序章:浸透する支配-13
最近、感想の返信が滞ってしまい申し訳ありません。
ただ目だけは全て通していますので、気長に返信をお待ち頂けたら幸いです!!
──臭う。饐えた臭いだ。
雨後でもないのに湿度が高く、所狭しと建物が建ち並ぶ為に陽光は殆ど入って来ず。
加えて路地は中街・上街に比べて狭く、馬車一台がやっと通れる程度の道幅しかない。
──ポーシャ達の貸し家を久々に訪れた日から約一週間後の今日。
漸くキャッツ家の裏稼業の継承が公式に国に受理・処理され、晴れて正式にキャッツ家の裏稼業──「劈開者」の元帥就任を果たした。
そして国王陛下からの勅許状が私の手元に届き、その足でエメラルダス侯へ下街調査の許可を取り付け、当初から編成だけは済ませていたメンバーを集め、この場に居る。
「うっ……。ねぇ、私なんか気持ち悪くなって来たんだけど……」
「我慢しーなーよーヘリアーテ。これでもまだマシな方だよ? 東区と北区なんて気化した媚薬と麻薬の匂いで頭グラグラするんだから」
「で、ですがグラッドさん……。アタシ達にここはちょっと……」
「ダメだよーキャサリン。キミはボクの部下なんだから、こういう場所にも慣れてくれなきゃさー」
私の背後には、そんなメンバーである部下達が居る。
隣にはロリーナと斜め後ろにマルガレンが居り、彼等三人はその後ろだ。ヘリアーテにグラッド、そしてグラッドの部下であるキャサリンという面子。
今回ディズレーやロセッティなどのメンバーやティールなんかを連れず、実地踏査では初になるグラッドの部下を連れて来たのには勿論理由がある。今私達が居る場所に起因する理由だ。
「……僕は臭いなんかより、もっと気になるものがありますがね」
「仕方がないよ。彼等からしたら、私達が異物なんだから」
珍しく苛立ちを滲ませるマルガレンの言葉を、何処と無く不機嫌そうなロリーナが窘める。
ロリーナの言う通り、私達はこの場にとって異物だ。
ここ下街の西区──通称「 歔欷の吹き溜まり」には下街だけではなく、中街で落ちこぼれてしまった浮浪者が集まり、その日その日の食い扶持をなんとか確保しようと必死になる輩共が、日夜仕事の取り合いをしている。
仕事と言ってもまともなものは当然無い。
軒並み犯罪や犯罪紛いの非合法な業務ばかりが蔓延し、街中や近隣の村々での犯罪の八割がここで見付けてきた依頼だ。
本来ならこんな場所存在する事すら許されはしないが、犯罪者やその予備軍は方々に散らせるより分かりやすい場所に一箇所に集めた方が管理が易い。
警備や警察ギルドによる警邏による人手も削減出来、且つ詰め所等の場所も要所要所で済ませる事が出来る。
犯罪者達も中街に溜まるより下街の方が居心地が良く自然と集まっていく……。意図的にアンダーグラウンドを作る事は理に適っているのだ。
そんな犯罪者にとっての楽園であるこの下街に、明確に貴族然とした服装をした私に率いられた男女が誰憚る事なく闊歩している……。住人にとって気分の良いものではないだろう。
そりゃあ、無礼千万な視線を向けられもする。
……まあ、事情はどうあれ不快な事には違いないがな。
「んー? でも誰も絡んで来ないねー? ボクの想定だと道中十回は絡んで来るって思ってたんだけどー……」
「あぁ、それは坊ちゃんがスキルで威嚇しているからですよ」
「あ。そうなの?」
「絡まれて時間を浪費するのは馬鹿らしいですし、下街の皆々様にも坊ちゃんの威光を知らしめる必要がありますから」
「おーっ!! そうだねそうだねっ!! ボスの存在を彼等にちゃーーんと示さなくちゃねっ!!」
「そうですともっ!! 何せ坊ちゃんは弱冠十五で国の英傑にまで登り詰めたお人っ!! 万人に敬われ、畏れられる人なのですからっ!!」
」消ス
マルガレンとグラッドが二人で実に楽しげに私の事で盛り上がる。
この二人は部下達の中でも取り分け私への忠誠心が高いから致し方無いが、そう高らかに言い放たれては少々居心地が宜しくない。
とはいえわざわざ咎めたりはせんがな。威光の喧伝には違いないのだから。
「あ。そいやぁー話は変わるけどさボクー……」
「む?」
「あの蛇の子──ドーサって、ちゃんと預けれたんだよね? 大丈夫なの?」
ああドーサについてか。あの子なら──
「大丈夫」
私がそれに答えるよりも前に、隣のロリーナが口を開く。きっと周囲からの視線を会話で少しでも紛らわせたいのだろうな。
「最初こそ私達から離れたがらなかったけど、ポーシャさんの所に毎日通ってドーサを少しずつ慣れさせたの。今だったら半日くらいなら平気かな」
独り立ち──には幾らなんでも早過ぎるが、ここ数日で目に見えてドーサは自立心を芽生えさせたように感じる。
ただポーシャ達に預けただけではここまで急速な成長は見込めなかったろう。何より影響を与えたは、恐らくは子供達。
今までドーサを取り囲んでいたのは、親と慕う私達と同年齢から上の人間ばかりだ。
たった十年強程度しか生きていない私達ではあるが、あの子から見れば大人と変わらん。そんな者達に囲われていては、親である私達以外に拠り所は見い出せないだろう。
だがポーシャに預けている子供達は、蛇だからと偏見や差別なくドーサと交流し、互いに近しいレベルでの意思疎通を取る事が出来ていた。
初日の顔合わせ時点で既に意気投合していたし、連日連れて行く度に仲が深まっていくのを傍目からでも感じ取れ、何やら私まで嬉しくなってしまった程だ。
今朝などドーサからの催促まであり、ロリーナと二人で思わず微笑ましくなり笑ってしまった。
私達があの子をポーシャ達に預けた際に「少し出掛けてくるが大丈夫か?」と聞くと──
『うんっ!! いってらっしゃいっ!!』
──と、相も変わらず本当に蛇かと疑わしくなってしまうような満面の笑みで見送ってくれた。
そのお陰か私達二人共に後ろ髪引かれる事なく、成長の嬉しさと一抹の寂しさを感じながら一時だけだが別れる事が出来たのである。
「ふぅーん。でも心配じゃなーい? ドーサってやっぱりふつーの蛇じゃないしー」
「ポーシャ達には一応、何かあったら遠慮せずにすぐに連絡を寄越すよう言ってあるし、ムスカの眷族の監視も置いている。それでも心配は尽きないが……」
「後は信じるしかないです。私達も、こういった状況には慣れなきゃいけませんしね」
「ふふふ。そうだな」
この成長が子供特有のものなのか、はたまたドーサという唯一無二の規格外が為せる早さなのかは分からん。
故に単純な子育てとは違ってくるのだろうし、ドーサの身体的・精神的な変化が周囲にどんな影響を及ぼすかも不明瞭だ。
きっと今後も、私達はそんなドーサの変化や変容に振り回される事になるのだろう。もしかしたらそれによって大惨事に発展する可能性だってあるやもしれん。
だが例えドーサにどんな変化があろうとも、私達はそれを助け、支え、導く責任がある。あの子に「パパ・ママ」と呼ばれ、それを否定せず受け入れた人間としての責任が。
それを、決して忘れてはいけない。
「あ。それとー」
「……今度はなんだ?」
「ホラ、ポーシャさん。結局ボス、あの人の事は……」
言っている最中、何かに気が付いたかのようにグラッドがゆっくりとロリーナを見遣る。
そういえば以前ポーシャに初対面した際、コイツのいらん発言でロリーナの何かしらの琴線に触れていたな。
それを思い出して気を遣ったのか?
「……私にそうのはもう要らないよ」
「あ。そう?」
「うん。今はもう色々ハッキリしてるから」
「まー、そうだね。──で、ボス。結局は?」
「ああ。誘ったともさ──」
『ポーシャ。帰る前にもう一つ、お前に頼みがある』
『あら、なんです? 私に出来る事なら……』
『私が立ち上げる総合政府請負ギルド「十万億土」……。そこで私の部下として、雇われてくれないか?』
『……え?』
『この土地の地主が私になったとはいえ、お前達から家賃を貰わんわけにはいかん。他の住人達に示しが付かんからな』
『それは、理解してるわ』
『家賃を値下げする事も出来るだろうが、それも他の住人達から反感を買うなど火を見るより明らかだ。だからといってその住人分の家賃まで下げては維持費だけで赤字になる。それは御免だ。そこまでお人好しでも聖人でもない』
『そうね。それは私達としても申し訳ないわ』
『そこで、だ。エダインのように、お前にも働いて貰いたい。それならば私の裁量で相応の給料をお前に支払う事が出来る。生活費や養育費諸々は勿論、多少の余裕が生まれる程度の金額を、な』
『な、成る程……。ですが、私が働きに出たら子供達が……』
『そこは心配するな。仕事場は一旦この家で構わん。お前に初めにやって貰いたい仕事はここでも可能だからな。子供達の世話をしながらやってくれ』
『それは願ったり叶ったり──ん? 一旦?』
『ああ。……いずれお前達には、ここから引っ越して貰いたい。可能な限りギルドに近い場にだ』
『え、それは……どういう? 仕事と何か関係が?』
『そうだ。……今後私は色々と手広くやる。表裏関係なくな。その過程でだが恐らく、私はこの家の子供達同様に孤児を幾人か拾うことがあるだろう』
『ええ……』
『勿論全員では無い。一般的な子は教会等に任せるつもりだが、私の仕事の性質上、厄介な事情を抱えた子も中には居るやもしれん。それこそ、この家の子達のような特殊過ぎる体質や生い立ちをした子とかな。そのような子達は、流石に教会には任せてはおけん』
『そう、ね……』
『故に、今後ギルドの近くにそういった稀有な性質の子を招く〝孤児院〟を建てたいのだ。そこで件の子供達を匿い、育んでいきたいと考えている』
『じゃ、じゃあもしかして、私を、そこの?』
『そう。お前にはそこの責任者兼保母として、活躍して貰いたい』
『……』
『まあ、他にも頼んでしまうかもしれんがな。その際はまた相談させて欲しいと考えている』
『……』
『……強制ではないぞ?』
『寧ろ普通断ります? こんな良いお話し』
『私が何か画策しているとは?』
『そんな人はそもそも手間暇かけて私達なんか拾いません』
『打算はあるぞ。私の得になる為にやっている』
『分かってますよ。……よろしくお願いします』
『ああ。任された』
「──と、そんな具合だ」
「ふぅーん。じゃあこれからポーシャさんもボク等の一員ってわけだ」
「ああ。とはいえ、話した通り彼女の現在での役割は保護した子供の養育だ。その内ちょっとした顔合わせくらいはやるが、基本的に頻繁に関わり合う事は今のところ無いものと思ってくれて構わん」
「今のところって……。暫くしたら他に何かやらせるつもり?」
「あくまで予定だ。その時分の状況でまた改めて考える」
「そう。アンタの事だから滅多な事ないだろうけど、働かせ過ぎんじゃないわよ? 今でさえ八人の子供を見てんだから、ここからまた増えたりした上に他の仕事までやらせたら過労死しちゃうわよ」
「理解っている。私だって育児養育に無頓着というわけではない。彼女には無理させんさ」
「なら良いけれど……」
しかし、ヘリアーテの言う通りなのは間違い無い。
私の中では他の仕事も……と想定しているが、エダインが居るとはいえ実質一人にだけ子供達の世話を見させるのは得策では無いな。
今の内に相応の人材を新たに見付けるのもアリか……。
「あ、ああ、あの……」
「ん? どーしたのキャサリン」
「な、なんか……雰囲気が……」
下街に来るのを隠れて怖がっていたキャサリンが戸惑うようにグラッドに縋り、辺りをキョロキョロと忙しなく見回している。
どうやら報告を兼ねた雑談をしている間に、「歔欷の吹き溜まり」の奥へと足を踏み入れたらしい。
間断なく擦れ違ってきた不躾な目線を送る怯えた浮浪者や日陰者達はいつの間にやら鳴りを潜め。
人数は大幅に減り、先程まで狭々しく感じていた通りも今では多少の余裕すら感じられる。
時折擦れ違う輩も風格を数段増しており、目が合えば慌てて逸らしはするものの、まるで値踏みでもするかのような鋭い眼光でコチラを見遣ってくる様はまさに歴戦の悪人のそれだ。
いやはや、実に懐かしい空気感と雰囲気だ。
前世の時分に何度似たような場で命を狙われた事か……。もっと長生きしたかった──と死ぬ寸前まで後悔したものだが、こんな世界にドップリ浸かっていてあの歳まで生きていけたのはある意味で長寿ではあったのやもしれん。
「あー。近付いてる感じだねー、これ」
「え? どういう事よ?」
「下街ってさ。東西南北に区画分けされてるんだけど、その区の中心に行けば行くほど、裏の世界はより濃くなってくわけ」
「濃く? 意味分かんないんだけど」
「まー、よーするに危険度が増すのっ! 今まですれ違ってた奴等なんか目じゃない極悪人や仕事人。そこそこの組織の頭やら幹部なんかの裏社会の重鎮なんかが中心に居を構えてる感じ」
「ふーん」
「ふーん、って……。あのねー? ふつー、ボクらみたいなまだまだ世間なんか知らないお子ちゃまが入って良い場所じゃないのココっ!! 一度聞いちゃったら一生しゃぶり尽くされるようなこわーい話がちょっと曲がっただけで聞こえてきたりすんだよっ!?」
「でもアンタ、下街出身じゃない。それでもビビってんの?」
「出身だーかーらビビってんのっ!! もうねー、ここは謂わば猛獣とか魔物の檻の中だよっ!? 油断したら一瞬で──」
「おいそこのッ!!」
ドスの効いた、いい感じのがなり声が私達に放たれる。
発したのは丁度横道から曲がって来た一人の男で、長身痩躯ではあるものの体幹が良く、羽織っているローブからは無数の暗器らしき得物が覗いていた。
恐らく暗殺かなんかのプロだろう。
彼は煩わしいとでも言いたげな顔で舌打ちをすると、そのままの勢いでこちらへと早足で歩み寄ってくる。
「ガキ共がどう迷い込みやがったッ!? ここは気安くテメェらみてぇな浮かれ小僧が来るような場所じゃあ──」
「頭 が 高 い」
《魔人覇気》《英雄覇気》を発動しながら《重力魔法》の魔術で男を地面に縫い付け、私の前にひれ伏す。
「──ッッ!?」
男は咄嗟に避けようと最初こそ足掻こうとしたが、私の重力の楔には抗えずただ私を睨み付け、悔し気に歯を食いしばって見上げてくる。
「まったく。その形で私の素性も知らずに無防備に近付いてるとは……。仕事明けで油断でもしていたか? それともその見た目や仕草はただの見せ掛けか?」
「なァ、にィ……?」
「勉強不足はこの世界では命取り……。私のような人間相手のならば尚更だ。親切心か敵愾心か知らんが、そんな無知な己を呪いながら無様を晒す事だな」
地面に這いつくばって一切身動きが出来なくなった男を尻目に、私達は彼の横を擦り抜け、歩みを再開させる。
「ちょッ!? こ、これ、はァ……」
はぁ。まったく喧しい……。
一瞬だけ足を止め、目端だけで男を見遣る。
「安心しろ。即興で刻んだ故、その魔法陣には大した魔力は込めていない。最低でも半日あれば自然と消えるだろうさ」
「はんッ!?」
「精々反省しながらそのまま恥を晒していなさい」
「ぐ……クソが……ッ!!」
「ああ。復讐しに来ても構わんが、充分に覚悟して来なさい」
ぶつけられた憎悪を、笑顔で受け止める。
すると男は何やら化け物でも見るかのように目の色を変え、顔色も悪くしていく。
「知りたくはないだろう? 自分の自慢の暗器達がどれだけ痛くて、冷たくて、無慈悲なものなのか……。自分の身体は大事にしないとなァ?」
「……」
「ふふふ。おすわりと待てが上手いじゃないか。では存分にご堪能あれ……」
視界から男を完全に外し、再度歩き出す。
趨勢を見守っていた部下達もそんな私に追従するが、ヘリアーテやキャサリンは何やら複雑な面持ちで少しだけ男を見送ると、その視線を私へと向け直した。
「なんか……いつもより厳しくない?」
「ん? 何がだ?」
「さっきの奴への制裁よっ!! 街中のチンピラ相手ならあそこまでやんないでしょ?」
そう言うヘリアーテの言葉にキャサリンも強く頷く。
ふむ。まあ、知っておく必要はあるか……。
「こういう世界は基本、ナメられたら終わりだ。それは何となくでも分かるな?」
「え? ええそうね……」
「特に私達のような外からの異物は念入りに検分され、そしてその情報は凄まじい速さで広まる……。私達の一挙手一投足が、今回の仕事に関わってくるわけだ」
「な、なるほど……?」
「そして私は奴にああ言ったが、あの男はプロだ。今回はそれを利用した形だな」
つい癖で悪態を吐いたが、表情から読み取れる疲労具合と歩き方から見える体調の具合は仕事終わりだと推測出来る。
そこから鑑みるに、奴はあの時なかなか長期の仕事か何かで遠征でもしていたのだろう。それこそ、戦争の中盤から既に街には居なかった可能性が高く、比例して私の存在を知らない程度の距離と期間は離れていた。
そしてそれだけの規模の仕事となれば、素人にはまず任せない。それこそ名のある仕事人を使うだろう。
「そんな名だたる仕事人が手も足も出ずに一瞬で制圧され、恥を晒す……。良い宣伝になるだろうさ」
「ふーん……。それで言うと殺すまではしないのね?」
「あの状況を見れば、ここの住人ならばやった私に生殺与奪の権利があった事は明白だ。〝殺した〟より〝いつでも殺せる〟方が情報としては強い」
「わざわざ報せる必要あるの? 奇襲すりゃ良いじゃない」
「壊滅させるならばそうするが、今回は組織の掌握が目的だ。脅迫し、屈服させ、征服し、支配する……。その為には私達が〝どんな人間なのか〟を、改めて示しておくに越した事はない」
「そういうもん?」
「そういうもんだ」
まあ、場合によってはそれを聞いて逃げ出す輩も居るだろうが、奴等は違うだろう。
何せ私の存在を知った上で私に喧嘩を売って来たのだ。
これが手荒い招待状なのか、はたまたただの挑発なのかは聞いてみるまでは判然とせん。
だがいずれにせよ、私の不況を買った時点で諦めてもらうとしよう。
精々私が到着するまでの短い平和を、今の内に噛み締めていなさい。「不可視の金糸雀」……。




