36 波紋
《三人称視点》
「なんだこりゃあ……こんなんあるか!?」
男がデスクに両手を叩きつけると、その上の書類の束が舞い散った。追加の書類を持ってきた女性は、怒鳴られて肩を竦めた。
「先月からで20件だぞ! しかもすべてが、見つかっていない! ちゃんと探してるのか!」
女性は屈んで床に落ちた紙を拾い集めた。
行方不明者届……いわゆる、捜索願である。
彼女の属する湯水警察署生活安全課では、平均で年間約50の行方不明者届が受理される。通常であれば、そのうち半分以上は数日以内に発見される。
今回のように僅か一ヶ月で20もの行方不明者届が出され、そのうちひとつも見つかっていないなどということは前代未聞と言っていい。
「落ち着け、渡会警部補。彼女に言っても仕方あるまい」
「署長、しかし……」
「君が膝を悪くして現場に出れないもどかしさも分かる。自分が動ければと思うのも無理はない。……だが、事はそう単純ではないようでな。これを見たまえ」
いつのまにか近寄って来た署長が示したのは一枚の紙切れだ。
虚をつかれた渡会警部補はそれをなんとなしに眺め……次の瞬間、血相を変えた。
「まさか、全国でですか!?」
「そうだ、これで君の主張していた組織犯罪の線も薄くなったな。どうやら本庁の方でも対策本部が置かれるらしい。さしずめ、『全国同時多発失踪事件対策本部』と言ったところか」
「一体、何が起こってるって言うんです? こんな、日本中で……宇宙人に攫われたとでも言うんですか!?」
「ならいくらかマシだったかもな」
署長は深い溜息を吐いた後、絞り出すような声を出した。
「……ダンジョン、だそうだ」
ーーー
《笠木詠介視点》
あれから1週間。
自室で目覚めた俺はベッドから降りて体を伸ばした。窓の外からは雨音が聞こえる。梅雨真っ只中だ。
部屋着のTシャツと短パンをベッドに脱ぎ捨て、椅子に引っ掛けてあった制服に着替える。着替えは早い方だ。
着替えながら現状を頭の中で反芻する。起床後すぐにこれを行うのは最早ルーティンとなっている。
真帆はロックドラゴン以来何かが吹っ切れたのか今まで以上に飛ばしている。
……かなり無茶なことをするのでハラハラしてしまうのだが、それを指摘したら「あなたに言われたくない」と言われてしまった。
俺としてはそんなに無茶をしているつもりはないのだが、彼女から見ると同じように見えているのだろうか。
新しく手に入れたスキル、白河の成長、魔剣などのアイテムの充実により地下7階、8階をトントン拍子に踏破できた。いつになく順調と言える。
いや、順調でもなかったな。特に地下8階のボス、ビホ……土下座ェ門(仮)はエグかった。思い出したくもないので思い出さないことにする。
もう一つ特筆すべきはマップやインベントリなどの機能がスマホを通さず使えるようになったことだ。
データベースで調べた時、『ダンジョンアシスタント』の項目には『ダンジョンシステムの補助を行う』と書かれてあった。
裏を返せば補助がなくても使える、ということだ。
そう思って練習すると、かなりコツが必要ではあったが使えるようになったのである。特にインベントリは戦闘においてかなり役に立つ。
データベースは無理だが、これはまだいい。
メッセージの方は是非無手で使いたいところだが、今のところ無理のようだ。残念。
俺が制服に着替えて階段を降りると、ダイニングテーブルには食パンがデン、と置かれている。しかも一斤。
いつもの事だ。
母は早くからパートに出ているし、父はフレックス勤務なのでまだ寝ている。
俺は慣れた手つきでナイフを使って食パンを切り、トースターに放り込む。
トーストを齧りながらテレビをつけ、情報番組にチャンネルを合わせた。画面端には手書きのような字体の見出しが出ている。
『ダンジョンの謎に迫る!』
……朝っぱらからコレか……
ダンジョンについて街頭インタビューをしているらしい。
映像ではモザイクをかけられた高校生と思しき男が、ダンジョンに入ってモンスターと戦ったと熱っぽく語っている。本当かどうか、【解析】は映像越しには効果がないため分からない。
そいつによるとダンジョンはゾルタクスゼイアンというところにあるらしい。どこだそれは。あとでスマホの音声アシスタントに聞いてみよう。
学校でも聞いていたが、恐ろしい勢いで噂が広まっているようだ。テレビで語られるほどに。
なんでも全国で多発している失踪事件と結び付けて考えられているらしい……多分、正解だろう。
まだギリギリ噂の域ではあるがダンジョンの実在が確認されるのも時間の問題だ。あるいは、国の方ではかなりの部分を把握しているのかもしれない。情報規制されている可能性はあるな。
テレビのインタビューは首都圏で行われている。この辺りだけではなく、全国的にダンジョンが発生しているのだろうか。
果たしてこれからどうなっていくのか……
だが、考えても仕方ない。
今の俺にできることは『原初の迷宮』を攻略して構築者に詳細を聞くことだけだ。
朝食を終えた俺はいつものように歯を磨いて顔を洗い、傘を引っ掴んで玄関のドアを開ける。
今日の放課後は地下9階の攻略だ。
気合いを入れていこう。




