序章:浸透する支配-17
「……オヌシ、暇なのか?」
「ご自分の人生最期の弟子と魔法の開発をしていて暇とか聞きます? あまりに悲しくて師匠が寄る年波に耐えて徹夜でリストアップした新しい教師候補一覧を、誤って引き裂いてしまいそうです」
──「不可視の金糸雀」での会合の翌日。私は日課のように学院を訪れ、師匠と共に魔法の開発に勤しんでいた。
当初こそ師匠から魔法魔術の教えを乞う事を目的とした師弟関係であったが、私が既に師匠に比肩する技術を習得してしまった事もあり、今では共同での「魔法開発」を旨として日々研鑽と研究の日々を送っている。
今日も今日とてそんな研究に没頭していた最中だったのだが……。師匠が唐突に随分と無粋な事を口にし出した。
反射的に皮肉めいた返しをしてしまうのも致し方なかろう。
「い、言い方が悪かったっ!! だからそれに手を掛けるのだけは勘弁してくれっ!!」
「……で? マシな言い方をしたらどうなんですか?」
「いやのう。オヌシもうわざわざ学院に来る必要あるまい? 家の事やギルド設立、新居移住に更には地主にまでなったそうじゃないか。相当忙しいんじゃろう?」
……まあ、師匠の言う通りやる事は山積みではあるが……。
「最高位魔導師である師匠との研究をそれらより下に置けと? そんな勿体無い事、私がするわけないでしょう」
言いたくはないが、老い先が短い師匠との研究研鑽は私にとって最優先事項。
人間味を欠いた言い方をすれば目に見えた制限時間があり、且つ替えが効かない……。何よりも優先する理由などそれだけで充分だ。
「ワシとの研究など纏まった時間に集中してやる方が良かろう? 何もわざわざ学院に来ずとも……」
「お忘れですか? 今の私の住まいは一応は学院内にある寮ですよ? 来る来ない以前の話です」
「あぁ……それもそうじゃのう」
「学生の本分は勉学です。授業の免除以前に最早学ぶもののない私には、師匠との時間が何よりの実のある勉学の有意義な時間です」
「そう言われると悪い気はせんが……」
突如師匠は言い淀み、言葉を詰まらせる。
一体なんなんだまったく……。
「何が言いたいんです? ハッキリして下さい」
そう歯に物が詰まったような言い方をされれば気になって仕方がないじゃないか。
「うむぅ……。具体的に何が、という話ではないのじゃがのぅ」
師匠は改めて私に向き直ると、自慢の顎髭を撫でながら思案気な表情をする。
それは本心から私を慮るような、そんな顔だ。
「ワシとしてはの? オヌシを授業も無いのに学院に通わせる意味を、最近考えとるんじゃよ」
「……それは師匠との研究以外、での話ですよね?」
「そうじゃ。オヌシの言う通り学生の本分は勉学じゃが、学びとは何もワシと研究研鑽を積み重ねる事だけではあるまい? 社会性や組織論、倫理観等の授業に無いような事を学ぶのも、学生が学校に通う意味じゃと、ワシは思っとる」
「……それ、本当に私に通じると思ってます?」
師匠には明かしていないが、私はこれでも前世八十年の年月を重ね、その四分の一の時間を裏社会で過ごした転生者だ。
今世を合わせて大体百年前後──まあ、前世の幼児期の経験まで換算するのは違う気もするが、それでも現在の師匠の年齢を軽く超えた年数を私は生きている事になる。
私はそれによって形成された精神性や心理、性格や思考を曲げる事なく今世でも貫き、度々「お前は年齢不相応の言動をする」と言われて来た。
師匠も勿論そんな〝度々〟の内の一人の筈で、私の内面をしっかり捉えている一人の筈なんだがな?
「思っとらんよ。ギルドと地主と裏稼業を並列するようなオヌシに、改めてそこら辺を学べ何ぞ言えるかい」
「じゃあ何なんですか?」
「ワシが言いたいのは、要するに〝経験〟じゃ。ワシ以外の、学院でしか出来ぬ経験を、オヌシにして欲しいわけじゃよ。ワシは」
……学院でしか出来ない、経験?
「……例えば?」
「そう、じゃのう……」
色々と視線を漂わせた後、ふと、師匠が私の傍らにある先程引き裂きそうになってしまった教師一覧に止まる。
教師、一覧に……まさか──
「のうクラウン」
「師匠──」
「オヌシ、教師に興味、ないかのう?」
──その日の夕刻。
「……教師、ですか?」
学院での用事が終わり、マルガレンを伴って本日の授業を履修し終えたロリーナを迎えた後の、その帰路での事。
彼女に今日師匠に言われた提案について話していた。
基本的に彼女には私に起きた事情の大半を共有しているのだが、今回の件に関しては恐らくそういうものが無かったとしても相談していただろう。
それほどに、私は珍しく優柔不断に悩んでいた。
「ああ。出来る出来ないで言うならば、恐らく出来るだろう。相応のスキルを持っているし、教育論というものも前世からの積み重ねである程度は理解がある」
「という事は……」
「そう。……私は教師なんぞ、別にやりたくない」
私の行動原理は複雑怪奇ではあるが、そんな糾える縄の如き原理を紐解けば、そこにある根本は「私と私の身内に得や益があるかどうか」だ。
極論、私は私と私の身内に得や益さえあれば。
好きだろうが嫌いだろうが。
やりたかろうがやりたくなかろうが。
興味があろうがなかろうが。
その一切合切関係無く、私は実行する。
結果が伴い、効率が良く、世間が頷くような、そんな手段であれば実行する。
それこそが私の信条だ。
故に。
「教師になるメリット──「学院ならではの時間を有意義にする」なんぞ、私からすれば不必要なものだ。雀の涙ほどの給金程度で私の時間は替えられんよ」
「学生達をクラウンさんが教育し、学院の平均的な魔法魔術を更に向上させる事でまだ見ぬ才能を発掘してそれをいずれのアナタの利益とする……。そういう考えは?」
「無論思い至ったが、どう考えても専門分野の教師を当てがった方が効率は良いだろう? それこそ私より知見のある者をな。私一人で賄える勉学なんぞ高が知れている」
それに私の教育教鞭は有象無象の生徒全員に合致するようなものではないし、況してや私がそれに合わせて軟弱な指導なんぞする気にもなれん。
特別な才能やスキルでも無い限り、ロリーナの言う「いつかの利益」というギャンブルで時間を浪費するのはあまりにも非生産的だ。
寧ろ私としては教師のスカウトと配置の方にならば尽力しても良いんだがなぁ……。
「……個人的な事を言っても?」
「なんだ?」
「……私は、やってみても良いんじゃないかと、愚考します」
ほう?
「その心は?」
「一つはクラウンさんの評判と実績の強化……でしょうか」
──ロリーナに任せた秘書としての業務内容の一つには「クラウン・チェーシャル・キャッツの評判調査」というものが含まれている。
これは主観では認識し辛い〝評判〟や〝人気〟というものを第三者の視点で調査し、その時々の状況に応じてコントロールする事を目的とした内容だ。
とはいえロリーナには学業があるので、今現在の調査は学院内の学生や教師、時折出入りする業者等や、買い物でコミュニケーションを取った店主や店員等の無理のない範囲内に限定している。
まだ始めたばかりで聴取数としては然程ではない筈だが……。
「ハッキリ言ってしまうと、今現在のクラウンさんの評判は「怖い」に偏りがあるように思います」
……。
「それは、主に学院生か?」
「教師陣にも、です。畏怖や畏敬の類も勿論ありますが、やはり先行しているのは〝恐怖〟になるかと……」
「成る程……」
だが私としては、それはある種狙い通りの評価ではある。それこそが私という人間を表すのに相応しい評価ではないだろうか?
「それはそうなのですが、少々偏りが出ているかと……。仮に彼等学院生が卒業後に各界隈に出陣する際、クラウンさんの〝恐怖〟という評価をそのまま流布してしまう可能性があります」
ふむ。蓋しその通り、か……。
私が想定していたよりも私の印象は加速度的に変化しているという事なのだろう。
となると、つまり……。
「君は私に教師をさせ、その過激になりつつある恐怖意識を払拭──あるいは絶妙な印象操作を、私自らで図ろうというわけか」
「はい、そうです」
ふむ。ロリーナの言の一つは理解出来た。私は前世での経験もあるせいか、そこら辺の感覚が麻痺してしまっている嫌いがあるからな。
私自身にこの精神性を偽るつもりがそもそも無い故にそれ前提の計画ばかりであったからな。それによる弊害の芽が育ち始めていると考えれば、相応の対処は必要だろう。
「評価の方は理解した。だが実績はどういうワケだ?」
単純な実績で言うならば、私の現在効力を発揮しているものは数多く、また強力だ。
第二次人森戦争でのものが大半だが、それに引っ張られる形でそれ以前に積み重ねていたものも再認識されている。
その効力をいつまでも信用し続けるわけにはいかないが、少なくとも教師をやる事によって重ねられる程度の実績をわざわざ稼ぎに行く必要性を感じないが……。
「そうですね。ですが今までクラウンさんが重ねて来た実績はあまりに強大で、そして何より人間離れしているものばかりなんです」
「それは……まあ、そうか?」
「そうですよ。客観的な視点でアナタの実績を聞くと、その殆どが歴史書に出て来るような偉人傑物が成し遂げるようなものばかりです。クラウンさんの実績一つを題材に英雄譚が書けてしまいます」
……そう言われてもな。
私の野望と目標には必要なものだ。それを言外に「やり過ぎ」と言われたとて……。
「なのでクラウンさんには今の実績とは別に、もっと親しみ易い実績が必要なのではないかと思っています」
「親しみ易い……?」
ひ、必要か? 私に親しみ易さなど……。
「……クラウンさん」
「な、なんだ?」
「クラウンさんは今、ギルド「十万億土」創設の準備を進めています。学院卒業後に直ぐに開業出来るように、です。相違ありませんよね?」
「ああ。ギルド本部として使用する屋敷の改装と事務手続き、それから諸貴族達への根回しを今は進めている。その他には──」
と、そこまで言って気が付く。
他にもやらねばならぬ事は山程にあるが、先に述べた本部の用意や根回しと同等に必須の事項がある。
それは──
「……従業員──雑務をこなさせる為の職員の確保……」
「はい。もう、お分かりですよね?」
……成る程な。やはり、私の感覚は随分と麻痺しているらしい。
「クラウンさんは既に優秀な人財を確保しています。卒業後も即戦力として、アナタを満足させるだけのポテンシャルを有している人達です。ですが──」
「ギルド運営はそんな彼等だけでは成り立たない、か……」
決して忘れていたわけではない。
ギルド職員として運営に問題無い数の人材を雇う事は無論、承知していた。
職業斡旋ギルドの娘であり、今後は人事を全面的に任せる予定のロセッティと相談しながら様々な条件下に最適な人材を学院生の中からリストアップしていたのだが……。
「確かに、クラウンさんの実績──そして先程上がった評判ならば、アナタに憧れて勧誘を受け入れる──または自ら志願してくる生徒も居るでしょう。しかし中にはこういう人も、大多数存在します」
『自分は力不足だ』『自分は役に立てない』『自分は足を引っ張ってしまう』──そんな自己肯定感が低かったり、または自分の能力を弁え〝過ぎて〟しまっている生徒からすれば、私のこの評判と実績はあまりにも眩し過ぎてしまうだろう。
「つまり敷居が高くなり過ぎているんです。勿論クラウンさんが求める水準というものもあるのは存じています。ですが今のままでは仮に水準を満たしていた人が居たとしても、そんな光が苦手な人がアナタの元で──畏怖と偉業により眩し過ぎているアナタの元で働きたくなるかは、言わずもがなです」
光は目立ち、人を引き寄せる。眩ければ眩い程、それに憧れる人間の質も良くなる。
だが逆に、強過ぎる光は人によっては毒であり害。そしてそれを目の当たりにした人々にとって、その光は避けたいものであるなど自明の理だ。
それを私とした事が失念していた……。
……いや、私だからこそ思い至らなかったのだろう。
前世での私の人生は、その殆どが裏社会でのもの。
募った部下達も一癖も二癖もある奴等ばかりで、畏怖や畏敬にこそ魅力や質を求めるような奴等だった。
一応表社会での事業も展開していたが、それに関してはそもそも裏の実態を報せずに募った人材であるし、そもそも直属の部下に任せっ切りだったからな。
表社会の人材募集、雇用などはなから深く意識していなかったのだ。
成る程、成る程……。完全に盲点だったな……。
「と、なるとやはり……」
「クラウンさんが表稼業として「十万億土」を運営する以上、今の功績、実績に加え親しみ易さをある程度浸透させる必要があるかと……」
「その絶好の機会が教師、か……」
「一応現生徒ではあるので、今でも学院生達との接点は作れるでしょうが、効率面で見れば教師として活動するのが一番だと思います」
「ふむ。加えて言うなら私自身が教育指導する事で、ある程度人材育成を私好みに操作も可能。埋もれてしまっている才能の発掘も私の《強欲》が作用すればより効果的に働く」
違和感なく、あくまで自然な形で学院生達を私的にコントロールし、私の卒業後も教師として君臨し続ける事で人材を発掘、教育し続ける事も可能だ。
「そしてもう一つ」
「む?」
「……教師としての実績は、何も人材発掘育成だけには止まりません。世界一の魔法魔術を謳う魔法魔術学院を、アナタが牛耳れます」
「……ほォう?」
あの学院を、牛耳れる?
「まあ、クラウンさんならわざわざ教師にならなくともキャピタレウス様の跡を継いで会長に就任する可能性はありますが、教師経験やその実績の有無で周囲の反応は違うかと。反対派が現れてもそれへの対処がやり易くなるでしょうし」
ふむ。
「そうなれば、クラウンさんの立場はより盤石なものに。王国はより、アナタを手放せなくなるでしょう。それこそ、多少の犠牲を払ってでも繋ぎ止めようとするくらいには……」
「素晴らしいッ!!」
思わず、ロリーナの両肩を抱く。
彼女は驚愕の表情を見せるが、もうこの気持ちを抑え付ける事が出来ない。
「私の及ばぬ思考、アイデア……。そしてこの上なく私の利を叶える効率と効果を理路整然と示してくれる……。素晴らしいよロリーナ。それでこそ私の秘書であり、私に相応しい私だけの恋人だ」
「あ、ありがとう……ございます……」
ふふふ。照れ顔が実に可愛く愛らしい……。
「君の考えを採用しよう。師匠の提案を飲み、私は教師となる」
師匠との研究時間は多少減ってしまうかもしれんが、そこは質でカバーしよう。もしくは時間を何処からか捻出すればそれで済む。
それに教師として働けば、教師に準ずるようなスキルも習得出来るかもしれんしな。うむ。実に素晴らしい。
「では、今から学院長室にお戻りに?」
私達の会話をプレゼントした手帳にてまとめていたマルガレンがそう提案してくる。だが……。
「いや。この後の予定に差し支えてはいかんからな。今すぐなれるものでもないだろうし、話は明日にでもするとしよう」
「承知しました。ではこのまま?」
「ああ。……このまま、お説教されにいくぞ」
──それは今朝方の事だ。
朝早くから父上に呼び出しをくらい、少しだけマシになった顔色に呆れを混じらせながら溜め息から説教が始まった。
『お前、早速下街に──「不可視の金糸雀」に乗り込んだらしいな』
『はい。ケジメを付けさせに行きました』
笑顔で答える私に、父上は静かに目を伏せる。
『……一応、ルビーから話は聞いている。贈答予定だった屋敷を占拠されていたのだったな?』
『まあ、元は私が挑発したのが原因なのでアレですが、少々舐められいると感じたので、お灸を据えた形ですね』
『……そういう所があるよな、お前』
『父上が生温い対応をしていた、その尻拭いとも言えますね?』
『そう言われてしまうと……少々言い返せんな……』
まあ、「不可視の金糸雀」の首領であったキャナリー・ライクシング自身は、事前の脅かしが効き比較的理解ある対応をして来たがな。
それでも、他組織はある程度父上の甘さを分かっていて舐め腐った態度を取って来るかもしれん。
あの過度なまでの脅かしは、他組織に対しての牽制でもあるのだ。
『な、何はともあれだ。私からは取り敢えずこれ以上の咎めはない。私の不手際が招いたとも言えなくはないからな』
『……私からは、ですか』
『ああ。何せお披露目前だ。アイツ等は心中穏やかじゃないぞ』
『でしょうね。承知の上です』
『……放課後。王都上街の「包括の館」に行きなさい。皆が集まる』
『分かりました』
『いいか? くれぐれもアイツ等に喧嘩なぞ──』
『承知してますよ。……何せ父上と違って、傘下五家のお歴々は甘くないでしょうから。甘んじて〝お説教〟を受けに行きますよ』
──王都上街。その端にある、小振りな屋敷。
煌びやかさも、華やかさも無く。
宛ら無駄を削ぎ落としたような、地味で目立たぬ年季の入った、少々寂れた印象を受ける一邸。
誰もが目を移す事なく通り過ぎ。
視界に入ったとしても取り立てて意識に残らないような、そんな影の薄い建物ではあるが、しかし。
それが内在するのは血塗られた歴史と確固たる覚悟が滲んだ、王国を裏から支える柱が一本。
誇れるものを胸へ仕舞い。
賞賛を拒み影に徹し。
選ばぬ手段で己を貫く。
そんな者たちが集い、密かに国を思う、小さな屋敷……。
表では決して呼ばれぬ、裏でのみ囁かれるその屋敷の名を「包括の館」。
私が元帥へと就任した「劈開者」のメンバー──〝翡翠〟傘下五家が集う、我等の屋敷だ。
私達は今、そんな屋敷の前に居る。
「……門番や衛兵は居ないのですね」
素朴な感想を口にしたロリーナが、少しだけ物々しい雰囲気に息を呑む。
「一応この屋敷は世間からは秘匿されているからな。そんな者達を置いてしまえば、逆に如何にも何かあるように見えてしまうだろう?」
「なるほど……」
「ふふふ。安心しなさい。この屋敷の装いはあくまでもカモフラージュでしかない。曰くなど何も無いし、人死なども起こったことはないよ」
「な、なるほど……」
一応納得はしたようだが、無意識なのか私の服の裾をしっかりと握ったままだ。
こういう所が本当に可愛らしい。
「では向かおう。これからお世話になる専門家達だ。互いに顔を覚えておかねばな」
とはいえ既に一人は顔見知りだが……。まあ、細かい事だ。
門を潜り、雑草の茂る疎らな石畳を歩き、少しだけ錆び付いたドアノブの玄関を開ける。
「え……」
屋敷の中を見遣り、ロリーナとマルガレンが目を見開く。
視界に広がったのは、外観からは想像もつかないような荘厳さを纏う内装。
黒と翡翠色を基調とした壁紙とカーペット。
静謐で厳かな雰囲気の調度品や絵画達。
ソファ、テーブル、クローゼット等の家具類も黒檀のような高級感とイヤらしくない程度のゴシック調の装飾が施された一級品ばかり。
天井からぶら下がるシャンデリアも決して煌びやか過ぎず、落ち着いた、安心感を齎してくれるような光量を発している。
そして何より──
「……ようこそおいで下さいました。坊ちゃん」
「「「ようこそおいで下さいました。坊ちゃん」」」
一人の家令を中心に、左右に分かれるようにロビーに並ぶ十名の使用人達。
彼等が一斉に完璧な所作で頭を垂れ、歓待の言葉を口にした。
「出迎えご苦労。皆様方は?」
「……はっ。既に会議室にて集結しております」
「そうか。ではよしなに」
「……はい」
この少し間を置く話し方……。前世で部下であった「淵夜叉」を思い出すな。
流石にこの家令程の老齢ではなかったが、アイツが歳を取っていればこんな風だったかもしれん。
……まあ、目の前の彼ほど奴は大人しいタイプでは無かったがな。私が何か隙を見せると決まって「……情け無いですね」と生意気を──
「クラウンさん」
「ん?」
おっと。少し感傷に耽ってしまったな。
「すまないな。行くぞ」
「はい」
使用人達の真ん中を通り、二手に分かれている階段の中央にある大きな二枚扉を開く。
広めの前室にはロビーのものより更に上質なソファやローテーブルが設置されており、ちょっとしたラウンジのような内装。
その奥には先程入って来た二枚扉と同じような扉があり、この先──会議室に私の来訪を待っている人達が居る。
そしてそんな奥の扉には両端に、見て呉れが屈強な偉丈夫二人が門番のように仁王立ちしていた。
「ご苦労。開けてくれるか?」
私は二人の偉丈夫にそう告げる。それでこそが彼等二人のやるべき仕事の一つであり義務だからだ。
だが、そんな彼等は──
「身分を明かされたい」
「……む?」
事もあろうに、私に身分証明を求めて来た。
「……この包括の館に於いて、私に身分を?」
「そういう、決まりだ」
「身分を明かされたい」
「……そうか」
まるでコチラを探るような、それでいて妙に鼻に付く威圧的な口調、態度。
宛らこの場の決定権が一時的にでも自分達にあり、限定的でも支配者として君臨しているという自負を隠そうともしない、そんな不遜極まる目線で、私を見下す。
──彼等のもう一つの業務は、不審者やアポイントメントの無いものを拒絶し、決してその先へは通さぬ事。
蓋し私はここに至るまでに、わざわざ来訪のアポイントメントなど取っていない。何せ呼び出された側だ。そんなもの、取る意味があるなどと考えもしていなかった。
だが……そうだな。
数ヶ月前に一度だけ父上を説得させる為に資料室に忍び込みはしたが、私もここを訪れるのは初めてだ。
例え書面上この屋敷の責任者が私だったのだとしても、そこら辺の事前確認くらいはしても良かったのかもしれない。
まったく迂闊だった。少し自分を驕っていたかな? ふふふ、ふふふ……。
…………などと──
「思うワケがないだろうが」
「「──ッッ!?」」
《威圧》《覇気》《英雄覇気》《恐慌のオーラ》を発動させ、真っ青な顔色に大量の汗を滲ませた二人を、鋭く睥睨する。
「決まりだと? 決まり以前の問題だこの凡愚が」
「「……ッッ」」
「貴様等門番だろう? 門番のクセに責任者の顔も知らんのか下っ端風情が。この、私の、顔も分からんというのか? えェェ?」
「「ぞ、存じて、おりますッッ!!!」」
「ほう? 知っていた? 分かっていて、私を止めたと? この私を? この私に身分を証明しろと? えェッ!?」
「「す、すみま──」」
「えらく図に乗っていたな? いつから貴様等は私を偉そうに検分出来る立場になった? 正しい門番の役割も碌に全う出来ん無能が何を勘違いして身分証明を要求出来るんだ? おい」
「「ひ……」」
「貴様等の仕事は予定外の来訪者の拒絶と、この私を含めた関係者に快く扉を開ける事だ。不躾に身分の証明を要求する事ではない」
「で、ですが……」
「ま、万が一、我々が、欺かれ──」
「自身の力不足で責任逃れか? 言い訳か? そんなものが通用すると考えているなら今すぐ門番なんぞ辞めろ」
「「──ッ」」
「見抜けぬなら貴様等の責任。貴様等にその能力が無く、貴様等では全う出来ない業務だったという話だろうが。それを関係者に要らん手間を取らせて補うと? 随分とまあ──」
震える二人の肩を掴み、無理矢理に押し込め、床に沈める。
「「──ごァッ!?」」
「お高く留まっているなァァ?」
「も、もうし、わけェェ……」
「ありま……せェん……」
くぐもった声で二人が必死に謝罪を口にする。
その目に宿るのは後悔。失敗に対する強い強い後悔と、恐怖だ。
まったく。見た目の割に根性の無い事だ。
これは使えんな。
肩に置いていた手を退かし、二人を自由にする。
すると二人が徐に立ち上がろうとしたので──
「誰が立って良いと言った?」
「「え?」」
「頭 が 高 い」
「「──ッッ」」
この程度の奴なら、最早魔術で床に縫い付ける必要もない。
《英雄覇気》で屈服したコイツらは、もう私の言葉に逆らえん。
「沙汰は追って伝える。どんな強運とマグレでこの場を任されたのか知らんが、二度とこの屋敷の敷居を──いや。二度とここの様な場を任せて貰えると思うなよ」
「う、うぅ……」
「すみ……ません……」
「まったく……。さっさと開けろ。出来損ない」
「「は、はい……」」
漸く、会議室の扉が開く。
威風の嵐が、私達を叩く。
「……皆さん。よくお集まりで」
笑顔でそう言った私に、皆が冷笑を浮かべた。




