終章:忌じき欲望の末-26
調停式は第三者を交えて行われる。
この場合の第三者とはティリーザラ、アールヴとは別の国の人間を指しており、今回は人族最大の国家──ヴィルヘルム帝国の調停人であり外交官でもある者が両国の間に入り、和平を締結する形だ。
とは言っても内容としては簡素なもの。
両国の王が調停人を挟んで互いの要求・譲歩を突き合わせ、双方納得、または妥協可能な形へと整え、その内容を宣言書としてまとめ上げる事で完結する。
今回の場合、既に私がアールヴの首脳陣に根回し済みであり、国王陛下が望まれる内容は事前に大臣達へ確認、調整を行った上での調停となった。
異例の速さでの和平締結に帝国の調停人が何やら訝しげな顔をしていたが、深入りして良い事など何一つ無いと理解しているのだろう。
眉を顰めながらも、調停人は滞りなく式を進行し、そして遂に、ティリーザラ王国とアールヴ森精皇国の和平が実現する形となった。
いやはや、実にめでたい。私の肩の荷も一つ降りたというものだ。
まあ、まだまだ荷物は担いでいるわけだがな。
……因みに女皇帝ユーリとそのお付きの送迎をしたのは私である。
凱旋式が最後の公での仕事だと思っていたのだが、両国間を問題無く転移出来るのが私しか居ないと言われ、仕方なしにと承諾した形だ。
一応《空間魔法》を使える魔術士は私だけではない筈なのだが……。まあ、効率と信用を両立させられるのは私だけなのだろう。
調停式の立ち会いも提案されたが丁重に断り、送迎だけを担わせてもらった。護衛ならば姉さんと師匠が侍っていれば問題あるまい。
私にもやるべき事があるからな。
特にそう、ロリーナに関してだ。
進化を果たしたユーリとの戦いの最中、ロリーナは明らかに特異なスキルを行使していた。
私が一切スキルを使えない状態でのあの奇跡のようなマルガレンの登場……。あまりにも都合が良過ぎる。
あの場、あの瞬間でそれを意図的に呼び込めたのは明白……ロリーナしかいない。
だが彼女は未だにそのスキルが何なのか、どんな代償を払うのかは教えてはくれていない。いや、恐らく単に忘れているだけなのかもしれんが……。
もしくは私が勝手にロリーナのスキルを覗き見ると思っているのだろうか? 信頼されている故の事なのかもしれんが、そこに甘えるわけにはいかん。
どんなに仲睦まじくなろうが、最低限の節操と礼儀はあって然るべきだ。そこを、履き違えてはいけない。
スキルの事はロリーナ自身から打ち明けるまで待てばいいし、必要な時は私からお願いしよう。それぐらいが良い塩梅だ。
さて、そんなロリーナとの〝関係〟についてだが、まだ〝行為〟には至っていない。
これは単に私の個人的な拘りだ。彼女との初夜は、妥協の一切無い最高の瞬間にしたい。神聖視……とは違うと思うが、何よりロリーナに嫌な思いなどさせたくはないからな。
故にここ数日の間に、雰囲気作りに最適な場を事前にリサーチし、誘い出す瞬間も考えてある。
誘い文句は……空気次第になるな。まあ、よっぽど間抜けで素っ頓狂な事を口走りさえしなければ、乗ってくれるだろう。……恐らく。
因みに最近は今まで以上に距離を近付けて接する事を心掛けている。
機会があれば手を繋ぎ、隣に座る時は可能な限り密着し、近距離での会話の際も違和感を感じないギリギリの距離まで顔を近付ける……。結構露骨に、だ。
部下達には何やら察されたが……まあ、私が意識しているとロリーナが感じ取ってくれたならばそれでいい。
彼女が嫌がれば止めはするが……。私の目からはその様子はないし、周りも止めに入る気配は無い。ヘリアーテならば、そこら辺ツッコんでくれるだろうしな。分かり易くて助かる。
しかし、だからといって調子に乗るわけにはいかない。私から見てロリーナが嫌がっているようならば、即座に止めるとしよう。
まあ、一度我慢出来ずに彼女のモチモチした頬に触れたくなり思わず手を添えた時には──
『……』
『あ、すまない、つい……。嫌だったなら──』
『いえ……。なんだか、安心します。あったかくて』
──そう言って赤くなりながら添えた私の手に自分の手を重ねながらウットリしていたから、色々と杞憂なのかもしれんがな。
ともあれ、だ。
調停式の後の凱旋式──その後の夜に催される祝宴にて、私はロリーナを誘う。最高の夜にしよう。
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私──ロリーナは今、凱旋式の表彰を袖から眺めている。
凱旋式は、所謂国を挙げた大規模な表彰式になっている。
王都に帰還した軍がお祭り騒ぎの民衆の中をパレード宛らの行進で凱旋。
王城まで行進が辿り着くと、広場にて戦争の功労者──戦争を勝利へ導いた貢献者やその指揮官・司令官を王自らが表彰し、その働きに相応しい勲功と勲章を与える。
特に今回の第二次人森戦争は対象者は多い。
クラウンさんが手八丁口八丁で有能な人達を活躍の場に導いて功績を上げさせたのが効いていたのだと思う。歴史上稀に見る人数が表彰されてるって、クラウンさんから聞いた。
その中にはクラウンさんのお姉さんであるガーベラさんやキャピタレウス様。更にクラウンさんのお父様もそれに選ばれ、国民から万来の拍手と喝采が挙がる。
そして──
「クラウン・チェーシャル・キャッツッ!! 前へッ!!」
クラウンさんも、当然そんな表彰を与るに事になっていた。
名前を呼ばれ、国王陛下が立つ壇場へと上がり、王国式の最敬礼でもって拝謁。陛下自らがクラウンさんの胸元へ勲章を付ける。
ここからだと見えないけれど、話によればクラウンさんが与えられる勲章は特別中の特別らしい。
首を擡げる竜の周りを七種の武器が囲み、二本の杖が交差された意匠の紋章に、七種の宝石が埋め込まれているもの。
戦争で類稀な功績を上げた人にのみ送られる勲章で、名前を「珠玉竜王勲章」……。過去に三度しか授与された事が無い、王国に於いての最高位勲章なんだとか。
「齢十五の貴君が、よもやこれほどの功績を上げた事……。驚嘆と望外の喜びである」
「はっ! 恐れ入りますっ!」
話に聞いてたより、国王陛下は王者としての風格を纏った威厳を感じさせる風体で賞賛を口にして、それにクラウンさんが相応しい態度で応える。
こんな所で無駄に恥をかくわけにはいかないからって入念に予習していたけれど、クラウンさんの所作は凛々しくて、見惚れてしまうほどに、とても……かっこいい……。
「これより貴君には、より多くの幸福と困難が待っているであろう。それこそ、今回の功績に見合ってしまうような、高い次元でのものだ。理解しているか?」
……戦争でのクラウンさんの活躍は、自らに降り積もる期待を跳ね上げた形になったといえる。
これから彼に舞い込み、また待ち受けているのは、そんな巨岩のような重苦しいものを軽々と担いで当然のような要求や嘆願、要望の数々になるんだと思う。
普通の人ならすぐに潰されてしまうような期待……。だけど、それに応えた際の利益と幸福もまた、只人では味わえぬ領域のものであると、クラウンさんは何の気なしに答えてみせた。
私は、それを隣で支える。例え彼ですら潰されそうなものだろうと、私が隣に立って、一番近くで寄り添いながら支えるのだ。
「元より承知の上に御座います」
「ならば良い。これからも国民や王国の為、その辣腕が振るわれる事を期待する」
「はっ!!」
「任せたぞ。次期最高位魔導師の英傑よ」
国王陛下はそう言ってクラウンさんの肩に手を置き、深く重く頷く。
そしてまた規定の所作で敬礼すると再び喝采が上がり、それに応えるように片手を鷹揚として、しかし決して侮りのない仕草で振り返しながら歩き出す。
私がそんなクラウンさんを誇らしさに似たような感情で見詰めていると、彼はそのままの足取りで壇場を降り、コチラへと戻って来る。
国民達の視界に彼が映らなくなるくらいまで来ると、小さくだが息を吐いた。その顔には、普段のものとはまた別種の疲労が滲んでいるように見える。
「お疲れ様です。クラウンさん」
労いの言葉を掛けると、クラウンさんはそんな疲労一杯の表情を一変させ、いつもの私だけに向けてくれる優しげな顔で微笑んでくれた。
「ああ、ありがとう。流石に、あの大衆と国王陛下に挟まれるのは堪えるな」
凱旋式の表彰を見ようと集まった国民はざっと二万人前後……。その視線を背中に一身に受けながら国王陛下に表彰されるのは、然しものクラウンさんでも緊張するらしい。
最近は専ら人間離れした一面を見てきているけれど、たまにこうして普通の人と変わらない側面が垣間見えると、何故だか胸の奥がちょっとだけキュッとなる。
でも嫌な感じはしない。寧ろ温かなものが湧いてくる。
「さぁ。直に君達の番が来るぞ。最低限の礼節は忘れないようにな」
「はい」
この後、私達も表彰される。
とは言っても一人一人ではなく、コチラは団体での表彰。
どこの誰の部隊がどれほど貢献したかによって選ばれるようで、私達はクラウンさんの部下として特別に選ばれた。
本来なら私達は一応、剣術団の二番隊傘下という名目で動いていたから二番隊が表彰されるのが順当だったのだけれど、色々と問題が重なって繰り上がりのような形でこんな風になったらしい。
二番隊のファーストワンさんがエルフ兵の残党に不意打ちで亡くなり、副隊長だったグレゴリウスさんも居ない。
かと言って剣術団団長であるガーベラさんは個人でも剣術団としても既に選ばれていたから除外。
次点で実質的に二番隊を動かしていたクラウンさんに白羽の矢が立ったけれど、二番隊の団員達は「自分達はサン隊長の部下だから」と辞退して、私達クラウンさん直参の部下達だけが残った。
だけどこれは果たして剣術団の二番隊と呼べるのか? なんて声もあったみたいで、それならもう二番隊傘下としてではなくクラウン個人の部下として表彰した方が素直で良い……といった具合で済し崩し的に決まった。
たかだか学生の──なんて反対意見も全く無かったわけじゃないけれど、今回の戦争でクラウンさんの誘導と便宜で手柄を挙げられた貴族達の殆どが肯定的に声を上げたのが決定打になったらしい。
日頃から「恩を売って損する事は稀だ」と言っているクラウンさんの布石が小さくだけど早速輝いた結果だと思う。彼は本当に、凄い人だ。
「ね、ねぇねぇロリーナ」
「ん?」
緊張を誤魔化そうとアレコレ頭の中を整理していると、私の後ろに並ぶヘリアーテちゃんが小声で呼びながら肩を指でつつき、私を振り返らせた。
「どうしたの?」
「いやえっと……。今にも心臓飛び出しそうだから、和らげるためにあえて聞いちゃうんだけど……」
なんだろう。嫌な予感がする……。
そう思ったものの時既に遅く、ヘリアーテちゃんは少し混乱気味になりながらとんでもない事を口走る。
「結局、アンタまだ処女のままなの?」
「──ッッ!?!?」
事前にスキルの《直感》で予測はしていたけど、それでもやっぱりダメだった。
心臓が一際大きく跳ね上がって自分でも分かるくらいに顔が一気に最高点まで発熱して、真っ赤になるのを感じる。
「ね、ねぇ。どうなの──」
「へ、ヘリアーテちゃんはバカなのかなッ!?」
「ちょ、バ……えぇッ!?」
多分、人生で初めて同年代の女の子を罵倒したと思う。
「こ、こんな時に何をッ……。クラウンさんだって居るのにッ!!」
「いや、だから緊張を……」
「知らないよッ!! もう……バカッ!!」
もう一回だけ同じ罵倒をして、顔を背ける。
頭が混乱してつい浮かんでしまった単語を掴み取ってしまった結果だけれど、本音なのは間違いない。
よりにもよってなんでこんな時に……。
……はぁ。
ここ最近、ヘリアーテちゃんはその事ばかりを気にしてくる気がする。
私とクラウンさんの進展が、そんなに面白い事なんだろうか? それともからかって──いや、それは違う、かな。
多分だけど、心配なんだ。
何日か前のお茶会で、ヘリアーテちゃんは私に発破を掛けた。
クラウンさんだって望んでいるんだから遠慮するな。思うようにやれって……。
でも仮に、彼女が感じていたクラウンさんに対するもどかしさが勘違いだったら?
私をその気にさせたせいで、私とクラウンさんの仲が拗れてしまった?
もしかしたら、そう考えてしまったのかもしれない。この子はこう見えて身内には小心者な面を出す事があるから、後々になって「言い過ぎたかも」なんて後悔していたかもしれない。
そう思うと、さっきはちょっと──でもだからって今こんな場所で……。
……はぁ。
少しだけ首を動かして、後ろで静かになったヘリアーテちゃんを見てみる。
すると案の定、彼女は先程よりも青い顔をして目に見えて落ち込み、隣に居るロセッティちゃんに頭を撫でられながら「ちょっと間違えちゃったね」「……うん」「後で謝ろうね」「……うん」なんてやりとりをしていた。
悪い子ではない。きっと私とは別の意味で対人関係に不器用なんだと思う。
さっきのだって、多分この空気と緊張がその不器用さに変に働き掛けて口走らせたのかもしれない。
ヘリアーテちゃんも反省してるみたいだし、謝られたら許してあげよう。
…………。
──お茶会の直後くらい、だったかな。
クラウンさんが、いつにも増して積極的になった。
二人きりである程度の距離を歩く時は手を繋いでくれるし、彼の匂いが間近に感じられるくらいに距離も近い。
一回私のほっぺに手の平を添わせてきた時はビックリしたけど、胸の奥から安心感と安堵感が湧いて来て、不思議と暖かくなった。
…………ちょっと嘘。正直凄くドキドキしたし、今でも感じてる悶々としたのが一気に増した。
多分、あの時に誘われてたら受け入れて、たと思う。それくらい、あの時の私は欲……情、して、たんじゃないかな。うん……。わかんない、けど……。
……と、とにかくっ。最近のクラウンさんのせいで、私は色々と情緒不安定で、気が気じゃない。
こんな事が続くと、私はおかしくなってしまうかもしれない……。解決するには、ちゃんと落ち着けるところまで関係が進展しなきゃダメで……。
……私は、これからどうしたら──
「ほら。次は君達だぞ。大丈夫か?」
「──ッ!! は、はい……っ!!」
クラウンさんの声で、はたと我に返る。彼はなんて事ない顔をしてるけれど、もしかしたらさっきの私達の会話を意識して聞かないようにしてくれていたのかもしれない。
それなら良いんだけれど……。
「本当か? ……まあ、何かやらかしても後でフォローくらいはする。そう気張る必要はない」
「あ、ありがとうございます……」
「ねーねーボスー?」
私のお礼の背後から、グラッド君がいつもの調子で挙手しながら声を上げる。
「なんだ一体? 本当にもう出番だぞ?」
「いやさー? ホントーにボクら〝あの名前〟呼ばれていいのかなってさー。実際に立ち上げた時にお披露目のほーがよくないかなーって」
私達はこれから、とある名前で呼ばれて壇上する。私達にとってこれから特別なものになる名前で、グラッド君はその発表タイミングが気掛かりなのかもしれない。
「君達をただの「クラウンの部下達」と呼ばせるのは忍びない。それにこれは一種の宣伝でもあるんだ。中々ないぞ? 国の王侯貴族と国民の大多数が衆目する場で名を喧伝出来るんだからな。利用しない手はあるまいよ」
「そっか。ならボクは文句なしっ!」
「ならば宜しい。……ロリーナ」
「はい?」
クラウンさんが私の名を呼ぶと、彼は私に歩み寄り、至近距離で少しだけ身を屈めさせると──
「──ッ!?」
唐突に、私のおでこにキスをした。
思わずキスをされたおでこに私が手を当てて彼を見上げると、少しイタズラっぽい表情をしながら笑い掛けてくる。
「覚えているか?」
「は、はい?」
「以前私が初めて国王陛下と謁見するに際して、君は私の手にキスをしてくれたろう? 勇気が出るように、と」
うん。ちゃんと覚えてる。
あの時の心臓の音がどれだけ大きかったのかも、よく覚えてる。
私が初めて、クラウンさんに大胆な事をした時だ。忘れるはずがない。
「これはそのお返しだ。大丈夫。何があろうと、私は君と、君達の味方だ。絶対になんとかしてやる」
──ああ……。そう、これだ。こういう所だ。
一切迷いなく、何一つ疑問もなく。
彼の真っ直ぐで全く揺るがない強い瞳と言葉が、いつだって私達を支えてくれるんだ。いつだって私を、後押しして、強くしてくれるんだ。
そしてこの目と、声音と、優しい微笑みに、私はいつの間にか虜になって、好きになっていたんだ。
私も支えたい、守りたい、歩きたい、隣に居たい……。自然とそう思えるようになったんだ。
その先にも、進みたいと思っているんだ。
「どうだ? 勇気は、出たか?」
「……はい。これ以上ないくらいに」
「そうか。それは良かった」
そう言うと、彼は私達に道を譲るように横にズレ、流し目で見守ってくれる。
「では行って来なさい。胸を張って、自分達の功績に誇りと自信を掲げて、堂々と陛下から栄華を賜るんだ」
「「「「はいッ!!」」」」
そして、司会進行のアナウンスが壇場に響く。
「では次ッ!! クラウン配下「十万億土」ッ!! 壇上へッ!!」
私達は「十万億土」。
この世界を席巻し、楽土を敷いて私達の楽園を築く……。クラウンさんが立ち上げる、私達のギルドの名だ。
調停式やら凱旋式の様式は、コチラの都合の良い形にある程度改変してあります。
まあ、現実の歴史に則した形にした所で異世界には意味がないし、読み辛くなるだけだしね。そこまで重要な設定も拘りがあるわけではないですし、適度に流しれ下されば幸いです。




