第一章:四天王の華麗なる艱難-8
「──あ、あの……グラッドさん」
「ん? なーにー? キャサリン」
「あ、あとどれくらいで」
「さーっきも言ったでしょー? まだまだ先だよー。それとも、もうそろそろ休ー憩挟む?」
「あ。いえ大丈夫ですっ」
「そー? ならもう少し我慢しててねー」
ボク等は今、街道を走っている。
敬愛するボスに与えられた東西南北に出没した特殊個体魔物をボク等「十万億土」の幹部で倒す試練……その出現場所である南方向に向かってる最中だ。
……ただ、ボク等に関しては他の幹部達とはちょっとだけ事情が違う。
一つは人数。幹部の中だと最少人数であるキャサリン一人だけ。
ヘリアーテ班やディズレー班みたいに多人数じゃない分、移動に関しては比較的楽。荷物に関しても少量で済むから、割と動きに小回りが効いてボク好み。
大人数率いて従えてー、なんて、ボクに向いてないしねー。
とはいえ、ボスから渡された資金で旅する以上は無駄な寄り道かなーり厳しーし、下手な使い方は出来ないんだけどねー。
んで、もう一つの違いは距離。
四班の内、ボク等が担当する南方面の目的への距離が一番長くって、道なりも険しめ。
道中には一応は村落があるけど、下手すれば宿屋すらあるか分からないようなホントーのホントーに辺鄙な限界集落しかないみたい。
ボスからも──
『目的地以外の村には立ち寄らん方が良いだろう。ああいった小さな集落は余所者を毛嫌いする傾向があるからな。用がないなら無闇に近付かない方が賢明だ』
──まー、わざわざ嫌な思いする必要とかないしね。
よっぽどじゃないと寄ることは無いかなー。
……無いはずー……だよね?
「あ、あのグラッドさんっ!!」
「あははー。ごめんねーいやだよねーボクの背中なんてさ。でも歩くよりマシでしょ? あ。それとも一旦休憩する?」
「い、いえいえッ!! そんな違いますッ!! そんなことないですッ!! 大丈夫ですッ!!」
「そー? ならもう少しの辛抱だからさっ!! ね? 竣驪?」
「……ブルル」
三つ目の違い。それはさっきの二つの違いを考慮してボスに貸し出されたボスの愛馬──竣驪の存在。
そう。ボク等は今、竣驪の背に乗って目的地に移動してるんだよねー。
理由としては少人数かつ長距離の移動っていう二つの状況を効率良く解決するため。
竣驪の名馬を凌ぐ化け物じみた体力と体躯なら、ボクとキャサリンの二人を一緒に乗せての移動は勿論、ある程度の荷物だって担いでもらえる。
馬車を借りるって手もあったけど、生憎ボク等の目的地は山奥の辺境。馬車じゃ悪路を踏破は現実的じゃないのは明白だからナシ。
ならボスから竣驪を借りて背中に乗せて貰った方が効率的だよねってなって、彼女を借りる事になった感じ。
竣驪なら悪路なんてその桁外れの馬力とスタミナでものともしないしねー。
それをボスに説明して、ちゃーんと竣驪の世話をするようにって約束した上で貸してもらう事になった。
実は最近竣驪の調子があまり良くないって話だったから断られるかなとも思ったんだけどね。
ただもしかしたら運動不足が原因かもって言ってたから、ボスとしても久々に竣驪にちゃんとした運動を思いっ切りして欲しいって、あの人としても願ったり叶ったりって言ってたっけ。
……まー。出発するとき一悶着あったから、荷物の準備早く終わった割に出るの遅れたんだけどねー。
事前にボス自ら竣驪にちゃんと説明してたはずなのに、出発当日になって急に竣驪が駄々こね始めちゃってさー。
あんな困り顔してたボス、初めて見たなー。まるで可愛い実の子供を必死で説得する親みたいでさ。
それ見たキャサリンなんて隣で「ボスって、あんな普通の顔できるんだ……」って小さく呟いててさ。思わず吹き出しちゃうとこだったよ。ふふ……。
あー。んでまー、結局なんとかボスの説得でか・な・り、不承不承な感じでボク等の送迎役をやってくれる事になったわけだね。
でもやっぱり未だに納得いってないみたいで、今でもまだずーっと不機嫌のまま。それこそ普段は表情なんて分かんないこの子の顔から余裕でその不満が読み取れるくらいには、かなり不機嫌。
これでもアレコレ気を遣ってるんだけどねー。
定期的にボクとキャサリンでボスを褒めるような会話したり、ボスがどれだけ竣驪を可愛がってるのかをそれとなーく言ってみたり……。
まー。全く効果が無いわけじゃなかったみたいで、多少はボク等に気を許してくれるようにはなったけどね。ちょっとしたお願いくらいなら仕方ないって感じでやってくれるくらいには。
「というか改めて、竣驪って凄い馬ですよね。ホントに」
お。今度はキャサリンが竣驪を褒めるパターンかな?
「馬は賢い生き物だって、よくお父様からは聞かされていましたし。実家でも何頭か飼育していて私も触れ合いましたけど、竣驪ほど人の言葉をしっかり理解してる子なんて見た事も聞いた事もありませんもの」
──キャサリンの実家であるグリンステファン子爵家は代々軍用馬を育成するギルドを抱えてる家で、最近だと王国直轄剣術団ギルド「竜王の剣」にも仕事を貰ってるんだとか。
だからキャサリンも馬については一家言あったりするんだけど、そんな子がここまで言うんだから相当だよね。
「そうだねー。野宿する時も自分の寝床は自分で整えるし、なんならその周りを過ごしやすいように飲水用の桶とか餌台とか、ボスから貰ったブランケットとか完備するからねー」
「あ。ダメですよグラッドさん。ちゃんと餌じゃなくて〝ご飯〟って言わないと」
「あーそうだね。ごめんごめん」
竣驪は頭が良い分、プライドも人一倍──いや、馬一倍かな? とにかくプライドがかなり高い。
それこそ人と同じくらいの扱い方をしてあげないと簡単にヘソを曲げちゃう。
もちろん竣驪自身が別に自分を人間だと思ってるワケじゃない。ちゃーんと馬だって自意識がありながら、それでも人と同じ扱いをしろと、そう考えてるんだよね。
まー。これに関しては半分くらいボスのせいなんだけどね。多分。
あの人、基本的に自分に尽くす存在に対しては全幅の甘やかしをかますから、ボスの事がダーイスキな竣驪にも当然、それを発揮してる。
忙殺の日々を送ってる中で二日に一回は必ず竣驪に乗って散歩しに行くし、与えてるゴハンに関しても栄養バランスを考えた上で好物をふんだんにあげてるし、鬣なんてボスが手ずから手入れしてる。それも最高級の石鹸を使ってね。
ボスの竣驪の可愛がり方は最早まだまだちっちゃな娘相手と変わらない。そりゃあ、竣驪だってそれなりの自意識を持つようになるよ。
「まったく。ボクとしちゃー羨ましい限りだよ。あーあ、どうせならボスの子供に生まれたかったなー」
「そうなると……母親がロリーナさんになりますね」
「あーそうだね。厳しいお母さんになりそ──」
『──ウィル。ごめんね……』
「……」
「……あの、グラッドさん?」
「……あ。ごめんごめんっ! ボスの子供になった妄想に耽っちゃったよっ!」
「……そうですか?」
「うんっ! いやーダメだね。長旅だからかついつい気ー抜けちゃうっ! 油断なくいかなきゃねっ!!」
「ええっ! 油断なく、ですねっ!」
「うんっ!」
…………自分の事や周りの環境が豊かになって余裕が生まれたせいか、最近よく昔の事を思い出すようになった。
殆どが嫌な思い出だからその時は適当に振り払うんだけど、ボクの中の数少ないまともな思い出──死んだ母さんの事だけはどうしたって一瞬浸っちゃう。
ボクがどこのどなたか分からない「グラッド・ユニコルネス」の戸籍を買って成り変わる前の、まだただの不幸な麻薬密売人の子──「ウィリアム・ストン」だった時の記憶……。
病気で死んじゃった母さんの代わりに妹を守るって誓ったのにそれを守れず逃げ出した、最低最悪のボク……。
今はボスに拾われて、救われて。
それでボクなりの道みたいなものを見付けられたけど。
でもやっぱり、全く何も思わなくなるほど乗り越えられてはない。
自分の事だけを考えなくてよくなった、その隙間に。
死ぬ前の母さんの顔と言葉が沁み込んでくる。
『ウィル……。あの子をお願い、ね……』
…………こんな約束も守れないボクが、今後ボスの事を助けられるのかな……。
──ボク等の目的地は、山奥にある小さな村落。
王都までの距離と獣道にも等しい悪路の影響で王都や周辺都市からの巡回兵とかの派遣が難しくて、半年に一回くらいの頻度でしか中央と繋がれない半ば隔絶されてるに等しい限界集落だ。
今回はそんな村落の近辺で例の特殊個体魔物が現れたって話だったんだけど、じゃあなんでそんな中央との交流が過疎ってる辺境中の辺境の村から通報が行ったんだって話で。
隔絶されてるって言ってもやっぱり必要な物はあるからね。
一応村で自給自足は出来てるみたいだけど、最低限のお金を得る為に村の特産物を麓から一番近い街まで持って行くみたい。
んで、ちょーど特産物卸しに街に来たそのタイミングで村の人が魔物討伐ギルドに通報したって経緯らしい。
村人としては山のちょっとした異変とか普段見ない動物を頻繁に見かけるとかを一応言っとこう、ぐらいの気持ちだったみたいだったんだけど。
でも今は弱小魔物が各地で頻出するような厳戒態勢の真っ最中。
村の特産物も中々貴重な品で、万が一にでも村に被害が出ちゃうと中々に大きな損害が出るって話で、一回だけ魔物討伐ギルドの調査員が帰りの時に同行して調査。
結果、村の近くに弱小魔物よりも遥かに強力な特殊個体魔物である事が判明して、改めてボスの元に依頼が飛んだ感じ。
今でも調査員は帰らずに村に居るらしくって、村人達に魔物への対処法を教えたりやら注意喚起やらをして魔物の出現を警戒してる最中なんだって。
いやーホント。勤勉な調査員には頭が下がる思いだよねー。
…………って、最初は本気で思ってたんだーけーどー。
「フンっ! 誰を寄越すのかと思えばこぉんなガキンチョ二人だけ……。本部も人員不足だとは聞いていたが……。ハァ……これは深刻だな」
年齢的には三十代前半、かな?
髪色は灰色で短髪。眉間にはずっとシワが寄ってて堀は浅め。
目付きが悪い三白眼に高身長。
身体付きはいわゆる細マッチョな感じで、ギルド調査員の制服を着たイヤミーな男。
そんなヤツがボク等が村に着いた開口一番、あからさまに落胆って顔をしながら嫌味を吐きやがった。
「まさかとは思うがオマエ。魔物討伐の助っ人に成りすました盗賊かなんかじゃないだろうなぁ?」
「は?」
胡乱げな目でボク等を見ながら、ヤツはそんな事を口走る。
「細目の上に黒いメガネ。軽薄そうな雰囲気がプンプンしやがる。助っ人ってより盗賊だろどう見ても」
「……」
男は無遠慮に続ける。今度は隣のキャサリンを見ながら。
「それにこんなチャラチャラした女の子まで連れて来やがってよぉ。こんなんでオレが懐柔出来ると思ってんのかねぇ? ガキにゃ興味ねぇよガキにゃ。連れてくんならせめて同年代連れてから出直しやがれ」
そう言って男はお呼びじゃねぇとばかりに手の平をパタパタと煽いでボク等を追い払おうとする。
最悪、村人にはもしかしたら塩対応されて追い返されるってのは想像してたんだけどなー。
まさか調査員にこんな扱いを受けるとは……。ボクってそんなに第一印象悪いかなー?
……いや、悪いか。実際元犯罪者だし。
「ちょ、ちょっとアナタっ! なんなんですかさっきからっ!!」
おっと……。キャサリンが反応しちゃったな。
ボクは色々言われ慣れてるからなぁーんにも感じないけど、キャサリンはお嬢様だからなー。
調査員が貴族家出身かどうかは知んないけど──まー見るからに違うけど──あんな失礼な物言いされたらそりゃー反抗心刺激されちゃうよねー。
「あぁ? んだクソガキ。こっちは仕事なんだ一々ガキのゴッコ遊びに付き合ってらんねんだよ」
「なっ!? こ、コッチの素性もまともに確認せず憶測で決め付けて何なんですかっ!? 非常識にも程がありますっ!!」
「だぁからっ! オマエらの何処が魔物討伐の助っ人だってんだよエェっ!? 説得力ねぇんだよ説得力っ!!」
「ば、馬鹿にしてっ……! 私達のこと何にも知らないクセにぃっ!!」
「知らなくても見りゃ分かんだよ調査員だからなオレはっ!! こぉんなチンチクリン二人にいったい何が出来んだっ!! どう見たって胡散臭ぇ盗賊──」
「ねーオッサン?」
「あ゛ぁっ!? だぁれがオッサ──ッ!!?」
あー。やーっと気付いた。鈍いなー。
「て、テメ……」
「まったくもー。さっきから首にナイフ当てがってんだから早く気付いてくれないとー」
キャサリンが色々言ってる間にそれとなーく背中に回り込んでナイフ当てがったんだけど、気付かないんだもんなー。
「最初はねー? あんまりに隙だらけだったから誘われてんのかなー? って勘繰ったりもしたんだけど……拍子抜けだね」
「ぐっ……このっ!!」
首に当てがってたナイフを、調査員がボクの腕を掴んで拘束から逃れようとする。
だけどねー。
「──っ!?」
「アッレー? どうしたのオッサン? チンチクリンのクソガキの腕一本動かせないのー? ダッサー」
「んなっ!?」
「ホラ? ボクって見てのとーり貧弱そーじゃない? やり方も基本的にはこんな風にこっそりと色々やるタイプでさー? だから色々勘違いされんだけどー」
「んごっ!?」
オッサンの膝裏を踏み込んで体勢を崩す。
そのままナイフを持つボクの腕を掴んだままの手を引き寄せながら捻り上げ、オッサンの背中にのしかかる形で体重を掛けて地面に倒し、まだ自由のまんまの片腕を踏み付けて固定してやった。
「ぐはっ!?」
「場合によってはこうやって相手を制圧しなきゃなんないからさー。最低限の体術とか白兵戦くらいは押さえてるし、こー見えて筋力だってそれなりにはあるんだよねー。オッサンの見せ筋と違ってさ」
「な、なんだとっ!?」
まー最近はもうちょっと踏み込んで近接戦もそれなりにやり込み始めちゃいるんだけどねー。
多分真正面からやり合ったとしても、余裕でボコボコに出来たかもしれないけど。
第一──
「鍛えてんのは分かるけどさー? 鍛え方のバランスとか考えてないでしょー? 筋肉の付き方がバラバラでバランス悪いクセに重要な筋肉は貧弱。それに体幹すら弱弱だしねー。笑っちゃうよホントー」
「て、てんめ……」
「これならキャサリンにも制圧出来たかなー。こんな場所に派遣されるような調査員だから割とちゃんと警戒してたんだけどー……。あーあ。期待外れ。ごめんねーキャサリン。君にやらしてあげれば良かった」
「い、いえそんなっ!! お見事ですグラッドさんっ!!」
キャサリンがボクを見ながら拍手混じりに絶賛してくれる。
にしても君、拍手の速度スゴイねー相変わらず。
「てめ……降りやがれっ!!」
「アレアレー? ボク程度の胡散臭そうなガキ一人自力で退かせないのー? イキるだけイキって無様ーっ!」
「ぐっ……」
調査員のオッサンがボクの下で暴れる。
両足をジタバタさせて踏み付けられてる腕を何とか動かそうとそれはもー、必死に。
まー。無駄な足掻きだけどね。文字どーり。
「そーやって無駄に暴れるより先にやる事、あるよね?」
「あ、あ゛ぁっ!?」
「しゃ・ざ・い。ママに教わんなかったかなー? 間違ったことしたら謝るって。じょーしきでしょ?」
「ま、まだテメぇらがホントに助っ人かどうか分かんねぇだろうがっ!!」
「あー。あ。キャサリン。アレ見せてやってアレ」
「アレ? ……あぁっ! アレですねアレっ!!」
ボクの指示でキャサリンがさっきからずっと暇そうに野草を摘んでた竣驪にぶら下げてるカバンを漁る。
そしてその中から細長い木箱を取り出すと、箱を開けて中に入っている一枚のスクロールを取り出して、地面に伏せる調査員のオッサンに突き付けた。
「読めるーオッサン? コレ、魔物討伐ギルド本部「青獅子の慟哭」のギルドマスターと、王国の魔物討伐ギルド統括管理者である珠玉七貴族の一柱〝翡翠〟ジェイド・チェーシャル・キャッツ辺境伯両名の調印が捺された特殊個体魔物討伐許可証。ボク、グラッド・ユニコルネスと彼女キャサリン・グリンステファン子爵令嬢の名前入りでね」
「んなっ!?」
「まーあ? コレがあってもまだ疑おうと思えば疑えるとは思うけどー? だけどいーのかなー? この許可証を提示した上でボク等を追い返したってなったら、それって業務妨害になるんじゃなーい?」
「うっ……。それは……」
「本部のギルドマスターと統括管理者であり珠玉七貴族二人のメンツに泥を塗ることになるよねー? それってオッサンの立場かなりヤバくなーい? 何処の何歳のオッサンなのかは知んないけど、路頭に迷うには中々キビシーでしょー。ねー? ……それに──」
「あ、ああ? まだ何かあんのかっ!?」
「……ボク等、そのジェイド・チェーシャル・キャッツ辺境伯閣下の御子息であり、先の戦争で国王陛下から「珠玉竜王勲章」を賜った次代最高位魔導師たる「千手万操の英傑」クラウン・チェーシャル・キャッツ。その直々の部下だ」
「んなッッ!?」
「ボスはボク等身内を大変に大切にして下すってる。そんなボク等を無能の勘違いで無碍に扱ったと知れば、あの方は相応の報いをアンタに下すよ。なんならボク等自らがアンタを──」
「わ、わかったッ!!」
「んー?」
「わかったわかったわかったよッ!! 悪かった信じるッ!! 信じるから色々勘弁してくれェェッッ!!」
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──泥水をすする。
捨てられてる廃棄のゴミ箱から食料になるものを探して、腹を満たす。
最初は何度も吐いたし、お腹だって何回も壊した。
けど今はもうそれにも慣れちゃって、ちょっと腐ってるくらいじゃ何ともないないくらいには強くなった。
……けど、やっぱりアイツには少しでも美味いもん食わしてやりたい。
──気が付いたら裏路地をさまよってて、自分がどこのだれで、いつから言葉を話せたかも分からないし、モチロン親が誰かなんて知らない。
路地裏でチョロチョロと歩き回るネズミ……。オレはそれと何も変わらない、少し大きいだけのネズミだ。
……だけど、そんなネズミを気に入る変わり者も、居ないわけじゃなかった。
「あ。ポーンっ! おかえりっ!」
「またポーンって……。オレに勝手に名前付けるなよ。周りのヤツらに変な目で見られるんだからな」
路地裏の世界で〝名前〟は異様に目立つ。
そうやって大きい声で呼ばれると余計に悪目立ちするんだよ。
「いいじゃないポーン。チェスの駒からとったのよっ! 動き回ってるからポーンって」
「……どうせならナイトに」
「え? なぁに?」
「な、なんでもねぇよっ!」
──彼女はポニー。初めて会った日に自分からそう名乗った妙なオンナだ。
この広い下街の路地裏じゃあ何年経っても新顔には遭うけど、コイツほど変わったヤツは初めてだった。
人族の顔、人族の身体……。なのに頭の上には普通の人族にはない〝ケモノ〟の耳が真っ直ぐ伸びている。
もう何日も会ってない物知りジジイから聞いた話じゃ、コイツは人族と獣人族のハーフ──「半獣人」ってヤツらしい。
ジジイには色んなことを教えてもらったけど、露骨に嫌な顔してたのはその時くらいだったな。なんでだろ?
……って、そんな事よりも、ポニーはオレと会ってから、何でかオレについてくるようになったんだ。
理由を聞いても答えないし、いきなり名前なんか付けてくるし……。ただ妙なヤツに気に入られたのは分かった。
──ポニーは会った時から足が悪くって、オレみたいに長い時間は歩けないしモチロン走るのだってムリ。
今まで食いモンはどうしてたんだって思ったけど、どうせ聞いたって答えないしわざわざ聞かない。
だから代わりにオレが食いモンを探しに行ってやってる。……ちょっと手間だけど。
……アイツはオレが取ってきたモンを、なんでも「おいしい」って言って食べる。間違って腐ってるやつ渡しちゃったときも、顔色を悪くしながら「おいしい」って言って食べやがった。
ポニーはウソをつくのが下手だ。でも何でもかんでも我慢するから色々ややこしくってメンドクサイ。
だからコイツには……なるべく美味いモンを食わせてやりたいんだ。
──その日はいつも通り、食いモンを探しに歩き回ってた。
今日は手書きのカレンダーが間違ってなかったらクズ肉屋の廃棄がまとめて裏に捨てられる日で、他の放浪者たちと奪い合いになる。
だから前もってあの店の近くに隠れて待って、廃棄が捨てられて店主が居なくなった瞬間に肉をかっさらう。
毎日毎日路地裏を駆け回ってるオレの足ならこの方法で間違いなく取れる。オレの手から奪おうとするヤツらからも逃げられる。
ただ今日は二人分だ。いつもより量は多い。
お腹いっぱい食べさせてやるにはそこからもっと増やす必要がある。いつもより、頑張らないといけなかった。
……いけなかった、のに……。
「よォォやく捕まえたぜクソネズミッ!!」
「──ッッ!?」
クズ肉屋の店主は、待ってたんだ。
廃棄を捨てて店に戻ったと見せかけて、オレを捕まえるためにっ……!!
「テメェ……。カネも払わねェェでコソコソコソコソ肉盗みやがってよォォッ!! このクソネズミがッ!!」
「は、離せよクソッ!!」
「テメェみてぇな汚ねェクソガキにやる肉なんか一片もねェんだよッ!! 食いたきゃカネ出せカネッ!!」
「す、捨ててるモンになんでカネ払わなきゃなんねぇんだよっ!! どうせ捨てんならオレたちに──」
「やるかよボケッ!! 欲しがるヤツが居ねェから捨てんだよッ!! 欲しいヤツが居んなら話は別だろうがあ゛ぁッ!? 頭弱ェなクソネズミはよォォッ!!」
店主が腕をひねってくる。
腕が曲げた事のない方向にムリヤリ曲げられて、折れそうになる。
「ギィッッ!?」
「ホラホラどうしたァ!? カネ払わなきゃこのまま折っちまうぜェェッッ!?」
「ぐ……ヴゥゥゥゥ……」
このままじゃ……ホントに折れ──
「やめてッッ!!」
──ッ!? この、声……。
「あ゛ぁ? んだ仲間が居やが──って、なんだァ? その頭の耳……」
「ぽ、ポニー……」
ポニーがオレの前に現れて、割って入ってきた。
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