仮屋にて
佐敷宿を出立して二日後、島津吉貴一行は薩摩国に入っていた。
先触れは前日に野間之関に到達、丸山与五郎達が出迎えたのであるが・・・
直訴の一行がいる、との知らせに彼等は困惑していた。
それ以上に問題なのは吉貴に直訴したのが上杉家の者達だったことである。
与五郎には心当たりがあった。
・・・今更、寺坂吉右衛門の存在を島津家当主の吉貴に隠し立てするつもりはない。
吉貴に問われたら答えるのみである。
上杉家の者達の目的は何か?
それはもう与五郎には明白であった。
寺坂吉右衛門の命であろう。
出水郷では山右衛門で通しているが、それを吉貴に強いるのはまず無理である。
(・・・ここは包み隠さず申し上げるのが得策であろうが・・・)
そもそも、吉貴は嗣子として長く江戸屋敷で過ごしており与五郎とも知己なのだ。
与五郎は吉貴がどういった反応を示すのか、手に取るように分かる。
上杉家の者達が吉右衛門を仇討ちの相手であると吉貴に訴えたとしたらどうなる?
吉貴ならば仇討ちを望む武士の請願を認める公算は高い。
薩摩隼人の風土にも合致する。
(・・・何も起きなければよいのだが)
与五郎が気にしているのはお江であった。
最近、吉右衛門と親しくしているのである。
吉右衛門の仲介で与五郎とも打ち解け始めており、父親として嬉しい限りであった。
子供達もお江に懐いて一緒に剣の稽古をしている様子は見ていて微笑ましいほどである。
・・・その鍛錬は与五郎の目から見てもかなり厳しいが、子供達は喜々とした様子であった。
いい傾向なのだ。
出来たら波風が立たぬよう、このまま日々が過ぎていって欲しかった。
(・・・取り急ぎ吉右衛門は釈真和尚に預けておくか)
既に吉貴一行は国境を越えているだろう。
野間之関から善光寺はすぐの距離である。
与五郎は同僚に後を託して行動を開始していた。
「久しいな、与五郎」
「・・・ハハッ!」
「今日は仮屋に逗留致す。今宵は酒に付き合って貰うが・・・」
野間之関に駕籠が到着、中から吉貴が顔を見せていた。
その吉貴の視線を受けて共頭が懐から書状を取り出した。
表書きには「下」とある。
直訴状であった。
「面倒とは思うが上杉家の者と申しておる三名、関所にて留め置くがよい」
「・・・ハハッ!」
「直訴は与五郎が改めよ。その後に話を聞かせて貰おうか」
「・・・委細、承知」
さて、困った。
吉貴にどう報告したらよいだろうか?
・・・最悪、上杉家の者達に消えて貰う選択肢も考えねばなるまい。
与五郎は吉右衛門の命を差し出すような真似は避けたい所であった。
出水郷、麓の武家屋敷が立ち並ぶ中に仮屋がある。
普段は地頭の代官が執務を行う場所だが、今は島津吉貴一行の本陣と化している。
日が沈み周囲は篝火に照らされている。
・・・与五郎は気が重たかった。
江戸屋敷にいた頃、吉貴には何度か無理難題を命じられたことがある与五郎である。
「与五郎、近う寄れ」
「・・・ハッ・・・」
その部屋には近侍の者はいなかった。
どうやら事前に人払いをしていたようである。
だが隣の部屋には人の気配がする。
・・・こればかりは致し方ない。
与五郎は覚悟を決めていた。
吉右衛門のこと、上杉家の者達のこと、その全てを話す。
その上で責を負うつもりであった。
(・・・このお方のことじゃ、困ったことになりかねぬ・・・)
与五郎の危惧は我が身のことではなかった。
吉右衛門のこと、それに尽きるのであったが・・・
その危惧は意外な形になってしまうのである。




