入寮祭と、恋しぐれ:そのさん
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ズシャッ、と周囲に派手な音が響いた。蹴りを入れられたナユタがもんどりうって茂みの中に倒れ込んだのだ。
「あ、つう……いてて」
三人の寮生に連れて来られたのは、いつも通っている誠道寮への林道だった。日も暮れかけた土曜の夕方、入寮祭をやっている今日は部活も無く、喫茶室も購買も閉店している。人通りは全くと言って良い程無かった。
いきなり腹を蹴り上げられたナユタは咄嗟に受け身をとったものの、小枝で肌を引っ掻き岩で肩をしたたかに打ち付け、その一撃だけで反抗する意思を失っていた。元々やりあうつもりは無かったが、ますますもって非暴力を貫く方針を心に誓う。
倒れたままのナユタに再度蹴りが入れられた。今度は脇腹だ。手心を加えられているのかはたまた力が弱いのか、幸いにも我慢出来る程度の衝撃だ。
「気にくわないんだよ、お前よ」
投げられた言葉にナユタが見上げると、最初に肩を掴んできた男だ。取り敢えず口を挟まずに、言い分を聞く事に専念する。
「お前みたいな目立たない奴が身分もわきまえずちゃっかりさあ」
「上手く取り入りやがってムカツくんだよ」
他の面子もそれぞれに暴力と罵声を浴びせ始める。何が言いたいのかと黙ったままナユタが聞き続けていると、その言葉は蹴りと共に放たれた。
「お前みたいな奴が、何でヒビキ・ヒトミと親しげに話してんだ! ああ!?」
ドスッ、と鳩尾に爪先がめり込んだ。ああ、とナユタは納得する。
こいつらは、ナユタにヒトミが親しげに話し掛けているのが気に食わないのだ。
ヒトミは良家の出身らしくいつも上品な立ち居振る舞いで、可憐なその姿は『令嬢』と呼ばれ憧れられている。二回生の中で一番の美人と名高く、しかしその事を鼻に掛けるでもなく誰とでも明るく接し、同級生はおろか先輩や後輩にもファンは多い。
そんなヒトミと特に親しく接しているのが神話伝承研究会の面々で、中でも同級で年齢も同じであるナユタとは顔を合わせる度に言葉を交わす間柄だ。だが、それを妬む者がいるという事を意識していなかったのはナユタの失態であった。
「話し掛けられてイイ気になってんじゃねえぞ、コラ!」
何度も蹴り付けられ息が詰まる。う、と痙攣する胃を必死で抑え、ナユタは幾度もの攻撃に耐える。自然と丸まる身体に、腹以外にも蹴りが加わる。
眼鏡が壊されるのだけは避けねば、と思ったが彼らはどうやら顔には攻撃を加えるつもりは無さそうだった。専ら一見して判らない腹などを中心に蹴っているあたり、少しは場慣れしているようだ。かと言って喧嘩慣れしているという程のやり手には見えないが。
「僕が悪かったよ。ごめん、許して」
出来るだけ攻撃を受け流しながら口だけの謝罪を投げてみる。根が深い訳では無さそうなので、取り敢えず謝って気が済むまで殴らせれば満足する筈だ、という魂胆だ。このままならば大した怪我も負わずに済ませられるだろう。
「──わかりゃいいんだよ、わかりゃあ」
案の定、リーダー格の男はナユタの謝罪に満足したようで、蹴る殊に飽きて唾を吐いた。もう一人も最後に肩口を蹴ると、それで許してやる、と吐き捨てる。
「あーあ、つまんねえ。もう行こうぜ」
そんな台詞にやれやれとナユタが顔を上げると、彼らが背を向けて去ろうとしている処だった。少し痛む身体を起こしてナユタも立ち上がろうとする。
──と、三人の内の一人が不意に、ピタリ足を止めた。
「……おいどうしたよ?」
付いて来ない仲間に気付き、振り返った二人が声を掛ける。しかし立ち止まった男は反応もせずに、ゆっくりと、ゆっくりとナユタの方へと向き直る。
まるでそれは、錆びて軋んだ機械のようなぎこちない動きで、そしてその顔からは表情が抜け落ちているかのような。
立ち上がる途中のナユタが中腰のまま固まった。目が合ったそいつは、無表情のまま硝子のような瞳でナユタを映している。ナユタはその中に、人ならざる者の影を見た。
息を飲んだ。──瞬間、そいつの身体中から黒い瘴気が炎の如く溢れ出す。
「──逃げろ! 早く! 走れ!」
ナユタが叫ぶ。目の前で何が起きているのか認識すら出来ていなかった二人が、ナユタの声に弾かれたように叫びを上げ、転がるように逃げ始めた。
舌打ちをしながら素早く符を取り出し、ナユタは柏手を打った。目撃者がいるのは厄介だが、考えるのは後回しだ。幸いにも素直に逃げてくれたお陰で、こちらとしては何とか動く事が出来る。足手纏いを守りながら戦うなど、考えただけでもぞっとしない。
ナユタの姿が水色の燐光に包まれ、戦闘装束に変わってゆく。更に袂から取り出した符を投げ上げて手を打つと、符は蝶の如く舞い四方に散って、適度な大きさの結界を作り出した。
「これで一安心。……さて、取り憑いているのは何かな。姿を見せて貰おうか」
指先から放たれた符は鳥のように羽ばたき、燐光を撒きながら黒い瘴気を裂いて飛ぶ。直ぐに燃え尽きてしまうもののその隙間に照らし出された姿は、幾つもの動物の影がひしめき絡み合っているように視えた。
瘴気を裂かれるたび苦しげにそいつは唸り、一瞬の後に更に大きな瘴気の炎を噴き上げる。不定型の影は入れ替わり立ち替わり姿を変え、その正体は掴み所が無い。
「動物やら何やらの集合体ってところかな。負の感情に惹かれて集まったか、それとも……ずっと溜め込んでいたのかな」
ナユタは悲しげにそれを見た。彼は誰だったろうかと記憶を辿る。確か教育学科の、そう確か南寮八班だったかな、……ああ、そうだ彼は成瀬君だ、ナユタは彼の面影をその瘴気の裏に見出そうと唇を噛んだ。
覆い隠された黒い炎の中、煤けた彼の顔が黒い涙を流すのをナユタは確かに感じ取った。苦悶の声は咆哮が重なり、怨嗟の声となって迸る。だが彼の声は確かに──悲しみを口ずさんでいた。
「……成瀬君、助けてあげるよ。ちょっと荒っぽいかも知れないけれど、僕は君を助けるよ」
ナユタは次々と襲い来る瘴気の矢を狩衣の袖で払いながら、ニヤリと笑んだ。数枚の符を取り出して柏手を打ち、簡易な浄炎の盾を作り出す。
「実は丁度、試してみたかったものがあるんだ。出来たばかりの試作品でね」
盾の陰でナユタは広い袖からそれを取り出した。長い銃身のような細い筒の先からポタリと何かを垂らすそれを構え、両手でしっかりと握りつつトリガーを引いた。
途端、激しい燃焼の音を伴って浄化の炎が噴き上がる。ノズルから放たれるエネルギーの噴射により伸びた炎はボタリボタリと火種を落としながら、長い剣の如くゴオォと広がり空を焼く。
「火炎放射器ってカッコイイと思わないかい? 僕、ずっと憧れてたんだよね」
炎に恐怖の悲鳴を上げる影達を眺めながら、ナユタは楽しげに、本当に楽しげにニッコリと笑った。
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続きます。
火炎放射器とかイカレてますね。自分も大好き。
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