間章――奥多摩ラボの日常
兄貴が冒険者をやめるきっかけのひとつが<フロート>による浮遊技術を研究したい、というものだった。
先輩氏1人で地道な分析を続けていたけど、やはり魔法をマスターしていて、技術的にも明るい人材が欠乏していた。
兄貴は部署に顔を出す度に先輩氏から
「山岸。こっちに集中してもらえんか?」
とせっつかれていたらしい。
<フロート>は確かに画期的な技術ではあるけど、同時にいくつもの技術的な問題を抱えている、と兄貴はいう。
「第1に、浮く、ということは落ちる、ということでもある」
要するに、俺が実演したようなたかだか1-2mふわふわ浮く程度だったら、落ちたとしてもそんな大けがをするわけではない。
しかし、もしこの技術をジャンボ機などに使って、不具合が発生したら――。
大惨事になってしまうだろう。
同じように、万に一つも装置的に不具合は起こらない、と断言できなければ、宇宙ロケットなどにも使えない。
「第2に、未だに制御のノウハウが確立していない」
魔法燃料の場合、制御は単に「オン・オフ」だけでいい。
ところが、<フロート>の場合、徐々に浮力を発生させて浮き上がり、着地するときは徐々に浮力を止める、という微調整が必要になる。
それが出来なければ、着地ではなく墜落になるんだな。
「そして、第3に。必要な魔力の総量や積み込むべき魔力燃料の総量が分かっていない」
飛んでる最中に、燃料切れなどを起こしたら大惨事だ。
そんなわけで、兄貴や先輩氏は、日々、地道なデータ収集に追われているのだった。
そして時折、兄貴の悲鳴がラボから響いてくるらしい。
……首の骨だけは折るなよ? 兄貴。
兄貴たちが<フロート>技術で共同開発のパートナーに選んだのは、H○NDAだった。
制御技術が完全に確立するまでは、どうせ高高度は飛べないのだ。
そこで、以前から提案のあった「ダンジョン内での輸送車両」の開発にチャレンジしようと言う話になった。
H○NDAのエンジンが使われている小型特殊の運搬具には、いくつか有名なヒット作がある。
中でも、築地や大田なんかの卸売市場などで使われているターレーと呼ばれる乗り物は、当初から注目されてはいた。
最大9馬力、1トンまでの積載量を傾斜10度くらいならば運ぶ。
そして、小回りもきく。発動機部分は左右最大90度までハンドルが切れるので、それこそ直角に方向転換が可能なのだ。
ただし、現状では一切使用されていない。
まず、4サイクルエンジンを搭載しているために、騒音があるのだ。
ダンジョン内はいつモンスターに襲われるか分からない空間だから、移動時に常時騒音がある乗り物はまず出番がないだろう。
更に、内燃機には、どうしても排気ガスの問題がつきまとう。
ターレーには電動もあるんだが、こっちは充電の問題があるんだよな。
そして。
ダンジョンは階層ごとに階段があって、階段を上下する必要がある。
ターレーでは、さすがに階段の上り下りは難しい。
キャタピラや無限軌道と呼ばれる履帯で出来た乗り物を研究したが、そうなると当然自重は重くなるしトルクは必要になるし、何より車体が大きくなる。
ダンジョン内は、軽乗用車クラスの車体でも通れない狭さの場所があるので、履帯装備の車両だと実用に耐えない。
こうした諸問題で頓挫しているダンジョン内の輸送機器だが、<フロート>が使えれば新しい可能性が生まれる。
まず、浮遊した状態であればさほどの動力を必要としない。
つまり、内燃機が必要なくなる。
これで、騒音と排気ガスの課題がクリアになる。
次に、浮かせることが出来れば、階段の登り降りの際に、サスペンションや履帯などを使わずにふわふわといくことが可能になる。
最後に、ダンジョン内には魔素があるので墜落のリスクが低く、浮いてもせいぜい数十センチから2m、そして必要な速度は最大で人間が走る程度になる。
万一の魔力切れに備えてタイヤも必要だし、地上で使う場合には、それこそターレーやミニカーのたぐいで牽引したらいいので、やはり四輪以上のタイヤとサスペンション技術は必要になる。
H○NDAは週に一度奥多摩に来て、お互いの進捗をアップデートして帰る。
和光からなので時間的には大変だろう。
「こっちに研究所が欲しい」
と口々にいわれるけど、残念なことに、ウチの周囲にはもう平地部分に空きはない。
多摩川の支流沿いに広がる過疎集落あたりでも自力で開発していただくしかない。
「重力と加速度のジャイロセンサーからオートで<フロート>制御を行い、人間は方向制御だけしたらどうか?」
H○NDAのエンジニア達の出した結論は、水平と高度は機械的に常に一定を保たせ、進行方向だけを人間が指示する方式だった。
そして、操作はブレーキ、アクセル、ハンドルのいわゆる自動車式。
ギアは、前進とバックのみになる。
それはともかく。
兄貴たち含め、エンジニア達が最初にぶつかった課題は推進力だ。
兄貴たちは<フロート>を前を軽く、後ろを重くすることで動力に使えるかと期待した。
結果は、試験機が空中で垂直に立っただけだった。
次に、超小型、手の平サイズのジェットエンジンを前後に4機積んで実験。
研究室内でピンボールゲーム並みに壁という壁を跳ね回り最後に壊れて墜ちた。
宇宙船に使われるスラスターはどうか?
とか、いっそのこと風船のようにひもで引っ張ったらどうだろう?
などいろいろ試行錯誤が繰り返されたようだ。
つまりここまでの話を全て聞かされたあげく、俺は兄貴にラボに拉致され
「風魔法を作れ」
といわれているのだった。
「風魔法っていわれてもなあ」
「いや、お前が思ってるような大した力は要らん。<フロート>で浮いている状態だと、それほど大きな推進力がなくても動くんだ」
なるほど。兄貴の言葉を、破壊された棚やテーブルや壁といったラボの惨状が代弁している。
ほかの部署からも社員を借りて、総出で壊れた備品の片付けをしているところだった。
機密に関わるだけに他社の人間を立ち入らせるわけに行かない場所なので、できる限りは自分たちでやるしかないんだろう。
「そもそも、エンチャントって別々に出来るのかな?」
要するに、車体には<フロート>を。そしてスラスターには<風魔法>を。
乗っている人間のプロテクターには<アンチマジック>や<レジスト>がかかってる。
それぞれにはそれぞれのエンチャントが作用しないような工夫とか、出来るんだろうか?
「それが、絶縁すれば出来るんだ」
「絶縁?」
「シリコンゴムとかだな。車体は、エレクトラムのメッキの上にゴムのカバーを付けて絶縁してるから、エンチャントした冒険者装備で乗り込んでも、問題は無い」
「なるほど」
「念のため、スラスターに使う魔法燃料と<フロート>用を分ければ、多分問題ないと思う」
兄貴は、手書きのデザイン画にカラーサインペンで色分けをして俺に説明する。
まずスラスターの試験に、エレクトラムのペレットを使うことにして、後部に二個付けてみた。
「うーん。風魔法だとやっぱ、<ウインド>とか?」
俺は、風をイメージしつつ、
「<ウインド>」
とエンチャントしてみた。
「危ない、みんな伏せろ!」
兄貴は叫ぶ。
俺がエンチャントしたとたん、試作機は恐ろしい速さで壁に一直線で飛び去り、壁に突き刺さって壊れた。
ギロ、と作業中の全員から俺たちは睨まれた。
いや本当にすいませんでしたー。
片付け中のラボを追放された俺たちは、やむなくダンジョンの1層で試験を続行する。
「もっとこう、そよ風に出来んか?」
「そよ風って英語でなんていうの?」
「前々から思ってたんだけど、なんでお前しゃべれもしないのに英語にこだわるんだ?」
いやなんでっていわれても。
「えっと。共通規格?」
「……」
疑いの目で見られた。だって、なんか日本語で起動するのかっこわるいじゃん。
かといってドイツ語やラテン語は中二病過ぎるしさ。
「まあ英語だとブリーズだな。日焼けに塗るローションにもあるだろ?」
「ん、了解。<ブリーズ>」
試作機のスラスターに目した魔法燃料にエンチャントしてみる。
「おー。確かにそよ風で動くんだね」
試作機は、のろのろと動き出した。
さすがにあちこち跳ね回られては困るんで、兄貴が風船のようにしたからヒモで押さえてるが、その兄貴を中心に、うまくくるくると回っている。
「止めるのは<キャンセル>でいいのか?」
「うん」
<キャンセル>は、発電用の魔法燃料を制御するときに作った魔法だ。
エンチャントを止めるのに使う。
「……おい、止まらんぞ?」
「慣性で動いてるんじゃないの?」
なるほど。空中に浮いた状態で動かそうとすると、止まるときには逆噴射が必要なんだな。
これは、まだまだ完成までほど遠そうだなあ。
「でも、これでやっと目処は付いたぞ」
兄貴は嬉しそうに試作機をたぐり寄せ、両手に抱えてラボに戻っていくのだった。
まだまだ技術面以外でも課題は多そうだけどね。
あの試作機には燃料棒を6本使っている。
一本1000万円だから、それだけで6000万円になる。
エレクトラム以外の素材――例えば、クレイゴーレムやストーンゴーレムの素材、もしくは何らかの新素材でも作れない限り、コストダウンはおぼつかないんだよな。
エレクトラムの燃料ペレットについては、その後、三枝社長達によってコストダウンの糸口が見えてきた。
ゴブリンやオークのドロップである青銅製の粗末な武器を一気に炉で融解する。
比重によってそれぞれの成分で炉の中で分離するので、銅の部分だけを取り出して、別の炉で25%ほどの銀と合金を作る。
その際にたっぷりと魔石も加えて丸棒に鋳造し、更にアダマントでメッキする。
これで、エレクトラムに比べてだいぶコストの安い新燃料が出来た。
メッキをやめて樹脂のカバーにすれば更にコストカットできるし、銀の割合を減らせば、銅なら安価に提供できるようだ。
この辺は、どの金属がどれくらいの魔力を蓄えられるかにかかってくるんだろうな。




