黒尾ダンジョン 11
沙織は、対立する2人の威圧感などこれっぽっちも気にせずに続ける。
「あのさ? 要するにうちからベンさんが引き抜かれるのが問題なんでしょ?
そしたら、京都からうちに1人もらったらいいじゃない?
ほら、プロ野球とかでよくやってるでしょ?」
「交換トレードか?」
「そうそう! トレード。せっかくのおめでたい話なのに、これじゃベンさんも静流さんもかわいそうすぎるよ」
「トレード……」
静流さんもケイティも呆気にとられる。
「とはいえ結局、ベンさん以上の冒険者が京都に居るって訳じゃないけどなあ」
「じゃあ補償金とかは? 金銭トレード?」
実は、ウチとしては金銭解決など全く考えていなかった。
ウチに次に引き抜きなんかかけたらどうなるかという実績を作る方が遙かに値打ちがあるからだ。
「この間あたし達が一緒に潜った10人だったら、ウチなら問題なく育成できるでしょ?
お願い恭ちゃん、こう言う終わり方はあたし達らしくないよ」
あたし達らしく、という言葉に、この場の一同ははっとした。
特に俺は。
確かにこう言うのは俺たち、俺らしくないな。
政治的な配慮は確かに必要だろう。
だが、何より俺たちは冒険者だ。経営者ではない。
「わかった。じゃあ、京都からはベンさんのトレードとして1名。そして金銭で10億円。という条件でどうでしょう?
それか、先ほどいったようにウチと絶縁するか。
正直俺は長生きするつもりなんで、俺の目が黒いうちは水無瀬さんを許す気はないですよ?
もそ西日本の冒険者協会がお宅とつきあったりしたら、そっちも同様に出入り禁止にします。
まあ検討してみてください」
俺はそう言い残すと、ちらっと時計を見て言った。
「それでは約束がありますので、俺はこれで」
まあ約束なんてないけどな。いい切り上げ時だと思ったのだ。
飯でも食おう。
静流さんとベンさんが帰って数日。
俺のところに水無瀬から電話が来た。
「……驚きましたね。ウチとしてはそれでかまいませんが、5年から10年の契約にしていただきますよ」
『はい。あの……よろしくお願いします』
電話の相手は香苗さんだった。
なんと、彼女が大学をやめ東京に出てきて、ベンさんの代わりに俺たちのパーティに加わるといってきたのだ。
彼女の手腕は俺もよく知っている。実力にも人柄にも問題はない。
京都の女性にしては珍しく向こうっ気が強いのを隠そうともしないが、それはそれで冒険者としては美点だと思う。
得物は長刀や長槍を使えて、20層突破者でもあるから育成もさほど手間取らないだろう。
問題は、こっちで育成したらぷいっと京都にでも帰られると大迷惑だ。
だからその辺は、きっちり契約で縛らさせてもらおうと思う。
「じゃあ一度こっちに来てください。部屋は用意させてもらいます。家具なんかにご希望があれば総務に相談してください」
ヤマギシ本社ビルの最上階の俺たちの家にはまだ空きもある。
そこに暮らしてもらえばいいだろう。
「というわけで、ベンさんの交代要員は水無瀬香苗さんになった」
俺は沙織とケイティが今日もお茶をしている役員室に行って報告をした。
「むー、そうきたかぁ」
「沙織が情けなどかけるからです」
どうも2人の顔色は冴えない。
「どうした? 実力はおそらくだけど京都で一番だぞ?
俺は静流さんより香苗さんの方が実は使える人材だと思ってるくらいだぞ?」
俺は2人の顔色が冴えないのを気にしてそう言ってみた。
ていうか実際、俺の見立てでは彼女は京都で一番優れた冒険者だ。
危険察知はまだまだだけど、それ以外はウチで再訓練すれば、ドナッティさんレベルはすぐに到達できると踏んでいる。
「それは分かっています」
「問題はそっちじゃないんだよー」
「わかんないな。まあとにかく、女性陣には特に彼女の育成に気を使って欲しいんだ。よろしくな」
「恭ちゃん、朴念仁」
「ボクネンジン」
なんのこっちゃ。
香苗さんは早速翌日上京してきた。
ちなみに、京都の人に上京などというと「京は京都どすえ」などとやんわり叱られるらしい。
本当だろうか?
ウチの社員に東京駅に迎えに行かせて、奥多摩までやってきたのは夕刻近い時間になった。
総務部の案内で彼女の部屋を見て回ったり、ウチの弁護士立ち会いで契約書関係を済ませた香苗さんに、改めてウチのメンバーを紹介する。
彼女に決まったといったときの反応から、芳しくないのかなと思ってた女性陣だが、さすがにもう子供じゃないところを見せてくれて安心した。
「皆さん、このたびはいろいろご迷惑かけました。姉やベンさんに代わって私が頑張りますので、どうぞお許しください」
香苗さんがそう言って頭を下げる。
誰もそれに何も言わないので、やむなく俺が返答した。
「歓迎します。引っ越しなんかが片付いたら早速アタックを再開しますんで、よろしく」
一週間くらいでお願いしますね、そう言って俺は退席させてもらった。
香苗さんがサインした契約書には、いくつかの厳しい機密条項がある。
それは、たとえ家族や友人にもダンジョン内の情報を、会社の許可なしに漏らさないこと。
社内のセキュリティレバルの高い部門には近づかないこと、といった、個人的にはちょっと厳しすぎるんじゃないかと思えるような条項もあったが、彼女は一言もいわずサインしたそうだ。
「水無瀬や西日本とヤマギシさんが対立せずに済むのでしたら、どのような条件でも構しません」
というようなことを彼女はいったそうだ。
なんだか人身御供のような悲壮な覚悟で気の毒だが、ウチは「働きやすい明るい職場」を目指したいので、早く馴染んでくれたらいいな。
香苗さんが来てから一週間。
ベンさんが引き抜かれた痛手をカバーしたいところだが、まずはOJTがてら、第1層から香苗さん先頭でアタックを始めた。
俺が思うに、彼女の、というか京都組に共通する課題は、遠距離にいる敵の気配を読むことだ。
そのために彼女を先頭にさせ、俺たちが敵の方角を教えて察知を鍛えてもらっている。
魔物は倒すと魔石を残すことでも分かるが、たとえ1層のコウモリでさえ、結構動くと魔力を発している。
その魔力を感じてもらう。
そして11層では、RPG-7の使用に習熟してもらう。ランドクルーザーの運転にもだ。
ランクルはダンジョン外でも使うんで、癖なんかを掴んでおいてもらえると交代ドライバーが出来てありがたい。
彼女にも来年には、大型免許とかをとってもらわないとな。
そんな風に、20層までを彼女に先導させて実力の評価を行った。
やはり彼女は使える人だ。物覚えもいいし、何より一生懸命なのが嬉しい。
そういう面では、沙織やケイティの評判もよかった。
ドナッティさんは
「うかうかしていると実力が抜かれてしまいます」
と焦っていた。
「俺なんかまずいかも知れませんよ?」
岩田さんも率直に香苗さんの力を認めていた。
そうして30層まで先導させると、俺たちは彼女に、30層までの指導者章を認めることにした。
これでやっと、中断していた40層へのアタックが再開出来る準備が整ったのだった。
事務仕事は貯まる。
明日やればいいことは明日やろう、などと思ってると夏休み最終日に宿題が終わっていない小学生のような目に遭ったりする。
そんな紙の処理を終えて一息入れようと思ってると、沙織達がお茶のお誘いをしてくれた。
どうもケイティと香苗さんの反りが合わないらしい。
つまり緩衝材で俺を呼んだわけだな。
まあいいさ。美味しいケーキとコーヒーにありつけるんだ。
「お、今日はチョコレートケーキか」
俺の大好物だ。酒は下戸だけど甘いものは比較的好きな俺だが、生クリームたっぷりのケーキよりはチョコレートの苦みを活かしたケーキが特に好きだった。
「ザッハトルテです」
ケイティが答えた。
総務の中川さんに頼んで取り寄せたらしい。
「じゃあいただきます」
俺はフォークでケーキに切れ目を入れる。チョコレートの表皮に隠れていた砂糖の蜜がとろりと流れる。何かの果物のジャムが酸味があってチョコの渋みと砂糖の甘さを引き立てている。
「うまいなあ、これ」
なんだ、ケイティも香苗さんも比較的穏やかな顔をしてお茶してるじゃないか。
……と思っていたら。
「ザッハトルテといえば逸話があります」
「逸話?」
ケイティの言葉に沙織が反応する。
「わずか16才の天才パティシエが一晩で作り上げた伝説のケーキです。
逸話というのはほかでもありません。この菓子はザッハ一族がレシピを秘匿し、ついにはその財でホテルザッハを建設するまでになりました。
しかし、3代目で財政難に陥ったとき、ザッハトルテの販売を引き受けていたデメルから資金提供と引き替えに長男の嫁を迎えることになりました。
この嫁がレシピを盗み、それを公開してしまったのです。
だからこうして私たちは日本でもこのケーキを食べれるのですが。
キョーちゃんも気を付けるが良いでしょう。秘密の技術を持つ男に、それを欲しがる家の女は群がります」
ケイティは明らかに香苗さんに当てこすっているようだ。
なるほど。こりゃ沙織には手に余るわけだ。かといってじゃあ俺にどうすることが出来るっていうんだよ。
「……わかりました」
とりあえずそう答えてみる。
「ケイティはん」
「なんでしょう?」
「その説は後世の人間がおもしろおかしくでっち上げたフィクションやそうおす。
実際んとこ、ホテルザッハはデメルにレシピを譲渡したのと違いますやろか?」
見えない火花が2人の間に飛んでいる気がする。
「かも知れませんね。ですがこの話は、人間という生き物の社会の本質を射貫いている。
良く出来たお話だと思いませんか?」
「……」
やれやれ。ケーキが苦いぞ?
「ケイティ、香苗さん」
「はい?」
「2人はこれから長いこと、一緒に戦っていくことになる。命のかかった場面で感情が影響した、なんてのはなしで頼むよ。
それからケイティ」
「なんでしょう?」
「もう終わった話だよ。ウチも痛かったけど、香苗さんを失った水無瀬も痛いんだ。そろそろ許してやって欲しい」
「……キョーちゃんが言うのなら、分かりました」
本当に分かってくれたのかな? 不安だけどそれ以上は俺にもなにも言いようがない。
本質的に、こう言うのは香苗さんのこれから次第だしな。
実績が積み重なれば、もう誰も彼女に色眼鏡で評価してくる人間も居なくなるだろう。
それまでは、歯を食いしばって頑張ってもらうしかないんだろうなあ。




