大冒険者時代 3
500床の病院に必要な従業員数は、軽くヤマギシ全体の2倍を超えた。
パートさんも含めると看護婦さん300人ほど。
ドクターもパートタイム勤務含めると50人。
そのほか技師が30人。事務が50人。庶務が50人。各種療法士20人。
ソーシャルワーカーなどの福祉系の人材や入院患者の食事を作る人、看護補助や清掃などの専従者。
総勢800人を超える人たちが働く職場が、突如ぽっかりと出現する。
正直、ノウハウのないヤマギシには手に負えない。
砂川元教授を理事長に迎え、ウチからはオヤジとおじさんを理事、残りは全員社員として名前は入れてるけど、申し訳ないけど、金は出すけど口は出さない、を貫かせてもらっている。
そもそも、医療法人というのは理事長を医師以外が務める事を嫌う。
これは、医学知識がない経営者が理事長になる事で、患者より金にしか興味がないような病院経営を抑止するためらしいんだが。
あ、ちなみに俺たちの肩書きの社員って言うのは法人の法律上の権利者の呼び方であって、従業員って意味じゃないらしい。
「未成年は理事になれないんです」
って済まなそうに砂川先生がいってたけど、正直、俺や沙織がいて良い場所じゃない気がするし、理事会とかで時間取られるのも本音では嫌だから願ったり、だ。
集められた50人の医師のうち、現在リザレクションが使えるのは12人。
なんと砂川先生はマスターして、鋭意後進の指導中である。
そういえば法的には、看護師でさえ<ヒール>や<キュア>で処置するのは現在のところ、御法度である。
面倒くさいけど、医師でないものの治療行為は病院では出来ないんだな。
それでも彼ら彼女らにダンジョンに潜ってもらうのは、ヤマギシという組織を理解してもらうためもあるし、魔法による医療をきちんと念頭に置いてもらうためでもある。
そして、本人達の希望のためでもある。特に、女性陣の。
7月に入ると、かなりの人数が残った有給を消費してこっちに来ている。
もちろんダンジョン攻略目当てだ。
ウチは、病院のこの従業員数を聞いて慌てて青梅線の北向こうにある土地の再開発を始めた。
おかげでなんとか、いくつかのマンション建設は間に合ったが、とても800世帯は入りきらない。
……まあ、自宅から通勤してくる人たちもそれなりにいるんで、不足は200戸くらいで、こっちは年末くらいまでになんとか間に合ったら良いなぁと思う。
病院の一角に、ファミレスやら喫茶店やらが入るらしい。コンビニもだ。
悪いがコンビニについては、ウチの所属するフランチャイズを選ばせてもらった。
つまんないところでライバル作りたくないしな。
ところで、さすがに500人を超える人間がダンジョンに研修で潜ると、もうリポップが圧倒的に間に合わない。
そこで俺たちは、その半数を連れて個人ダンジョンのひとつ、伊豆ダンジョンを借りにいく事にした。
「伊豆と言えば海水浴と温泉だよ恭ちゃん!」
やけに沙織が張り切っている。
「海水浴と言えば、水着デース! 買い物行きマース!」
あんたもか、ケイティ。
そういえばケイティ……ブラス嬢とついうっかり呼んだらケイティと呼べと怒られたのでこの頃はそう呼ぶようになったんだけど、彼女はずいぶん日本語がうまくなってきた。
学術的な専門用語やら熟語・慣用句はまだ苦手なようだけど、生活のほとんどを日本語でこなし、
「この頃は夢も日本語デース」
と自慢していた。
ちなみに兄貴とシャーロットさんはテキサスに出張中だ。
魔法燃料の工場が完成したので、ひとつきくらいはあっちにいきっぱなしで技術指導や視察やらをこなしてくるんだそうだ。
そういえば兄貴の英語はずいぶん上達してきているらしい。
もっとも兄貴は大学で英語やってたんで俺や沙織とはちょっと条件が違うと思う。
シャーロットさんに言わせるとまだまだらしいけど。
そのシャーロットさんというと、どうも兄貴と怪しいんだよな。
「チャーリー」
「シン」
なんていつの間にか呼び合うようになってるし。
ちなみに、俺の事は「キョーちゃん」と呼ぶ。この差はなんだ?
……まあ絶対沙織の影響だよな。ケイティもついに俺の事をキョーちゃんと呼ぶようになりつつあるし。
願わくば沙織のおじさんやおばさんに伝染しない事を祈る。
来月で19になるんだからな。
西伊豆土肥。
海と山に囲まれた風光明媚な温泉地でもある。
山で育った俺としては、もしかなうなら住んでみたい土地のかなり上位に入りそうだ。
魚がうまい。
気候が年中温暖。
温泉もある。
昔は金山まであったらしい。
そうした土地は、得てして人の心も穏やかだったりする。
それはともかく。
俺たちの目的地は、その西伊豆土肥の海から東に入った山際にある、妙蓮寺というお寺だ。
前田円丈さん。ここの住職さんだ。
ウチらが冒険者協会の設立に関わって以来、忙しい中何度も奥多摩を訪れて見学して帰っている。
理由は、この寺の裏に、<浸食の口>が現れたせいだ。
しばらくは自衛隊に実質的に占有されていたが、現在は、ウチで最初に修行した日本人2人をリーダーに、じっくりと冒険者を育成している。
円丈和尚さんは組織化に非常に苦労した。
それは宗教法人という特殊性のせいだ。
法人としての妙蓮寺にこのダンジョンの所有権はある。そしてその法人の責任者は住職である円丈和尚だけど。
法人を所有しているのは、彼個人ではない。
ここが難しい。
和尚に経営権はあるが、それは檀家を無視しては全く成り立たない。
そして、檀家にだって欲はある。
例えば寺が個人の持ち物であり、僧侶が妻帯して子供に跡を継がせる宗派もある。こういうのはわかりやすい。寺の土地は住職の土地だからだ。
一方、僧侶に妻帯を認めず、聖人のように、いやまあ聖人なんだけど、現世を生きる宗派がある。
和尚の宗派はこれに当たる。
和尚は最初ウチに来たとき、本山の一部から、ダンジョンから莫大な利益を得ているウチの仕組みを学ぶように言われてきていたそうだ。
そして、檀家総代達からもだ。
だが、もはやこの時点で彼は苦悩していた。
つまり、
「寺の敷地で恒常的に殺生を行っているのではないか」
という疑問が頭から離れない、と彼は言った。
自衛官達が我が物顔でのし歩き
「今日は何匹狩った」
といった話を喜々として住職の横を通り過ぎながらしているのを聞いて、彼は心を痛めていたのだった。
「俺は、あれは魔物だと思ってます。一定の時間が来たら、自動的にまた成長した姿で沸く生き物なんて、いませんよ?」
だから俺は住職にそういった。
「和尚さんの宗派にだって、退魔の記録とか、言い伝えとかありませんか? 俺は、これはそういう話だと思います」
俺の話を聞いて、和尚はずいぶん救われた、と、長い長いお礼の手紙をいただいた。
その後、檀家総代がらみの若い衆がうちに来て、自衛隊を追い出し、自分たちでダンジョン討伐を始めたそうだ。
彼らは、魔石を買い取る商社に魔石を卸しているが、あまり寺には金を持ってこないようだ。
護持会という組織が寺にはある。
寺は宗教団体として存在するが、護持会はただの任意団体だ。
彼ら檀家はそっちで寺には金を入れてるから、この寺は俺たちの財産だ、という考えでいるようだった。
当然、本山としてはおもしろくない。
お寺という施設には大変な維持費がかかる。
壁が破れたら補修し、屋根が破れたら修復する。
その金は、檀家や信徒から集めたり、もしくは葬儀で布施を得ているわけだ。
「もう疲れてしまいました」
和尚はぽつんと、俺に言った事がある。
俺にはどうしようもない。
俺には、うなずく事しか出来なかった。
まあそんな事があって、俺たちは和尚さんと面識があるこのお寺に、ウチのダンジョンで溢れた訓練中の医療関係者を連れてきたのだった。
お寺の宿泊収容人数は100人ほどが限度なので1チーム80人として3チームのローテーションとし、残りは近隣の旅館に分けて宿泊。
午前チームは宿に帰り午後は自由時間。午後チームは寺に宿泊し、残り1チームは翌日午前まで自由時間。
といったローテーションで、可能な限りダンジョンでの探索時間を稼ぐ方針で潜る事にしている。
俺と沙織、ケイティのほかに、6人の<リザレクション>使いを連れてきて、それぞれのチームの指導者とした。
ダンジョンに潜る費用として寺に1人1回10万円。宿泊する80人プラス指導者3人も、一泊10万円を支払う。
つまり、ヤマギシが滞在する限り一日2500万円の金がお寺に入る。
予定ではひとつきは滞在するつもりなので、それだけで7億5千万円が寺の臨時収入になる勘定だった。
その代わり、ウチとしてはダンジョン内のドロップ品は全て自前で換金処分させてもらう。
俺たち3人が担当の日に15層まで潜れば、おそらくそのくらいの金は元が取れると思っている。元なんか取れなくても良い、とも思ってる。
本当に大事なのは、このメンバーの魔法習熟だし、ドクターチームの<リザレクション>習得なんだから。
心配なのは、檀家総代とその取り巻きの冒険者達だ。
なんか嫌がらせとかしてこなければいいんだが。
ところで。
普通、宿屋というのは「80人が日ごとに顔ぶれを入れ替えて泊まる、などというシステムになっていない。
俺たちは悩んだあげく、法人としてのヤマギシが研修としてひとつき貸し切る、という形で宿を押さえて回った。
幸い、100人規模のホテルが数軒あったので、その条件で受け入れてもらえないかを尋ねて歩いた。
すでに予約があってもその分の保証までこちらが負担し、代替宿の手配もこちらでするという条件で納得してもらえるところが2軒見つかった。
事前予約をして楽しみにしていた人たちには申し訳ないけど、ウチとしては土肥でなければならない理由があるので、土肥のよそのお宿か近隣の戸田とか仁科とか宇久須とかで手を打ってもらわざるを得ないんだ。
まあそんなこんなで苦心しつつ、俺たちは夏の合宿計画を起動したのだった。




