第五章 嘆きの森 part3 (休息)
怯えたように身をよじらせる琴子。光牙はじろっと視線を送ると面白がるように笑った。
「そうだとしたらどうする?」
「……いまさら悲鳴をあげても無駄ですかね……?」
わりと真剣な顔つきで琴子。その態度を目にして――光牙は疲れたように嘆息した。
「安心しろって。そんなつもりなら、さっきの場面でオマエを投げつけたほうが早いだろ?」
「まあ、そうですケド……でもセンパイはあの魔獣さんを人間に戻したいんですよね?」
そう首を傾げる琴子に、光牙が呆れたように片手を放った。
「忠孝さんの話はオマエも聞いてたろ。獣滅因子者とやらを犠牲にしたところで魔獣は必ず助かるわけじゃないって。下手すりゃ二人とも死んじまうし、よしんば治ったとしても代わりにオマエを犠牲にしちまう。そんな分の悪いだけのギャンブル、誰が好き好んでするかよ」
「だったら、どうするつもりなんです……?」
光牙はすっかりボロボロになった上着を脱ぐと、それを琴子に羽織らせた。ついでにポケットに放っていたニット帽を頭に被せる。
そして琴子の問いかけには答えず――じっと暗闇に目を凝らした。冷たい風が森を駆け抜けていき、揺れる葉っぱが森中をそっとざわつかせている。
(結局のところ怪しいことだらけなんだ……そもそも静音はどうして脱走なんかできたのか……まず考えるべきはそこのはずだ――)
光牙が自問する。
(いくら藤堂先生が老衰したからって、そんな間の抜けたミスをするわけがない。それに静音が優秀だとしても……あの先生を相手に出し抜けるほどには思わない――)
「センパイ……?」
きょとんとして琴子。その声で逡巡していた光牙の意識が現実に引き戻される。
「あ、ああ……」
そううろたえてから、光牙はほったらかしていた琴子の質問のことを思い出す。
「ひとまず俺たちのやるべきことは――この霧が晴れるまで逃げ回っておくってことだ」
「……それって答えになってないような……。魔獣さんをどうするつもりか聞いてるんですケド……」
「さてね……それはやってみないとわからないことだからな――」
まだ確信の持てない話をすべてさらけだすつもりはない。そうして光牙は適当に答えをはぐらかすと――今度はすっと瞼を閉じた。
神経だけを周囲に張り巡らせて、それ以外の余分な感覚をゆっくりと休ませていく――
じつをいえば光牙はずいぶんと疲れていた。じっと動きを静止して、肉体の隅々に疲労が蓄積しているのがよく分かる。原因は明らかだった。ここ数日、獣化をする機会があまりにも多かったのだ。人間の状態でいるより遥かに強力な動きを実現できる分、獣化は著しく疲労を伴う。
「センパイ……疲れてるんですか……?」
「多少な。悪いんだが――少しだけ休ませてくれ。すぐに起きる」
「それは構いませんケド――大丈夫なんですか、こんな場所で……?」
そう頷きながら琴子が不安そうに夜の森を眺める。
「問題ない。なにかあったら俺が起きる。おまえは安心して寝てればいい。まあ起きていたいなら、そうしてくれても構わないけどな」
「うへー……眠れるといいですケド……」
おそらく野宿は初めての経験なのだろう。だが、彼女にふかふかのベッドを用意してやるような余裕はもちろんない。
(――少しでも力を蓄えておかないといけない。静音と対峙する以上は……)
これからの目論見を頭に思い浮かべて、光牙は静かに眠りについた。




