ネームプレートと、一人部屋
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「……ちょっといいか」
カラハは押し殺した声と共にナユタの肩を掴むと、有無を言わさずナユタを部屋へ押し込み、自分も身体を滑り込ませて後ろ手にドアを閉めた。ナユタの部屋には人の気配は無く、二段ベッドもがらんとしたままだった。
「カラハ、どうしたの急に? でも困るよ、消灯後に他人を部屋に入れるのは──」
「いいからッ! 取り敢えず座れ、そンで俺の質問に答えろ、ナユタ」
「え、……わかったよ」
ナユタは何か言いたげだったが、カラハのピリピリとした雰囲気に気圧され、言われるがままに椅子に腰を下ろす。カラハも猪尻の物らしき椅子を勝手に引いてきて、ナユタの正面にどかりと座った。
「いいかナユタ、正直に答えてくれ。──お前はここで、誰と暮らしていた?」
「誰って。僕は二回生になってから誰とも一緒じゃない。ここは一人部屋だよ」
「そうか。じゃア何故この部屋には机が二つ在る? この荷物は誰のモンだ? 二段ベッドの上下両方に布団が敷かれてンのは何故だ?」
「それは……机が二つのままなのはどこの一人部屋も同じの筈で。荷物は自分のと、他の二人部屋の友人のを預かってて、布団は余ってたものを置いてるだけ……」
カラハの厳しい口調に、それでもナユタはぼんやりしそうな記憶を手繰りながら何とか答えてゆく。回答を聞くにつれ深く刻まれるカラハの眉間の皺に、ナユタは段々と漠然とした不安を覚え、それでもその正体は自身には分からないままだ。
「猪尻という名前に聞き覚えは?」
「その名前、さっきも言ってたね。知らないよ、そんな人」
それでもきっぱりと答えるナユタに、カラハは大きく溜息をつくと、勢い良く立ち上がった。そしてナユタにも立つように顎で促すと、不機嫌を隠そうともせず口を開く。
「ナユタ、この寮で術士とか能力に関わりがある人間てのはパパだけか?」
「うん。直接、活動に携わってるのはパパ寮生長だけだよ」
「そうか。ならお前はパパを呼んで来い、今すぐにだ。玄関の名前プレートがあるとこ、あそこで集合だ」
「今から? でも──」
「今すぐにだッ!」
苛立ったカラハの声に、ナユタは思わず息を飲む。そして、わかった、と小さく呟くと表情を強張らせたまま部屋を出て行った。
カラハは舌打ちをしながらがりがりと頭を掻き、少し乱暴にドアを閉めた。表向きは静かな、しかし囁き声の散らばる廊下を歩きながら、取り出した煙草を咥えフィルターを噛む。
カラハの見たところ、部屋には何の痕跡も感じられなかった。何らかの術が使われたならば、どんなに隠そうとも少しは、残り香のようなものが感じ取れる筈だ。自分が感じずともナユタが気付く事だって有り得るだろう、
だがナユタは知らない内に術に掛けられ、歪まされた記憶を疑おうともしていなかった。それはつまり、──ナユタなり部屋なりに直接術が掛けられたのではない、という事だ。
ならば一体どうやってナユタの認識を歪ませたのか。いや、ナユタだけではない。猪尻が居ない事に誰も思い至らない状況から察するに、効力は寮全体に及んでいると考えるべきだろう。それだけではない、猪尻以外の寮生にも同様の事が起きている可能性があった。
──カラハの考えが正しければ、今から行く場所に何らかの手掛かりが有る筈だ。はやる気持ちを抑えながら、カラハは玄関への道を急いだ。
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パパ寮生長ことタカサキ・ワタルがナユタと共に玄関ロビーに到着すると、先に来ていたカラハが缶コーヒーを飲み終えるところだった。自動販売機の明かりに照らされた横顔は厳しい表情で、カラハは底に溜まった残り僅かの滴を呷って飲み干すと、据え付けられた缶瓶専用のゴミ箱に缶を投げ入れた。
「……何か、分かったんですかね」
トレーナーにソフトデニム姿の寮生長が静かにそう問うと、カラハは不機嫌な表情のままプレートの並んだボードを指し示した。パパとナユタは揃って名前札に視線を走らせる。
「何か、変わったところは無ェか。何でもいい」
二人はぼんやりとした薄明かりに照らされた名前札を見る。パッと見ただけでは何も不自然さは無いように思えた。しかし少しだけ表情を曇らせた寮生長が、悩むようにぽつりと漏らす。
「……一人部屋って、こんなに、多くありましたかね……?」
パパの言葉に再度名前札を見るナユタの目には、ぽつりぽつりと一枚だけしかプレートの掛かっていない部屋の空欄が映っていた。黒いボードに並ぶ白いプレートの隙間で、ナユタの名前の隣にもある空欄は、ただ黙って光を吸い込んでいる。
そこは最初からそうだっただろうか。片手ではおさまらない程の一人部屋の数、提示された疑問に違和感が頭をもたげる。
ナユタは静かに瞳を閉じ、そっと深く、深く息を吐いた。
尊敬する祖父の言葉が心に蘇る。『──目に映るものだけを信じるな、物事の裏をきちんと視ろ。まやかしは常に現実を狙っている。信じるな、疑え、幾重にも重ねられた嘘の先にようやく真実はある。──』
ナユタは静かに瞳を開いた。心は、凪いでいる。無意識にやるべきことを成そうと、自然と腕が上がり、柏手を打つ為に合わせた手が、関節一個分だけ右手をずらす。
「──ストップ」
瞬間、カラハの大きな手がナユタの手首を掴んだ。抗議をするようにナユタの視線がカラハを刺す。しかしカラハは意にも介さず、掴んだ左手を離さぬまま、ニヤリと笑んだ。
「こんな夜中に柏手打って朗々と祝詞奏上する気か、バカ。バトンタッチだ」
そしてまだ空中に残ったままのナユタの右手の平に、自分の右手を合わせるのだった。
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柏手を打つ時には、両手をピッタリ合わせた状態から関節一個分ぐらい手をずらすと、綺麗な音が出ます。右手を下げる事が多いです。
一度お試しあれ。
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