序章:浸透する支配-9
またも遅れました。
全部メタファーが面白いのがいけないんです。
でも色々と勉強になってます!!
──人間とは結局、どこまで行っても〝感情〟に突き動かされる生き物だ。
どれだけ孤高に。
どれだけ悪に。
どれだけ冷徹に徹しようとも。
その身に心がある限り、感情は人間の原動力の一つだ。
欲望の化身たる私にとっても、それは例外ではない。
寧ろそんな私故、感情こそを尊重する。
欲望は感情の源泉。感情は人間の本質だ。
……故に、私がここで感情を爆発させるのは、何もおかしくはない。
度が超えていれば、誰だってぶちまけたくもなる。
瞬間沸騰の憤慨に立ち上がってしまった私を、誰も責められやしない。
「ど、どうしたってんだいきなりッ!?」
ノーマンや他のドワーフ達、そして滅多に無い私の激怒に直面したロリーナが目を見開いている。
是非も無い。それだけの形相をしているのだろう……今の私は。
「……ビクターさん」
「な、なんじゃあっ……」
「その感情をコントロールする魔法陣のスクロール……。存在を知っているのはどれくらいで?」
「え。えぇ、っと……。エルドラドの首領と幹部数人……後は儂みたいな随一の腕を持つ職人何人かじゃな。竜材に関わる可能性のある奴等じゃ」
「チッ。存外多いな……。そいつらが他にバラす可能性は?」
「わ、儂みてぇに信頼してぇ客にゃあ、あり得るのぅ……」
「……ハァ」
「クラウンさんっ」
思わず身体から力が抜け、椅子に腰を落として頭を抱えてしまう。
そんな様子の私を心配してロリーナが声を掛けてくれるが、小さく「大丈夫だ」と返すので精一杯だった。
本当、勘弁して欲しい。
「あ、あの……どうなさったんです?」
「そうだよ急に……。説明してくれんだろうね?」
ああ、そうか。ノーマンとビクターは事情をある程度理解しているようだが、モーガンとメアリーは知らないのか。
なんなら前者の二人もそこまで深く理解してはいまい。
ならば、おさらいも兼ねて説明してしまおう。
事がどれだけ重大で、厄介なのかを。
「……先程ビクターが口にした「感情をコントロールする魔術のスクロール」……。本来ならば存在してはならない物です」
「え。ど、どういう……」
「皆さんは、禁忌指定された魔法をご存知で?」
私が四人のドワーフ達を見回すと、ノーマンとビクターは触り程度ならと言った具合で、モーガンとメアリーは知らないなりに嫌な予感を覚えたような顔を見せる。
「禁忌指定魔法とは、その特性や性質が極めて危険であり、やり方次第では大規模な人災に発展しかねないような魔法の事を言います。我々ティリーザラではそのような事情が起こり得る魔法を禁忌指定魔法とし、管理者以外での使用は勿論の事、研究や研鑽、情報の開示に至るまでの全てを公に公表する事を禁じ、破った者に重い罰則を架す事になっています」
全員の顔色が、一気に悪くなる。改めて聞いたロリーナでさえ、深刻そうな表情だ。
「だ、だけどさぁ? 大規模な人災ったって、普通の《炎魔法》だって、やり方次第じゃあ大惨事になるじゃないかい」
「そうですね。使い方次第ではあるでしょう。ただ禁忌指定魔法は、軒並みその性能が悪質に傾倒しているんです」
薬と毒の関係に同じだ。用法用量を守れば薬となり得るのが《炎魔法》等の常用魔法であるのなら、どう扱おうが人体の害にしかならず、規模次第では大災害にもなるのが禁忌指定魔法と呼ばれている。
因みに第二次人森戦争でディズレーとユウナがオルウェと戦った際に使ったという《呪怨魔法》。これも我が国では禁忌指定魔法だ。
言葉に魔力を乗せ、それを耳にした者に放った言葉通りの現象を引き起こさせる、まさに呪う魔法。
性質は《精神魔法》と似ているが、《呪怨魔法》の場合は〝聞く〟という制限が関わる代わりに術者の言葉を忠実に行動させる事を可能とし、加えて長時間それに晒されした者を〝呪怨状態〟にする。
これもまた分かり易く性能が悪質な禁忌に値する魔法。
まあ、当時のアールヴじゃあそんな法など知ったこっちゃないだろうからオルウェが習得していても不思議ではなかった。今はもう、無視出来んだろうがな。
「件の「感情をコントロールする魔術」は、十中八九その禁忌指定魔法の一つである《精神魔法》による魔術でしょう。本来ならば存在そのものが秘匿されていなければならない、世界規模の機密事項です」
「せ、世界規模ッ!?」
「基本的に魔法に関するあらゆる法はここティリーザラで制定し、五年に一度開かれる「同盟評議会」にて同盟国全てに布告しています。禁忌指定魔法の法も当然、その内に含まれるのです」
「な、ならウチらの国──マスグラバイトも?」
「無論、同盟国である以上は同様に禁忌です。まあ、魔法に疎いドワーフ族なら、殆どの国民はそんな法がある事すら知らないでしょうから無理もありません」
ドワーフ族は基本的に、自身の仕事に役立ちそうな魔法以外には徹底して疎いからな。自分本位な種族ではある。
「……それ、俺ら知って大丈夫なのか?」
またも、ドワーフ達が瞠目し私を見遣る。
「そうだよっ!! 知ったら罰されんじゃないのかいっ!?」
「わ、私たち、犯罪者っ!? ビクターさんと同じっ!?」
「わ、儂ゃ知らんぞっ!? 知らん知らんっ!!」
……随分と混乱しているが、主題はそもそもそこではない。
「それに関しては口外しなければ問題ありません」
「ほ、本当かっ!?」
「……バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」
「なっ!?」
「日常会話でつい出してしまうような話でもないでしょう? 仮に何かしらを理由に嫌疑が掛けられたらば私の名前を出して構いません。これでも、最高位魔導師の弟子ですので」
「お、おう……ならぁ、大丈夫か?」
まあ、私だろうと大罪ではあるがな。その際はなんとかしよう。それよりだ──
「問題はそこではありません」
「え?」
「私が憤っているのは法に反している云々でなく、《精神魔法》の魔術が、一部であったのだとしても広まっている可能性がある……という事にです」
「な、なるほど?」
「《精神魔法》というのはですね? その名と件の魔法陣の効果の通り、精神や感情に干渉する魔法です。他者に対しての脅威は勿論、自分自身に対して使うのでさえ決して放置出来ない効果ばかりの魔法なんですよ」
特に〝洗脳〟という事に関して言えば、彼の魔法の効果は絶大だ。
私の持つ《嫉妬》にも似たような事は可能であるが、この魔法の最大の利点は「効果範囲の広さと汎用性」にこそある。
《嫉妬》や内包スキルの権能の場合、その書き換えるという効力や性能の高さ故に絶対的な強力さを誇るが、その全てが基本、対象に触れ情報を読み取るというプロセスを踏まなければ発動しない。
だが《精神魔法》の魔術の場合、術者の技量や魔力量に大きく左右されてしまうものの、大体の場合は精神と感情に干わる際の範囲や自由度は相当に高い。
それこそ、スクロールに刻まれた魔法陣を利用するだけで感情を一時的にだが変容させるのだ。これが厄介でないワケがない。
何より《嫉妬》の所有者は世界で私一人であるが故に他者に使われる事を考慮する必要はないが、《精神魔法》は──
「最悪の場合、そのスクロールの魔術から《精神魔法》を理解し、新たな習得者が無数に現れてしまう可能性もある。そうなってしまえばあっという間……。法が違反者を罰するより早く、ねずみ算式に習得者が増えてしまうでしょうね」
特に《精神魔法》の場合、習得条件は《水魔法》と《闇魔法》の二種という比較的シンプルな組み合わせ。万人とは言わないが、探せば容易に才覚者を見付け出せるような難易度だ。
これを逃せば、いよいよ私はなりふり構わない手段に出るしかなくなる。
「か、仮に、そ、そうなったら……」
「国中──いや世界中で《精神魔法》の習得者が自分勝手に他者の精神に干渉して混沌を招き、更には自身の性格や記憶を〝洗脳〟して罪を犯した自意識や罪悪感を誤魔化す無法の世になる事でしょう。世界終焉シナリオ……とでも言いましょうかね?」
微笑む私に、皆がゾッと身を震わせる。
これは決して大袈裟な話ではない。
人間なんぞ、どこまで行っても感情に振り回される生き物だ。
それを自身の手でどうとでも出来ると知ったら、果たして皆が自身を律していられるのか?
……。
「──私はこの先、それなりの地位に就き、それなりの幸福を感受出来る立場になる必要があります」
「お? お、おう……」
「それなのにそんな無法者が蔓延る時代が訪れたならばどうなります? 寄る人間寄る人間全てを《精神魔法》の使い手やもしれんと警戒し続け、いつ自身が他者に洗脳される──果ては既に洗脳されているのではないかと不安が募る日々に苛まれる事になる……。まったく冗談ではない」
それこそサンジェルマン──奴がカリナンを名乗っていた頃にモンドベルク公とカーボネ女史、そしてその周辺を気付かれずに洗脳してみせたように、私や身内も知らぬ間に洗脳される可能性だって捨て切れないのだ。
この魔法が世間に広まる事は、決して看過出来ない。
「──ビクターさん」
「な、なんじゃッ!?」
「先程提示した信用と信頼の条件──希少な素材とお伝えしましたが、感情をコントロールする魔術のスクロールの可能な限りの破棄……そちらでも構いません」
「な、なにぃ?」
「何なら両方でも構いませんよ? その分だけ私からの評価は増すでしょうが、決して無理はしないように。私としてはスクロールの破棄を優先して欲しいですが」
「んな無茶を……。儂ゃ別にエルドラドん中で社交的なワケじゃあ……」
「事の重大さは先程の説明でご理解頂けましたよね? 知ってしまった以上、放置は出来ません。世間の治安、そして何よりっ!! ……私と身内の恒久的な安寧の為にも、ね……」
ビクターを可能な限り強い視線で睥睨する。射殺す程に、強くだ。
断る事を許さない。
断ればどうなるのか。自分や、周りの大切な人がどうなるのか。
それを想起させるような、殺意すら感じさせるであろう目で……。
「……あ」
「はい?」
「ぁまり……期待ぃ、すんなよ?」
「…………まあ、宜しいでしょう」
《奸商》はこういう時に役に立つ。まあ、今後に差し障りそうな相手には使いたくはないがな。
「一応私の方でも手を尽くします。やれる限りで構いませんから」
「わ、わかった……」
──はあ、まったく。何度目の脱線が分からんな。
聞き流せる内容でなかったとはいえ、これでは夜に差し掛かるぞ。ここからはもう手早く進めなければ……。
「……でようオメェさん」
「……なんですノーマンさん。これ以上のややこしくなる話は……」
「いやそうじゃなくてな? 空気的にぃ、この竜鏡銀に兄貴が言う魔術のスクロールは使わねぇんだよな?」
「そうですね。見付け次第焼却です」
「だけどよ? なら感情の伝播をどう防ぐってんだよ。使えなきゃ竜鏡銀は使え──」
「私が代わりを描きます」
「……は?」
ある意味では好都合、か? いやデメリットが大き過ぎて全くそう思えんな。
「私が代わりになる魔法陣をスクロールに描いてお渡しします。ただし発動回数一回の使い切りの仕様にし、使い終わったスクロールは改めて私に返却し──」
「「「「ちょ、ちょっと待てッ!!」」」」
……なんだ一体。
「オメェさんさっきっ!!」
「《精神魔法》は禁忌ってっ!!」
「言ってたじゃないですかっ!!」
「それをお前……はぁっ!?」
「……いいですか皆さん」
「「「「えっ?」」」」
「バレなきゃ犯罪じゃあ、ないんですよ」
──それから漸く、本格的な依頼内容の打ち合わせが開始された。
まず私の持つ破損した燈狼、障蜘蛛、間断、黒霆、淵鯉、拝凛、重墜、飆一華の修理と強化。
各属性に合致する魔物の素材をそれぞれに割り振る事で属性の強化と汎用性を向上。トールキンの材木と竜鏡銀を用いてより強固な作りにし、怪人付きスキルアイテムと相性の良いものは組み込む形に。
無事なままの砕骨、道極、爆巓、綢繆奏、熔削、摂華列にも同様に手を加える。中には同属性の魔物素材が無いものもあるが、それはノーマン達の伝手を頼り相応しいものを取り寄せて用いる。
名付けをしていないままの武器であり、しかし属性が染み付いている父上からのお土産である弩── 影弩オッシリアンドと、強化属性が染み付いているエルウェから取り上げた鞭──聖鞭シンゴルの二つには、新たに名付けをした上で同上の手順を踏むつもりでいた。
……だが──
「この聖鞭シンゴルに関しては、少々悩ましい事があるんですよ」
「お? なんだ珍しい……。言ってみろ」
「……用途が、私の意図と合致しないのです」
強化属性が馴染んでいる聖鞭シンゴルは、元々エルウェが自身の使い魔達に向けて打ち込み、彼等を強化する為に用いていた。
それはいい。意図と意味がハッキリしていて理解出来る。
だが果たして、それと同じ用途で使うとした場合、私が打ち付ける相手は誰になる?
美しき我が自慢の愛馬である竣驪にか?
はたまた使い魔であるシセラ? ムスカか? それとも今も私の服の中で眠りこけている子蛇のドーサに?
部下のグラッド、ヘリアーテ、ロセッティ、ディズレー、ユウナ……それか配下に加わったそれこそエルウェやオルウェ、ヴァンヤールに対して? 唯一の友人であるティールには?
……マルガレン、延いては……ロリーナに?
…………趣味じゃない。
「私に、身内を鞭で打ち付けたい趣向はありません」
「お、おう……。そりゃ健全なこって……」
「なのでこの鞭に関しては、また別の属性にしようかと考えています」
「ほおう。そいつぁ初の試みだな」
しかし、問題は何の属性にするか、だ。
どうせならば鞭に付与して効果的なものが良い。
中近距離を音速の衝撃波と共に強力に打ち付ける最速の打撃武器。やり方次第では対象をそのしなやかな本体で絡め取り動きを封じる……。
うーむ……。
……いや、待てよ……。
「……ビクターさん」
「こ、今度はなんじゃっ!?」
「……〝怨念〟の扱いに、心得は?」
「な……なんじゃって?」
──物には時折〝染み付いている〟ものがある。
人間の意思や感情というのは度し難く、場合によっては物や場所……人に強い痕跡として染み付く事があるという。
前世でもそういった話は度々聞いたし、実際私も〝そういうもの〟に傾倒していた連中に前世で知恵を借りたりもした。
そして魔力という変幻自在で自由自在な謎物質が存在する今世のこの世界に於いて、その染み付いた強力な意思や感情──特に〝怨念〟は、現実に影響を齎す事象として現れる事がある。
「貴方にお願いした怪人エルフが混じったスキルアイテム……。怨念──もしくはそれに類似した感情が染み付いますよね? 私には分かるんですよ」
「それ、は……」
《精神感知》に《存在感知》、加えて《悪意感知》《敵意感知》《殺意感知》も僅かにアレらには反応していた。目には見えずとも、染み付いているのは漠然とだが理解出来る。
故に使用を渋ったのもあったのだが……。
「一流の加工職人である貴方なら、一度くらいは扱った経験があるのでしょう? 何せ自ら「任せてくれ」と言ったくらいですからね」
「お、お前は……一体どこまで……」
「どうでしょう? その怨念……この聖鞭シンゴルに転用出来ますかね?」
「そ、そいつぁ、つまりぃ……」
「はい。聖鞭シンゴルは呪怨属性にします」
何十とある怪人エルフの怨念を一つ所に集め、それを〝呪怨属性〟として聖鞭シンゴルに定着させる……。ふむ。我ながら中々の妙案だ。
「呪怨属性……ですか? 確か魔法では言葉を……」
「む。ロリーナにはまだ教えていなかったか。──《呪怨魔法》の言葉に魔力を乗せるというやり方は、あくまでも魔法や魔術に呪怨属性付与し、行使する上で都合と相性が良いからだ」
まあ、禁忌指定魔法だから研究がある一族以外には秘匿されているだけなんだがな。確か許されているのは珠玉七貴族の──
「成る程。そうであれば鞭の中近距離による攻撃や拘束等の搦手と呪怨属性は相性が良いかもしれませんね」
「む? ああそうだ。──という事でビクターさん。聖鞭シンゴルに関してはそのようで問題ありませんか?」
「……簡単じゃあねぇな」
ほう。ここに来て難色を。
「触媒が要る。無数の怨念を一つに結び付ける〝楔〟がな」
「ふむ。どのような?」
「……由縁がある物が望ましいのう。それも強固で〝負〟の感情に耐性があるもの。穢れを抑えるか、もしくは無効化する機構も欲しいところだ」
「成る程……。それは中々な難易度の……。因みに私が参じた物の中には?」
「出来はするじゃろうが、不十分じゃ。中途半端なモンになりかねんぞ?」
「でしたら、呑みましょうか」
何とも色々と欲張った要求だが、可能な限り妥協しないのが私の信条。何とか満たしたいのだが……。
「……あの」
私の目端で、恐る恐るモーガンが手を挙げる。
以前にも彼女から武器に相応しい魔石を持つであろう魔物の所在を熟知していた。まさかそのセンサーに引っ掛かったか?
「なんだ? 言ってみなさい」
「あ、えぇと……。その〝楔〟っていうのになるかは分からないんですけど、その条件に当てはまりそうなのに、心当たりが……」
ふふ。やはり「勤勉の勇者」か。勉強熱心で感心だ。
「ほぉう。ならば教えてくれ。曰く付きの遺物か何かか?」
「い、いえっ! その……」
「なんだ歯切れの悪い。それとも言い辛い事でもあるのか? 倫理観的に」
「──ッ!!」
「はぁ……。今更だモーガン。嫌な思いをするだろうが、私のせいにでもしなさい。だから教えてくれ」
「……」
「……」
「……その、詳しくは私も知らないんですけど……」
「ああ」
「う、噂で……王都セルブの裏社会の組織に……」
「うむ──ん? ちょっと待てな──」
「え、エルフ族の死体がアンデッド化した魔物を飼ってるってッ!!」
……またエラい事を……。




