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最後の四十七士  作者: ロッド
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直訴

「・・・来たぞ」


「うむ。では明日、手筈通りじゃ」


 佐久間源八、相馬甚兵衛、宍戸小平次の三名は薩摩街道の宿場町、佐敷宿に来ていた。

 熊本藩にあるこの宿場町は交通の要衝であり、島津家が参勤交代する際には必ず通過する場所でもあった。

 島津家の参勤交代は最も過酷な道程になる。

 江戸時代初頭には大阪まで船を使うこともあったが、江戸に遅参しかける事例が度々あった。

 以降、陸路を用いるようになったが、江戸と鹿児島を往来するのにほぼ二ヶ月を要するのである。

 その費用は莫大なもので薩摩藩政の大きな負担となっていた。

 今回の島津吉貴の大名行列は約千五百名に及んでいる。

 佐敷宿の旅籠や木賃宿だけで受け入れるのは無理があった。

 それ故に先触れの三百名ほどが水俣の宿場町である陳町に先行している。

 ただ、吉貴は佐敷宿の本陣に宿泊するのは確実である。


(・・・吉貴公に直訴するならば本陣から出発した直後がよかろう)


 佐敷宿には肥後藩細川家の官吏の目もある。

 直訴も作法に従って行えば斬り捨てられることもあるまい。

 例え上杉家と島津家が疎遠であったとしても、である。

 源八達はそう確信していた。

 問題は直訴したとして無視された場合だ。

 そうなると最早、源八達に残された手段は殆どなくなる。

 江戸、大阪、博多で島津家御用達の商人に紛れて薩摩国に入国する試みは全て断られているのである。

 後は関所を通らずに抜けるより他なくなる。

 それは死を覚悟せねばならない悪手でもある。


「甚兵衛、小平次。よいか? よいな」


「勿論でございます」


「亡き殿の無念、晴らさぬうちは死ねません」


 源八達にはもう後戻りは出来なかった。

 これが最後の機会と思い極めていた。

 上杉家に戻る時は寺坂吉右衛門の首を携えて、その覚悟である。

 失敗したその時は、殿の後を追って腹を斬り詫びるしかない。

 そう誓っていた。



「申し訳ございません、殿。暫しお待ちを」


「・・・何事であるか?」


「どうやら直訴のようでして」


「・・・そうか、直訴であるか。こんな場所で奇異な話じゃ」


 本陣から出発して間もなく駕籠が止まると共頭から報告があった。

 直訴、と聞いて吉貴は考え込んだ。

 直訴が行われるのは珍しくない。

 吉貴自身、何度も直訴に直面したことがある。

 ただその多くは薩摩国内か江戸屋敷での話であり、肥後国でというのは初めてであった。


(・・・肥後の民からの直訴となれば面倒じゃの)


 肥後細川藩と薩摩島津藩は領地を接している。

 互いに財政状況は逼迫しており直訴は日常化していた。

 否、全国に目を向けると直訴はさほど珍しくない。

 江戸に至っては毎日のようにあると言ってよい。


「・・・何者であるか?」


「共の者が三度、押し留めましたが諦めませんでしたので身柄を拘束しておりますれば」


「・・・構わぬ、ここへ通せ」


「ハッ!」


 吉貴としては薩摩を目の前にして足踏みするのは避けたかった。

 肥後の民からの直訴となれば佐敷本陣に詰めている細川家臣に丸投げしたらよい。




「殿の御前である。控えよ!」


 無言で土下座する三名の武士は紋付き羽織に袴で正装していた。

 身なりから見て相応の武家に仕える者達と知れる。

 細川家の者か、と身構えた吉貴であったが共頭から意外な報告を受けることになる。


「・・・身元を改めました。上杉家の者とのことですが」


「・・・上杉家、じゃと?」


「・・・米沢藩、だそうです」


 おかしな話であった。

 米沢藩の者が肥後国にいる。

 それも島津家当主である吉貴に直訴、である。

 意味が分からなかった。


「・・・訴状は改めたのか?」


「・・・いえ、まだ。この場で改めますか?」


 吉貴としては悩ましかった。

 可能であれば無かったことにしてさっさと移動したくもあった。

 だが、面倒事をここ佐敷の地で抱えるのは避けたくもあった。


「・・・出発致せ。上杉家臣と申しておる者共は薩摩に入ってから詮議致せ」


「ハッ! では出水郷まで同行させまする」


 吉貴としては無視したくとも無視出来ない理由があった。

 米沢藩上杉家と島津家とは三十年以上前の遺恨がある。

 父の綱貴と継室であった鶴姫との離縁である。

 当時の吉貴はまだ幼く江戸屋敷の雰囲気でしか記憶にない。

 だが父からの遺訓で距離を置く相手であったのは事実であった。

 あの赤穂事件があってからは尚更であったのである。

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