切腹
「な、何と!」
佐久間源八は目の前で何が起きたのか、理解出来なかった。
亡き殿の敵が、何故腹を切るのか?
相馬甚兵衛も、宍戸小平次もまた呆然としていた。
どうしたらよいのか、考えが纏まらない。
源八を見て指示を仰ごうとするが、その源八が呆然としている。
「何を呆けておるかっ!」
怒声が響いた。
見届け人の与五郎である。
「介錯を! 介錯を致せ! 早うッ!」
源八は見届け人の頬に涙が伝っているのを見た。
その男は源八の背中を叩く。
いや、蹴飛ばした!
「吉右衛門が覚悟を無碍に致すな! 早うッ!」
そして見物人の中でも揉み合いが起きていた。
お江が、暴れていた。
弥助、治五郎、弥平次の三人がかりで飛び出そうとするのを抑え込んでいた。
「放せッ! 放せーーーーーッ!」
「お江! 後生じゃ!」
「堪えてくれッ!」
弥助と治五郎はお江に引っ掻かれて傷だらけになっていた。
弥平次は何度も脚を蹴られているようだ。
「・・・介錯・・・頼むッ!」
「お主等がやらぬなら、儂が!」
源八の目の前で与五郎が刀を抜く。
それを見て源八も我に返った。
(やらせては、ならぬ!)
吉右衛門を、斬る。
それが例えどんな形であっても、他人に譲るなどあってはならない!
「フンッ!」
源八の刀が一閃。
吉右衛門の首元に吸い込まれていく。
源八にはどこか、夢の中でいる心地になっていた。
同時に苦い思いもある。
その理由は分からなかった。
弥助も、そして弥平次もお江を放していた。
お江の体は力が抜けてしまっている。
最早、吉右衛門はその命を散らせてしまっているのだ。
治五郎だけがお江の体に抱きついて、許しを乞うように語り続けていた。
そんな治五郎もまた、号泣していた。
治五郎は呼子衆の中で最も吉右衛門と友誼を深めていたのである。
・・・呼子衆は獣か化生の如き存在の筈なのに。
「・・・終わったぞ、お江。それに治五郎」
「「・・・」」
吉右衛門の亡骸が与五郎の手で清められている。
釈真和尚の読経が周囲を駆け巡っていた。
見物人には一切、言葉がない。
皆、手を合わせ拝んでいた。
「・・・山右、いや、吉右衛門様を送らねばならぬであろうが! 立て!」
「「・・・」」
そう言う弥助の目にも僅かに涙が浮かんでいた。
情けない、と思う。
自分にも人間である部分がまだ残されていたのか、と驚くばかりであった。
お江も治五郎も、手を合わせ吉右衛門の亡骸を見送った。
どこからか上ノ馬場にカラスが鳴き始めていた。




