終章:忌じき欲望の末-28
これで何かしらの警告が来たら多少マイルドにするかもしれません。
まあ、露骨なとこまでは書いてないので大丈夫かと思いますが。
思わず、息を呑んだ。
今日は丁度満月で、晴れ渡る夜空と湖には、目を見張るほどに眩く輝く満月と幾万の星々が夜の暗闇を照らしていた。
そしてその月光を浴びながら微風に揺れる薄紫色の花々達……。甘く、けれど控えめな花の香りがその風に乗って私達の元へ緩やかに吹き抜ける……。
こんな綺麗な景色を、私は今まで見た事がない。
胸の内から、大きな感動が湧いてくる。
鳥肌が身体中を駆け巡って止まない……。こんな事、初めて……。
「アールヴでは、それなりに有名な名所の一つらしい。もっとも、エルフは近寄れないというがな」
クラウンさんはそう言って、私と同じ光景を見ている。
彼は一度この場に来たことがあるんだと思う。きっと初めから、私をここへ誘ってくれるつもりだったんだろう。その為に、この場所を探してくれたんだ。
「ここはアールヴなのに、エルフが近付けないんですか?」
「どうやら花粉にエルフ族に特効の毒性があるようでな。大昔は地下茎が食用とされていたようなんだが、いつの時代かそういう進化をしたらしい」
「人族には効かないのですね」
「ああ。まあ、だからといって過剰に摂取すればどうなるか分からんが、直接的に大量に吸い込みでもしなければ問題はあるまい」
クラウンさんは私に向き直り、握っていた手を引かれた。
畔にまで案内されると、彼はそこにポケットディメンションから取り出したレジャー用の敷物を敷き、二人でそこに座──
「──っ!」
私が敷物に座ると、クラウンさんはまるで私を抱え込むような形で後ろに座り、そのまま両腕を私に回す……。
「ど、どうしたんですか?」
「もうじき冬入りだ。今日は多少マシだが、長居すると冷えてしまうだろう。だからこうしている」
「いやでも、カーディガンが……」
「ダメか?」
「……いえ。お願い、します」
クラウンさんにそう言われてしまうと弱い。それに私としても、こうして彼に抱かれているのは温かく、凄く心地良い。
「……」
「……」
特に会話をするでもなく、二人で花畑と湖を眺める。
だけど何故だろう……。気まずい感じも、手持ち無沙汰な感じもしない。
このまま数時間と経ったとしても、私達は満足に帰路に着けると思う。
けれどやっぱり、それだけだと少し勿体無いかな……。
「……クラウンさん」
「ん?」
「私……思い出しました。自分の過去──自分がどこの誰で、どんな人間なのか」
そこからは、私が思い出した自身の過去についてをクラウンさんに語った。
──私ロリーナは、シナイ公国に根差す世界最大の宗教機関「幸神教」の忌神子として生まれた……。
教皇であるグーリフィオン・サンクチュアリスのもう一人の娘であり、さっき久しぶりに会ったアーリシアちゃんの……腹違いの姉妹という事になる。
ただ、私の母親はアーリシアちゃんの母親のように身分が高いわけではなかったらしい。
物心ついた時にはもう居なかったし、ついてからは会ったこともないから流石に記憶にはないけど、とにかく世間には公表出来ない相手であったみたい。
「それで、何故君が忌神子と?」
「……アーリシアちゃんと、殆ど同時に生まれたからです」
幸神教では、双子は凶兆の存在とされていた。
厳密に言えば私達は双子ではなかったけれど、同じ年の同じ日……時間も数分という誤差の範囲で生まれたって聞いた。
ただ、それだけだったなら幸神教の司教や枢機卿達も色々と誤魔化せたと思う。色々と言い訳をして、私を隠すか、あるいは密かに処分しただけに収まったんだと思う。
だけどそれを、私達の生まれ持ったスキルが許してくれなかった。
「アーリシアちゃんには勇者のユニークスキルである《救恤》を。そして私は欲神の神子たるユニークスキル……《欲の聖母》を、有して生まれたのが教団員達を悩ませたんです」
「……それが、幸神教では双子が凶兆であるとしている理由か?」
「はい。世間には決して広まってはいけない、教団幹部陣にしか知られていない事実──」
幸神教が讃え崇める幸福と安寧を司る神──幸神。
世界の欲深き者達が信仰する欲望と感情を司る神──欲神。
世間で別の神として信仰を集める二神は……表裏一体。
幸神とは欲神であり、反対に欲神は幸神である。
それが、幸神教の裏側にある、知られざる真実だった。
「幸神教にとって、自分達が崇める幸神が忌むべき欲神と同等の存在である事は最大の汚点であり、あってはならない現実です。だから彼等はそれを秘匿し、歪め、明るみに出る事を恐れました」
「……成る程」
「……幸神教教皇の血縁者や後継者は、理由は分かりませんが《救恤》を持って生まれてくる事が多いんです。そして、その勇者の証を持った者が双子で生まれると……」
「勇者と魔王は世界に同時期に誕生する……。故に兄弟姉妹にそれが現れ易いと?」
「はい。とはいえ双子なんて、そう毎回生まれるものではありません。……ただ幸神教の後継者や血縁者に双子で生まれると、必ずそうやって生まれて来るようです」
「それは……。また極端だな。それにしても、そうか。つまり君達の場合は、中々の特殊なケースだったわけだな」
そう。私の実の父であるグーリフィオンは、ある意味で油断したんだ。
双子でさえなければ問題無い。姉妹ではあるが腹違いの子であるならば、例え同時期に生まれようとも伝承のようにはならないって。
そして、アーリシアちゃんと私が生まれた。
アーリシアちゃんには《救恤》が宿り。
私には《強欲》ではないものの、それに連なると簡単に想像出来るようなスキル《欲の聖母》が、それぞれに宿る結果となった。
「父と、それから幹部達は大慌てだったようです。《強欲》ならばまだしも、今まで見聞きした事のないスキルを有して生まれてきたんです。どう処理して良いか、暫く見送る日々が続いたと聞きました」
「ほう。安易に殺処分としなかったのだな」
「幸神教の教義は「万人の幸福と安寧」ですから。いくら忌まわしい存在であろうと、それを率先してやろうとするような……自身の幸福を投げ打ってまでする人達じゃありません」
彼等は良くも悪くも教義には忠実だった。
教皇である父も、枢機卿達も、司教達も、その他教徒達も皆、心の底から人々を幸福に導きたいと考え、日々祈っている。そこに偽りはない。
だからこそ、私の処分を躊躇した。
人を殺す──それも赤ん坊や幼子を殺して、どうして幸福となり得ようか……。
彼等はその当たり前の壁を前に足をすくませ、先達がこなしたであろう所業に、自分なりの正当性を見出せなかったんだと思う。
「本当に双子で、本当に私が《強欲》を持っていたら、多分また違ったんだと思います。けれど……」
「厳密には双子ではないし、連なるスキルとはいえ《強欲》ではなかった……。それがよりいっそう、教皇達の決断を鈍らせたんだな」
「はい、恐らくは」
「ただだからといって放置も出来ない。結果、君は処分こそされずにいたものの不遇な憂き目にあったわけだな」
「……はい」
生まれて三年くらいは、殆ど幽閉状態だったらしい。
乳母が私の世話をしてくれていたようだけど、もう顔なんて全く思い出せない。
ただ覚えているのは、やって来る人間が全員、私を見て不快極まりないと言いたげな顔をして、悪感情剥き出しの罵詈雑言を口にしていた事。
教皇の娘だろうがお構いなし。毎日毎日、生まれてきた事が罪だの、生きているだけで不幸を振り撒くだの、散々言われたのを物心ついていない筈なのに、覚えている。
「でも、それだけならばまだマシでした。生きている意味が分からないながらも、言われるだけでしたから。手までは、出してきませんでしたから」
「……何か、あったんだな?」
「……私が三歳になって少しした頃、一人の人間が私の元に来たんです」
痩せ細った、薄幸そうな壮年の男の人だった。
彼は私に暴言こそ吐かなかったけれど、まるで他者を従えて当然みたいな態度で私に命令した。
『私の望み通りに力を使え。出来なければ処分する』
彼がどこの誰かなんて、聞いても一切こたえなかった。けど彼は私の《欲の聖母》の権能の事を知っていたみたいで、その力を使って自分の都合の良い結果に物事が運ぶよう利用しようと、私を無理矢理連れ出した。
勿論、教皇や教団員達は皆んな止めなかったし、寧ろ私の存在が近くに居ない事に清々していたと思う。
──そして私がやらされたのは、様々な悪事の手伝い。
要人を殺した際の証拠を隠滅したり、要人そのものを事故に見せかけて死なせたり。
幸せな家庭にちょっとした綻びを生じさせて一家離散を謀ったり、愛し合う二人を別々の誰かと政略結婚させて破局させたり。
善良な政策を敷こうとした権力者にありもしない罪をきせたり、過度な重税に無理矢理な理由を付けて布告させたり……。
その人にとっての都合の良い事を実現させて。
その人にとっての都合の悪い事を反故にする。
そんな日々を、約一年間続けさせられた。
「一年……。幼少の身では、さぞ辛かったろう」
「はい……。でも何より辛かったのは、私が関わった人が、必ず悲壮感に満ちた表情で打ちひしがれていた事です。私にそれをさせていた人も『これはお前が招いた結果だ』と言って、私に突き付けました」
「……」
でも、状況は変わった。
一年して、私が四歳になった頃。幸神教の教団が、いきなり私を連れ戻しに来た。
怒鳴り声だったせいでよく聞き取れなかったけれど、私に力を使わせていた人は、どうやら色々とやり過ぎたらしい。
引き起こした事態の一つが幸神教にまで波及して、見て見ぬふりをしていられなくなったとか、そんな事を言っていたと思う。
結局私を連れ回していた人も教皇には逆らえなくて私を教団に返還。
だけど、私は再び幽閉される事はなく。あの人に連れられて引き起こした数々の悪行を鑑みて私の《欲の聖母》に脅威を感じた教団は、とうとう本気の処分を決定した。
やり方は単純。最近になって魔物が出没した報告があった森に、着の身着のまま放り出す。それだけだ。
きっと、彼等にとってそれが一番罪悪感を感じずに済む処分のしかただったんだろう。魔物に食われるにしろ、森の中で餓死なりで力尽きるにしろ、直接手を下さない方法にあの森はうってつけだった。
「……誰も、異議は唱えなかったのか?」
「乳母が唯一庇ってくれた、という事は薄々覚えています。けど、もう顔も名前も思い出せません」
「ふむ……」
今あの人は、どうなってるんだろう……。幸神教の事だから、自分達が嫌な思いをするようなやり方はしないと思うけど……。
「そうか。……ふむ、そうか……」
……ん? もしかしてクラウンさん……。
「クラウンさんまさか、私を連れ回していた人を探し出そう、とか考えています?」
「む? ああまあ、優先順位は高くは設定出来んがな。君を手酷く扱った報いを受けさせてやらねば」
「……因みにどんな報復を?」
「そうだな……。生きたまま全身の生皮を剥ぐのは当然として、切れ味の悪いナイフで少しずつ肉を──」
「あ。分かりましたもう大丈夫です」
うん。こんな良い場所でする話じゃなかったかな。それを言ったら私の過去話も相応しいとは言いがたいけれど……。
「しかし、よく生き延びる事が出来たな。魔物の脅威もさる事ながら、飲食や体力、それに精神的な面を考慮しても齢四つの幼女がそう何日も生きられるとは思えん。……まさか」
「はい。《欲の聖母》を使って、魔物から逃げながら森の恵みや川の水を糧に、何とか生き延びました」
「……いや、だがそれではデメリットである「願いに対する欲求とそれの忘却」で、君は……」
「……運が、良かったんです。そのデメリットで消耗し切る前に、おばあちゃんに拾われたんですから」
「成る程、な」
「おばあちゃん言ってました。私、一年くらい食事や自己危機管理がまともに出来なかったって。本当に、心配を掛けてしまって……」
「それは、心配だろう。杞憂なのは分かっているが、話を聞いた私も心配してしまっている」
「うふふ。本当に、杞憂ですね。……もう、大丈夫ですから」
「ああ」
そう言うと、クラウンさんは私を抱き締める両腕に少しだけ力を込めながら、私のうなじ辺りに顔を埋めてくる。
何だかくすぐったいし、臭わないか凄く不安……。一応香水つけてるから、大丈夫、だよね?
「……」
「……」
「……君が」
「はい」
「君がその記憶を失くしていたのも、《欲の聖母》か?」
「……あの時、孤独を極めていた私が思い出せる記憶には、何一つ自分を励ましてくれるような良い思い出なんてありませんでした」
「ああ」
「辛くて、苦しくて……。いつ魔物に食べられるか分からない恐怖……。目を瞑って現実逃避をしようにも、浮かんでくるのは私を不必要だ、穢れだと罵ってくる大人達の言葉と侮蔑の目の数々……。寝て夢に見るのは、私が不幸にしてきた人達からの恨み言を浴びせられるばかり……。全部が全部、一分一秒が、地獄でした」
「……」
「……意識して、使ったわけじゃありません。いつ使ったかも定かじゃありません。ただ、精神が追い詰められた私の願いを、《欲の聖母》が叶えてくれたんだと思います」
「だから、記憶を……」
「《欲の聖母》自身も、それで封印されたんでしょう。残ったままだと、思い出すきっかけになってしまうでしょうから」
「そう、だな」
……私の思い出した過去は、これであらかた話終えた。
もうクラウンさんに話していない事は、無い。これが私の全部だ。
こんな私を、クラウンさんは……。
「ロリーナ」
「……はい」
「辛くはないか? 思い出して、私に話して、苦しくはないか?」
「……っ」
それは、今まで聞いた中で一番優しい声音だった。
低く落ち着いていて、どんな重たいものでも難なく支えてくれるような、そんな全幅の安心感を与えてくれる声……。
聞いているだけで、そんなつもりも気配もなかったのに、涙が出そうになるような……。
「……私、今、凄く幸せなんです」
「……」
「確かに嫌な過去でした。思い出す必要がなければそのままでよかったと思いますし、思い出した今、あの時に受けた仕打ちに、震えてしまいそうです。ですが──」
私は身体を捻り、クラウンさんの顔を見る。
慈愛に待ちた彼の目を、覗き込む。
「ですが、私にはクラウンさんが居てくれます。こうやって抱き締めてくれて、あったかくて、世界で一番優しい声で、私を心から心配してくれる……。それだけで私、あの日々に感じていた辛さや苦しさなんて微塵も感じないんです」
「ロリーナ……」
「それに、私の《欲の聖母》は欲神に連なるスキル……。貴方の中の《強欲》を支えるに相応しい力です。貴方は嫌う言葉かもしれないけれど、私はそれに、運命を感じています」
「……」
「私は、クラウンさんに出逢う為に……クラウンさんと愛し合う為に生まれてきたんです。そう思えば、あの日々の事なんて、全部もうどうでもいいと思えます」
寧ろあの日に経験した全部が、今後何かしらの形でクラウンさんの役に立てるかもしれないなら、望むところだ。
例えあの日と同じ事をやらなければならない状況になったのだとしても、それがクラウンさんの為になるなら何度だって手を下す。
それが私のやりたい事。それが私の生きる指針。
その覚悟と想いが、私の信念だ。
歪んでいようが、罪深かろうが、不実だろうが関係無い。
私はこの人と幸せになる為だったら、いくらでも闇にこの身を、この人と一緒に投じる。
私はクラウンさんを──
「クラウンさん」
「なんだ?」
「愛しています。私は世界で一番、貴方を愛しています」
「……ああ。私も愛している。何億年経とうと、愛している」
クラウンさんの顔が、近付く。
私もそれに吸い寄せられるようにして近付けて、互いの唇が、触れた。
多幸感が湧き上がる柔らかな触感が、頭を痺れさせる。
少しして唇が離れるけれど、私達は何も言わずもう一回唇を重ねる。
さっきより少しだけ深く重ねると、何故だか自然と口が動いてしまう。
そしてまたちょっとして離れるけど、胸の奥から湧いてきた激しい欲求に突き動かされるように、また重ねる。
今度はまるで貪るような、激しくて、息が荒くなってしまいそうな、甘くとろけそうなキス。
もっと欲しい。もっと味わいたい。
互いの愛を流し込み合うように、舌を合わせ、絡ませ、愛撫しながら、ただひたすらにクラウンさんを堪能する……。
だけど、ぜんぜん、たらない。
もっと、ほしい……。
「ハァ……ハァ……」
「んッ……ハァ……ハァ……」
どれくらい、してたんだろう。
わからない。わからないけど。
これ以上は、もうキスだけじゃ、たらない。
「ロリーナ……」
「は、い……」
「私の部屋に、来てくれないか?」
「……はい」
私はクラウンさんにお姫様だっこをしてもらうと、直後に景色は美しい湖畔の花畑からクラウンさんの部屋へと変わる。
そのままベッドまで運ばれ、彼は私を優しくベッドに寝かせながら、私に覆い被さるような位置につく。
「……」
「……」
「……ロリーナ」
「……はい」
「……いいか?」
「……」
私は両手を広げる。クラウンさんが欲しくてたまらない。
「全部、ください」
「──ッ!!」
クラウンさんが倒れ込んでくる。
彼の顔が私のうなじに潜り、私の耳を、甘噛みする。
「〜〜ッッ……」
「ハァ……ハァ……どうなっても、知らんぞ」
「は、はい……。あげます……全部……」
「ふふふ。最高に、可愛いな、君は……」
そうして、二人の夜は過ぎていく。
冷え込んできた冬の始まりを嘲笑うように白熱したその一夜は。
二人にとって生涯忘れる事の無い。
心の隅々まで満ち足りるような。
そんな濃密で甘い、褥に染み込むような愛に満ち満ちる、蜜月の夜となった……。
ロリーナの過去については、感想でたまに近しい予想をされている方が居ましたね。分かりやすかったかな?
想定では何となく察せれるけど、確たる証拠が無いから結論を出せないくらいの塩梅を目覚ました感じです。
何年か前までの予定では、二人が交わるのはもっともっと後の予定でした。
大体次部の終わり際くらいですかね。
しかし書いていて二人の仲が想定より早く睦まじくなり、寧ろそこに至らないと逆に不自然な感じにまで深まったので、良い感じのタイミングでベッドインさせてあげた形です。




