第一章:四天王の華麗なる艱難-23
──夕日が、遠く西の森に沈んでいく。
もう十数分とすれば暮夜となり、まだまだ開発中のワートムーン一帯は僅かな生活の灯りだけを残し漆黒の闇に包まれるだろう。
そんな夜空に唯一輝く一番星が如く平原に浮かび上がったワートムーンは、目が然程良くはない彼等にとって非常に目立つ存在。
そして何よりその一番星にはご馳走まで住み着いているというのだ。奴等にとってワートムーンは、ある意味で行きつけの食事処に他ならない。
……だがそこで、じゃあ部下達連れてメシ食いに行こう、という動物的な単純思考になっていれば、魔物などという別称で区分されたりなどしない。
魔物基本、知性が上がる。ネズミだろうと獅子だろうと、それこそ植物や細菌などの単細胞生物でさえ、程度の差はあれど知能指数が跳ね上がる。例外はない。
では淡く誘うワートムーンの灯りに舌舐めずりするこの特殊個体魔物──リードデバウアーメガバットはどれほどまでに賢いのか?
「……」
上空からワートムーンを見下ろすリードデバウアーメガバット。
ヤツは鋭利で不揃いな牙が並ぶ口を開けると大きく息を吸い込み、喉と鼻腔を震わせた。
直後、リードデバウアーメガバットの眼前の空間が、突如として円形に歪み始める。
円形の歪みは大きくなりながら幾つも重なり合い、ワートムーンを包み込むように進行していく。
──それは、コウモリが元来生物として備える基本能力──エコーロケーション。
超音波による反響音によって周囲の物体の位置や状況、距離などを把握する事を可能とした能力であり、通常コウモリはこの能力によって世界を詳らかにしている。
だがリードデバウアーメガバットの場合、その精度と正確性は度を越している。
エコーロケーションの範囲内ならばどんな障害物があろうと透過したが如く正確無比に把握し、ネズミどころか虫一匹とて見逃さない。
反響音の質から空気の屈折率を把握し色や熱を判別。動植物の体温、脈拍、呼吸音による振動から筋肉の微細な動きに至るまで、対象の感情や身体状況をすらも可能とした。
リードデバウアーメガバットはこのエコーロケーションを利用する事で、例えば草場の影に身を潜める小虫すら捉え、ありとあらゆる生物を啜り上げる……。
現在ワートムーンへと執着の矛先が向いているが故に被害は極小化しているが、仮にこの都市開発計画が無くワートムーンが存在していなかった場合。
平原一帯は率いる半魔物化したコウモリ達による波状制圧により、今頃暴食の限りを尽くされた死の大地と化していただろう。
そうなれば如何なクラウンといえど、事態を収拾するのに四苦八苦していたかもしれない。
「……」
そんなリードデバウアーメガバットは帰ってきたエコーロケーションの情報に怪訝さを滲ます。
以前襲撃した際、ワートムーンに存在していた人間の質と数はある程度把握し記憶している。
その時にどんな人間にどんなキズを負わせ、どんな人間に抵抗されたのかも鮮明に覚えており、それを踏まえた上でどう再襲撃するかを、魔物の知能なりに考えていた。
だがその返ってきた情報の中に、前回とは異なる反応が五つ、新たに増えていたのだ。
これが今までに居たのと変わらない質の人間であったならば然程警戒などしない。寧ろ獲物が増えたと喉を鳴らしていただろう。
しかし受け取ったそれは、そう楽観視出来るような気楽なものではなかった。
五つの反応全てが以前から居り現在瀕死のギルド職員達よりも強力。内三つは油断しなければなんとか対処可能な範疇であり、更にそれらの一つ上の強い反応は要注意。一瞬でも気を抜けば致命傷をもらうだろう。
そしてもう一つ。寒気を覚えるほどに強大な反応。
宛ら夜空の星々をその輝きで悉く掻き消してしまう太陽のように桁違い──異次元の異質さと威容さを放つ存在が居た。
しかも他の反応達と違いそれは今の状態でも力を抑えていそうな雰囲気を漂わせ、更にそれを敢えて分かりやすくコチラに意図的に向けて発信している。
そう。一番強いそれは、漆黒の闇に紛れながら遥か上空からワートムーンを窺う自身の──リードデバウアーメガバットの存在を間違いなく感知し、捉え、嘲笑っていたのだ。
加えてそれは、リードデバウアーメガバットのエコーロケーションを利用する形で、本来言葉の通じないはずの特殊個体魔物にメッセージを乗せて、理解させた。
『私は手を出さん。好きにしろ』
『だが余計な欲はかかん事だ』
『その足りない頭に刻み込め』
『私を前に、自由があるなどと思わん事だ』
『大人しく、私達の礎になれ』
──それは強者からの〝命令〟。
自身がこの場を支配しているという絶対的な優位性から発せられる、逆らいようがない圧。
まるで見えない首輪が鎖で繋がり握られてような錯覚さえ起こさせるその圧に、リードデバウアーメガバットは文字通り気圧される。
……だが魔物へ──それも特殊個体として進化を果たした事で獲得してしまった本能を抑え込める〝理性〟と、平原一帯を牛耳るコウモリと夜の王としての〝プライド〟が、生まれて初めての反骨心を呼び覚ます。
「き……キイイイィィィィィィィィィッッ!!」
本来なら奇襲を仕掛けるつもりであったリードデバウアーメガバットは叫声を上げ己と、そして先程の圧にて怯んだ無数の子分達を奮え立たせる。
すると、先程まで屋内に居た四人──ワートムーン内で上位に入るであろう者達が屋外へと飛び出し、上空のリードデバウアーメガバットを睨み付けた。
自身に向けらるのは恐怖、怯え、困惑の眼差しが常。そんな生意気で勝気が宿った目など許されない。
いいだろう。あの強者にどんな思惑があるのか、この虫ケラどもがどれだけの手練だろうが知った事じゃない。
この面倒そうな四人も、ここに這い回る有象無象も、そしてあの強者でさえも、全員、遅い殺して溶かし啜ってやる。
リードデバウアーメガバットは笑う。
引き攣りそうになる口角を無理矢理に捻り上げ。
いつもより上がった体温と溢れる汗を無視して。
夜の王を自称する蝙蝠の親玉が、ワートムーンに降臨する。
──夜に紛れ、睥睨してくる無数の目……。
叫び声を聞き付けてスキルで感知していれば発見する事はそう難しくはないが、日中に作業し夜間は早々に床に就いてしまうこの開発中の町で、発見は不可能に近いだろう。
況してや町に居るのは開発に携わる職人やそれを援助する非戦闘員のみ。
碌に道すら整備されていない半ば陸の孤島とも言えるこの町にわざわざ来る盗賊など来ない、という判断から戦闘員を置いていなかったのも大きい。
これでは被害が出てしまうのも仕方がないと言えるだろう。
後程駆け付けたギルド職員達も、前情報が殆ど無い状態ではこの夜闇に紛れる奴等相手は厳しいかもしれない。
「……ヴィヴィアン、ポパニラ、コンタリーニ」
「は、はいっ!」
「はいっ!」
「はいっ」
夜空を見上げていた四人──ディズレー、ヴィヴィアン、ポパニラ、コンタリーニはディズレーの呼び掛けと共に動きを開始する。
事前にされた作戦、打ち合わせの通りに、迅速に……。
「はぁー……ふぅー……」
まずはコンタリーニ。
彼女は予め地面にて描いていた魔法陣の中央に位置すると、片膝を突いてしゃがみ、両手を陣の特定の場所に据え魔力を送り込む。
そして魔力が魔法陣を満たした瞬間、陣の円周から眩い光が発生し一気に広がっていく。
それは宛ら光のドームであり、町一つを包み込むまでに広がると夜間にも関わらず辺り一体は真昼のように明るくなり、夜を一切消し去った。
「──ッ!? キィ、キィィィィィッ!?」
突如として消え去った自身の得意な土俵に狼狽し、その四つの目を忌々しく苦しげに細めるリードデバウアーメガバット。
そんな奴の露骨な反応を目の当たりにし、ディズレーは口角を上げた。
「やる事ぁ単純だ。テメェの脅威ってヤツを一つ一つ着実に潰していく。その真っ黒なカラダは夜によぉぉく紛れんだろうが……こうも明るいとむしろ目立っちまうよなぁ? それに──」
「……っ! キィィィっ! キィィィっ!!」
リードデバウアーメガバットが更なる周囲の異変に気付く。
それは自身が率いて来た無数の半魔物化しているコウモリ達。
それらが光に当てられた影響か個々に先程までの威勢を減退させ、少し弱々しくなっていた。
「聞いたぞ? お前達は元々ここから離れたとこにある洞窟の固有種──あぁ、確か「シンソウオオコウモリ」だったか? それが魔物化してんだってな?」
シンソウオオコウモリは、ここから北に行った場所に位置する洞窟に棲息しているコウモリ。
大人の人間がしゃがんで漸く進入出来る程度の入り口の洞窟を棲家にし、その殆どが洞窟内でその一生を過ごしている固有種である。
一切光の差し込まない洞窟内で生存競争の頂点に君臨する彼等は、通常種よりもエコーロケーションの能力が高い代わりにほぼ目が退化しかかっており、光というものに対して通常種よりも遥かに弱くなっている。
リードデバウアーメガバットは完全な特殊個体の魔物化を果たした事でこの点をある程度はカバー出来ているが、ただリードデバウアーメガバットの血を分けられただけの半魔物化したコウモリ達はそうはいかない。
生まれて初めての余りに強烈な明るさ……。それにまるで脳を焼かれるような衝撃を受けた子分達は一気に脆弱化する。
「ボス曰く──「勝ちを最優先にするなら相手の土俵をどうにかするか引き摺り下ろせ。手段は選ぶな」ってな。特にテメェみてぇな露骨に厄介なヤツ相手なら尚更だ。んでぇ──」
ディズレーが振り返る。
そこには可能な限り魔力を練り上げ、魔術を発動する準備を整え終えたヴィヴィアンが上空に狙いを定めていた。
「ウチのヴィヴィアンはな? 俺達ボスの部下達ん中じゃあ屈指の魔術精度を誇るっ! ボスが「まるで伝統工芸の職人だな」って褒めてたくれぇだっ!」
魔術に於ける精度とは、すなわち「効果の安定性と強度」の証明。
複雑な演算を丁寧に仕上げれば仕上げる程に魔術はブレる事なく維持され、外的要因による影響も受けづらくなっていく。
しかし戦闘中での魔術の精度は才能やスキルにもよるが、基本的には優先されるものではない。
複雑な計算であればあるほど公式を書き出すのに時間を要するように、丁寧に魔術の精度を仕上げるには比例して時間を掛けなくてはならない。
だがヴィヴィアンは、その魔術精度を仕上げる技術に関しては無類の才を持っていた。
実戦運用可能なレベルであれば殆ど無意識に片手間で組み立てられ、戦闘中であっても脳のリソースを最低限割く程度で一般魔術士の全力並みの精度を発揮する事が出来る。
ではそんな彼女が十分な時間をかけ、全身全霊で魔術精度の完成度を高めようとしたらどうなるか?
「気ぃ付けろよぉ? どんだけ家来が多いとか関係ねぇ。こんだけ気合い入れたヴィヴィアンが一度狙い定めたら──」
ヴィヴィアンが手を翳す。
狙うは……光に惑う無数のコウモリ。
「──ボスでも、割と本気で避けるか撃ち落とす」
「いっけェェェェェェェェッッ!!」
直後、ヴィヴィアンの翳した両手から光の矢が放たれる。
矢は真っ直ぐ上空のコウモリ達に向け飛躍すると、まるで見計らったかのようなタイミングでそれが分裂。
別れた矢はその後一切のブレを見せる事なくコウモリ達一匹一匹に殺到し、そして……。
「ギィィッ!?」
「ギャイインッ!!」
「ギャギャッッ……」
矢は寸分違わず、明確にコウモリ達の頭部や心臓を貫き次々と撃ち落としていく。
中には比較的マシな個体が矢から逃れようと飛び去ろうとするが、そんなモノに対しては糸に繋がっているんじゃないかと疑いたくなる程にピッタリと背後を付け狙い、結局は貫かれる。
その命中率はまさに百発百中。
一匹の撃ち漏らし無く、一見絶望的にも見えた数的有利は一気に逆転してみせた。
「ぎ、ギィィィィィッ……」
「おうおう悔しそうだなぁ? それともなんだ? 家来が居なかったらなぁんにも出来ませんってか?」
「ギィィギャァァァァッ!!」
「言葉わかんねぇのにバカにされてんのはわかるみてぇだな。あんま信じてなかったが、魔物化すっと頭良くなんのはマジなんだな」
「ギッギッ、ギィィィ……」
「ほら。悔しいなら掛かって来いよ。俺達はテメェをブチのめしにここまで来たんだからなぁッ!!」
「ギィィィィィィィィィィィッッ!!」
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湿度の高い石造りの階段を一段一段、下っていく。
ここは罪人を刑の執行まで収監しておく収監ギルド──その最下層にある〝特別監房エリア〟に続く階段である。
訪れるのは確か三度目……いや、勤め先でもないのに二度も訪れる方がおかしい場所ではあるんだがな。
後ろに控えながら追従してくるのは「劈開者」としての末端の部下の一人──厳密には「大蛇の暗月」メルラの部下。
中々に気が周り話の早い人で、会話が円滑で楽で良い。
そしてそんな彼が真っ黒な遮光布に包まれた大きな荷物──まあ、中身は人間なんだが──を肩に担いでいる。
この後目的地である特別監房エリアで待つ待ち人二人への〝プレゼント〟である。
「理解しているとは思うが、念の為一応の確認だ」
「はい」
「荷物を置いたら速やかに退室し、通常業務に戻りなさい。先程は同席を許したが、この先は極秘事項だ。本日の業務内容の全ての口外、筆跡での流出の一切を禁じる。違反した場合は──」
「厳罰として相応の代償を払ってもらう……。どのような罰なのかは状況次第というところがまた恐ろしいですね」
「内容は私の胸先三寸……。興味があるならバラしてみるか?」
「御冗談を……。興味本位で動くにはあまりに重過ぎますよ」
「ふふふ。違いない」
そうして軽い雑談を挟みながら辿り着く、鉄製の分厚い扉。
その横には今回の業務についての一切を承知しているギルド員が待機している。
ギルド員はコチラの姿を確かに確認すると深々と頭を下げ、最敬礼を以って挨拶を口にする。
「お疲れ様で御座います元帥閣下っ!! このような場までご足労頂き──」
「ああいや。私の用事でこの場を訪れているんだ。ご足労も何もあるまい」
「左様で御座いますか……」
ふむ。門番の鑑だな。私と後ろの部下の身分証明などわざわざしない。二人の顔も正体も一目で理解と判断をし、プロとして正確に判断しているのだ。
何処ぞのど素人門番とは大違いだな。
まったく。敢えてのチョイスだったとはいえこれくらいの人選が可能ならばもっとマシなのを配置出来たろうに……。
「ささっ! 中でご婦人がお待ちですっ! 今お開け致しますねっ!」
ギルド員が懐から鍵を取り出し、手早く鉄扉の鍵を開錠する。
そして見るからに重たいハンドルを回し、力一杯に扉を開けた。
その先には──
「うふふ……。あの時のサムの顔ったら……」
「ああ。稀に見る驚き顔だった。だが結局は──」
鉄格子を挟み、男女が二人。
外には精一杯にめかしこみ、監房には全く相応しくない煌びやかなドレスに身を包んだ貴婦人。
内には拘束具に縛られ、脂ぎり荒れ放題になった髪と肌、そして痩けた頰とたっぷりの目の隈を湛えた髭面の男。
その二人が鉄扉の巨大な軋む音すら届かないほどに自分達の世界に入り込み、談笑に花を咲かせていた。
「……ご両人」
「「──ッ!」」
私の声に、二人揃ってコチラに振り返る。
そこまで大声でもドスを効かせた声でもなかった筈なんだがな。
そんなに警戒させるような声音をしているか? 私の声は……。
「あ、ああ……貴方、でしたか」
「随分な物言いですね。私は貴女方にとって救い主のようなものだと思っていたのですがね?」
「……失礼をご容赦ください。元帥閣下」
煌びやかな婦人が私に深々と頭を下げる。
この煌びやかな婦人は私が以前、ルービウネル・コウ・コランダーム公爵とロリーナ、それからロセッティ達と共に陶器販売ギルドのギルドマスター──シルヴィ・バーベナ・ローレルの屋敷を訪れた際。
ロセッティの両親を毒殺したことと、裏で潜入エルフに協力していた事を問い詰めるにあたって情報を引き換えに約束をした現ローレル伯爵家当主──フランシスカ・バーベナ・ローレル伯爵である。
「それと閣下。今はお互いあの時分から立場が変わりました故、敬語等は外して下すって構いません」
「……そうか。ならばそうしよう。──で、だ。約束を果たしに来たぞ、フランシスカ」
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