二人の時間と、五十鈴川:こうへん
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そんな訳で「ぜんぺん」からの続きです。
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色々食べ歩いた二人は招き猫屋や工芸品店を冷やかしつつ、内宮へと向かう。
「しかし残念だ、赤福氷がまだなんて」
「ゴールデンウィークじゃまだちょっと早いっしょ。始まったらまた女子寮組から情報来るだろうから、また部の港一緒に来ましょうっす」
「それもそうだな」
赤福氷とは伊勢名物『赤福』の限られた店舗で期間限定で供されるかき氷の事だ。かき氷の中に赤福に使われる小餅とあんこが添えられ、御抹茶シロップが掛けられているという代物である。
女子寮生の中には必ずと言って良い程おかげ横丁でバイトする者が居る為、赤福氷が始まると冷やし中華始めましたよろしく、夕拝の際に『良いお知らせがあります! 赤福氷が始まりました!』と報告が為されるという習慣があった。その際には皆、嬉しさの余り拍手が沸き起こるのである。
ちなみに『赤福氷を一緒に食べに行きませんか』という台詞は愛の告白の暗喩として寮生の間で伝統的に使われている。『寮祭の花火を一緒に見ませんか』という台詞も同様の意味を持っているが、割とどちらも本気で使われているので、やはり寮は不思議が一杯である。
そんな話とは無縁の二人は、大鳥居の前で一礼し、内宮に足を踏み入れる。やはり参拝者は多いものの、混雑しているという程ではない。二人は手を繋いだまま橋を渡り玉砂利を踏み、じゃくじゃくと音を鳴らしながらゆっくりと歩いてゆく。
「あれ、手水場行かないんっすか?」
手水場の前で立ち止まろうとしたライジンの手をイズミが引いた。そのままさくさくと歩くイズミに、ライジンが首を傾げる。
「混んでるから。どうせなら川べりに下りて、五十鈴川で清めよう」
「ああ、なるほど」
二人は参拝者の進む列から外れ、開けた斜面を下りてゆく。少し進むと参道からも見えていた五十鈴川のたもとに辿り着く。しゃがみ込んで流れる清浄な水を掬い、手と口を清めた。
本来、この五十鈴川が参拝者が身を清める為の場所であった。今は手水場が設置されているので川に下りる者は少なくなったが、神職課程における神宮での実習の際などはこちらで身を清めるのが通例だ。手と口だけでなく腰まで浸かっての禊も実習や武道部では行われているが、そちらは特別な例なので一般人はやってはいけない。
清浄な気の漂う参道を玉砂利の音が満たす。タヂカラオの加護を持つイズミには神宮の気は心地良いものであるが、ライジンには少し居心地が悪い。それでもその程度の影響しか無いので、気のせい程度にやり過ごして何食わぬ顔で歩く。
白い石段を登り、二人揃って二拝二拍手一拝をする。やはりイズミの柏手の音はよく響き、ライジンは少しだけ肩を竦めた。
拝礼を終えて石段を降り、二人はまた参道を歩く。注連縄の掛けられた巨木を見上げ、ライジンはふうっと溜息をついた。
「こういうでっかい木を見ると、昔を思い出すっすね」
「……あの頃は、山の中を走り回ってたからな」
ライジンの視線を追ってイズミも呟いた。二人の手は繋がれたままで、あの頃とはすっかり逆転した身体のサイズに、ライジンは少し口許を緩めた。
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鴉の里の隣の集落にある神社の娘だったイズミは、幼い頃からタヂカラオの加護の力を発揮していた。落ちるライジンを受け留められたのもその力のお陰だった。
イズミはライジンと仲良くなり、いじめっ子達からライジンを守りながらもその真っ直ぐな気質のままライジンを鍛えた。ライジンには素質がある事を見抜き、力の使い方を教え、そしていじめっ子達に負けないよう心を諭した。
身体の小さかったライジンは生長するにつれ背が伸び体格も大きくなり、それに伴って自信も身に付けていった。術も上手くなり、翼も大きくなり、いつしか小柄なままのイズミを追い越し、里で一番の能力者となっていった。
それでも二人は幼馴染としていつも一緒だった。同じ小学校を経て同じ中学、同じ高校に進み、そして──初めての別れがあった。
「ライジン、私は伊勢の大學に行く事になった」
進路を親と話し合ったらしき高校三年の夏、いつになく落ち込んだそのイズミの顔を、ライジンは未だに忘れられない。一年間の別離は、二人にとってとても大きなものだったのだ。
「俺っちもその大學に行く! 絶対行くから!待っててイズミちゃん!」
「うん、……待ってる」
社家推薦枠で入れるイズミと違い、偏差値はさほどではないものの、倍率の異様に高い同じ大學に入る為にライジンは必死で勉強を舌。マニアックが過ぎる歴史の過去問に絶望しながらも何とか受かったのは、英語が出来たお陰だったのだと後から知った。
かくして離れ離れだった二人は一年を経て、再び同じ場所に立った。──先輩と後輩という、超えられない壁を感じながらも、それでもライジンはまた同じ時間を過ごせるという事実に幸せを感じていた。
「イズミちゃん!」
初めて大學のキャンパスで再会した日、そう声を掛けたライジンに、イズミは悲しそうな顔をした。
「……ライジン、私はもう先輩だ。私自身が良くても、ここは上下関係が厳しいんだ。ライジンが起こられてしまう、先輩って付けなきゃダメだ」
「……イズミ先輩」
少し落ち込みながら呟いたライジンの言葉に、イズミは首を振る。
「違う、ライジン。そうじゃない」
その言葉にはっとしてライジンは固まった。しばらくの沈黙の後、ライジンは再び口を開いた。
「……『イズミちゃん先輩』?」
イズミはにっこりと笑い、ライジンの手を取った。
「そうだ。それでいい。それがいい。ライジンにとって私はイズミちゃんだからな」
二人は嬉しそうに笑い合った。二人の時は再び、そこから動き始めたのだ。
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鳥居を出て一礼した二人は、再びおかげ横丁へと脚を向ける。
「イズミちゃん先輩、何か食べるっすか? 歩いたらまた小腹すいたっすね」
「そうだなあ、さっき食べたのはチーズ天だから、今度はいか天にしよう。ハーブの入ったクッキーも食べたい。ういろうも買おう」
「いいっすね、ういろう。明日のおやつにしようっす」
ぶらぶらと歩きながら喋っていると、イズミが不意に立ち止まり、ライジンの顔を見上げる。
「どうしたの、イズミちゃん先輩?」
「……あの、ライジン」
「ん?」
「二人だけの時とか家では、別に先輩って付けなくても、『イズミちゃん』でもいいんだよ」
言って俯くイズミに、ライジンは少し固まった。些かの無言の後、ライジンは笑って言った。
「その、外でも咄嗟に出ちゃったら困るから、今のままでもいいっす。それに」
「……それに?」
不意に見上げるイズミの瞳を見詰めながら、何でもない事のようにライジンは笑った。
「イズミちゃん先輩が卒業したら、その時にまた『イズミちゃん』に戻すから、それまで我慢する」
「……そうか。うん、そうか」
イズミの顔がぱあっと笑顔にほころんだ。嬉しそうに繋いだ手をぶんぶん振るイズミに、ライジンも声を上げて笑う。
「じゃあ、行くっすか!」
「うん!」
二人はまた揃って歩き出す。ライジンの歩幅は一人の時よりも少しだけ小さく、イズミの歩幅は一人の時よりも少しだけ大きい。今までもそうしてきたように、二人の歩幅はいつも同じだった。
爽やかな午後の陽射しが二人を照らす。澄んだ五十鈴の流れはきらきらと煌めき、心地良い風を運ぶ。
二人の時間が零れ落ちないように、ライジンはイズミの小さな手をぎゅっと握った。
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二人の過去とデート話、お楽しみ頂けたでしょうか。
ついでにおかげ横丁や内宮の話ももりもり盛り込んでみました。
使えない知識ばかりですが、神宮にお詣りの際は是非ご参考下さい。
神宮に関してはまたそのうち、寮生組の月例神宮参拝で取り上げる予定で、今回ちらっと話に出た赤福氷は今後皆で食べに行く話を書く予定です。
今回はこのように突発的な更新になりましたが、次はまた二章の続きの予定です。
それではまた今後とも宜しくなのです。
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