ヤニ中毒と、寮のメシ:ぜんぺん
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新歓コンパの後日談、罰ゲームの話です。
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「手が、震えンだけど」
そうぼそりと言ったカラハを見遣り、ハァ、とナユタは大きく溜息を零す。
「どれだけヤニ中毒なんだよ。もう禁断症状出てるとか、カラハほんとヤバすぎでしょ」
それは一時限目が終わった後の休憩時間のことだ。本日は月曜日、つまり新歓コンパの勝負で決定した罰ゲームの執行日である。
カラハはこの日、翌朝の起床時間までの丸一日を煙草抜きで過ごさなければならない。それは大した事の無いもののように思われたが、実際にやってみると既にニコチン中毒の域であるらしいカラハにとっては、拷問にも等しい罰となっているようだった。
「何なら、これを機にいっそ禁煙してみる? 清い身体になってみる?」
「殺す気か。煙草吸えねェんだったらいっそ死んだ方がマシだ。むしろ殺してくれ。俺はもう穢れちまってるンだ、綺麗になんて戻れねェ身体なんだ」
意味不明の台詞を吐きながら頭を抱えて唸るカラハの背中を宥めるようにさすさすとさすりつつ、ナユタは半笑いである。心配はしている。しているのだが、勿論呆れてもいるし、何より面白がっているというのも真実だ。そうでなければ罰ゲームの見張り役など出来よう筈も無い。
「ホラ、ガムでも噛んで気を紛らわせるといいよ。ソフトキャンディと喉飴もあるよ」
「そういう問題じゃねェんだ、ああ、俺はなんて安請け合いをしちまったんだろう」
「はいはい、まだ時間はたっぷりあるよ、頑張ろうね」
「……馬鹿にしてンな? 絶対馬鹿にしてるだろ?」
「してないよ。面白がってるだけだよ?」
「畜生! チクショーー!!」
頭を掻き毟りながら机に突っ伏したカラハの背中を撫でつつ、ははははは、とナユタは相棒の不幸をこれでもかと笑った。
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ヘロヘロになったカラハ達が二時限目を終えて寮へと戻ると、丁度もう一人の敗者が罰を受ける為に寮を訪れたところだった。
「お、オウズ教授もちゃんと来たんスね」
「私が逃げるとでも思ったか。お前もちゃんと禁煙しているな? ズルはしてないだろうな?」
「……ズルしてたらもっと元気っスよ」
カラハはどこか力の入らない顔でハハッと吐き捨てる。その様子に満足したのか、オウズ教授はナユタの用意した来客用スリッパを履いて、尊大な態度で食堂へと足を向けた。
ちなみに教授が男子寮の食事を摂るのは昼食と夕食の二食分である。朝食は時間が早すぎる為に除外されたのだ。それに昼食と夕食だけで充分目的に適っていると男子寮組が判断したのも理由としては大きかった。
「ああ、お待ちしてましたよ教授。ささ、こちらへどうぞ」
食堂では寮生長を筆頭に、話を聞き付けた寮役達が丁重に教授を出迎えた。案内された一番奥の特等席に教授が腰を下ろすと、皆が本日の昼食のメニューを運んでくる。
「教授、どうぞ。これが本日の男子寮の昼食です」
「……うむ」
その日の昼食の献立は、八宝菜とチャーハンであった。トレイには深めの皿に盛られた八宝菜と、何故か大きめの椀に盛られたチャーハンが鎮座し、それに箸と薄い茶が添えられている。
見た目はまあ、普通だった。何故罰ゲームとしてカラハが寮の飯を指定したのかが未だに解らなかったが、教授は深く考えずにまずはその料理に口を付ける事にした。
「いただきます」
皆が見守る中、手を合わせてから箸を取る。無駄に熱いだけの白湯のような茶で唇を湿らせてから、まずは八宝菜の皿に手を着けた。
おや、と教授は違和感を覚えた。八宝菜とは言うものの、通常なら入っているであろうウズラ卵や海老が見当たらない。申し訳程度の豚肉の切れ端がチョロチョロと顔を出す。イカかと思って摘まんだものは白菜の芯である。これでは八どころか四宝菜ではなかろうか、と思いつつ少し摘まんで口に運ぶ。
「──う」
まず、自分の舌がおかしいのかと疑った。まるで味がしない。訝しんでもう一口、箸を進める。おかしい、味が無い。いや辛うじて薄い塩味はするのだが、通常味わえる筈の中華系のだしだのうまみだの何だのといった味が一切しないのだ。薄い塩味しかしない餡はどろりと生ぬるく、まるで鼻水を連想させその考えに教授の箸が止まる。
「どうしました教授。ホラ、ちゃんと食べて下さいよ」
向かいに座った寮生長はニコニコと、それはもう楽しそうだ。
教授は仕方無く再び八宝菜に目を落とした。それまでは海老やイカが入っていない事にばかり気を取られていたが、よく見ると野菜も酷かった。白菜の芯が多いのはまだ許容出来る。人参も普通だろう。が、何故キャベツの芯だのもやしだのが入っているのかが理解出来ない。通常入っている筈のキノコ類も見当たらない。味付けにも中華の風味が一切感じられない。
本当にこれは八宝菜だろうか。自分の中の八宝菜という概念が崩壊し始めるさまを教授はおぼろげに自覚していた。
「おやあ、教授は八宝菜はお嫌いでっか? チャーハンも食べて下さいよ、おかわり自由ですねん」
隣に座った風紀幹事の宮元がニコニコと話し掛けてくる。ベタベタの関西弁がどうもわざとらしく聞こえるのは、疑心暗鬼になっているせいだと教授は気を取り直した。
「そ、そうか。ならチャーハンを味わってみることにしよう。……ん? こいつは箸で食べるのか? 変わっているな」
教授は用心しながら、チャーハンという名の付けられた米料理を手に取った。何故か皿ではなく大きめの椀に盛られたそれは、本来ならあってしかるべきの香ばしい匂いは殆ど無い代物だ。
意を決し箸を差し入れると赤飯のようにごそりと塊が箸の上に乗っかり、ほぼ具の無いそれは口に運ぶともっちりとした噛み応えがあった。
おかしい。チャーハンとは炒めた米料理である筈なのに、どうして香ばしい匂いがしないのか。それにパラパラではなくしっとり系だったにせよ、こんな餅米を使ったおこわのような食感であるのはどう考えても不自然なのだ。本当にこれはチャーハンなのだろうか。
教授は箸を停めて周囲の皆を見回した。寮生達は揃って、にこにこと教授の様子を見守っている。無言のまま、教授は再びチャーハンを口に運んだ。
やはりもっちりと、いやむしろねっとりとしていた。炊飯ジャーに置きすぎた炊き込みご飯がこのような食感ではなかっただろうか、ふとそんな事を思い出した。
食感にばかり気を取られていたが、味もまた記憶の中にあるどのチャーハンにも当てはまらなかった。具の殆ど感じられないそれは、とても化学調味料の味がした。
教授はもう一度皆を見渡した。皆、笑顔のままに、目だけは笑っていなかった。教授は食器を置き、立ち上がった。
「……すまなかった」
寮監として頭を下げた教授に、誰も何も言わなかった。長い謝罪の後、再び椅子に座った教授に、笑んだままの寮生長が一言だけ告げた。
「残さないで下さいね」
教授は何も言えないまま、不味い食事を胃に流し込む作業に専念した。
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