第一章:四天王の華麗なる艱難-1
「早くない?」
「はっは。私だってゆっくりしたかったんですけどねぇ……。存外に、期待値を下回っていまして……」
「ふ、ふぅん。君も苦労してるんだねぇ……」
私は今、エメラルダス侯の職場──司法庁庁署の署長室を訪れている。
理由は言わずもがな、下街の一区画── 西区「 歔欷の吹き溜まり」を治める組織「不可視の金糸雀」での報告の為だ。
以前から公言しているが、本来下街の案件というのはこのエメラルダス侯が長を務めるエメラルダス家と我がキャッツの裏稼業組織「劈開者」が合同で監視し、処理するのが約定となっている。
故に今回は、そんな「不可視の金糸雀」での一件やそれに付随する諸々の報告を、こうして私自らがしているわけだ。
「それにしてもわざわざこうして訪って来るなんて、律儀なのかそれとも……」
「報告書なんぞに残せる内容ではありませんからね。口伝はシンプルですが、都合は良い」
「で、しょうねぇ。……で、さ。話、少し違うよね?」
エメラルダス侯が露骨な作り笑いを浮かべながら茶菓子のクッキーを齧り、噛み砕く。
「さあ? 何の──」
「メンドイから惚けんの無しー。別にコッチは結果同じで不都合ないからどっちでも良いんよ。ただモヤつくのは、頂けない」
エメラルダス侯の言う話が違う、というのは、私が「十万億土」を設立するにあたる後ろ盾の条件として提示した、下街の麻薬関連の撲滅に関して。
当時は我が「十万億土」が麻薬撲滅を敢行し、遂行すると約したワケだが……。
「麻薬撲滅は「十万億土」が担うって言ってたけど、君「劈開者」のサヤン・サラマンドレイクに流通ルートの完封を指示したでしょ? アレはどういうつもり? やっぱ裏に任せんの?」
……この人、会う度に口調が砕けてきているな。まあ、無意識だろうが意図したものだろうがどっちでも構わんが。
「いえ。お約束通り「十万億土」の方で処理しますよ」
「へぇー?」
「ただ戦後の不安定な情勢で、圧勝したとはいえ国民には不安が広がっています。中にはそんな不安から薬に手を出す者も出るでしょうし、獣共はその隙を見逃す程、満たされてはいません」
「だから先手を打っておいたワケ?」
「ギルド設立にはまだ時間が掛かります。その間に状況が悪化されては効率が悪いですからね。今の内から規制を布いておけば、後々に多少は楽でしょう?」
とはいえ完全に堰き止められるわけではない。
奴等もある種のプロだ。あの手この手で隙間を縫い、私達の目を掻い潜ってしまうだろう。
そしてそんな奴等を、「十万億土」が刈り取るのだ。
「そこで捕まえた連中は国民に晒し、少々過激な刑罰にて罰します。そうする事で売人化の抑制と共に、我々の献身的な治安活動をアピールする事が出来ます」
「……罪人を宣伝に使おうって?」
「使える物は使わないと。それに……」
「それに?」
「……薬物の製造業者と売人ほど、醜悪で悍ましい罪人はこの世に居ません。奴等は根絶やして然るべし。罪の贖いで衆目に晒し辱める程度、私からすればまだ温情がある方ですよ」
「うっわ重たぁーい」
わざとらしくおちゃらけながら紅茶を啜るエメラルダス侯。
余計な事には突っ込まないし流せるなら適当に流す……。本当、面倒が無い人で尊敬に値する。
「ま。やりたい事は分かったよ。僕としては異存は無いかな。たーだっ!」
「はい?」
ティーカップを少しだけ乱暴に置き、真剣な眼差しで前のめりになりながら私を睨む。
「もぉー少し、他の組織にちょっかい掛けるのは控えてくれる? やり返すのは置いといて自分から首突っ込むのは、暫く後にして」
「……何故?」
「もしかしたら君の隣に居る秘書ちゃんに言われてるかもしんないけど、君ってたまぁーに人の事置き去りにするからさ。君の速さに付いて行けないのよ、一般人は」
「……」
「それは獣共なら尚の事……。速すぎる環境の変化に頭も心も追い付かない。まぁあ? 殆どの場合はそれで丁度良いくらいなんだけど、下街は単なる犯罪街じゃないからさ。やさぁーしく馴染ませなきゃ。ね?」
「……承知しました」
「お? 思いの外に素直ね?」
「先にも言いましたが、私としては元々ゆっくりするつもりだったんですよ。それに漸く、取り組めるというだけの話です」
「へぇー。なんか君らしくないねぇー」
勘違いされがちだが、私は別に仕事が好きというワケではないし、忙しい状況というものにも辟易はする。
あくまで私は自分と自分の身内の幸福こそが最大の指標であり、趣味や観光、豪遊に収集に満たされた日々というのが、理想中の理想だ。
だが当然、それを満喫するとなると相応の時間と労力と事前準備が必須で、私が望む理想を実現させる為にはそれに全力で取り組む必要がある。
そして今が、まさにその時期なのだ。
……とはいえ、そんな中でも可能な限り好き勝手には振る舞うがな。
「てっきり君は皆んなが君のそのスピードに慌てふためいてる間に国を内部から蚕食して、貴族諸侯等に鼻薬を嗅がせて、その手を玉座にでも伸ばすんじゃ……なんて邪推してたんだけどね。例えばそう……〝魔王〟みたいに、ね……」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「…………ふふふふふふ。面白い冗談ですね。ですが、王座になんて興味はありませんよ私は」
「あっはっはぁー。立ち居振る舞いは王様然としてるけどね」
「雰囲気は大事ですから。無駄に責任が増え大切な暇を犠牲にするだけの立場など、頼まれてもやりませんよ」
「あっそ。ま、それを聞けて安心はしたかな? 君、なぁーんかアッサリ裏切ったりしそうだけど」
「私はただの快楽主義者ですよ。今日も明日も明後日も、私は好きなように過ごすのです。なぁ、ロリーナ」
「はい。クラウンさん」
隣のロリーナに笑い掛ける。
そう。ロリーナとの時間を存分に堪能するのだ。
勿論ドーサと遊んだり、マルガレンを労ったり、ティールと駄弁ったり、部下達と仕事が絡まないコミュニケーションなんかも良い。
充実した何気ない日常も……。
「好きにしなよ。僕としては邪魔さえされなかったら、基本的にはスルーするつもりだからさ」
「邪魔、ですか?」
「うん。僕今すごぉーく忙しいからさっ! 願わくば大人しくしてて欲しいわけよ。うん」
……。
「それは……例えばどんな案件で?」
「部外者の君には言えないなぁー流石に」
「当てて差し上げましょうか?」
「……」
エメラルダス侯の表情が再び真顔になる。
しかし今度のものは真剣さとは異なり、まるで警戒心を研ぎ澄ませたような、鋭い刃のような剣呑さを孕んでいた。
「……バカにしてるって、ワケじゃないよね?」
「無論です。長い付き合いになるであろう貴方の機嫌を損ねるようなマネなど致しませんよ」
「いや結構損ねてるけどね僕。君に損ねられてるけどね」
「それはまた……ご愁傷様です」
「はぁ……。んで? 当てられんの?」
「過激派魔物崇拝宗教──通称「魔天の瞳」……に関して、でしょう?」
「…………はぁーあぁー……」
エメラルダス侯は項垂れ、一周回って呆れの混じった表情で私を見遣る。
「なぁーんで判っちゃうんだよ君はさぁー。むぅーかぁーつぅーくぅー」
「三十半ばの良い歳した男が可愛こぶって不貞腐れないで下さい。幾ら童顔でも見ていて見苦しいですよ」
「女の子には、割とウケ良いよ?」
「気を遣ってるんですよ」
「そゆこと言っちゃう? 一応僕って君の大事な後ろ盾よ? もっと丁重にだねぇ……」
「気を遣われるのが嫌いなクセによく言いますね」
「だぁーかぁーらぁーっ!! 何でまだそんな付き合い長くないのにそうゆうの把握してるかねぇーっ!?」
「私を誰だと思っているんです?」
「はいはい国始まって以来の万能超人様でございますよぉー。……はぁ、まったく……」
散々ぐちぐち垂れたエメラルダス侯はそこで居住まいを正すと紅茶を一口で一気に呷り、ヤケクソ気味にクッキーを頬張って噛み砕く。
「……最近、各地で弱い魔物が頻出するようになってるのは知ってるよね?」
「ええ勿論。父上が慣れない業務の中で悲鳴を上げてましたから」
「ジェイドさん可哀想──じゃなくてね。問題なのはさ。増え始めたタイミングが、丁度戦争終わって何日かしてから、なんだよね」
「ほう。確か動植物が魔物化するにはそれなりに掛かるはずですから……。逆算すれば戦時中……という事になりますかね?」
「うん。いくらなんでもタイミングがさ? 気になっちゃってねぇー。だって都合良過ぎると思わない?」
「ええ。仮にそのタイミングが早ければ、各地で発生した魔物達によって背中を突かれていたワケですから。国中が大混乱に陥っていたでしょうね」
「そうそう。んで僕はその点を鑑みてアレが意図的に引き起こされた事象だと仮定し、戦時中、一際に怪しい動きをしてた集団がいなかったかを調査したわけ。するとどうよっ!! 戦争の端々で何人かの兵士が似たような黒ずくめの集団が敵兵構わずアールヴに直行してたって言うじゃないっ!! 中には怪しい〝三つ目〟の紋章も見かけた人も居てねぇー。こりゃもう決まりだぁー、ってね?」
「ええ、決まりですね」
「……君、知ってたでしょ?」
「何をです?」
「奴等──「魔天の瞳」が戦場突っ切ってアールヴに侵入した事」
私は、笑う。ただただ和かに、微笑みだけを返す。
「……奴等は少なくとも確かな確信を持って迷い無く、アールヴに向かいティリーザラに魔物を大繁殖させた。推測でしかないけど、多分アールヴの首都である霊樹トールキンにそれを可能とする手段があったんだろうね。以前のユーリ女皇帝の事だ。それくらいの盛大な嫌がらせくらいは仕込んでそうだしね」
「ええ」
「「魔天の瞳」の連中がどんな経緯で、んでどんな手段でそれを知ったかは知らないけど、奴等の熱狂ぶりならアールヴにまで突っ込んでやり遂げちゃいそうだしね。ホント、熱中出来る事があるって素晴らしいよねぇー」
「全く以って同感です」
「…………で。僕も馬鹿じゃないからさ。君の優秀さを知っている以上、懸念せざるを得ないワケよ。……君は「魔天の瞳」云々を百も承知で、敢えて見逃したんじゃないかっ、てさ」
「ほう。それはまた、酔狂な慧眼もあったものですね」
「考えてみれば魔物が増える事って、爵位が復権して魔物討伐ギルドをコランダーム家から返還されたキャッツ家にとっては美味しい話だよね? 復権早々に国民の安全を守って支持を得て、更には魔物の素材を大量に確保して市場で捌く事で戦後直後で疲弊した国益にも貢献し国政面でも優位に立てる……。まさに現状のキャッツ家そのまんまだ」
「ええ、ええ。実に助かっていますし、貢献出来たことに誇りも感じていますよ」
「僕はねクラウン。何ならこの状況を、君が故意に演出したようにしか思えないんだよねぇー。奴等に魔物を増やす手段を吹き込んでアールヴに誘導して奴等にそれを使わせた……。それなら君が直接手を下さなくとも魔物は増えてキャッツ家の利益に繋がるし、奴等自身はそれを自分達の手柄として疑わず誇る。辻褄は合うんじゃない?」
流石は珠玉七貴族の一柱である〝翠玉〟のエメラルダス家現当主。伊達に法の頂点を任されているわけではないな。
「ふふふふふ。…………それで?」
「え」
だが、彼自身も承知の上だろう。それに、果たして意味があるのだろうか、と。
「不謹慎な物言いになりますが、あの戦争のおかげで私達は大変に美味しい思いをしている。それこそ、エメラルダス侯が疑いたくなる程度には都合良く、ね。いやはや、何とも嬉しい誤算です」
「……あくまで偶然だって?」
「ウチの身内に幸運を引き寄せるのが得意なのが居ましてね? 戦時中は無理のない範囲で適宜それを発揮して貰っていたわけですが、きっとその恩恵の積み重ねでしょう。いやぁ、日頃の行いの賜物ですね」
「……」
「……推測や推理をするのはお好きにどうぞ。ただ例えそれがどれだけの完成度を誇っていようと、所詮は貴方の脳内で繰り広げられているだけの妄想と戯言です。それを分からない貴方じゃあないですよね?」
「……証拠が無いだろって?」
「そりゃあありませんよ。事実無根の貴方の妄想なのですから。私はただ、そんな貴方の物語を聞いている傍聴人に過ぎません。まあ、私が極悪人である点に関しては、少々いただけませんがね?」
「……なるほどねぇー」
エメラルダス侯は至極つまらなそうに脱力しながら更にヤケクソ気味にクッキーを二枚いっぺんに放り込む。
私からの手土産がお気に召したようで何よりだ。
「ま。こんなもんで君が隙を見せるワケないしね。期待しちゃいなかったけど、寧ろストレス溜まっただけだったねぇー」
「それはそれは……」
「ホントさ。君の関与が疑えるもの、探しに探し回ったけどキレイさっぱり何一つ無いからさ。寧ろ怪しいなってなったけど、やっぱ証拠が無いとねぇー」
「ご苦労様です」
「はぁ……。色々言ったけど、何にせよ後の祭りの手遅れも手遅れ……。魔物が蔓延り弱者が傷付いて強者が得する、絵に描いたような弱肉強食の現状はもう簡単には覆せない……。今の僕に出来るのは、少なくとも実行犯のクソテロリスト共を国中ひっくり返してでも探し出す事だけだ」
「それも立派な仕事ではあると思いますがね。難航されているので?」
「優秀な部下達を送り込んじゃいるけど、アイツら逃げ隠れは天才的に上手くてさ。拠点にしてたボロ教会捨てて各地に散り散り……。難航どころか遭難だねぇーうん」
「成る程」
「部下の一人なんて国の端っこのラプリムまで行ってんだからっ!! なのに未だ成果なぁーしっ!! このまんまじゃ陛下に怒られちゃうよまったく……」
「それは大変ですね。良ければお手伝いしましょうか?」
「え?」
実は私も「魔天の瞳」の行方を追っていたりする。
何人かは例の作戦実行時にムスカの眷属を忍ばせたのだが、全員までは把握出来ておらず、何より肝心の教祖の行方が分からない。
エメラルダス侯と協力体制を敷き捜査出来ればより効率的に探し出せるだろう。
あそこの教祖には用があるからな。必ず見つけ出さなくては……。
「私達「十万億土」は元々エメラルダス侯──延いてはエメラルダス家の稼業に手を貸す契約を交わしているワケですし、何も不思議な事は──」
「素朴な疑問なんだけど」
「はい?」
「そんなヒマ、あるの?」
「……はい?」




