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黒尾ダンジョン 10


さて困った。

正直、この話は俺の手に余る。誰か助っ人が欲しい……というところで。

まず沙織。あいつはダメだ。

おそらく「わー結婚? いいなーおめでとー」

などと彼女達にとってポジティブな結論に話を間違いなく流すだろう。

ケイティ……は、こうした人事的な話に権限持ってない。

というか、正式にはヤマギシ本社に籍はない。

彼女の身分的には、ヤマギシとブラスコの合弁企業の役員だ。同じポジションとしてはウチの兄貴なんかもそう。俺は、役員会とかが煩わしいんでそっちはパスさせてもらってる。

ウチに部屋があったりヤマギシ本社に彼女の役員室があるのは、ウチをファミリー扱いしてくれて、世界の荒波から守ってくれているブラスコ社や、何よりも、俺たちと一緒に戦ってくれる彼女に対するウチの感謝の印だ。

ドナッティさんや岩田さんは?

彼らはベンさんと同じ立場だから、情感に訴えることは出来たとしてもそれで何かを変えるような立場じゃないしな。

兄貴は?

ダメだ。あの男はベンさんを引き受けるどころか、下手したら全面戦争に発展させそうだ。

オヤジや下原のおじさんはいないし、おばさんはあまりベンと縁がない。


迷った俺は、ひとまずここに静流さんとベンさんを待たせて2人を呼びにいく。

沙織とケイティだ。

2人ともケイティの部屋で優雅にお茶なんぞしていた。俺は事情を話し、2人にも同席してもらうことにした。

沙織達は二つ返事で引き受けてくれて、俺の部屋に移動してくれた。もちろん、ケーキやらコーヒーやら紅茶と一緒にだ。

「聞いたよーベンさん。静流さんと結婚だって? おめでとー」

……やっぱりか沙織さん。

「おめでとうございます。しかしベン、あなたは私たちのチームを抜けて京都に行くとか? なぜですか?」

そうだケイティ、もっとビシッといってやってくれ。

「あなたにはいずれテキサスダンジョンの支配人を任せたいと思ってましたのに」

え?

「……予言します。ブラスコとヤマギシはいずれ一つの企業になるでしょう。ヤマギシ・ブラスコはすでに両者の事業の中核に育ちつつあります」

確かにな。兄貴とジョシュによってR&D(研究開発)部門と製造部門を分社化したため、テキサスの巨大魔法燃料プラントとあわせ、すでに国際企業として確固たる地歩を築いている。

しかしいつ聞いてもヤマザキナビスコそっくりだ。

それはさておき。

「ウチ吸収されちゃうの?」

「まさか! 吸収されるのはブラスコですよ」

心底おかしそうにケイティは笑うと、そう言い切った。

「ミス水無瀬。この人はこういう人なんですよ」

ケイティは静流さんに話を戻す。

「あなたたちが何を考えているのか私には分かりません。西日本の財力を集め、2500億もの資本でダンジョンを統合した手腕(テクニック)はすばらしい。でもそれだけ」

ケイティは俺たちには滅多に見せないアメリカの美女のどう猛な笑顔で静流さんを圧倒している。

ていうか俺も圧倒される。ここで平気そうな顔をしてるのはたった1人沙織だけだ。

「その気になれば……キョーちゃんがですが。その気になれば、ヤマギシ・ブラスコは日本・アメリカそしてヨーロッパで10を超えるダンジョンを押さえることが出来るでしょう。あなたたちは私たちをライバルと呼んだそうですが、私たちから見たらベイビー(赤ちゃん)です」

ふう、と一つ大げさにケイティはため息をついた。

「ミスターバートン。答えを聞いていません。なぜ、あなたが京都に行くことになったのです?」

「イ……イエスマム」

ついにベンさんは軍人っぽくしゃっちょこばってしまった。

「シズルはキョートダンジョンになくてはならないジンザイデース。それはボーケンシャだけでなくマネジャーとして必要デース」

自分はそうではない。ベンさんは言う。

「ドチラがヨリ組織に必要か、ドー考えてもシズルがキョートに必要デース」

ケイティは呆れたような表情をした。

「なるほど、あなたはそんな風に思っていたのですか。残念です」

「ベンさん。あなたは今、世界でたった6人しかいない35層到達者の1人じゃない。命がけのアタックで背中を任せられる貴重な人材なんだ。俺たちにとって『なくてはならない』人でしょ?」

俺が思わず言うと、ベンさんは瞳を輝かせて

「おー、キョジサン、ありがトウ」

といった。ずいぶん感激してるけど、決して過大評価なんかじゃない。

それだからこそ、こうやって引き抜かれてしまうと、痛いなんてもんじゃないんだ。

ダンジョンの広さ――通路の横幅とか、四つ角での三方向からのエンカウントとか、いろいろ考えると、やっぱり6人パーティが理想的だ。

もちろんもっと大人数でもいいんだけど、人数が増えると、統率する人間に負荷がかかる。主に俺だな。

逆に、5人以下だとやっぱりサポートに不安がある。

敵からいきなり状態異常なんかをかけられたとき、1人でも多くメンバーがいると、それだけリスクが減るからな。

「それに、ベンさんに抜けられると、寂しい」

彼はムードメーカーだ。

彼の無類の明るさは俺は先天的なものだと思ってた。

いつだったか、ぼそっとそれをケイティにいったことがある。


「違うと思います」

ケイティはいった。

アメリカ屈指の政治家の次男に産まれ、社交界で揉まれたり、アメリカのトップエリートが集う大学や陸軍のアカデミーで鍛えられた精神だという。

「次男は、マスコットですからね」

父と長男は政治家としての道が義務づけられてる。次男は本業を踏襲しつつ、彼らをマスコットとして支えねばならない。

「案外、エリートコースを外れて日本に来たのも、そんな中から彼自身の人生を選びたかったからかも知れません」

ケイティはそんな風にいったけど、俺はそうじゃなくてアキバ目当てだったんじゃないかと今でも疑ってるけどな。


ベンさんは、俺の言葉を聞くとぽろぽろと涙をこぼした。

「キョジサン、コーエーデース」

ベンさんは立ち上がると泣きながら俺のほうにやってきて俺に右手を差し出す。

俺はその手をやむなく取ると、ベンさんにぐいっと引き寄せられ、抱きしめられた。

やたら速い英語でまくし立てられたので困ってケイティを見る。


「あなたほどの英雄にそこまで認められた事は生涯の誇りです、というようなことをいってます」

ケイティが小声で教えてくれた。

欧米人はやけに俺のことを英雄視する。

完全に黙殺してる日本人とはえらい違いだと思う。

司馬遼太郎によると、日本人は英雄を求めないんだそうだ。時々歴史の変換点に英雄が現れると、ほとんど全て暗殺されてるんだという。

それはともかく、アメリカ人の「俺像」はもはや偶像的で、陸軍の名誉勲章をもらったことがそれを加速させている。

実は、冒険者服にも名誉勲章の徽章――勲章に着いてるリボンの切れ端らしい――を着けてくれとアメリカ政府からいわれてる。

あれ着けると知らない人にまで敬礼されちゃうんでいやなんだけど、ただでたくさん贈られてしまったから、公式の席ではやむなく着けることにしてる。


俺はベンさんを席に戻させて、自分も着席し直す。

「静流さん。あなたの口からお聞かせください。どうしてベンさんとこっちに来られないんですか?」

「はい。私が水無瀬の代表として京都のダンジョンを管理させてもろてます。いま()って出るわけには参りません」

実質、俺たちの2回の研修に訪れた12人がメインの冒険者だし、彼らは西日本の冒険者の育成という約束がある。

現状もっとも優れた1人である静流さん。これは冒険者のみならず経営者としても優れてるという意味らしいけど、その彼女を失うと、水無瀬の冒険者事業は導き手を失う。

だから自分が抜けるわけにはいかないのだ、と彼女はいった。

「だったらウチからベンさんを引き抜いていいと?」

俺が少し意地の悪い言い方に切り替えると、静流さんはおっとりと切り返した。

「私は一言も言うてません。ベンジャミンが考えてのことおす」

なるほどな。

「沙織、オヤジと兄貴に事情全部メールしてくれる? どうもベンさんを『引き抜き』されそうだって」

「わかった」

「おまちやす! 引き抜きとは聞こえが悪い」

「でも事実ですよね?」

俺は目線で沙織に促すと、沙織は慣れた手つきでスマホに入力を始めた。


オヤジからはすぐに電話が来た。

「お前に一任する」

それだけいうと慌ただしく電話を切った。

兄貴からは俺のスマホにメールが来た。

『ベンは不名誉除名。水無瀬とは断絶』

思った通りの指示だ。

「静流さん。ウチの社長と兄貴から俺が一任されました。ベンジャミン・バートンさん。奥多摩の冒険者協会から不名誉除名とします。

この情報は世界冒険者協会のデータベースに記載され、全ての協会に公表されます。

ヤマギシからは解雇とします。

水無瀬さん。うちの兄貴から『水無瀬とは関係を断絶しろ』といわれました。ご了承ください」

「そんな一方的な!」

青ざめて無言になるベンさんに比べ、真っ赤になって静流さんは怒り出す。

「一方的? その日本語の意味が分からないけど、例えば、いきなりメンバーと結婚するから京都に連れて行くっていうのは一方的じゃないのかしら?」

ケイティがあざ笑った。

分かってていってやがるなケイティさんや。

「関係の断絶ってどういう意味ですか?」

「さあ? 少なくともウチの協会では今後、京都からの研修には応じません。

魔法産業のほうについては、改めてウチの兄貴にでもお問い合わせください。

ヤマギシ本社としては、京都からの人との取引は今後一切、来訪も含めお断りします」

「全米冒険者協会とブラスコ社もヤマギシの決定を支持するでしょう。

おそらく各国の協会も。

ねえミスシズル?

おそらくあなたはレベル35の冒険者が世界的にどれほどの価値がある存在か、軽視しすぎています」

「そんな!」

静流さんは激高して立ち上がった。

「ミスシズル? まだ何か言うようでしたら、ミスターバートンのお父さんへのブラスコ社からの選挙協力を今後打ち切りますが? ミスターバートン。この意味分かりますか?」

ケイティはほほえみをやめて真顔になった。

「イエスマム、アイアンダースタンド」

ベンさんは慌てて静流さんの腕を掴んで座らせた。

「脅さはりますのん?」

「脅しと思われることが心外です。ヤマギシにもブラスコにも、そうすべき理由とそうする力があります。今後、あなたたちのような不届き者を出さないためにも」

戦闘モードに入ったらしい静流さんの目が元の茶色からまるで金色に光っているように見える。

一方のケイティの瞳も受けて立つ気満々に見開いている。


「あのー、ちょっといい、かな?」

その2人の臨戦態勢のなか、沙織がのんびりとした声を上げた。




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