第一章:四天王の華麗なる艱難-21
ディズレーさんがクラークさん達職人さんにお酒を振る舞った、その翌日。
わたし達四人は早朝、ようやく目を覚ましたという重傷を負ってしまったギルド調査員の寝所に来ていた。
簡易的……と言っていた大工ギルドの職人さんが案内してくれた重傷人の為のログハウスは、だけど清潔感ある立派な家屋で、後ほど取り壊すというのがもったいないと感じてしまうほどに完成されていた。
そんなログハウスの室内は洗面所が二つ設置されているだけの大きな一室になっていて、そこにギルド調査員さん達を寝かせたベッドが規則的に並んでいる。
人数は十ニ人。内半分ほどは静かに寝息を立ててるけど、何人かは魘されているように苦しそうな呻き声を上げていた。
そして玄関から一番遠い、窓際のベッド。
そこには他の人達とは違って体を起こし、震える手で慎重に水を飲む件のギルド調査員さんが居た。
顔を含めたほぼ全身をあちこちに血や膿らしきシミが浮かぶ包帯で包み、垣間見える肌の色は火傷でもしたのかのように真っ赤……。
きっとそうして身体を起こすのも寝かすのも痛いだろうそんな人に、わたし達は今から酷なことをしなければならない。
「おはよう……ございます」
「……?」
ディズレーさんが緊張半分、動揺半分の心境でそのギルド調査員さんに話し掛ける。
だけど当然、ギルド調査員さんは困惑したような目をわたし達に向けた。ついさっきまで昏睡してたんだ。わたし達みたいな学生がなんでこんな場所に居るかなんて、この人には知る由もない。
「えっと……俺たちは今回の特殊個体魔物討伐の任を受けて来た者です」
「こ、この度はお、お見舞い申し上げます……」
「心よりご回復をお祈りしますっ! 本当ならゆっくりお休みいただきたいところなんですが……」
「今は彼の魔物に対する情報が必要なのです。お辛いでしょうが、どうか少しでもご協力いただければ……」
分かってる。わたし達は今この人に酷いことしているかもしれないって事。
人によっては魔物に襲われるなんて事を経験してしまったら大抵の場合、深いキズを負う。
身体はもちろんだけど特に心にキズを負ってしまい、体のキズよりも何倍も癒えるのに時間が掛かる。
襲われて間もないなら尚更。本来なら少しでも忘れさせてあげるのが良心なんだろうけど、今はちょっとでも情報が欲しい。
ディズレーさんもポパニラちゃんもコンタリーニちゃんも、そしてわたしも今回の任務は本気なんだ。
何かに容赦して仕事を疎かにしてボスから見放されたら……想像もしたくない未来が待ってる。
自己中心的なのも分かってる、でも……。
……譲れない。
例えこの人のキズを更に抉ることになったんだとしても……。
「……あぁ、心配してくれて、ありがとう……」
ギルド調査員さんは包帯越しに笑うと、手に持っていたグラスをサイドテーブルに置き、わたし達の方を見る。
「気遣いは無用だ……。これでも魔物相手じゃプロなんでな。全くショックを受けていないワケじゃないが、話せないほどじゃあない」
「い、いやでも……。お声が……」
「ああ、聞き苦しい声で……申し訳ない……。ヤツの揮発した溶解液を僅かに……吸ってしまってね……。まあでも、俺が負ってるケガん中じゃあ、一番マシなんだがね」
そう言いながら彼はゆっくり左手の包帯を解く。
すると現れたのは──
「ひっ……」
「っ……」
「そ、れは……」
「……」
そこには、皮膚全体に夥しい数ある大小様々な水疱。一部は昏睡時に破けてしまったのか潰れており、そこから粘性のある膿が覗いていた。
酷いところでは既に傷口が化膿したり壊死してしてしまい、変色すらしている。
思わず小さな悲鳴が漏れてしまったその惨状が全身に及んでいると思うと……血の気が引いてしまう。
「正直言ってこれでめ俺は同僚達ん中じゃ一番の軽傷だ。溶解液を被っちまっただけだからな」
「そ、そそ、それでですかっ!?」
「……ただ火傷痕やら傷痕は残っちまうし、背中に被ったせいかさっきから両手が……上手く動かなくてな……。神経か筋肉まで少し溶けちまったかもしんねぇ」
「そんな……」
「まあ、詳しい診断次第だが、仕事やら日常生活は多分大丈夫だ。……だが、他の奴等は……」
ギルド調査員さんが他の調査員さん達に視線を泳がせる。
その目には悔しさ、悲しみ、怒り……他にも入れんな感情が入り混じった、一言では言い表せないものを宿していた。
「……どういう事ですか?」
「……他の調査員達は、みんな噛まれちまってる。──野生動物が変異して魔物となってるヤツらは、元々そいつが抱えてた病原菌をそのまま持ってたり、魔物化したことでより凶悪になってたりすんだ」
「びょ、病原菌……」
「みんなが中々起きないのは、きっとそれのせいだ。コウモリ型なら……狂犬病かもしんねぇ」
「狂犬病ってっ!? 確かふ、不治の病って……」
「そうだ。だがそれでもまだ楽観視の域を出ない。最悪の場合はその狂犬病すら変異して更に凶悪になってるかもしんねぇし、その両者じゃなく他の病原菌だったんだとしても、ただじゃ済まないはずだ」
「じゃ、じゃあ早く回復術士にっ!!」
ポパニラちゃんがそう言って懐から手のひらサイズの長方形の薄い石板──ボスとの通話用にと持たされた《遠話》のスキルアイテムを取り出そうとする。
「ダメよ」
そしてそれをコンタリーニちゃんが制した。
ポパニラちゃんは困惑顔をコンタリーニちゃんに向けたけど……。
「病原菌による病気は《回復魔法》じゃ治らないわ。《回復魔法》はあくまでも外傷や一部の疾患を魔力によって一時的に補強し、自然回復力を高めながら治癒させてるに過ぎない……。病原菌みたいに菌や吐き出す毒素を取り除いたりは出来ないの。やるなら病原菌を根治してからでないと」
そう。《回復魔法》は確かに便利で有用な魔法だし、魔法先進国のティリーザラじゃ主流の医療機関として幾つもの「回復魔法院」がギルドとして存在している。
だけど《回復魔法》が本領を発揮して活躍できるのは、コンタリーニちゃんの言うような欠損までいっていない外傷と、病原菌が絡まないような疾患くらい。
病原菌を相手にするなら、薬草を使ったポーションでないとならない。
「な、なら医者に……。ボスに連絡してロリーナさんのおばあちゃんに頼めば──」
「間に合わないわ。……調薬にはその人に合った配合と調整が必要だし、そもそも厳密になんの病原菌なのかを特定しなくちゃ調薬のしようもない。それは例えあの薬学の大権威とまで言われた〝薬開〟リリー・リーリウムだったとしても変わらない」
「そんなのやってみなくちゃ……」
「第一、疾患の最有力候補である狂犬病は不治の病……。変異してるかもって話なら尚更、治せる可能性は低い……」
「……でも」
「この人達に出来る事は無い。それが……今の私達の現実」
「……」
ポパニラちゃんは力が抜けたように石板を下ろすと、それを懐へと仕舞い直す。
彼女の行動は、ある意味では正解なんだと思う。困っている人を助けてあげたいって気持ちは人として当たり前の美徳。
だけどその感情が湧き出ている源泉は、ポパニラちゃんの中にある〝驕り〟だ。
──わたし達はディズレーさんとボスに鍛えられ、強くなった。
魔法魔術は勿論、武器術やそれを使いこなせるだけの技術力、身体能力も同学年の生徒達とは比ぶべくもない水準で身に付けている自負がある。
そして何より戦時中にボスに任された任務をやり遂げたって経験が、わたし達の心の奥でしっかりとした土台になっていた。
……だけどそれで、思いあがっちゃいけない。
確かに強くなった。知識だって付けた。ボスの下につく前より何倍も。
今までやれなかった事も出来るようになったし、心構えや考え方も自覚出来る程度には習熟したと思う。
でも、だからって以前までなら救えなかった人が救えるようになったわけじゃない。
わたさは達は所詮、同年代の人達と比べて上積みなだけ。前提条件を取っ払ったら、そこから見えるのは見上げても見果てぬ高い壁だ。
きっとディズレーさんならもう少し上まで見られるだろう。
きっとボスなら私達の視界の遥か先に居るんだろう。
そしてこの人達全員を助ける……なんて目的が果たせるのは……きっとわたし達では見えないほど高い位置にある。
そもそもの話、ボスは無闇矢鱈な人助けを是としていない。
人を助けたら、助けた側は助けた人に対して責任を持たなくちゃならない。
助けるなら最後まで責任を果たして、見届けなくちゃいけない。
仮にわたし達が彼等を救えたとして、じゃあ後はお好きにどうぞ……なんていうのはやっちゃいけない。そんなものは無責任だ。
だいいち責任を取っている暇なんかわたし達にはない。
道楽でこの町に来たんじゃないんだ。やるべき事があってこの場にいる。
それを蔑ろにして果たせもしない責任を背負い込むのは……きっと最低だ。
そんな結果なんて……誰も望んじゃいない。
わたし達は、正義の味方じゃないんだ。
「……すんません。俺達には……アナタ達を救えません」
「ああ。わかってるよ」
「さっきも言いましたが、俺達はアナタ達をそんな風にした奴等を片っ端から叩き潰すために来ました。そのために、アナタの見聞きしたモン全部、聞かせて下さい」
ディズレーさんが頭を下げる。
それに追従する形でわたし達三人も揃って頭を下げた。
頭を下げるなんて殆どやった事ないし、今まで忌避感があったけど、不思議だ。
ディズレーさんの真っ直ぐなお辞儀に倣って頭を下げても、何一つそれを感じない。
「……オマエらを寄越したのは?」
「クラウン・チェーシャル・キャッツ。俺達の直属の上司です」
「ハッハッ! 今をときめく千手万操の英傑様かぁっ!? そりゃあいい、しっかりやってくれそうだっ!!」
「あ、ああ……ならっ!」
「いいぞ。全部話してやる。たださっきも言ったが喉がやられちまってあんま喋れない。一回で頭に叩き込んでくれ」
「わ、分かったっ! 全力でやるっ!」
「おう。じゃあそうだな……。まず肝心なのは──」
──数分ほど話を聞いて、わたし達はログハウスを後にした。
結局調査員さんはホントのホントに喉の限界まで付き合ってくれて、最終的には私達が止める形で話を終えた。
最後に痛み止めポーションをお裾分けしてその場を切り上げたんだけど……。
「……」
少し前からかな。ディズレーさんの表情が少し暗い。
それもなんだか深刻そうな……そして何か悩んでいるような、そんな顔だ。
「一応肝心な部分は大体聞けた……よね?」
「ええ。後は必要なものを揃えたり、対策を話し合って煮詰めたりすれば何とかなりそうかな」
「って言ってもここにある物資を使うのは申し訳なくない? アタシ達のためのもんじゃないじゃん?」
「そうね。でも私達が持って来たものじゃどうしても──」
ポパニラちゃんとコンタリーニちゃんが真面目に話を進めている。本来ならわたしもそこに混ざらないとおかしいんだろうけど……。
「……でぃ、ディズレーさん」
「……ん、んっ!? なんだ、どうかしたか?」
唐突に話かけられて一瞬ディズレーさんの反応が遅れた。
いつもの気配り上手な彼ならこんな狼狽はしないのに、やっぱり……。
「き、気にしてるん、ですよね? 先程の、か、方々を……」
「え……うん、まぁ、そうだな……」
「……〝やるかやらないかの二択で迷ってるなら、悩んでる時点でやる一択〟」
「え?」
「わ、わたしの家の、か、格言です。イクシオン商会を一代で立ち上げたわたしの父と母は、その格言を信じて、い、今の商会を盛り上げました」
「な、なるほどな……」
「りょ、両親曰く「やらないと決めた時は基本的に人は即決してる。だから悩んでる時点でそれは〝やる〟じゃなくて〝やりたい〟なんだ」って……。だ、だからディズレーさんが何か二択でま、迷ってるなら、迷わず〝やりたい〟を、選んで、下さい……」
「……やりたい、か……」
こういう時、自分の吃音症がホントに嫌になる。
何を喋るにしても相手にノイズを混ぜて話してしまい、集中力を削いでしまう……。
これのせいでわたしは両親の接客の手伝いがまともに出来なくて、いっつも裏方ばかりだし、友達だってポパニラちゃんとコンタリーニちゃんくらい……。
こうやって伝えたい事がちゃんと伝わってくれてるのか不安になる……その時間が……ホントに嫌い。
こんなんじゃ、ディズレーさんだって真面目に──
「……分かった。ヴィヴィアンの言う通りにしてみっか」
「え?」
気付かない内に伏し目がちになっていた顔を思い切り見上げ彼の顔を見遣る。
その表情はついさっきまでの暗さは無く、晴れ渡るようにスッキリしたものに変わっていた。
わたしの言葉を受け、変えてくれた。
「んじゃ早速……」
そう言ってディズレーさんはさっきポパニラちゃんがコンタリーニちゃんに止められたのと同じ──長方形の薄い石板を取り出して魔力を込めながら小さく「通話開始」と言って耳にあてがう。
「あ、ああ、あの……ディズレーさん?」
「え? ……え?」
「ちょ、なんでなんでっ!?」
話し合っていた二人もそこでディズレーさんの行動に気が付き、目を丸くする。
だけど今度はコンタリーニちゃんは止めたりしない。
何故ならさっきのポパニラちゃんの強張った表情と違い、今の彼の顔は精悍さすら見える堂々たるものだったからだ。
「──あぁーボス? 今大丈夫っスかね? 実はそのぉ……」
わたし達が見守る中、ディズレーさんの次に紡がれた言葉に、今度はこっちが瞠目する。
「ボスに〝責任〟、取ってもらいテェなって」
──「成る程な」
今、目の前にボスが居る。
わたし達が宿泊を許可されたちょっとしたコテージの一室で、優雅に紅茶を飲みながら、ディズレーさんの話を最後まで聴き終えてた、無表情のボスが。
「要は「あの瀕死のギルド調査員達は元を辿ればお前のせいでああなったんだから責任を取れ」……。そう言いたいわけだな?」
「み、身も蓋もない言い方っスね。……でも、大体そうっス」
ディズレーさんはボスに説明しながらわたし達にも教えてくれた。
ボスが要約していたけど、つまりあのギルド調査員さん達の惨状はボスのせいでもある……という話だ。
──今まで目の前の現実に目が行って意識してなかったけど、考えてみればその通りではある。
ギルド調査員さん達を襲ったリードデバウアーメガバットは特殊個体魔物……。
元々の魔物であったとされるリードメガバットが魔物化ポーション散布装置の影響で変異し、凶悪化した個体だ。
じゃあそんな特殊個体魔物を変異させた散布装置は、一体誰が発動させたのか?
厳密に言えば、直接操作したのはわたし達が誘導した「魔天の瞳」の教徒達だろう。でもそれを操作するよう仕向け、また計画したのは一体誰なのか?
……そう。目の前で今、紅茶の湖面に視線を落とす人だ。
「ボスは言ってましたよね。「あの作戦には必ず〝犠牲者〟が出る。だからその犠牲者を可能な限りにケアをするのが私の責任だ」って……」
「ああ言ったな。それが私がやった事に対する当然の重責だ」
「ならボスはやっぱり、あの人達を助けるべきっス。モチロンそれに賛同して協力した俺達にも責任ありますけど、残念ながら俺達じゃああの人達を救えねぇ……」
「……」
「だけどボスならっ! ……俺達が人生賭けてついてくって決めたボスなら、なんとか出来んじゃねぇのか?」
──「狂犬病」は不治の病。致死率百パーセントの、今まで一切の治療法が無い最悪の病気。
しかもそれが変異している可能性すらある。最早それはもう……一種の悪夢だ。
確かにボスは凄い。同年代だなんて信じられないくらい、どんな大人よりも完成された全能の人だ。
戦争じゃただ勝つんじゃなくて、自信が掲げていたあらゆる理想をそのまま実現さえして見せた、まさに歴史に載るような偉人の所業の体現者だ。
だけどそんな彼でも、いくらなんでもそんな事まで出来るわけが……。
「……分かった」
「え?」
「私が彼等を助けよう。誰一人として死なさんし、完治させてやる」
大言壮語。あまりにもその言葉がピッタリハマるくらいの、尊大な物言いだ。
だけど……なんだろう……。
「……言いましたね」
「安心しなさい。吐いた唾を飲み込むような恥知らずではないつもりだ。決してお前達を後悔はさせん」
その言葉一つ一つに……。
「私を誰だと思っている? 君達を導き幸福を齎す、最高の上司だぞ?」
一つ一つに……〝現実〟が詰まっているように感じた。
──ギルド調査員さん達のいるログハウスへトンボ帰りしている道中、ふとディズレーさんとボスの会話に耳を傾けてみた。
「ディズレー」
「は、はい……」
「なんだ。まさか負目でも感じているのか? 私の助け無しで任務を遂行出来なかったと」
「そ、そりゃあ、まあ……」
「まったく、キミは真面目だな。……だが君がそんなものを感じる必要はない」
「え?」
「私が君等に命じた任務はあくまで特殊個体魔物の討伐だ。その被害者とはいえ、彼等を助ける事まで任務に含んでなどいない」
「えっ!? あ、ああ……それもそう、か?」
「私は出来ん事は頼まんよ。まあ、出来ていたなら褒め称えてやるがな」
「あ、あはは……」
「……ディズレー」
「は、はい」
「よく、私に報せてくれた。君のおかげで、私は自分の責任を果たす事が出来る。君は彼等だけでなく、私の重責まで助けたのだ。百点満点だ。誇りなさい」
「──ッ! はいッ!!」
「ふふふふふふ……」
……ああ、良かった。
言って、良かったなぁ……。




