序章:浸透する支配-19
「ゴホン。僭越ながら私からまず一つ、宜しいですかな? 坊ちゃん」
「ああ」
モタグアが席を立ち、強い眼差しで私を見据える。宛らお叱りを受ける孫だな、私は。ふふふふ。
「確かに坊ちゃんは、書類上ではあの時、あの時点で我らが「劈開者」の元帥でした。そこは間違いありません」
「ああ」
「捜査権はあります。届出も申し分無く、一式揃ってエメラルダス候に提出されていました。一切合切抜かり無く、ね」
「そうだろうとも」
「で・す・が。それでも、一度我々を通して欲しかったものです。下街は我々「劈開者」とエメラルダス候共同の管轄下ではありますが、その責任者同士で勝手に話を進められては我々も問題が起こった際の処置に動けません」
「……」
「今回は良い方向に事が落ち着き、上手い着地を果たせたようですが、もし上手くいかなかった場合はどうなさるおつもりで? それでなくとも今現在あなたの蛮行で下街全体が不安定な状態です。これではいつ暴発してしまうか……」
「……」
「……坊ちゃんは、我々を信用していないので?」
モタグアは悲しみを滲ませた瞳で私を見る。同情心を買う常套手段だな。
「確かに我々はあの時点で、あなたとちゃんとした面識は互いにありませんでした。当時は先代があなたに継がせる気が無かったのでそれで敢えて避けさせたのでしょうが、それでも我々に報せる考えに至っても良かったのでは?」
「……そうかもな」
「あなたの事です。忘れたなんて事はないでしょう。ならあなたは敢えて我々に黙って事を起こした……。それはつまり、我々を信用していないと同義では?」
「……」
「……我々はプロです。下街は我々の庭で、奴等は我々が余計な虫が付かないように監視している植木や花々……。それを自分勝手に自分好みにイジられては敵いません。沽券にも関わります。「他の五家は温かった」とね……」
「……違うのか?」
「──ッ!?」
いつまでも愚痴愚痴諄諄と……。父上に絆され過ぎなんじゃあないか? 実に嘆かわしい。
「い、今、なんと?」
「沽券に関わります、などと大層な事を恥ずかし気も臆面も無くよくもまあ言い放てたものだ。聴いているコッチが面映くなる」
「坊ちゃん……」
「信用? あるわけ無いだろう? 面識云々以前の問題だ。職務怠慢甚だしい連中を信用して仕事を任せようなどと誰が思う? 一体父上はどんな甘ったるい指導でお前達を導いたんだ? え? 呆れてものも言えん」
五家の驚愕の眼が私を刺す。
それはそうだろう。説教してやろうと思っていたら逆にしっぺ返しを喰らったのだからな。
「い、一体、どういう……」
「俺達が職務怠慢って、一体どういう事だ?」
狼狽するドラモコンドに、苛立ちを見せるカチンネス。自覚無しとは恐れ入る。
「言ったな? 下街は我々の庭で、奴等は虫が付かないように監視している植木や花々だと……」
「は、はい」
「じゃあ何故、お前達は枝も剪定されていない伸び放題の植木や病気に侵された花を放置していた? それが美しいとでも? 価値観や美的センスを疑うな」
「ああ? 一体どういう……」
──確かに、あの時私は喧嘩を売った。私から喧嘩を売った。
だがその後のあの報復──私の屋敷を荒らした件を見越さなかったのは、「劈開者」の五家がしっかりと仕事をしていると思っていたからだ。
私の表の評判ありきでまさかああも早く報復などされるなど、考えもしなかった。
「不可視の金糸雀」が想像以上に増長し、私の評判を目の当たりにしても怯まず〝仕返し〟を敢行したのは、全ては五家が仕事をしていなかった証明だ。
「私が勅許後即座に動いたのは私個人の報復もあるが、そんな愚行が罷り通っていた現状に危機感を覚え釘を刺しに行かねばならなかったからだ。それを勝手に庭をイジっただと? 自身の不手際の尻拭いを就任直後の上司にやらせておいて随分な物言いだなァ? えェ?」
「い、いやそれは──」
「お前達は下街を監視していたのだろう? にも関わらず何故に私が国王陛下から下賜された屋敷の一つに虫が湧く? ふざけるのも大概にしなさい」
「そ、それは……」
「オマケに上街に転移可能な仕掛けまで放置と来たものだ。……虫の駆除どころか通り道すら見逃すなんぞ職務怠慢以外なんだというんだ」
「……」
「……知っていたんじゃないか? 上街へのルートも、屋敷に虫が湧いたのも。にも関わらず放置し、剰え私にその事を黙ったままときた。……これで信用してくれなかったなどと片腹痛いわ」
「……」
「……最悪ルートの件はこの際構わん。どうせ何かの役に立つかもとどっかの〝密輸担当〟が黙っていたんだろう。監視の甘さには何らかの処分は免れんだろうがな? サヤン?」
名前を突如呼ばれ、彼女が恥ずかしげに顔を背け──いや何故そこで恥じらう。
……まあ、あんな道、格好の罠として利用しない手は無いという考えは理解出来る。
問題なのはそれを少なくとも私の件で一度はスルーしたという事だ。
「一応は言い訳を聞いてやる。それで納得するかどうかは期待せん事だが、聞くだけ聞いてやる。ホラ、言ってみろ」
促す私に、五家は揃って黙りこくる。
これじゃあ説教云々の立場が逆じゃないか、まったく。
「……屋敷に輩共が侵入していたのは、我々一同承知していました」
所在無さげにモタグアが先に口を開く。大体の物事に真っ先に口を出すのが彼なのだろうな。本当、生真面目な事で……。
「ただあの時分、我々一同は既に極秘に……坊ちゃんへの元帥就任の下準備を行なっていました」
……ほう。
「先代──ジェイドの旦那が限界だったのは全員察してたからなぁ。あんな姿晒してんのをクラウンの旦那が放っとくワケねぇだろうし、ジェイドの旦那が折れんのも時間の問題だったろう」
「ほらぁ? 私達って表と裏の両方の業務あるじゃない? 表の仕事しながら裏の引き継ぎ業務って、案外大変だし時間掛かるのよぉ〜。だ・か・らっ」
「元帥継承、就任の時期を見越して事前に裏で進めてた。万が一、アタシ達の引き継ぎが遅れたら、奴等に隙を見せるかもしれないから」
「で、でもまさか、その間に坊ちゃんのお屋敷に、や、奴等がちょっかいを掛けてたなんて……。た、タイミングが、凄く悪かったんです、ハイ……」
……タイミング、ねぇ。
「ご大層な言い訳だが、その内容はつまるところ私の為──もとい私の〝せい〟だと? よくもまあ、おめおめと口に出来たものだ。恥を知らんのか恥を」
「そ、それは違──」
「何が違う? この期に及んでまだ私に非がある、と? よりにもよって最低の言い訳だ。いい大人が揃いも揃って……ハァ……」
「だ、旦那……」
「……お前達は、私に期待したのだよな。父上より私の方がこの稼業に向いていると。父上の甘さと優しさにうんざりしていた、と……」
「あ、ああ……」
「ちゃんちゃらオカシイ話じゃないか? 私から言わせればお前達も十二分に甘っちょろい。裏社会を長年渡り、しかも戦後直後でどうしてこうも平和ボケでいられる? 期待外れはコッチの台詞だ。欠伸が出るな、まったく」
「……」
「……お 前 等、こ の 業 界 ナ メ て ん の か ? 〝入 れ 替 え る〟 ぞ ド 素 人 ど も」
使えん奴をわざわざ登用し続けるなんぞ非効率極まりない。
意識も低く、しかしそれを自覚出来ずにのうのうとしているなど話にならん。そんなもん解雇だ解雇。
……と、前世の会社だったら速攻でそう判断したんだがなぁ。
「……とまあ、随分と偉そうな事を垂れたわけだが」
「「「「「──ッ」」」」」
「私としてはな? 私を望み、私を信じ、私を欲したお前達を使い捨てのように扱いたくはない。それでなくとも優秀な技能と知識と経験を有し、替えの効かない部下の上役の代わりを用意して取っ替えるなど手間にも程があるんだ。面倒で敵わん」
「ぼ、坊ちゃん?」
「意識改革を求める。傾聴しろ」
椅子から立ち、全員を睥睨して矯めつ眇めつ見回す。
射竦めるように。射殺すように。
「自身が死地に身を置いていると思え。平和な瞬間など一縷も無く、隣の茂みで腹を空かせた肉食獣共が常に喉を鳴らして唾液を垂らし、その白い首を狙っていると意識しろ。血と肉の腐臭を日常に馴染ませ、不法と不正を己のルールと刻み、善悪と美醜を冗句に出来るユーモアで奴等を踏み躙れ。会話が出来る獣なんぞ存在せんぞ? 歯を剥き出しにした奴等を大人しくさせるのはいつだって〝死なない程度の暴力と恐怖〟で、お前達の手にはそれを可能とする武器がある。それは自己満足の為の玩具ではないぞ。思い出せ」
「「「「「……」」」」」
「……我々は「劈開者」。奴等の固い結束を無理矢理に引き剥がし、切り込み、小さく綺麗に整えて人々に安全な道を提供するのが我々の仕事だ。決して粗雑な石を放置する事じゃあない。路傍の石だって人を殺すぞ? 我々が整え掃除してやらねば国民が死ぬぞ? 本気を出せ。奴等の牙と爪を折り、それを宝石のように整えて我々の首輪として奴等に括ってやれ。逆らえば骨を、反抗するなら目を、暴れるなら臓腑を引き摺り出して捻って引き摺り回せ。つけ上がる隙を与えず、首を垂れる自由だけを与えて首輪を引き、我々が掃除した綺麗な道を連れ回す姿を衆目に晒してやれ」
「「「「「……」」」」」
「我々の行動原理は徹頭徹尾、奴等を私達の都合の良い〝虚実の必要悪〟に加工する事にある。国民の偽りの平和を恒久のものにする為に、我々は奴等を踏み固めて土台とするのだ。それで汚れる汚れ役ならば一層のこと芸術的に汚れろ。それこそが我々の御旗で、シンボルで、誇りと矜持だ。忘れるな。よォォく見ろ。今や奴等はその首の動脈に牙と爪を立てているぞ。道が小石で散らかっているぞ。半端に汚れた信念が醜く見えているぞ。やり直せ、意識を直せ、改めろ。お前達は私の部下となったのだろうがッ!!」
「「「「「……」」」」」
「さあ選べッ! 私の部下として血と暴力と奸計で奴等を使い潰す道を選ぶのか、それともそのまま甘い沼に腰まで浸かりながら奴等に食い潰されて惨めに死ぬのかッ!!」
「「「「「……」」」」」
「……私は許さんぞ。父上がお人好しと蔑まれながらも微笑んで自慢するお前達が、ただの腑抜けた木偶の坊であるなど。この私が絶対に赦さん」
一頻り語り尽くし、一息吐いて椅子に座り直す。
横から無言でマルガレンが紅茶の入ったティーカップを差し出して来たのを受け取り、渇いた口と喉を潤した。
……私の言いたい事は言った。ご親切に諭してやった。
これで目が醒めんのなら人事を検討しなくてはならん。
ロセッティに相談し、コランダーム公やエメラルダス侯から推薦を聞き、師匠に助力を願う。
余計な手間だ。無駄な時間だ。故に願う事ならばそろそろその目ヤニだらけの寝ぼけ眼をこじ開けて貰いたいものだが……。む?
一度沈痛な面持ちとなった五家は暫くして顔を上げると、まるで示し合わせたかのように揃って顔を上げ、誰が合図したわけでもなく頷き合うと一斉に椅子から立ち上がり、私に身体ごと目線を向ける。
そして──
「ご叱責、大変痛み入りますッ!」
「「「「痛み入りますッ!!」」」」
一斉に、その頭を腰ごと折り曲げた。
「我々一同、感銘と驚嘆、そして慚愧の念に絶えませんッ!! 我らが元帥閣下に於かれましては、要らぬ心配と手間を取らせてしまった事、まことに申し訳ありませんでしたッ!!」
「「「「申し訳ありませんでしたッ!!」」」」
「以後、元帥閣下のお言葉を我々の胸に刻み、この身を誠心誠意、粉骨砕身の限りを尽くして元帥閣下の御意のままに取り組ませて頂く所存で御座いますッ!! ですので我々に、どうかッ……どうか今一度やり直す機会をお与え下さいッ!! お願い致しますッ!!」
「「「「お願い致しますッ!!」」」」
……。
「……ならば魅せてくれ。私の後ろを歩くに相応しい働きと覚悟を。生き様と死に様を。日陰の下で下品に舌舐めずりしながら道を闊歩する奴等に教えてやれ。貴様等が我が物顔で歩くその道を、我々が貴様等ごと平らに均してやると。どこまで、どれだけ行こうが貴様等は常に我々の足の下でしか生きられない事を。後悔と恥辱と慚愧に濡れた笑顔しか赦さぬと。存分に叩き込み存分に教え込み存分に理解させてやれ」
「「「「「はッ!! 元帥閣下ッ!!」」」」」
「……これで期待外れであったなら、お前達はいよいよお役御免だ。その時は私の〝エサ〟として大人しく消費されなさい。人畜無害な余生くらいはおくらせてやる」
「「「「「はッッ!!」」」」」
「……宜しい」
椅子を立ち、改めて五家を見渡す。
すると彼等はその場で跪き、私に期待の眼差しを向けて来る。
強く。宝石のような意思を宿した眼光を。
「モタグア」
「はッ! 下街並びに中街に点在する奴等の関連施設は全て割り出しておりますッ!」
「足らん。王都外に存在する支部や弱小組織も全てだ。一度でも組織と接触したものも全て割り出せ。それから下街で広まる私に関する話題を操作し、奴等に正確な情報も握らせるな。偽報を撒き、組織同士での連携に亀裂を入れ最低限の均衡のみ維持させろ。それで浮き彫りになるだろう潜伏中の奴等を見逃すなよ?」
「はッ! 畏まりましたッ!!」
「カチンネス」
「はいッ!! モタグア同様、下街中街の把握出来てる関連施設に最低二人、既にウチのが潜入済みです」
「宜しい。ならば「不可視の金糸雀」以外の組織に潜入させている部下達に命じて「蟾蜍の蜃気楼」の補助をしろ。証拠や書類を偽造して信憑性に箔を付けてやるんだ。それとお前が持っている奴等の重要度の高い情報を全て私に渡しなさい。どんな細かなものもだ。弱小だろうが倒産間近だろうが全てだ。良いな」
「はいッ! 即座にッ!!」
「メルラ」
「はい。死刑執行予定の罪人は現在三十二名。内、五名は下街の各組織を出自としている輩です」
「そうか。ならば死刑囚のプロフィールとその周辺関係、所持スキルをまとめた資料を後程提出しなさい。それから奴等の所持スキルから読み取れる習得傾向を割り出し推移を調査するんだ。それもある程度まとまったら提出しろ。それから地方にも目を光らせておけ。必要なら「蟾蜍の蜃気楼」からも情報提供してもらえ。必要なら私からも回す」
「仰せのままに」
「サヤン」
「はい。下街中街上街、全部のルートに部下を配置しています。幾つか下級貴族から〝看過〟の要請がありますが、如何します?」
「そうだな……。まずは過去五十年分の密輸ルートの推移と変遷、品やその質、製造所と輸入場所、売人の情報全てを私に寄越しなさい。地方のも含めてだ。処理前の看過要請は最優先で。それでそっちで対処出来んクレームが来たなら私に言いなさい。それと即刻、違法薬物関連全ての密輸や売買に厳戒態勢を布き、検閲して全て潰せ。抵抗されたらば好きにして構わん。情報を把握している者以外なら生死は問わん。責任は私が持つ」
「はい。畏まりました」
「最後にドラモコンド」
「は、はいっ!! げ、下街各組織の構成員で、い、今までの亡くなった奴等の資料は、ま、まとめてありますっ!!」
「他四家同様、地方の組織全ての情報も、だ。無いなら「劈開者」同士で情報の連携をしなさい。それから不審死等も調べるんだ。必要ならば私の方からモンドベルク公やエメラルダス侯に情報提供を掛け合う。老若男女に応じた死体も数体用意しておけよ? 不測の事態に備えるんだ」
「は、拝命しましたっ!!」
「宜しい。諸君ッ!!」
「「「「「はッ!!」」」」」
「……ああは言ったが、必要と判断したならば遠慮無く私を頼りなさい。尽力しよう。成した事への恩賞も尽くす。カネの心配なら一切無用だ。必要経費ならば糸目をつけんで構わん。やりたいように、やれる事を、やれるだけやり尽くしなさい」
「「「「「はッ!!」」」」」
「全ての責任と罪は私が貰ってやる。躊躇するな、狼狽えるな、容赦するな、慈悲を掛けるな。それは他の奴の仕事であり我々の仕事ではない。我々の仕事は躾けと掃除と汚名を着る事だ。暴力と恐怖で捩じ伏せ、雑多な石を綺麗に整え、汚い手口で必要悪と平和を作る事だ。今一度言う。忘れるな。我々は王国を裏から支える不正の徒「劈開者」。奴等──笑う罪人という名の獣共の、意志と結束を引き裂く者だ」
「「「「「はいッ!!」」」」」
「結構ッ。……はぁ」
再び一息吐き、ロリーナの方を見遣る。
彼女は大変に魅力的な──そして柔和だが真剣な顔で「丁度時間です」と、私にだけ聞こえる声量で告げた。
どうやら上手いこと時間調整には成功したらしい。
この時間ならば、最近見付けたこの国の平均から見ればかなりレベルの高い食事処が空いてくる時間である。
今夜は久々に三人で外食だ。
「……他に異論や意見は無いな?」
一応聞く。念の為だが、予定があるためあったとしても秒殺するつもりではあるが……。
「……」
よし。無いようだな。
「では本日は解散だ。私への説教という名目で開かれた今日の会議だったが、私としては実に建設的な時間だった。その内報告会を開く。それまで最大限、尽力しなさい」
「「「「「はいッ!!」」」」」
「それでは諸君。また近い内に……」
テレポーテーションを使い包括の館を後にする。
さて。喉も腹も飢えている。今日は存分に食没といこう。
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「「「「「……」」」」」
クラウンが包括の館の会議室から転移した直後。
「劈開者」の五家は暫く頭を下げたまま固まった後──
「……ッッ、だあぁぁぁッッ……」
カチンネスが限界だったとばかりに肺の空気を一気に解放すると、ロングテーブルに突っ伏す形で項垂れる。
「……だらしないぞカチンネス」
「あ゛ァ? っしゃぁねぇだろぉ? あんなん……。つうかそう言うオメェも、デコんとこ汗まみれじゃねぇか」
「むっ」
指摘されたモタグアが自身の額に手をやると、まるで結露した窓のようにびっしりと額に汗が滲んでおり、触れた指に滴る程に付着した。
「ドラモコンドなんか見てみろよ。一気に緊張が無くなったせいで放心してるぜ?」
「……侮っていたわけでは、無かったのですがね」
懐から取り出したハンカチで額を拭ったモタグアは椅子に座り、溜め息混じりに一つ溢す。
「想像以上、だったなぁ。俺達より二回り以上年下なんだぜアレで? 一体何をどうすりゃあの歳であんな威圧感出せんだよ……」
クラウンは演説中、《英雄覇気》や《皇帝覇気》を使わずに五家に容赦無い怒りをぶつけていた。
ある種〝殺意〟と言ってもいいだろう。
最早スキルすら必要としないクラウンの魂から滲む〝人間〟としての威圧感は、海千川千の裏街道を歩いて来た「劈開者」の五家達を震え上がらせるにまで至っていた。
「まぁ〜あ? 実際強いだろうしねウチの甥っ子。私達が束になって掛かったって相手になんないんじゃない?」
「うん。とってもステキ。いっぱい命令して欲しい」
頬を赤らめ、貰った短剣を握り締めながら恍惚と締められた自らの首を名残惜しそうに撫でるサヤン。
「力、強かった。敵わなかった。すごくステキ。都合の良い女になりたい」
「ほ、本人に言うのは、やめといた方が良いわよぉ〜? 多分その手のお願いが大嫌いだから、あの子……」
「ホント? 言ったら罵ってくれる? 今度は殴ったり、蹴ったりしてくれる? あの声で冷たく突き放したりしてくれる?」
「……いや、一番して欲しくないこと、されるんじゃないかしら。あはは」
乾いた笑いを漏らしたメルラは、そのまま天井を仰ぐ。
暗い天井にぶら下がる、繊細で控えめなシャンデリア。
明る過ぎず、暗過ぎず。落ち着きのある灯りだ。
「……おっきくなっちゃったわね。クラウン……」
ついて出たのは、寂寞の残響。
五歳の頃、初めて会ったあの日。
あの時に比べて、今どれだけ彼は強くなったのだろうか。どれだけ登り詰めてしまったのだろうか。
少し見ない間の知らぬ間に──たった十年の間に彼は化け物じみた強さを手に入れ、そしてあらゆる界隈にその〝支配の手〟を伸ばそうとしている。
きっとその手が取り返しの付かない根幹にまで届くのも、もう時間の問題なのだろう。
表も裏も。上も下も。近くも遠くも。
その全てに根差す、クラウンという存在を……。
「王国、乗っ取られちゃうわねぇ〜。うふふ♪」
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