幕間:正義と忍耐の軌跡・旅
「あいよ。銀貨二枚と銅貨三枚だ。お客さん随分と買い込んだなぁ。長旅かい?」
「ん、ああ……。そうですね。長旅、ですね……」
長布を目深に被った少年は露天商から商品を受け取りながら曖昧に答える。
「そうかい? にしちゃあ野菜やら果物やら日持ちしねぇもんが多い──」
「あ、あのっ! 少し、急いでますので……」
その慌てようを見て露天商は、その何十人という客を相手に売買を経験してきて得た観察眼──スキル《審客眼》で以って少年の抱える事情を漠然とだが察し、これ以上の詮索は藪蛇だと判断する。
「わかったよ。……ただ一つ忠告だけ聞いてきな」
「え?」
……ただ、その現状の何もかもに不慣れと言わんばかりの様子の少年に露天商の小さな老婆心が刺激されたのか、彼は少しだけ口を出す事にした。
「余裕がねぇなら堂々としてるこった。逃げてるにしろ隠れたいにしろ、そぉんなあからさまに怪しい格好と態度じゃあ、面倒なのに目ぇ付けられるぜ?」
「う……」
「戦後直後で国全体がちぃっと慌ただしいのはモチロンだが、最近弱っちぃ魔物までチラホラ出るようになったろう? んでそれ目当てに素性の知れねぇゴロツキやら未認可の傭兵ギルド……盗賊連中までもが頻繁に沸いて出てきてる。この町にも情報やら武器やら食料目当てによく見掛けるようになった、ってワケだ」
「な、なるほど……」
少年には心当たりがあった。
この町を訪れるまでの道中には馬車を利用したのだが、その最中二回ほど、盗賊による襲撃に遭ったのだ。
護衛を買って出て乗せて貰っていた少年と連れの二人がそれらを難なく退治してのけたものの、馬車の持ち主は青い顔で「こんな近くに出た事なんて……」と呟いていたのを耳にし、内心で訝しんだのをよく覚えている。
「ただまあ、そう長くは続かんかもしんねぇけどなぁ……」
「そうなんですか?」
「ああ。なんでも王都のお偉いさん方が治安改善に尽力してるって話だ。他国に「ウチは戦後だろうと治安維持には手を抜かない」ってアピールだってのがウワサの第一候補だな。ま。そもそも戦争は王国の圧勝だったって話だから、真反対のこの町への影響なんてちぃと物流やら治安が乱れたぐれぇだったけどな」
「戦争……」
「何はともあれ、少なくともこの町の問題の根っこは弱い魔物よぉ。魔物討伐ギルドは過去最大の繁忙期だってんで最近はずっとてんやわんやで、その他の魔物目当ての厄介な連中はあちこちで好き勝手……。しまいにゃぁ魔物討伐ギルドとその厄介者同士で刃傷沙汰も起こってる始末。ったく、巻き込まれるコッチの身にもなって──」
「あ、あのッ!! ……連れを、待たせているので……」
少年が切り出すと、露天商はハッとしたような表情を見せながら不可解そうに指で頭を掻く。
「そう、だな。ちぃと話し過ぎちまった。わりぃわりぃ」
「では、失礼します……」
「おう、達者でな。気ぃ付けろよぉっ!」
「はい。ご助言、ありがとうございました」
律儀にも頭を下げた少年を露天商は見送り、その頼りないような頼もしいような判然としない背中が見えなくなるまで見届けた。
「う〜ん、おっかしいなぁ……。あんな懇切丁寧にベラベラ喋っちまうつもりまで無かったんだが……」
彼としては本当に、ちょっとだけ忠告してやる程度のつもりでいた。それこそ、旅慣れてなさそうな若人に語る、世間話の延長線くらいの小さな親切心だ。
にも関わらず、露天商はその口で自らが知り得るこの町の現状と現況を語って聞かせた。
別に露天商が口が軽かったり、客相手に雑談に花を咲かせるのが好きだったりもしない。
少年の様に危なっかしい雰囲気の若者には気紛れに忠告を一言くれてやる程度で、どちらかと言うとカネでも積まれない限りはそうそう滑らかにはなってくれない。
だがそれでも、少年の雰囲気に露天商は語った。場所によっては少なからず金銭が発生する程度の情報を、アッサリと。
きっと少年が止めずに──もっと言えば上手く相槌でも打たれていれば何の躊躇も無く伝える必要以上のものまで喋ってしまっていたかもしれない。
それほどまでに少年に語っていた際の露天商は実に気分良く、気持ち良く口を滑らせていた。
「…………まぁ、いっかぁっ!!」
しかし、そんな露天商の胸中に去来していたのは違和感でも不気味さでもなく、晴れやかな清々しさだった。
「なぁんかスゲェ良いことした気分だっ!! 気持ち良いったらねぇやっ!!」
口が軽くなり滑りに滑ったとはいえ、別段知られて問題になるような内容を喋ってしまったワケではない。
やろうと思えば時間は掛かるが簡単な聞き込みで集まる程度の、決して深くはない上澄みのものばかり。
それによって露天商やその他の者に何らかの災いが降り掛かる可能性は限りなく低いだろう。決して話して惜しいものでも、況してやマズイものでもなかったのだ。
「さぁっ!! この気持ちの良い気分で商売再開するかねぇっ!! さぁさ、らっしゃいらっしゃいッ!! 今朝採れたての野菜や果物が安いよぉ〜っ!!」
虫食いだらけの扉を前に、少年はドアノブを押す。
すると酷く軋んだ音と共に薄板一枚の扉が開き、凄惨な室内が露わになる。
そこは狭い一部屋。他に別室に繋がるような扉も無く、一目で見渡せる程度の絶句する程の狭さだ。
壁や天井、床は木材剥き出しで扉同様に虫食いだらけ。加えて正体不明のシミやらキズやらがあちらこちらに散見され、まともな補修など一度たりともした事が無いのだろう。
置いてある家具も最低限の物のみ。
ベッドにテーブルと椅子。それから最早朽ちていてまともに使えないクローゼットが一つ……。
雨風を凌げる……。その程度しか利点が見当たらないような、そんなあまりにも酷いボロ部屋である。
「お待たせ。買ってきたよ」
少年がそう告げると、そんなボロ部屋で狭々しく身を寄せていた二人が一緒に勢いよく顔を上げ、立ち上がって少年に駆け寄る。
「『遅いわよッ!!』」
「『何かあったんのっ!?』」
咎めるものと、心配するもの。
二つの言葉が少年を叩く。
しかしその言葉は先程の露天商と少年との間で交わされた人族語ではない。ここら一帯ではそれを聴いた者が稀有である言葉──エルフ語であった。
「ちょ、ちょっとっ!? 『ここではなるべく……』」
「『あ』」
「『ご、ごめん……』」
二人は揃って口を塞ぐとその後は小声となり、少年をボロ部屋に招き入れてから二人の片割れ──少年声の方が外を見回し警戒しながらゆっくりとドアを閉める。
そして──
「『はやくはやくっ!』」
「『ま、待ってって姉さんっ! 落ち着いてっ!!』」
少年の抱える野菜や果物が詰まった紙袋を奪い取る勢いのエルフ族の少女──ディーネルと、それを諌めるその双子の弟──ダムス。
そんな二人のいつものやりとりに巻き込まれ、自然と長布が外れその鮮烈なまでの青髪が露出した人族の少年──ヴァイス……。
今現在、この三名は……旅をしていた。
第二次人森戦争後、王都から遥か南西に位置する小さな町──ラプリムの一番の安宿に、三人で身を寄せていたのである。
「『だって久々の新鮮な野菜と果物よっ!! 我慢なんて──』」
「『そんな焦らなくて誰も横取りしないって。ホラ、好きなのを』」
「『うんっ!!』」
「『うんっ!!』」
ディーネルとダムスはヴァイスがテーブルに広げた野菜や果物を目を輝かせながらそれぞれ好きなものを選び、勢いよく齧り付く。
「『んん〜〜っ!!』」
「『あぁ〜〜……。美味しいぃ……』」
二人は口の中で弾ける瑞々しい果汁と青々しい香りを思う存分堪能し、その顔を限界まで弛緩させ、綻ばせる。
「『満足いったようで何よりだよ』」
「『うんっ! ありがとうヴァイス』」
「『まあ、正直言ったらアールヴん所の野菜や果物と比べたら流石に劣るけど、王国のも中々ねっ! 作り手の優しさとか思いやりを感じるわっ!』」
「『え。エルフってそういうのも分かるの?』」
「『人による、かな? 敏感な人と鈍感な人で結構差が出たりするけど……』」
「『私達は栄えあるトゥイードル家の人間だからねっ! お爺ちゃんの血を引く私達の……』」
自慢気に語っていたディーネルの声のトーンが急下降する。
それと同時にダムスもまた落ち込むように俯くと、ヴァイスは困惑したように眉を下げてしまう。
「『……この野菜も、果物も……』」
「『アイツの──あのクソ野郎の施しで、食べられてる、のよね……』」
二人の祖父──森精の弓英雄たるエルダール・トゥイードルはかつて、クラウンの手によって討ち取られた。
周到な策謀と奸計により誘い出され、罠に誘い込まれ、二人が利用された形で致命場を負い、その死に目を目の当たりにする事なく、二人は狭間に飛ばされた。
ヴァイスと共に逃げ込んだ廃屋でその訃報を彼に聞かされた際には、それはそれは荒れたものである。
ディーネルは辺りの物に八つ当たりし、普段冷静なダムスですらヴァイスに口調を強くして感情を爆発させ……。
二人が落ち着いたのは、それから数時間と経った後。近くを本陣へ帰還中だったティリーザラ軍が通過した際だった。
自分達の置かれているあまりにも複雑な状況を思い出し、ヴァイスの屈託のない親切心と正義と語る狂気を思い出し、これからのこと──これからの自分達の行く末への不安を思い出し……。
また別の意味で心が乱れた二人はそこで感情が振り切れ、反転して冷静にはなれた。
その後三人の前に現れたクラウンに再び激昂したものの、戦争を経て別次元の強さにまで至った彼に手も足も出せず、そして見逃され、見透かされ、見通され、施しを受けたのだ。
当面の食料と路銀、それに加えて他国までの逃走ルートが記された地図に至るまで、何もかも。
二人としては、大好きな祖父に直接手を掛けたクラウンの手助けなど御免被るという心境ではあったものの、現実問題としてその施し無しでは先行きは大変に危ういというのも、数日の潜伏で身に染みていた。
故に泣く泣く、利用してやるという思考に切り替える事で納得したのである。
しかしそれでも、時折それを思い起こしては二人は憤るのだ。
仇に助けられなければまともに生きていけていない、この現状に……。
「『全部が全部じゃないだろ? この旅路の中で僕等なりに稼いだじゃないか。だからこうしてたまに贅沢が出来る』」
旅慣れていない三人にとって、クラウンから受け取った路銀はそのまま生命線であった。
少しの無駄遣いや計算違いで路頭に迷う……。そうなれば悲惨な目に遭う事は想像に難くない。
それにヴァイスは知っている。クラウンは、決して甘くはない、という事を。
「『節約に節約を重ねて、道中で人助けをして路銀を貰う……。それを前提の金額なんだから、本当、彼は厳しいよ』」
クラウンの事を多少なりとも理解して来ていたヴァイスは不安に駆られた。貰った金額をそのまま信用して良いのかと。
それ故彼は義父であり商業の女王コランダーム公爵の右腕でもあるアッシェから教え込まれていた馬車等による交通機関の料金や領地間の関税等に照らし合わせ、計算した。
概算ではあったが結果として、その総額は一応の目的地であるマスグラバイト王国までギリギリで辿り着けるか着けないかの絶妙な金額だったのである。
これは言外のクラウンからのメッセージ──
『自分の面倒は最大限自分達で見ろ』
そんな意思を、ヴァイスは計算後に苦笑いを溢しながら受け取った。
「『きっと受け取ったお金をそのまま信用して使ってたら、今頃金欠で泣きを見てたよ。今こうして君達が新鮮な野菜や果物を食べられるのは、少なくとも僕達が努力したからだ。彼の施しだけのおかげではないよ』」
ヴァイスはそう言いながら買ったリンゴを手に取り、ボロボロのベッドに腰掛けてから一齧りする。
「『うんっ! 甘酸っぱくて美味しいや』」
そんな様子を見て二人は改めて手に持つ野菜と果物に目を落とし、無言のまま再び齧り付く。
その味はほんの少しだけ、さっきよりも美味しく感じられた。
──その後、三人はラプリムに数日ほど滞在。
露天商に聞いた弱い魔物を時折討伐して路銀を稼ぎながら、次の町への乗り合い馬車の出発日までを過ごしていた。
以前までの魔物に比べ、確かに付近に出没するようになった魔物は弱かったものの、それでも下手な野生動物よりも凶暴で、知恵があり、そして大きい。
しっかりとした自衛能力があれば対処可能である事は確かだが、噂を鵜呑みにして油断していれば怪我だけではすまない……。
それが、ヴァイス達三人が実際に戦ってみての感想である。
「『これ、その辺のゴロツキじゃキツくない?』」
三人は狩ったばかりの魔物から素材を剥ぎ取り、それを袋に小分けにしながら雑談を交わしていた。
「『複数人で上手く連携すれば問題無いだろうけど……』」
「『損害の事を考えたら、収支はギリギリでマイナス……かなぁ』」
弱い魔物は、確かに金になる。獣の毛皮と比べたら丈夫で、高級感もある。
だがそれでも今まで素人が手を出してはいけないとされていた従来の魔物と比較すると、どうしたって見劣りするし実際に質も低い。
あくまでも獣の上位互換……。魔物討伐ギルドでの素材の買い取りも、期待感を持って必死の思いで狩った者たちが満足するような額ではないのだ。
「『まあ、私達は路銀分さえ稼げればいいし、その辺の事情とかどうでもいいけど』」
「『そうだね。確か明日には次の馬車が来るんでしょ?』」
「『ああ。目算だとこれで手持ちはそれなり潤うし、タイミングとしては丁度──ん?』」
粗方作業も終わり、そろそろ素材を換金にでも……と思っていた矢先である。
立ち上がり痛む腰を労っていたヴァイスの視界の端に、少し離れた場所でとある一団が居るのが見えた。
その一団はどうやら揉めているようで、一人の背の高い髭面の痩躯な男を囲うようにしてガラの悪そうな男達が集まっている。
「『……また助けるの?』」
「『──っ!』」
ヴァイスが振り返ると、ウンザリした様子のディーネルと、少し呆れ気味のダムスが同じ一団とヴァイスを交互に見ていた。
「『はぁ……。路銀を稼ぐために人を助けるなら良いわよ? でも単なる人助けならいい加減にして欲しいわね』」
「『僕達には他人に構ってる余裕もないし、何より僕達の正体がバレる可能性だってある。前だって危なかったでしょ?』」
──ヴァイスはこの旅の最中、見かけた困窮する人間を可能な限り助けていた。
ディーネルとダムスとしては見返りが望めるならば救助とて吝かではない。感謝されるのも気分が良いものではある。
しかし、無償の人助けなんぞしている余裕までは彼等にはない。
いつ自分達の旅路を嗅ぎつけてアッシェ達が追って来るかも分からず、またディーネルとダムスの存在がバレてしまうリスクだって高いのだ。
いくらアールヴと和平が成立したとはいえ、何百年と抱いてきた敵愾心がその瞬間に払拭されたワケではない。
ティリーザラ国民にとっては、エルフ族というだけで仇敵と認識される可能性が高く、助け出した者が急に態度を変えて通報するかもしれない中、無償の人助けなぞ百害あって一利なし。
……しかし、ヴァイスにはそれが出来ない。
かれこれ五回ほど、ディーネルとダムスはそんな無償の人助けに付き合わされていた。
「『バレそうになって一体何回ヒヤヒヤした事か……。付き合ってらんないわよ』」
「『こんな事続けてたらいつまでも誤魔化し切れないよ? 少しは自重して──』」
「『ごめん』」
一言。ただ一言、ヴァイスは謝罪する。
「『……ごめん』」
振り返ったヴァイスの顔は実に申し訳なさそうに笑いながら、ただ謝る。
「『………………はぁ』」
「『………………はぁ』」
何故だか二人は、ヴァイスがこういう顔をして、彼にこうして謝られてしまうと、許してしまう。
散々口にした不満や正論は自分の中で弱々しくなっていき、何処からともなく救恤心や正義感が湧いて来る。
不思議と人助けしている時などは充実感で満たされるのを知っているから更に厄介なのだ。それを言い訳に──免罪符にして結局は許してせまうのだ。
「『ならいつも通りやるわよ。私とダムスは喋んないで勝手に連携するから、アンタは前線で合わせなさい。いい?』」
「『ああ。それで構わないよ』」
「『よし。じゃあ、やるならちゃっちゃとやって、ちゃっちゃと逃げるよっ!!』」
「……」
「だーかーらーよーッ!! オレ達の獲物横取りしただろっつってんだよヒョロヒョロ野郎ッ!!」
「……はぁ。貴様らがさっさと仕留めんから俺が貰い受けたまで。掠め取られる弱い貴様らが悪いんだろう?」
「な、なんだとゴラァッ!?」
「人間相手には多少慣れてるようだが、魔物のような獣相手では人間のようにいくわけないだろ? ど素人なのが丸分かりなんだよ。あんなんじゃあいつまで経っても狩れやしないぞ」
「ケンカ売ってんのかッ!? あァッ!?」
「不満なら少し分けてやろうか? この調子じゃどうせ俺が居なくとも日が暮れても狩れないだろうし、俺はこの後何体か狩れば──」
「い、言わせておけばァァッ!!」
男五人が、その怒号を合図に囲っていた長身痩躯の髭面の男に襲い掛かる。
「……やれやれ」
痩躯の男はそんな中ゆっくりと腰に佩ている剣の柄に手を掛け──
「ん?」
彼の後方から矢が唐突に飛来。眼前の男の胸に深く突き刺さると、それによって怯んだ他の男の隙を縫うようにして刃が滑り込んで来る。
「助太刀します」
「『……』」
「『……』」
「……こりゃまた、奇特な若者も居たもんだな」




