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最後の四十七士  作者: ロッド
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懇願

 上杉吉憲の前に二人の武士が平伏していた。

 佐久間源八、相馬甚兵衛である。

 源八と甚兵衛は二月をかけて水俣から上杉家江戸屋敷に戻っていた。

 資金が心許なくなっていたからである。

 そして何よりも薩摩国に入る手立てを講じるためであった。


「・・・面を上げよ」


「「ハハッ!」」


 藩内では佐久間源八、相馬甚兵衛、宍戸小平次の三名を放逐すべしとの意見も数多い。

 だが吉憲は父の綱憲の無念は承知していた。

 なればこそ、かつての主君の無念を晴らすべく寺坂吉右衛門を追う家臣を無下に出来なかった。

 彼等と目通りするのはこれで四度目になる。

 その度に資金を与えていたが、上杉家の財政状況は変わらず苦しかった。

 上杉家は吉憲が家督相続して早々に幕府から普請を命じられており、その負担は未だに払拭出来ていない。

 事実上、彼等に資金を与えるのは吉憲が自由に出来る範囲に留まっている。

 故に出せる資金には限界があった。

 そして資金以上に難儀なのは薩摩国への通行手形である。


 上杉家の立場からすると頼み難い話であった。

 先代の薩摩藩主である島津綱貴の継室であった鶴姫は吉良義央の娘で上杉綱憲の養女でもあった。

 上杉家の養女として箔を付けての婚姻であったのだが、後に離縁となっている。

 三十年近く前の話ではあるが、未だに上杉家と島津家は疎遠な関係となっていた。


「・・・小平次は如何いかが致した?」


「肥後国、水俣の地にて見張りを致しておりまする」


 薩摩は入るのも難しいが出るのも難しい。

 他の街道から寺坂吉右衛門が出国する可能性は捨てきれないが極めて低いとも言える。

 念の為、吉右衛門が潜伏している可能性が最も高い薩摩街道出水筋の肥後国側、水俣に小平次を残した。


「・・・寺坂吉右衛門に相違ないのだな?」


「間違いありませぬ」


「なればじゃ、次こそは仕留めよ。これが最後と思え」


「・・・はい」


「通行手形は都合出来ぬ・・・分かるな?」


「・・・委細承知致しました」


 源八も甚兵衛も上杉家と島津家の関係は承知している。

 そして藩内に彼等三名がどう見られているのかも知っていた。


(・・・これで主命を果たせぬ時は・・・)


 亡き主君の後を追って自決する。

 そうするしかない。


「一命を賭して寺坂吉右衛門の首、殿に献上致しまする」


「・・・うむ」


 吉憲は鷹揚に(うなづ)く一方で控えている江戸家老の様子を窺っていた。

 その表情に変化はない。

 変化はないが何を考えているのかは手に取るように分かる吉憲であった。

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