吊り上げた。
「どうしたんだよ嬢ちゃん。なにか癪に障っちまったか?」
「違います。掃除されているんですよ、お墓が」
「他に誰かが参ったんじゃねえのか?」
「確かに線香が立っていますし、墓石は水に濡れています。けれど……」
線香立ての脇に添えられた、キャラメルの赤い箱。
それは、兄が子供っぽいからと大好きであるのを秘密にしていたお菓子だった。
「兄がこれを好いていたのは、家族だけしか知らないはずです」
「……なるほど?」
深雪は立ち上がり、辺りを見渡す。
立ち並ぶ墓石だらけの静かな空間。
その一角に深雪は人影を見つけた。
「まさか、あの人……!」
手に持った花束を墓前に置き、深雪は懐に隠し持っていた拳銃を抜いた。
───Bパートへ続く




