第四章 魔獣 part10 (絶好の機会)
藤堂の老衰。まるで予期していなかった事態に光牙が愕然としていると――そこにちょうど彼らは現れた。
「先生!」
「センパイ!」
それらの声はほとんど同時に聞こえた。見上げた先には忠孝と琴子の姿――おそらく屋敷から戻ってきたばかりなのだろう。空から地上に琴子を降ろすと、忠孝はすぐさま藤堂に駆け寄った。
だが老人は歓迎しなかった。
「忠孝……なぜ戻ってくる……!」
「……先生を放っておくことなんて……できません――」
そのやり取りだけで光牙は察した。忠孝は事情を知っていると――
「貴様……それが共生特課のする行動か!」
藤堂が叫ぶ。そして次の瞬間――忠孝の端正に整った顔を藤堂の拳が容赦なく貫いた。
骨同士をぶつけ合う鈍い音――長い金髪を揺らして、忠孝の上体がわずかにのけぞる。もしも藤堂が全力をこめられる態勢だったならば、そんな威力では済まなかったろう。それくらい藤堂は煮えたぎった怒りを露わにしているように見えた。
それでも忠孝は意見を曲げない。歯がゆく表情を歪めてさらに続けた。
「だからこそです。先生は――藤堂総十郎は絶対的な英雄なんです……人獣族全体のため失うわけにいかない」
「……ふざけるな。すでに死人が出ているんだぞ」
「皆、覚悟の上で臨んでいたことです――」
「……もういい。どけ。貴様と問答している暇はない。私はさっさと奴にトドメをささねばならん――」
藤堂はだれよりも理解している。驚異的な再生力を誇る魔獣を相手にして時間を置くことは失策でしかないことを――
そして魔獣の狙いはただ一つ――呼吸を荒ぶらせて、ぐるりと回転させた緑色の眼球でそれをじっと見つめている。そういった殺意のこもった視線を向けられているとも知らず――未だ寝間着姿のままでいた琴子は慌てふためいた様子でその場におろたえている。
(そう。本当に倒すなら……今なんだ――)
仮にここで静音を見逃したとして――それで彼女が元に戻るわけではない。そうなれば魔獣は傷を癒して再び琴子を狙うだけである。そうして、いつまでも応酬は終わらない。どちらかが滅びなくてはならないというならば、光牙は確かに自分で手を下すことを望んでいる。そして魔獣の弱っている今の状況は藤堂の言うように絶好の機会である。
しかし、それでも――――
光牙にはどうしても腑に落ちないことがあった。そして、その考えを捨てきれずにいる。
(……どうするべきか……)
迷いを煽るように白い霧があたりに深まっていく。視界が霞み、周囲の景色がもやに包まれていく。
(いや……考えている暇はない。やるか、やらないか……ただそれだけのことなんだ――)
そして光牙は決意を固めた。




