第一章:四天王の華麗なる艱難-14
──世界各地には〝悪魔〟が封じられた遺跡や祠が点在している。
悪魔とは欲神の分神達の通称。
遥か古にとある理由で封印された欲神の分神達は、経年劣化によって緩まった封印の隙を突き、人々を誘惑し、誘導し、あの手この手で己の封印を解かせようとし、様々な事件事案を起こしていた。
その度にあらゆる専門家や有識者が事件事案を解決し、再封印からの封印の修復を行なっていたのだが、中には見逃してしまっていたモノも存在する。
それはいずれ封印が自然消滅するのを辛抱強く待つ者であったり、そもそも封印された場所の付近が未踏の地同然の過疎地や危険地帯であって人を誘惑出来なかったり、不思議な奇縁で人間と意気投合してその気を失くしてしまったり……。
そしてここ──ロエアの村の洞窟遺跡も、そんな見逃されてしまっていた封印地の一つ。
理由としては少々複雑。
一度封印が破られ逃げ出した悪魔を再封印する際に、〝別の目的〟で存在していたこの洞窟遺跡を臨時で再利用する形となった。
だがこの遺跡にはその〝別の目的〟由来の〝先客〟がおり、先客達の特性上、封印は長く保たないとされていた。
封印した者達は別の場所に封印を移す事を約束し、一時的にその場を後にした……が、その後彼等が再び現れる事は遂に無く、そのまま洞窟遺跡でその悪魔は封印され続ける事になる。
結局、長い月日が流れた結果先客達の警告通り封印は通常よりも早く劣化し、悪魔──欲神の分神の力が僅かながら作用する範囲が広がってしまった。
──竣驪に囁いたのは、そんな悪魔の声である。
『嗚呼……。なんと懐かしき気配だろうか』
『よもやよもやこんな矮小な畜生に、よもや我らが崇拝する主の気配を感じ取れるなど……。一体、一体誰が想像していたのだろうか』
(……)
『うむ? 気付いておらなんだな? 己が身を冒す──いや、身に余る祝福にその巨躯が耐えられずにいる、その現状に』
(……)
──竣驪の体調不良の原因。それは魔力による肉体の侵食──つまりは魔物化の兆候であった。
しかし竣驪は特段、魔力溜まりのように高濃度の魔力がある場になど訪れた事はなく、仮に近くを通ったとして、それこそ長時間晒されでもしなければ魔物化など通常起こり得ない。
では原因はなんなのか?
……答えは、そう難しいものではない。
原因は……クラウンにあった。
『余程近くに、我らが主に侍ているのだろう? 今の時分、主がどのような状況に置かれているかは存じぬが、でなければそのように濃くも其方に祝福が沁み渡る事はあるまいよ』
──人間は、例えどれだけ魔力制御能力を鍛えようとも、無意識に身体から漏れ出す魔力まで全くの無には出来ない。
勿論抑え込むことは可能だが、その必要性が無いのであればわざわざそんな事をする者など居らず、そもそも魔力を感知されたくないのならばスキルの《魔力遮断》等のスキルで事足りてしまう。
そしてクラウンもまた、上記の理由から特別漏れ出す魔力に気など遣ってはいなかった。
だがクラウンは今や、数百のスキルを体得し、英雄の力を取り込み、三つの大罪スキルをその身に宿した稀なる存在だ。
そんな存在から無意識に滲み出す魔力が、普通である筈などあるわけがない。
濃度は平均値の数十倍はあり、範囲は二回りは広く、性質はどんなものよりも特殊で特別で、特質だ。
そんなものを浴び続けていれば──例えば騎乗するような形で密着した状態が続いたり繰り返されたりしたらばどうなるか?
そう。それこそが答えなのだ。
竣驪は、クラウンから滲む魔力により、魔物化が進んでいたのである。
『羨ましいかな羨ましいかな……。我々分神ですら側に侍れぬのに、恵まれているだけの畜生にそのような栄華を賜われているとは。実に、実に妬ましいかな』
(……)
『……だが、やはり畜生如きには身に余る祝福。その身は彼の恩寵に耐えかね、新たな変化は代償に恵まれた知性と理性を奪うだろう。ある意味では、それもまた価値ある昇華とも言えるやもしれん』
(……っ)
『解っている。主はそれを望まぬのだろう? 主は其方を愛で、心胆より慈しみを注いでいるのだろう? 主の持ち物を軽んじる程、我は軽率でも軽忽でもないつもりだ』
(……)
『故に、我が其方を救おう。我を受け入れ、我を使い、我を崇めよ。さすれば其方は、主と其方の両者が望まぬ結末と結果は訪れない』
(……)
『我を得よ。我を宿せよ。きっと主もお慶びになられる。其方はただの少し特別な畜生から、唯一無二の畜生になるのだ』
(……)
竣驪は思う。本能が叫ぶ。
これは罠だ。甘い、甘い毒だ。
言う通りにすれば確かに、自分は再び立ち上がれるのだろう。
目の前で不動を貫く畜生モドキを粉々にし、グラッド達を助け、ただの乗り物でない活躍を愛するクラウンに贈れるのかもしれない。
だが、それは本当に〝自分〟なのだろうか?
これはただの予感でしかないが、もしかしたらそれは、自分ではない〝何か〟なのではないだろうか?
果たしてこの場を切り抜けた──それだけが正解なのか? その場凌ぎの場繋ぎの付け焼き刃でこの場をなんとかしたからと、その後はあるのだろうか?
……きっと、そんな事はないのだろう。
授けられたモノには代償がつく。
それが例えどんなものであろうと、恐らくは碌なものではない。
得たモノ以上の何かを犠牲にして、自身は勿論周囲にも、多大な迷惑を掛けてしまう。
自分の身体能力を考えれば、もしかしたら死人だって出るかもしれない。ボスやその部下達は何とかなるだろうが、力無き身内には被害が及ぶかもしれない。
……それは、何一つとして笑えない話だ。
ならばどうする? 断るか?
断って潔く死んで、それも正解と言えるのか?
……違う。それも違う。
謙虚さと遠慮は時として悪だ。自身の命に価値を感じてくれている人達を蔑ろにする、大悪だ。
選べるわけなど、ありはしない。
ではどうする?
素直に力に縋るのはダメ。醜い遠慮も論外。
ならば……ならばどうする? どうする?
(……)
『──欲 っ せ よ』
(──?)
『そんな謙虚でどうする? 中途半端な上辺だけの誘惑程度で満足してどうする? 求めるならば──欲するならば極限までだ』
(──っ!?)
『お前は誰だ? クラウンの──「強欲の魔王」の僕だろう? ならばやる事は一つだ。やるべきはたったの一つだけだ』
(──ッ!!)
『さぁ、選べっ!! 惨めな謙虚と半端な誘惑に溺れるか、それとも──』
『──それとも全てを欲するか』
「──……」
ルプス・ゴーレムは徹底して待っていた。
目の前の敵には深い傷を負わせ、何故かは知らないが本調子ではなかったようで弱っていたらしい。
最初こそ手痛い一撃を貰ったものの、奇襲によって付けた傷は敵に膝を着かせ、最早再起は叶わないだろう。
ならばやる事は一つ。このまま敵に注視しながら息の根が止まるのを待つのみである。
わざわざトドメを刺す必要も無い。そんな無駄な事はしなくともよい。
ただ、敵が息の根を──そう、細菌の集合知が判断した直後だった。
「……?」
後は沈むばかりであった筈の敵の膝が、伸びる。
震えながらもその巨大な馬体を徐に起こし、蹄は遺跡の床を踏み抜いて食い込み、身体からは極限まで上がった代謝で蒸気を上げさせ。
隆起し躍動する筋肉と極太の血管。艶が増す毛並み。
鼻息は突風のように吹き抜け、嘶きは宛ら肉食獣の唸り声かエンジンの駆動音のようにすら聞こえる。
ルプス・ゴーレムは戸惑った。
突如として死に掛けていた目の前の畜生が全くの別の生物になったような気さえした。
だがそこは本体が無数の細菌と菌根で構成される細菌な魔物。すぐさま思考を静観と混乱から臨戦態勢に切り替え、スキルを発動させる。
基礎的なところでは《強力化》等の自己強化系スキルを使えるだけ使い、更に種族特性スキルの《細胞複製》と《急速増殖》を発動させ菌糸を伸ばし、先程竣驪が暴れて砕けた遺跡の欠片等を回収し、自身の身体を再構成していく。
流石に全く別の形や大きさに出来るまでの時間と魔力は無いが、爪や牙をより鋭利で多重構造化させ、接合部を可能な限り細かな石で埋め、補強する。
重量の増加により多少は動きに影響が出てしまうだろうが、眼前のそれには最早僅かな差異でしかないだろう。
ならば振るのは防御力と攻撃力。
攻撃を硬い装甲で受けながらゴリ押しで小さくとも傷を付けていく。
そうすれば血さえ流せば弱ってしまう脆弱な肉塊の身体など容易い。例えどれだけの威容に変貌しようがそこは変わらない。
集合知による方針は固まった。
後は未だ動かない敵に先手を──
「──っ!?」
気付けば、敵は消えていた。
おかしい。つい先程まで目の前に居て、遺跡中に響き渡るような唸り声を上げていたはずなのだ。
それにあの馬体。あの体で音も無く目の前から居なくなるなどあり得ない。
一体何が、どうなって──
「──ふすっ」
まるで、小さく空気が抜けるような音がした。
刹那──ルプス・ゴーレムの依代を支える細菌は立ち所に涸れ果てて……。
──崩壊した。
「──っ!!」
「うぇっ!?」
グラッドと肉薄し、身体の所々が抉られたり穿たれたりしているトランセンド・ゴーレムが突如として動きを止め大きく飛び退く。
グラッドもそれに反応し同じく後ろに退がり、一体何があったのかとトランセンド・ゴーレムを注視する。
するとゴーレムはその本当にそんな機能があるのか怪しい顔を遺跡の方へと向けており、雰囲気でしかないが何処となく何かを気にしているように見えた。
「……竣驪が何かした……かな?」
遺跡に対する心当たりなんぞ一つしかない。
蹴り飛ばされ遺跡内部に入ったルプス・ゴーレムと、それを追った竣驪だ。
仮に竣驪の方に何かあったのであれば、トランセンド・ゴーレムがわざわざあんな反応は示さないだろう。
無反応なまま、ルプス・ゴーレムでグラッド達に奇襲をし返しに来るよう命令を出しながら自身は戦闘を続ける……。それが最適解だ。
もしそうでなかったとしても、少なくとも竣驪の撃破にトランセンド・ゴーレムがリアクションを取る理由がない。
ならば答えは自明の理。ルプス・ゴーレムの方に何かあったのだ。
「なーんだ。後で加勢しに行こうと思ってたのに、先越されちった」
「ですが間違いなく朗報ではあります。これで気兼ねなく目の前のゴーレムに専念──ッッ!?」
「なっ!? なに、こ、れ……っ!?」
突如二人を襲ったのは、凄まじい怖気を呼び起こさせる〝気配〟。
遺跡の方から這い寄って来るそれは、例え感知系のスキルが無い一般人であろうと感じ取れる濃度と粘度を孕んでおり、《気配感知》や《存在感知》、加えて《悪意感知》と《殺意感知》を有する二人にとっては、最早一種の魔術にでも曝されたようにすら錯覚させた。
「ぐ、グラッドさん……」
戸惑い顔を青褪めさせるキャサリンの背中を、グラッドは優しく摩る。
「落ち着いて。かなり変わっちゃってるけど、間違いなく竣驪の気配だよ。別の得体が知れない〝何か〟じゃない」
「で、ですが、じゃあ竣驪に一体何が……」
「……」
グラッドは漠然と──直感に近い何かで感じ取っていた。
それは確かに邪悪で、異質で、冒涜的なモノだ。
しかしそれは、恐らくは〝コッチ側〟に類する何かである、と。
クラウンと《魂誓約》を交わし、その魂が大罪を宿す魔王と繋がり、ある種の眷族と呼べる存在となっているからこそ感じる事の出来た、僅かな確信だった。
(だけど楽観視し過ぎるのは良くないよね。少なくとも竣驪に何かあったのは事実だし、念の為ボスに緊急連絡して、ボク等はボク等で出来るだけ対処しよう。差し当たってまずはやっぱり──)
グラッドは目標を再びトランセンド・ゴーレムに戻す。
竣驪に何かが起き、それにどう対処するにせよ、目の前のトランセンド・ゴーレムが健在のまま居ては話にならない。
身体の修復もせずに呆けているならば好都合。迅速に、一気に仕留めに掛かれる今がチャンスだ。
「キャサリン、竜鏡銀の矢は?」
「あ、あと一本です。一応拾いに行ければその限りじゃないですけど……」
「ゴーレムの後ろだから厳しーねー。しょーじきそんなよゆーもない」
グラッドとキャサリン、両者共に体力が底を尽きようとしていた。
相手が本物の獣等の魔物であったならば、ここまで消耗する事はなかっただろう。
しかし相手は体力が実質無尽蔵の細菌型魔物。どれだけ長時間の戦闘を繰り広げようともそのパフォーマンスは変わらず。
反対にグラッドとキャサリンは鍛えているとはいえ常時最高稼働を継続するゴーレムを相手にし続けなければならない。
本来なら拮抗している筈の体力の天秤が継戦する時間に比例して傾いていく……。これがゴーレムを相手に長期戦をしてはならない理由である。
(決めるなら次が最後。ヤツの菌根をキャサリンの矢でブチ抜くっ!!)
「行くよキャサリンっ!!」
「はいっ!!」
掛け声と共にグラッドが疾走、キャサリンが竜鏡銀の矢を引き絞る。
まだコチラに反応し切れていないトランセンド・ゴーレムの懐に潜り込んだグラッドは、体勢を誘導させる為の《麻痺刺突》を左股関節に向け一閃。
蓄積した疲労に振り回されず真っ直ぐ走った軌跡はしかし、相も変わらず予備動作の一切無い機械的な挙動でトランセンド・ゴーレムはこれを回避。
軸足で重心を移動させる事でその軌跡から逃れると、その勢いに乗せて回し蹴りをグラッドに向け放つ。
「想定済みっ!!」
グラッドは後頭部に迫る岩石の健脚を、《柔軟性強化》、《駆動域拡大》のスキルを駆使する事で限界まで己が肉体を折り畳み躱す。
頭上を通り過ぎる脚を見上げ、ベストタイミングの位置にまで到達したのを確認すると全身の筋肉を一気に引き締め、宛ら解放されたバネのように跳躍し岩脚に縋り付く。
「……」
「うん。確かにボク程度の体重じゃーオマエの動きは鈍らせらんないよ」
トランセンド・ゴーレムの構成物は岩。その総重量は数百キロにのぼり、そしてそれらを支えながら人間と寸分違わぬ機動力を難なく熟す細菌達の擬似筋肉は並大抵──グラッド程度の体重では一切揺るがない。だが──
「でも重心は違う」
トランセンド・ゴーレムは今、回し蹴りの最中で片足で身体とグラッドを支えている。
仮にこのままの姿勢で立てと言われれば、トランセンド・ゴーレムは余裕で数時間は耐えられるだろう。
しかし、重心が変われば話は別だ。
「……!」
グラッドは自身の背中に、《嵐魔法》による嵐球を幾つか発生させるとそれを噴出。
一点方向から圧縮されていた空気と風が凄まじい勢いで噴き出し、脚にしがみ付くグラッドごとトランセンド・ゴーレムの身体が傾く。
咄嗟にバランスを取ろうと腕や掴まれている脚、頭等の位置を変えたり振るったりするが、その度にグラッドの背中の嵐球を噴出させて妨害する。
(ただ転ばすだけじゃダメだっ! コイツの弱点──菌根を狙いやすい場所を無防備にしなきゃっ!!)
絶えず増殖と死滅を凄まじいスピードで繰り返す事で常時全盛の力を発揮する魔物細菌であるトランセンド・ゴーレム。
しかし当然、そんな事を常にやっていてはエネルギーが保たない。魔力的な話でなく、純粋な栄養面の話でだ。
その再生に費やされるエネルギー量は尋常ではなく、特殊な栄養源でもなければあっという間に枯渇し餓死する。生物としては破綻していると言えるだろう。
ではそんな破綻を成立させている特殊な栄養源とは何なのか? その正体こそが〝菌根〟である。
『ゴーレムには決まって〝菌根〟っつう器官がある。一律してそこが奴等の弱点だな』
『菌根?』
『ゴーレムの本体である細菌は、その身体を構成する時に樹木の根を一部巻き込むんだ。んで、少しずつその木を侵食しながら改造しちまって、木が蓄えてる栄養やら何やらを根こそぎその巻き込んでる根の部分に集約させる。そんで十分に貯まったらその根を腐らせて切り離して、その部分を自身の分泌物で頑強に過去って〝核〟にすんだ。それが菌根』
『ふーん。それで?』
『菌根はゴーレムのスキルの権能で超高効率超低燃費のエネルギー源になってて、ちょっとした光と水さえありゃ半永久的に生きていけるし、周囲に栄養になるもんがありゃあ爆速で増殖出来る。まさに核だな』
『なるほど。ならそこが弱点になるわけですね』
『ああ。菌根が破壊されりゃあヤツの栄養源がなくなって増殖出来なくなる。そうなればエゲツない速さで増殖してるヤツは即効前細菌が寿命を迎えて死滅する。強い個体ほど早く死ぬな』
『ならアイツなら……』
『そう。多分あのレベルの個体なら菌根を破壊した瞬間、あの身体を保てなくなって死ぬだろうな』
(あのオッサンの言葉を丸々鵜呑みにするのは危険かもしれない。けど──)
グラッドは《弱点感知》でトランセンド・ゴーレムの菌根と思われる部位を可視化。
その部分──およそ人間に於ける心臓部が最も無防備になる体勢を見極め、嵐球の噴出口を操作しながら調整し、そして──
「せーっのッ!!」
「──ッ!?」
トランセンド・ゴーレムの体勢が、ついに取り返しのつかない程にまで傾き、砂埃を上げながら地面に倒れた。
形としては横転。胸部が最も無防備になるような、理想的な形。
「キャサリーーンッッ!!」
「貫けッ! 《武衛柱》ッ!!」
放った矢は、ただ貫通力にのみ特化した技スキル。
一切の小細工を排除し、無駄とブレを削ぎ落とし。
ただ一点に真っ直ぐ素直に、けれども速く、疾く奔る一矢を放つ技。
そこに《風魔法》と《嵐魔法》による推進力と破壊力を相乗させ、岩石をも貫き、その先の核である菌根を穿つ剛射へと昇華させた。
そしてその矢は──
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──私の足元には、「不動の鉄蟹」の頭領であるケーキクラブの頭がある。
別に頭単体が転がっているわけではない。稀に見る芸術的なまでに綺麗な土下座をかまし、そのハゲ散らかした後頭部を曝け出しているのだ。
数分前──私がエルフアンデッドを戦闘不能にし、慌てふためくケーキクラブを見遣ると、突然ヤツの腹心であったシェイが高らかに裏切りを宣言。
それに怒号を上げる構成員達をシェイが予め丸め込んでいたらしき数名が制圧し、私が少し面白がって「ネタバラシが早くないか?」とシェイの細やかな企みに悪ノリすると、まるで予行練習でもしていたかのような完璧な動作でケーキクラブが足元に滑り込むように土下座をかました……それが現状までの短い顛末である。
「お、お許しくださいっ!! お許しくだはいぃぃ〜〜ッ!!」
「一切唆らんな。感動も同情も憐憫も感じん。手慣れ過ぎている土下座はここまで形骸化するのだな。まだ銅像の方が人の心を動かすぞ?」
「く、くぅぅぅっっ……」
「そうやって乗り越えてきたか? そうやってやり過ごしてきたか? そうやって許されてきたか? 運が良かったんだな今まで。だが、それもこれまでだ」
ポケットディメンションを開き、そこから彼等にプレゼントされた拳銃を手に取り、弾が入りセーフティが外れているのを確認してから狙いやすい後頭部へ銃口を突き付ける。
「ひ、ヒィィィッッ!?」
「……シェイ」
「はい」
「私が殺ってもいいが、お前はそれで──」
「そうですね」
私の問い掛けを遮った直後。シェイは懐から銃を抜くと何の躊躇もなくケーキクラブへ向け、一縷の逡巡も挟まず発砲。
後頭部に小さな穴が開き鮮血が噴き出すと、綺麗だった土下座はその場で重力に負けて地べたに崩れ、ケーキクラブは動かなくなる。
「成る程。それだけ鬱憤が溜まっていたか。能力がある小物が力を持つと始末に負えん。そうだろう?」
「……それでも、全く美味しい思いをしなかったのかと言われれば、そうでもありません。この世界なりの悦びも、あるにはありましたから」
「私としてはまだお前の方がマシだ。一人くらいは従順なのが欲しいからな。〝お手〟と〝待て〟は得意そうだ」
「ははは……。そんなにお利口な犬に見えますか? 自分が」
「ふふふ。そうドスの効いた声音を出すなよ。残念ながら……私は猫派だ」
私は一つ指を鳴らす。すると──
「──ッ!?」
先程までシェイの指示で身内を拘束していた構成員、そしてその拘束されていた構成員……。その全てが一斉にシェイに銃を抜き、銃口を向ける。
「これ、は……」
「裏でバレずに根回しをするのが得意なのだろうが、まだまだ甘い。裏をかくとは、こうするものだ」
シェイがケーキクラブに不満を抱いている事など事前に調査済み。
そしてそれを何とかひっくり返せないかと前々から実力ある部下達を選び抜いて説得し、裏切りの機会を窺っていたのも承知済みだ。
故に私という起爆剤が現れれば間違いなくそれを利用するだろう事は分かり切っていた。それをやるだけの柔軟な計画性も、コイツの長所だからな。
だがシェイはケーキクラブと違って才能があり、更にその信念は根っからの〝悪党〟には違いない。
私がシェイの思い通りに動いたからと、素直に私に手綱は握らせんだろう。
ならば、だ。全てに於いて、コイツを上回って屈服させるのが得策だ。
「い、いつから……」
「そんな事は重要ではないだろう? お前が一生懸命に説得し、言葉を尽くし、感情を露わにし、必死に裏切りに駆り立てた部下達が今、私に従いお前に銃を向けている……。その現実を目の当たりにし、お前はどうするべきなのだ? んん?」
「……はぁ。舐めていたワケじゃなかったんだがな」
「私に前の頭領のような義侠心を期待されてもな。お前がそうなるなら話は別だが?」
「……」
「さぁ、選べ。私にそれでも逆らい抗うか、それとも大人しく首輪を繋がれるか……」
「……チッ」
シェイが無数の銃口を向けられながら、私の前に徐に歩み寄る。
そしてその場で静かに片膝を付くと、そのまま頭を垂れた。
「……アナタに、忠誠を」
「なんだ。随分と様になっているな。そこの肉ダルマと大違いだ」
私はこの手に、見えないリードを握った。
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